15 手を伸ばした愚か者 ※秘書視点
微妙な顔のマティオス殿下に手を引かれて、にこやかなヴェロニカお嬢様が玄関を出ていく。
カップを片付けるモニカが能面だ。
イーサンが皿に盛ってあった砂糖菓子(見舞い品)をごみ箱に捨てていく。
「お嬢様はふとした時に涙を溢すほど、感受性が豊かに成長されました。そして貴族令嬢として年頃の筈ですが、清々しいと感じさせるほど、あのお人形さんのように美しい殿下に興味がないようですわ。まるで本当にお部屋に飾ってあるお人形を見るような目つきでしたもの。我々でもお嬢様が殿下に興味が無いその理由に興味が出るくらい、逆にいえば殿下の方がヴェロニカお嬢様に興味を持ってしまうのも仕方がないかと──侯爵様?」
ディアブローナーの呼び掛けに旦那様がため息をつき、私に鋭い目線をよこした。
では……いってまいります。
薄く開けた玄関から目を通すと、そう遠くないところに殿下とヴェロニカお嬢様がいた。その背後には肩を落とした側近。グリーンローズに身を隠し、その3人の左右に既にクルーヤとマクーシノが目を光らせていた。見あたらないが作業服を着た庭師チャリオットもどこかにいるのだろう。
頭を低くし、グリーンローズの茂みに隠れる。
魔力を行き渡らせ頭上に蔦を纏わせる。ここでチャリオットに習った肘歩きをする。
グリーンローズを間にヴェロニカお嬢様に近付いてきた。
そこでパチンと指を鳴らす音がした。
「殿下……!」
「大丈夫。渡したい物があるだけだ。侯爵の前では……いや、ニカひとりでも受け取ってもらえそうにないからね」
微量の魔力でグリーンローズを操作し、その茂みに目視可能な小さな穴をあける。
なっ……マティオス殿下がヴェロニカお嬢様の手首に触れている。手ならともかく、手首に触れるとは……あいつ……。
「……殿下、それは! 歴代の聖女に与えられる、手輪では!? まさか宝物庫からっ……」
「陛下の許可はもらっている。先代の聖妃の祈りでこの手輪には癒しの魔力が残っているんだ。それに侯爵は一時的に領地に戻る手配をしていた。長旅に耐えれるかわからないが、勿論ニカも連れていくのだろう。これで少しでも……ニカの体調がよくなればと」
聖妃?
妃とは、王宮入りした者に与えられる敬称だ。
なら聖妃とは、王族と婚姻した聖女のことでは……。そんなものを付けたらヴェロニカお嬢様も王宮に上がるのかと周りに勘違いされるではないか!
「しかし、いいのですか……? 我が国にはまだ次期聖女が現れていないとはいえ、もし神殿から聖女が見つかった、手輪をよこせと催促されたら」
「聖女が実在していたことは、聖妃が遺したこの手輪が証明している。だが先代の聖妃ですら既に300百年前の話だ。私の代でも現れるかわからない聖女の為に、この手輪を仕舞っておくのは勿体ないと、陛下も仰ったのだ」
聖女の祈りがこめられた手輪は……聞いたことがある。
確かその手輪に宿る祈りの魔力が消えるまで、外れない仕掛になっていた筈だ……およそ300年前のものが、まだ機能しているということは、膨大な魔力が込められているということ……そんなものが、いつ外れるのか……。ヴェロニカお嬢様がそれを付けたまま領地に行ったとして、領民からどんな誤解をされるか……。
「殿下! キエトロ嬢の顔が真っ青です!」
「そうか……ニカは、やはりまだ体調が……?」
殿下がカチリと繋ぎめを開けて、手輪をヴェロニカお嬢様の手首にまわそうとした時、
「っ、殿下……そんなものを贈られても迷惑です! わたくしは体調も回復し、そのような魔導具に頼らずとも領地で遊び倒す体力は充分に残っているのですから! そもそも聖女の手輪は国宝として王宮に保管する権利があるだけで、元々は神殿の所有物です! それを聖女やその候補ならともかく、なんの関係もない貴族令嬢に下賜るとは、王家と神殿の確執に繋がる愚かな行為だと気付いて下さい! ヒロ、聖女なんてっ……300年も待ったなら、あと5年くらい待てば、現れる可能性は充分にありますわ!」
