13 殿下、ご訪問です
まさかの殿下ご訪問である。
ソファーで私を抱っこしたままのお父様の顔色をチラチラと気にしながら、お見舞いにやってきたというマティオス殿下にこたえた。
「ニカ……えっと、その……色々と、アレだったね?」
「なにがアレですの?」
レイザーがロマネスク様から見舞いの品を受け取りキッチンに入った。能面顔のモニカが紅茶を淹れている間に、心配そうな顔をしたアダムがお茶請けを持ってきて、すぐキッチンに引っ込んだ。
お茶請けは前世の金平糖みたいな、それが花やウサギの形をした、見た目は華やかなお菓子。ほう。アダムの新作か。子供が好みそうな砂糖の塊だ。是非食べていってくれと、その皿を殿下の前に押し出す。何故かロマネスク様が青白くなった。
「その、ニカは母親から……とても大変な目に合っただろう?」
「殿下……屋敷に着く前に説明したはずですよ。ヴェロニカは、あまりの恐怖に何も覚えていないのです。刺激するような言葉は控えて頂きたい」
「ッ……」
ふむ。
浅はかではあるが、記憶喪失────これが侍女長に頼んだ、お母様封印の材料だ。
私が殿下の婚約者になったと勘違いしたお母様に襲われ、瀕死になるまで暴行されたのは事実。そのことで、あまりのショックとストレスで記憶障害を起こした──これはお父様に配慮して、私なーんも覚えてないよ、痛いのも苦しいのも、ぜーんぶ忘れちゃった〜、ついでにお母様の事も3歳以来会った記憶がない、という嘘の報告を侍女長からお父様にしてもらったのだ。それが2週間前。
グリーンローズは交信する。蔦や花だけなら、相手が生きてるか瀕死なのか死んでるかくらいしか伝わらないそうだけど。あの日、【護】の紋章からは、絞首刑ばりのダメージを喰らったリアルな容態がそのままお父様の持つグリーンローズに全て伝わってしまったのだ。ただの紙に書かれた情報より、よりリアルな被害と怪我を王家に報告できた。だから侍女長のしたことは、必要なことだったと、頭では理解しているが…………。
「本当は、事実確認は我々だけで済ませたかった。察してもらえると有り難いんだが……今も気が気じゃない」
私を抱き締めるお父様が、目を合わせるとニコッとはするけど、そのあと悲しそうに眉や口角を下げるし、背中を擦る手つきがもはや病人に対するものだ。
くそぅ……くそぅ。
いつか侍女長に目にもの見せてやる予定は未定。
さて、暴行を受けて記憶に障害が出た、私がこんなことになった原因の大半は、娘が殿下の婚約者になったと聞いて誘拐しようとしたお母様にある。でも表向きはキエトロ家のヴェロニカが殿下の婚約者であると嘘こいた王家がその根元だ。
おかげで屋敷の皆は私にあの日のことを、直線的な言葉を言わない代わりに、お嬢様の怪我と記憶障害は元はといえば王家の罪──それが目の前にいるマティオス殿下に注がれている。
そう、見舞いにかこつけて何しにきたのか知らないけどアウェイなのだよ。
さぁ、フラグ折りましょうか!
嘘とはいえ婚約者という立場から退き、ついでに私を王妃にしたがってるお母様やその関係者からの執着からも逃れる!
これ、万々歳じゃね?
「……しかし、グリーンローズの警告があったと。そのことで陛下も、こうしてニカの現状を確めに私をこちらによこしたのですから」
「あれは【護】の紋章を介して、ヴェロニカの身に起こった、恐怖、痛みをそのまま私に伝えるものなのです。記憶はなくとも、ヴェロニカや屋敷の者達がビビアンから受けた行為は、既に証拠として王家にも提出している。陛下なら私が渡したグリーンローズから読み取ることもできるからね」
へぇ。そうなんだ。
重症度の高かったクルーヤがマクーシノが意識混濁していたことも伝わっているだろう。
意識混濁──それによりお父様からお咎めもなく、今は元気一杯働いてくれているのでよかった。
カツンと足音がした。
見るとレイザーが書類を手に、私たちを見下ろしていた。
「さて、皆様。お茶は飲みましたか? 一息つきましたか? ここからは心の準備を踏まえて、ご報告を聞いてもらいます」
──レイザーが説明してくれた報告の中で、お母様の実家、モーライト家が物理的にも無くなることを知った。
いやぁ、私もお父様の横で読ませてもらったけど報告書の内容が凄かった。罪悪感を感じないほど、モーライト家は真っ黒でした。殆どが本家に献上する金子を稼ぐ為の悪徳商法だったが、道徳に反する奴隷業にも手を伸ばしていたと知り、殿下の額に汗が浮かんだ。後ろ盾目当てで近付いた令嬢の母親が犯罪者ってどうよ? 王家的にアウトじゃね?
モーライト家は最後に悪足掻きをして、お母様をドリティス公爵家預かりにして、正式な裁判が行われるまでお母様はドリティス公爵家の庇護下に入り、拘束されていた身柄もはなされ、今はドリティス公爵家の領地でぬくぬくしてるらしいですが……後で追加される農民をターゲットにした粗悪品詐欺の罪状で、ルダンジ伯爵家とジェムズ子爵家とティルロ男爵家、とくに被害の酷かったその三家から圧がかかり、モーライト家は更地になるそうです。てか領地を更地にして分配したところで、それでは三家への慰謝料足らんよな? この三家は、所持していたモーライト家の罪状を引き継いでくれと、無償でキエトロ家に証拠を譲ってくれたらしいし。
おまけにその後、神殿からまた罪状をあげられる予定だ。レイザーは言葉を濁してたけどドライオキシンの件ですね。やはりあの毒は神殿の持ち物であった。ドリティス公爵家も絡んでいるようなので、その領地も引っ括めて更地にできれば、モーライト家絡みの罪が娘の私に降りかかることはない、ってレイザーが一生懸命お金の計算してました。マジで頼むぞレイザー! 私の代で借金まみれとか、この美貌の使い道が持参金目当ての政略婚しかなくなるから!
