5 なんだこの令嬢は…… ※殿下視点
「ヴェロニカ・キエトロでございます。マティオス・ル・アクトレギオン第1王子殿下」
伯爵以上の貴族子息令嬢は、虚弱等の理由がない限り、3歳頃には両親に連れられて王家に挨拶を済ませている。
ヴェロニカ嬢もそうだ。私は覚えていないが、お互い3歳頃に顔を合わしている。だからこの場合、初めましての挨拶をしてはいけない。久しぶりと匂わせる言葉も失礼になる。覚えている筈がないのだから。先程は陛下の前でも挨拶に引っ掛からなかった。侯爵の教育はきちんとしているようだ。
「ティオ殿下。お会いできて光栄です」
薄紫色の柔らかい雰囲気がある髪色とは逆の、きつい印象があるつり上がった大きな瞳。目尻にかけてより長く伸びた睫毛と、濃い紫色の瞳が、更に目力と自己主張の強さを現しているように見えた。それとは別の、初めてヴェロニカ嬢の顔を近くで見たとき、僅かに禍々しいなにかを感じた。しかしそれもヴェロニカ嬢がにっこりと笑えば消し飛ぶ程の美貌だった。目の下のホクロも可愛らしさを感じた。
終始、顎をひいて穏やかな顔をしている。
目を合わせているのに、まるでどこか遠くを眺めているような、目の前にあるものを、全てひとつの景色として認識しているような、そんな表情だった。
そこでちらっと、侯爵の顔色を伺うような態度を見せた。父親から何か言われているのだろうか? 素っ気なく感じさせない自然な態度とは裏腹に、感情のこもっていない声色が少し気になった。僅かに眉を寄せてしまう。
ヴェロニカ嬢を庭にエスコートしながらも、侯爵から何かしらの指示を受けていた場合、席についた瞬間、婚約を断わる素振りを見せてくるかもしれない、そうさせない為にも、卑怯ではあるが先に真意魔法で発言を封じた。
ヴェロニカ嬢のカップに紅茶を注ぎ、砂糖の量を聞こうとしていたソアンが早すぎると私に注意した。不安げなソアンを落ち着かせる為にも、いくつか質問に答えた。
「それにしてもキエトロ嬢は……呼吸はされていますが、それ以外は本当に何も反応しませんね」
ヴェロニカ嬢は、私や他の令嬢とはまた違った見慣れない美貌がある。10歳にしては妖艶なのだ。美形に慣れているソアンは無表情ではあるが、ヴェロニカ嬢に見つめられた姿勢のまま、内心そわそわしているのが伝わってきて苦笑いした。
「名前を含めた質問をしなければ、反応も、声も出さない」
まずは試しに質問をして見せよう、そう思いヴェロニカ嬢の方に体を傾けると、口元のホクロに目を奪われた。
それにより自然と唇を見てしまう。先程は目の下のホクロを可愛らしいと感じた、しかし口元のホクロは……見る角度で随分と印象が変わる。
「……二、ニカ。君は常日頃から侯爵にドレスや宝石をねだっているらしいな?」
「……はい」
ほらな、質問は名前を含めてすると、こうして反応するのだ。本来ならばこのような失礼な質問、貴族令嬢なら非を認める筈がない。あらかじめ調べていた情報だ。これで虚偽が無いことがわかった。ソアンを見ると納得したようにコクリと頷いた。
さあ、質問をはじめよう。
「おまけにニカは我が儘と聞いている。今日も侯爵に運ばれながら陛下の前に現れる等、随分と自分勝手な行動をしていたね?」
「それは本意ではありません。本当に体調が悪かったのです。お父様に恥をかかせたくなかったので、ボロボロの体を引き摺って王宮に来ました。今も頭痛がするし、目眩もするし、お腹の調子も悪いし、息苦しくて、もしかしたら肋骨にヒビが入っているかもしれません。生まれつき下痢と不眠症も患ってますし、本当に身体中ズタズタで、わたくし成人するまで生きられるかわかりませんの」
そ、そうなのか……?
