17 女官ルシファーナ
「私はルシファーナ・アズベル。サラコーナー王妃殿下の私室付女官です」
いきなり現れそう名乗ったのは、ぱっつん前髪のロングヘヤー。艶やかな黒髪は毛先をまとめて金紐で結び、背中に流している。黄色い眼と、キレ長の一重瞼が綺麗に弦を描く、終始笑っているようにも見える狐顔。
30歳くらいだろうか。
ぱっと見た感じは品がある。
そして初めてお父様が女を連れて帰ってきた。
そう誤解しても仕方ないほど、女官ルシファーナはお父様の片腕に両手を絡め、首をこてんと倒してその逞しい腕に頬を寄せている。○すぞ。
おまけにずーっと横向き。
お父様しか見えていないようだ。
チラッとお父様を見ると──至って普通の顔だった。ちょっとホッとする。
再びルシファーナに目を向けると、あからさまに眉を寄せられた。これは敵意というより、──なんだろう。試されているような目。
「ビビアン・モーライトにそっくりですね」
「見た目はな。ただいまヴェロニカ」
お父様が腰を落として私に両手を広げる。
その際、ルシファーナの手は振りほどかれた。
「お父様。お帰りなさいませ」
お出かけ用のゆったりとしたロングワンピースの裾を摘まみ、カーテシーをする。途端、ひょいと抱き上げられた。
「ほらな? これでいいか?」
何かを確認するようにお父様が私を抱いたままルシファーナを見た。
「……ええ。わかりました」
黄色い眼が冷ややかに閉じ、口元に笑みを浮かべた。どうやら私には興味はないようだ。
「それより、領地に戻られると聞きました」
今度は背後からぴったりと寄り添うように身をくっつけたルシファーナが、お父様の肩に顎を置いてきた。ぶっ○すぞ。
お父様が「ああ」と踵を返すと、ルシファーナの顎はずるっと落ちた。
「ジュリアン様……」
女官が侯爵を名で呼ぶのか。
誰が許した?
お父様から返事はない。
なにやら不満そうだ。目上のものに対して不満をあらわにするのは、不敬ではないのか? おまけに片眉をあげて私にその不満そうな視線を向けてくる。
お父様の肩に顎を乗せ、見つめ返す。
王妃の女官にしては行儀が悪いな、そう思いつつも、声には出さない。目は口ほどにものを言うからだ。
「…………」
無事伝わったようだ。
おまけに顎を乗せたままの私の頭をお父様がよしよしと撫でて、ルシファーナの眉間の皺が凄いことになっている。
「旦那様」
「ああ」
しばしイーサンと会話するお父様の声をBGMに、ルシファーナと目を合わせた。
私、この人きらい。
心がざらざらする。
よくある乙女ゲームの悪役令嬢は、ヒロインと対峙したとき、こんな気持ちだったのかな……なんて、どす黒い気持ちを吐き出すように、ゆっくりと息をはいた。
あ、そうそう、忘れていたけどナッザレーノ。当家の監視下、というかクルーヤ預かりとなりました。何故下男に……。
「奴隷の居場所が知りたければしばらくここで働け。どうせお前はもう従者としても見放されているのだから」
「あ、貴方は……俺がここに来るの解ってたんでしょう? 本来なら、奴隷なんて保護しないのにっ……リプリーのこと、いつから調べていたんだ!?」
「話は以上だ」
お父様が顎で促すと、クルーヤが捕縛された状態のナッザレーノを担いだ。その際ちらっと私に目配せをよこしたので、うむ、と目で頷くと満足げに玄関を出ていった。
下男のクルーヤは下働きだが、マクーシノと一緒に馬の世話もしている。
うふふ。先日クルーヤの性格を見込んであることを頼みこんだのだ。
『ぼ、僕は侯爵様に雇われている下男です。ヴェロニカお嬢様からお給金を頂いているわけではありませんので、その頼みはきけません』
まぁそう言うなって。
ちゃりんと金貨を見せびらかせば、ブラッシングでとれた貴重な金馬の毛をわけてくれたのだ。おまけにそれなりの量を溜め込んでいたのでお父様の誕生日プレゼントだけじゃなく、余った金馬の毛で付けマツゲも作れた。これは侍女長用だ。
交渉相手が真面目なマクーシノではこうはいかないからね。内心ウフフしてたらすぐ目の前に蕩けた顔のルシファーナがいてちょっとびびった。
「ジュリアン様、領地に戻られるなら私もついていきます」
おい女官の仕事は!?