「"キイイイイッ! 嫌よ嫌よ! この首枷を外してちょうだい!"」
「"静粛に! モーライト嬢! それは魔力を暴発させない為に、必要なものなのです!"」
そして報告が済んだ今、私の目の前には……
イーサンとレイザーとディアブローナー。
なんとキエトロ家の執事と秘書と侍女長が、王都劇団顔負けの演技力で、ド迫力のある猿芝居を観せてくれています。
「"イヤあああっっっ! 外してちょうだい!"」
「"外してやれ! どうせまた暴れる、牢屋で調書を取ればいい!"」
「"まさかこのわたくしを陥れ、牢屋に入れる気ですの!? 鬼よ! 貴方は人でなし! こんな冷酷な男の側に、ヴェロニカを置いておけないわ!"」
「"っ、モーライト嬢、静粛に! この場で身体強化を使えば裁判すら望めなくなりますよ!"」
「"君にヴェロニカの名を呼ぶ資格は既に無い! 摂政によって離縁状は受理されたのだ! 腹を痛めて生んだ子に手をあげるとは、もはや母でも人でもない!"」
「"離縁するならわたくしはヴェロニカの親権を要求します! あの子はわたくしの夢、貴方に邪魔された、王族入りを果たしてもらうのです!"」
「"またそれか……何度も言うがヴェロニカは侯爵家の跡取りだ! いずれ婿はとるが、それまでは私の元で暮らすのだ! これ以上の寝言は許さんっっ! "」
「"侯爵、落ち着いて! グリーンローズを出さないで!"」
なにこの昼ドラ? いや映像で楽しむドラマより、舞台上のパフォーマンスで魅せる劇画タッチ感満載なお芝居だ。
侍女長、テーブルを叩くパントマイムが上手い。レイザーなんて空気椅子までやってる。イーサンはお父様より迫力ないけど声真似が上手いので観てられる。
まるでリアルタイムで見てきたかのような細かい仕草に具体的な言葉の端々──そう、みんなお父様の後ろで全部見てきたそうです。王都家庭裁判所劇。それが15分ほど続きました。なかなかの完成度ではないだろうか。
「……頭の痛い問題だな」
ソファーの向かいの席に座っているマティオス殿下が、ぽつりと何か言い放った。
その斜め後ろにはロマネスク様も。側近なのでお茶も椅子もいりません、お構い無く、と言われたがあまりにも顔色が悪いので今は殿下の斜め後ろで椅子に座ってもらってる。
ちなみに私はお父様の膝に横向きに座っているので、このお2人と目が合うことはありません。
「ニカ、大変だったね」
「……そう、なのでしょうね。記憶はなくとも、体は正直なようで……寝つきもよくありませんの」
あ、レイザーとイーサンと侍女長がやりきったような顔でハイタッチしてる。仲いいんだね。私の視線に気付き、慌てたように真顔で即解散するのもまた殺伐としていてよろし。
ちなみに侍女長はあの日コールドバッハ先生が麻袋に監禁された件で、押収した魔導具を証拠として提出しに行ったり、お母様の従者が先生に暴行を加えた件で証言を任されたり、芝居の台詞を覚えたり、色々と多忙な身で屋敷をあけていたらしい。
「この通り、ヴェロニカは衰弱している。ビビアンは公爵家預かりになったとはいえ未だ裁判待ちで予断を許さない状況にある。さっさとお帰り願えないだろうか」
「それは再びキエトロ家への襲撃を危惧した私への配慮だろうか? 護衛は連れてきていますので、ご心配なく。それに婚約者の体調も心配だ。ニカ、私にできることはないだろうか?」
「そうですわねぇ。いま殿下に出来ることは、王宮に戻ったら世間的にヴェロニカ・キエトロが殿下の婚約者であることを訂──」
「ニカ、待って!」
「はい?」
「……そ、それだけは」
ん? ああ、そうだった。
この事に関しては、王家とは痛み分けで収拾したんだった。
「ですから、わたくしが婚約者ではないとドリティス公爵家とその分家にはわからせて欲しいのです。婚約者候補であることは事実ですから、こちらも公式の場で他所から横槍が入れば殿下の心情を考慮して発言を濁します。わざわざ全ての貴族に婚約者ではないと広めずとも、殿下なら少し頭をひねれば、対処できるでしょう? それから殿下にはしばらくキエトロ家との接触を避けてもらいます。いくら婚約者ではないとドリティス側に伝えても、こうやって殿下が当家に訪れている事実があれば、また襲撃に合うかもしれませんからね。陛下が仰った痛み分けって、こういうことではないでしょうか……?」
ぱちくりと薄桃色の瞳が瞬く。どうだ、目から鱗か?
「そ、そうか……その手があったか……」
さっきからお父様、心苦しそうに私をぎゅっと抱き締めたまま、超ラブラブなんですけど。えらいね、お前は賢いね、とヨシヨシしてもらって、あったかい。心もポカポカよ。頭がぼうっとするわぁ〜。
「キエトロ嬢のご配慮、感謝致します。で、では殿下……我々もそろそろ陛下に報告を……王宮へ戻りましょう」
「わ、わかっている」