いや、嘘はあり得ない。
本当のことを言っているのだろう。
「で、殿下……」
顔色をかえたソアンが私の袖を引っ張る。
わかっている。この魔法は体に負担もかける。あまり長くここに留めておくのも可哀想だ。
本題に入ろう。
是非が聞ければ、すぐに解放する。
「しかしニカ、私の婚約者になりたいなら、今後、今までのような軽率な行動は控えられるか?」
「殿下の婚約者になりたくないので、控えられないと思います」
「……な、に?」
一瞬、意味がわからなかった。
我が儘が控えられない、それは……まさか我が儘な振る舞いが王族の婚約者としてふさわしいとでも勘違いしているのか?
「ニカ、質問をかえよう。私の婚約者になりたくないから控えられないというのは、どういう意味か具体的に説明してくれないか?」
「我儘で、傲慢で、恥知らず。今まで王族にふさわしくない令嬢を完璧に演じ上げました。それなのにまさか婚約者に選ばれるとは、面倒極まりない。絶対に殿下と婚約したくないです」
「なっ…………」
…………聞いていた話と違う。
確かに婚約の打診は、王家が最初だ。
しかし娘を溺愛する侯爵が、なかなか婚約に耳を傾けなかった。それでも陛下からの話によると、ヴェロニカ嬢は私との婚約を望んでおり、対面すれば成立するだろうとのことだった。先程の態度も、侯爵が側にいるからだと──。
「で、殿下……まずいです。あまりにも話と違います。我々はとんでもない思い違いをしていたのかもしれません」
「…………そ、んな」
「すぐにキエトロ嬢を解放しましょう! 後ろ盾なら、まだ候補はいます! カタナ辺境伯に輿入れした夫人は小国ですがれっきとした王族! その令嬢はまだ婚約者もおりませんし、辺境を理由に妃教育で傍に置くこともできます。豪腕揃いの騎士団も含め、後ろ盾としては充分かとっ」
「……待て。辺境伯の娘はまだ4歳だ。それにあの偏屈爺が人質にされるとわかっていて愛娘を王宮に寄越す筈がない」
無理強いすれば、反旗を翻す可能性もある。
フォルダン公爵といい、キエトロ侯爵といい、子を愛す親は、ほんとうに面倒極まりない。
「しかし殿下! ……なら辺境伯夫人は、王族だった夫人なら話し合いに応じる可能性はあります、頭を下げて頼み込みましょう!」
「それは、既に陛下が可能性が低いと脚下した……」
そう。まだソアンにも心を開いていなかった、疑心暗鬼していたあの頃。私は陛下に頼んだのだ。お茶会で辺境伯の2人にお会いしたこともあったし、なにより夫人は穏やかな気質で、話が通じるように見えた。
『辺境伯の令嬢に目をつけるとは、なかなかお目が高いな。だが夫人から懐柔するのは、あまりおすすめしない。夫人はまだ男尊女卑が色濃く残るマッスル王国の出。夫の言葉に従う傾向が強いのだ。辺境伯を警戒させると、婚約は難しくなる。まぁ、婚約は焦らずとも、このようなことを経験し、政治とはなにかを学んでいけばよい』
そうだ。陛下もそう言っていたのに、また私は間違えたのか。
「…………万事休す……ですか」
だからこそヴェロニカ嬢だけが頼みの綱だったのだが。
「候補を、……遠縁でも、王族、異国の姫なら……」
「……無駄だ。私が欲しいのは帝国を後ろ盾にもつ王妃に、同じく対抗できる強力な後ろ盾。遠い国からきた姫など、私ですら、少し頭をひねれば簡単に毒殺できる。王妃の立場ならもっと簡単にできてしまう」
陽がのぼってきた。ヴェロニカ嬢が急に青ざめ、汗をかきだした。この術が掛かるのは始祖の血の濃さが、その後の効きは体調に左右される。
本音を吐き出させるこの魔法は体にも負担をかける。それが長引くほど、効果を無くす。真意魔法は拷問具ではない。本来は血をわけた国民の声を聞くため、始祖が作り出した、聖なる魔法。それなのに、一体私はなにをやっている。