彼等はポカンとした。
しばしの間をおいて、殿下がヴェロニカお嬢様の横髪を撫で、その側近がハンカチでヴェロニカお嬢様の額の汗をふいている。くそ!……触るんじゃない。何をしているのか解っているのか。
「……そうか……名前と、質問に……反応を」
「そう……みたいですね」
何をぶつぶつ話している。小声でこちらまで聞こえない。苛々する。
「しかし、こんなに青ざめているのだ。体調はまだ回復していない筈だ。何故そんな言葉を……」
「殿下、キエトロ嬢が精神的にタフなことは、前回のお茶会でも露になったことです。本人が心の底からそう思えば、それが真実なのでしょう」
「……やはり欲しい。どうにかして婚約者にする手立てはないものか」
お前っ…………咄嗟に掴む蔦から手を離した。危なかった。グリーンローズをぶち抜くところだった。
「ニカ、先程の言葉、体調は回復したと……我慢や強がりとは違う、それも本音ということか?」
「当然です。わたくしはお父様の心が傷つかないよう配慮しただけで、本当は記憶の喪失もありませんもの」
「「「えっ!?」」」
声を荒げて茂みから直立すると、一瞬で背後から口を塞がれまた茂みに潜った。
振り向くとシィーと指を立てる人物……
(藻男!? いや…………チャリオット!?)
(なんなんですかね、あの子供……話、長くないですか?)
(知るか! それだけ殿下もヴェロニカお嬢様に執着しているということだ! ……それにしてもチャリオット、お前はいつも見つけにくい。お嬢様がすぐ助けを出せるよう、もっとわかりやすい格好をしたらどうなんだ?)
(お嬢様は、魔力の流れを読めるようになったんです。それからですよ、庭のどこにいても見つかるようになったのは)
(……そうか。10歳にしてもう魔力の流れを……)
チャリオットからの情報に息をのんだ。
……私でさえ、空中に漂う魔力の気配は、成人してから察知できるようになった。しかしそれもチャリオットのような微量な魔力ではまだ勘づかない領域だ。
……やはりヴェロニカお嬢様は後継者として相応しい。その努力も、血の滲むものだろう。次期当主として自覚が出てきているのは間違いない。喜ばしいことだ。
再びパチンと指を鳴らす音に、私とチャリオットはその方向に顔を向けた。
「ニカ……ありがとう。見送りはここまででいい。君は本当に……いや、なんでもない」
「まぁ……お気を付けてお帰り下さいね」
「大丈夫です。門の外には10人の護衛を待機させています。キエトロ嬢の数々の気遣い、重ねて感謝致します」
お嬢様が屋敷に戻ったら、すぐにモニカに湯あみの用意をさせよう。王族であることを逆手にお嬢様にベタベタ触りやがって……。
その日の晩、私は旦那様に真実を話した。
ヴェロニカお嬢様が何故そんなことをしたのか、それは日中のお嬢様の言葉──『お父様の心が傷つかないよう』それだけで痛いほど理解できた。そんな優しいお嬢様を裏切るようで、旦那様に真実を告げるのは再び胸に痛みが走ったが、……しかし私は旦那様の秘書だ。お嬢様のこと、屋敷の中でのこと、あらゆることを報告する義務がある。
「……そう、か。私はまたヴェロニカに気を遣わせてしまったのか」
「以前もこのようなことが?」
「あの子は優しい。物心ついた時から、私を心配し、気遣い、結果、その心を痛めさせてしまった」
旦那様から後悔の念が伝わってくる。
「では今後は当家のもてる力全てを使って、お嬢様を守りきりましょう。お嬢様の笑顔も、その優しい心も、全てを──」
──そう、殿下からも。