「だって私は、ジュリアン様の……ご、後妻ですものっ」
うっとりとした顔でお父様の背中を指でなぞるルシファーナ。ぶっ○すぞ。
イーサンが「うおっほん」とわざとらしく咳をした。
てかルシファーナが後妻?
どういうことよ?
疑問を胸に侍女長を見ると、無言で腹を抱えて笑っていた。……そうか。お父様が返事をしない時点で──
「お父様、お出掛け前に一服なさって」
「そうだな。その前に着替えてくるよ」
ちゅっと頬にキスをもらい、ソファーに下ろされた。侍女長がささっとホウキで床に散らばったお菓子を片付け、モニカが冷たい紅茶を運んできた。
お父様の背中を見送りながらグラスに口をつける。レモン入りだ。ああ美味しい。カッとなりそうな頭が冷えていく。
「全く……ビビアンが不在のなか、よくもまぁこれだけ好き勝手やってくれたわね、ディアブローナー」
カツカツと足音を鳴らしながらルシファーナがゴミを捨てにいこうとした侍女長に向かっていき、流れ作業のようにモニカが侍女長から塵取りを受け取り、2人は対峙した。
「あんたは当時3歳のヴェロニカ様のマナー教師として雇われた筈よ! そしてヴェロニカ様は既に10歳! それなのに何故まだ屋敷にいるの? さっさと出ていきなさいよ!」
マナー教師として?
へぇ……そうなんだ。
侍女長を見ると悩ましげに頬に手を添え「……侯爵様に引き留められましたの」と、これまた色っぽく頬を染めた。わーお。
「っ、そんな筈ないわ! あんたがジュリアン様を唆したに決まってる! おまけにこの屋敷の侍女にまでなって、一体どういうつもりよ!?」
「……侯爵様に、ぜひ侍女にと、引き留められましたの」
「嘘よ! あの当時使用人の募集はなかった筈よ! それなら真っ先に私に話がきてるもの!」
「そう言われてもっ……何故かルシファーナ様に話はいかず、侯爵様から侍女長に抜擢されたのはあたくしの方でした」
ふるふると、まるで小動物のように身を小さくして睫毛を揺らす侍女長。あ、これ解ってたけど演技だわ。このまま観てると引き込まれる──お昼寝がてらみた昼ドラが以外と面白いやつだ。
「……不正をしたのね! そうなんでしょ!」
「不正だなんて……あたくしを求めてきたのは侯爵様の方です」
「っな!?」
「あたくしはただ……求められて……この身を任せただけですわ」
「な、っな、な、」
なんだこれ……。
2人とも美人ではあるが、派手な侍女長相手に地味目なルシファーナが責め立てる様子はまるで正妻と愛人の一騎討ち。
「まぁ、そんなに奮えて……マナー教師になりたがり、侍女になりたがり、はたまた後妻を希望したり……ルシファーナ様は見ていて飽きませんわ。おーっほほほ」
「な、なんですってー!?」
ついにルシファーナに胸ぐらを掴まれた。
おいおいそんなに煽って大丈夫か?
目に涙を浮かべながらルシファーナにびくつく侍女長が、手でひょいひょいと私に合図してきた。
およ? 侍女長が指差す先を見ると、玄関でマリーとユーリがおいでおいでと手招きしてた。
「あんたは昔からそうよ! いつも私を馬鹿にして!」
「いやぁ……助けてぇ……侯爵様ぁ〜」
「っな!? この、生意気な!」
侍女長がルシファーナにぶるんぶるんと頭を揺さぶられているなか、そそくさと席をたつ。
玄関の扉を抜けると満面の笑みのお父様に抱き上げられた。
「待たせたね」
いつの間に外に出たのか、これまた速足で、お父様は私を抱えたまま急いで寝馬車に乗っていく。御者席も兼ねたテラスにいたイーサンがマクーシノに出発の合図を告げる。既に中にいたモニカが私を受け取り、お父様は外の侍女達に声をかけた。
「リプリーの世話を頼む。ナッザレーノを見張っていろ。ルシファーナは……適当に対応してお帰り頂け」
「はい。わたくし共に全ておまかせ下さい」
マリーとユーリがニヤリと口角を上げる。その後ろから涙目のルシファーナを片腕で裸絞めした侍女長が玄関から出てきて、不敵な笑みでひらひらと片手を振っていた。おうふ。なんか知らんがよろしく頼む。すまん。私は領地で遊び倒してくる。皆にお土産買ってくるからね!