「で、殿下……これ以上は……もしここでヴェロニカ嬢が倒れたら、侯爵は二度とヴェロニカ嬢を王宮に連れてくることはなくなるでしょう。それこそ望みが消えます」
ソアンまで青ざめながらヴェロニカ嬢の額の汗を拭き、ハンカチで扇ぎだした。
当然だ。彼女は貴族令嬢だ。あまり体力もない。おまけに今は体調も崩しているのだ。
しかし、まだだ。
術が解けるまで、まだある。ヴェロニカ嬢……どうかこらえてくれ。
「ニカ……君は何故、私と婚約したくない?」
「ど……本当に興味がないからです」
「どうやったらニカは私に興味を持ってくれる? ニカが好む男性はどんな人だ?」
「そうですわね。まず絶対に大人で、誠実で、正直で、真面目で、わたくしに嘘をつかず、騙したりせず、侯爵家の力目当てでなく、きちんとわたくしを見てくれる殿方なら、婚約しても構いませんわ」
「……待て、ニカは貴族令嬢だろう? 自分で言っておいて、おかしいとは思わないのか?」
「は、はて? わたくしはこの通り美しいですし、侯爵家の跡取りでもありますから、入婿に求めるのは身分や狡猾さではなく、わたくしを愛してくれる優秀な平民でもいいわけです。分家に養子を頼めば、身分は揃いますしね。そもそも国の重鎮である侯爵家の跡取りを欲しがるとは、我がキエトロ家を潰す気ですか? 王家さえ繁栄すればそれでいいのですか? なんならお父様に第2子が生まれるよう強要しますか? お母様は侯爵家が嫌いで実家に帰ってますよ? ということはお父様に妾でも宛がう? お父様はお母様そっくりなわたくしを溺愛しているので永遠に妾腹は望めませんわ────さぁ、どうする? 現時点で分家から養子にもらえそうな優秀な子もいません。そのことを踏まえて、殿下の見解をお聞かせ下さい」
「な、……に?」
『ここからは子供だけではどうにもならない、非常に高度な政治の話になるのです』────その通りだ。
『マティオス、貴方はこの母の言葉を思い返し、後悔する日がきっとくるでしょう』────その通り、だ。
「…………ニカは、私の容姿が嫌いか? 少しも惹かれない……?」
「どれだけ美しく身分が高かろうと、子供の御守りをする気はありませんの」
子供の御守り……後ろ盾のことか。
ソアンがもう限界だ、と椅子を倒して席を立った。
「い、医者を……!」
「いい……もう、解放、する」
指を鳴らし魔法を解く。
ヴェロニカ嬢は一瞬、目が据わらせ、ソアンと私を見た。そしてカップを手に取り口をつけた。
貴族令嬢が砂糖も無しに冷えた紅茶をグビクビと飲んでいる、その光景に呆気にとられた私は、音も無くカップを置き立ち上がったヴェロニカ嬢に初動が遅れた。
「ま……まぁ〜、まぁまぁまぁ! 太陽がもうあそこまで移動していますわ……殿下との甘いお茶会は、時間が経つのが速いわ。まるで魔法にかけられたみたいに、楽しい時間は、あっという間でしたわ」
「……そ、そうか。私もだ。残念でならないよ」
体感時間は無い筈だ。それでもヴェロニカ嬢の言葉にぎくりとした。なんとか理由をつけてこのあともう少し時間がとれないかと、今にも立ち去りそうなヴェロニカ嬢をエスコートするふりをして退路を塞ぐようにソアンと囲むと、急にヴェロニカ嬢が胃の辺りを押さえた。
ハッ……そうだった。ヴェロニカ嬢は、もしかしたらアバラにヒビが入っているかもしれないんだった。不用意に触れるのは危険だ。
「す、すまない」
「いえいえ、おっほほほ、自分の足で歩けますから、どうぞお構い無く、ごきげんよう」
挨拶時の堂々とした態度とは違い、急によそよそしくなったヴェロニカ嬢はそそくさと庭を抜けていった。