2 ボーナスステージ
スーハータイムも程々に、起床の身支度のため数人の侍女が湯を運び部屋に入ってきた。当たり前だが見知った顔しかいない。朝の挨拶をかわしたのち、タオルや香油が並べられていく。
「朝食はきちんとお食べ。お父様は湯あみをしてくるよ」
「はぁい。お父様」
去り際にちゅっと涙ホクロにキスを落とされ、しばしポカンとした後、いやーん♪とニヤついていると侍女が話し掛けてきた。
「ヴェロニカお嬢様。昨夜はそのまま部屋へお運び致しましたので、口が苦くございませんか?」
焦げ茶色の髪に瞳。可愛い系。
記憶にはもちろん、馴染みもある顔。
えーっと、専属侍女のモニカ、だったよね?
「そうね。口を濯ぎもせず、おまけに吐いたままだったわ。心配かけたわね、モニカ」
「本当に心配致しました。わたくしども、夜中はずっと待機しておりました」
グラスと木の椀が差し出されるがまま口を濯ぐ。薬用ぽい香りのするハーブ水だった。椀に吐き出して口元を拭いてもらう。
わーお。口の中がさっぱりして、おまけに歯もつるつるだわ。
「……ってことはまさかお父様も?」
「当然でございます。わたくしどもは侍女長の言い付けで交代制でしか見守れませんでしたが、旦那様は一睡もされておりません」
「わたくし皆に愛されてるわね」
「ヴェロニカお嬢様……」
プクっと頬を膨らましたモニカに笑いかける。
背後の侍女達にも元気一杯だよ! とガッツポーズを見せると、安心したように礼を返された。
いやぁ〜しかし、前世の記憶が甦ってからは、貴族令嬢は身支度ひとつとっても普通じゃないことを再認識させられた。
口を濯いだあとは鏡台に移動し、蒸したタオルで瞼と首筋、耳周りも押し付けてもらうと、じんわりと顔が温まっていく。
「きもちいい〜」
広げた蒸しタオルを頭に乗せる。
すぐに寝癖がおさまる。
そのままタオルで生え際や頭皮のマッサージ。
寝起きの白い顔に血色が戻る。
少し湿気が加わりセットしやすくなった髪を編み込みで纏めてフルアップにされ、最後に装飾の凝ったリーフ型の髪飾りをつけられた。
「かぁわいい〜」
「ヴェロニカお嬢様はいつも可愛いのです。しかし昨夜はもどしたせいか、いつもより少しだけ顔色が暗いですね」
まぁ、前世の記憶を取り戻したり、寝起きから色々あったからね。
寝間着をずらし、剥き出しの肩から鎖骨にかけて新たに蒸しタオルがあてられた。
気持ち良さに背後に顔を反らせばそのままモニカがデコルテから顎にかけてマッサージをしてくれる。その手には既に香油がついていて、それを顔にも馴染ませる。
たっぷりとマッサージとスキンケアを施してもらい、最後の仕上げとして鼻を除いた顔全体に蒸しタオルをかける。
こうすることで余計な香油がとれ、仕上がった顔は艶々でぷっくり剥きたまごだ。
寝起きの白い顔から血色の良い薔薇色の頬になった。
この間、手や素足もマッサージしながら拭かれていたので大量のタオルとお湯が消費されていた。
「今日のワンピースは、灰色がいいわ」
クローゼットの中を見て、どれも色鮮やか過ぎて目が酔った。鏡台にも沢山のアクセサリーがあったし。ほんとヴェロニカってお父様にドレスや宝石ばかりねだってたのね。
「灰色、でございますか。確か1着、銀糸をあしらったものがありました」
わ〜お。
白に近い灰色の布地、その襟首や裾に、輝く銀糸で刺繍が施された上品なワンピースが出てきた。
軽やかな素材で透け感たっぷりの、ワンピースというより結婚式の二次会向けのドレスだ。
全体的にクラシックな雰囲気が漂う。
「……まぁなんて可憐な……月の雫を受け闇夜に咲く幻の花、ムーンシャドーのようでございます。その色は、お嬢様を更に引き立てております」
「そうね。やっぱりわたくしの紫色の髪と瞳は、緑や灰色に近いものが似合うわね。色が喧嘩しなくていいわ」
「…………」
他にもこの紫に合わせるなら、淡いピンクや鮮やかな青系統かしら。雄蕊が黄色くて小さな白い花なら、この髪にも似合うと思う。他は合う色あるかなー。紫色って、コーデ難しいのよねー。ぶつくさ自分にダメ出ししながら食堂へ向かった。
モニカに手をとってもらいながらダイニングに入ると、さっと執事が椅子をひいてくれた。濃紺髪に金瞳の中年は確かお父様の執事……イーサン、だったかな? 久々に馴染みの純喫茶にモーニングを食べにきたような気分になる。落ち着く笑顔だ。私のタイミングに慣れているので難なく、というか極自然に着席した。
「おはようございます。ヴェロニカお嬢様」
「おはよう。また今朝も朝採り卵が美味しそうですわ。昨日のも凄く味が濃かったの」
確か昨日の朝食はスクランブルエッグだった。
ありがとうございます、と言いながらイーサンが茹で卵を剥いてくれる。
「スクランブルエッグは朝採りのものを、茹で卵にするなら採れて3日以降のものが熟成されていて美味しいのです」
ほんとだ美味しい。しかも私好みの固茹で。塩加減も調度いい。
隣にあるキッチンからモニカがワゴンを引いてにこやかな笑みで私の横についた。
淹れてもらった香り高い紅茶に鼻腔が擽られる。
かなり上質な茶葉だ。濃いめで、またそれが良い。美味しくて頬が緩む。香りと共に味わう。
なにより背後にモニカがいて、イーサンはカリカリベーコンを切り分けて、他の使用人は少し下がり気にならない距離にいる。
この心の軽さよ。
「……贅沢とは、こういうことですわ」
「お嬢様?」
なんだろう、この聖域感。
ヴェロニカって、ほんと大切にされてきたのね。
「あ、お父様のことだけど」
「旦那様は湯あみを済ませたのち、こちらに来られます」
「でも昨夜は心配をかけてしまったし、かなりお疲れだと思うの。お部屋にジュースとか、軽食を届けてあげて。今日は起きるまで寝かせてあげたいわ。わたくしはお父様とご一緒できれば時間帯は気にしないから」
「わかりました。ではそのように」
微笑んだイーサンが頷いたところで、ダイニングの入り口からカタっと音がした。
「私のヴェロニカは優しいな」
光沢のあるロングガウンに身を包み、優雅な物腰でお父様が立っていた。僅かに髪先が濡れているのがまたセクシーで、頬がニヤけてしまう。
「お父様? もう済みましたの?」
「ああ、なるべく早くヴェロニカの顔を見たくてね」
こちらに向かってきて頭を撫でようとしたお父様は、私が両手を広げて迎えるようにすると手をおとし、代わりに額にキスをくれた。
おはよう、と寝起きは忘れていた挨拶をかわす。
首筋に抱きついて頬を擦り寄せた。
なんて涼しげなシャボンの香り。
「ふふ。もう少しだけお休みになって? 後でまたおはようの挨拶をしにお部屋に伺うわ」
「……そのつもりだったが、顔を見たら余計離れがたくなった」
すっと私の脇に手をいれ、お父様は入れ換えるようにして椅子に座りその上に私をおろした。やだ私、重たくないかな? ちょっと恥ずかしい。
お父様がサラダに添えられていたミニトマトを私の口元に持ってくる。ぱくりと食べると、イーサンが「うおっほぉん」とわざとらしく咳払いをした。
「旦那様」
「なんだイーサン」
「どうぞ。紅茶でございます。ミルクを足しておきました」
「そんなものを飲んだらまた眠くなるじゃないか」
美味しそうなミルクティーだ。
お父様がトマトで膨らんだ私の片頬を指でツンツンとつつく。きゃっ、なんだか擽ったぁい♪
「はい。もう今日は起きなくてよろしいかと」
「そうか。ならヴェロニカに添い寝してもらおう」
2人ともニコニコしながら棒読みで、それがおかしくて肩を震わしていると遠くから誰かが口論するような声が聞こえてきた。
目線をダイニングの入り口に向けたモニカとイーサンが何事かと一歩遠のく。
「……ああ、放っておけ」
「お客様?」
とはいってもこんな早い時間にそれはありえないだろう。お父様がため息をつくと、イーサンが対応しにダイニングを出た。数人の使用人もそれに続く。モニカがダイニングの入り口で通せんぼするように背を向けて待機姿勢をとった。
気になって食事する手を止めると、お父様はガウンのポケットから一通の手紙を取り出した。
「それ……」
宛名の本人以外読めないよう、親展扱いの魔法刻印が施されている。確かゲームで殿下がヒロインに手紙を送るときは、いつもそうしていた。
その刻印の真ん中に稲妻のような亀裂が入っている。確かゲームでヴェロニカがヒロインへの手紙を盗み読みするときは、こんなふうに無理矢理解除させて亀裂が入っていた。この手紙も既に解除されたものだ。なのでお父様は読んだのだろう。
「実は今朝早くヴェロニカ宛にモーライト家から手紙がきてね。早いものだ。殿下との婚約を聞き付けて、従者に馬を走らせたのだろう」
「…………お母様が?」
「困ったものだ」
殿下との婚約を聞き付けて?……何故か嫌な予感しかしない。
確か書類や仕事関連はイーサンのような筆頭執事が手に取るが、贈り物や手紙類は侍女長が真っ先に調べる。それでお父様に早速渡したのか。内容は聞かなくとも録なことが書かれてないだろう。
「モーライト家の従者に返事を渡したがどうやらまだ玄関でごねているらしい」
「……モーライト家は、伯爵家ですわよね。お母様の実家の従者とはいえ、そう長居はできませんわ」
それよりもこんな朝早く、いい気分で朝ごはん食べてたところに、手紙を届けるだけならまだしも、玄関で居座り続けるとは。
「ヴェロニカ……殿下と婚約したくないと言っていたが、実はまだ婚約は確定していない」
「え?」
「以前から何度も王家から打診がきていたのだが、その度に私が断っていたのだ。妥協策として、来週のお茶会で、顔合わせを行い、そこで決めると……陛下には納得してもらった」
だからヴェロニカ──と、お父様が真剣な顔を寄せたので、少し勘違いして目を閉じかけた。
「殿下を見ても、決して頬を染めてはいけないよ」
「何故ですの?」
「貴族令嬢は、見合いの席では声を出さない。返事の有無は、令嬢が頬を染める、それで婚約が確定し、はじめて声を出すんだ」
面倒極まりないな、それ。
話してみなければ相手がどんな人かも解らないじゃない。
「しかし私は、ヴェロニカが殿下を見て頬を染めても、驚かないよ」
ああ。もう。無理しすぎだ。
お父様の体、ポカポカだ。
「玄関の従者はイーサンが上手く対応して下さりますわ。それにお父様?」
「うん?」
「来週のお茶会では、はじめから終わりまで、わたくしが殿下に頬を染めることはあり得ません。だから安心して、お休みになって?」
「いや、しかし……」
「ふふ。それでしたらわたくし、お父様が眠るまで添い寝しますわ」
嬉しげに目を細めたお父様はミルクがたっぷり入った紅茶を飲み干し、私を抱っこしたまま立ち上がった。
少し休むわ、と告げると無言で頷いたモニカがついてきて、ドアの開け閉めと照明の調整をしてくれた。限界がきていたのだろう。お父様は私を優しく抱き締めたままベットですぐ寝息をたてた。心地よい感覚と程よい満腹感に私も睡魔がおりてくる。モニカのおやすみなさいませ、に私も瞼を閉じた。