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1 吐いたらお父様攻略してた

 夕食の席でお父様が言った。



「喜べ、ヴェロニカ。マティオス殿下との婚約が決まった」



 その言葉に前世を思い出した私は、「まぁ、嬉しい」と返事しかけて、いま飲み込んだばかりのステーキを吐き出した。



「ヴェロニカ!?」


「……あら、あらら〜」


「お嬢様ッ!?」


 ぐるぐるぐる。

 うーずーまーき、ぐーるぐる。

 視界が反転、のち暗闇。





 次に気付いた時、朝だった。

 ベットに寝かされていて、ロココ様式みたいな絵が目に写った。ラッパを持った天使が戯れる、豪華な天井壁画である。わーお。見覚えある。


 身を起こして周りを見渡すと、ロマンティックな猫足家具に、お人形さんが沢山飾ってある。


 わーお。

 ここは記憶にある、あの悪役令嬢のお部屋。

 ということはいま私がいるこの場所は、乙女ゲーム『聖なる乙女の祈りと悪しき魔女のキス』で登場するヴェロニカ・キエトロ…………の屋敷。そして昨夜は私、ヴェロニカって呼ばれてたわね……。


「これが異世界転生…………でもまだよ、まだ詰んでない」


 ヴェロニカなんて名前珍しくないもの。

 日本でプレイした細菌災害ゲームでも、おかしなラスボス姉ちゃんの名前がヴェロニカだったし、インド発の女性向けエロゲで登場する媚薬売人の名前もヴェロニカだったし、前世では弟もヴェロニカという名前でネカマしてたし。


 ヴェロニカなんて名前、珍しくないもの。


 とりあえずふかふかのベットから出て、近くにあった姿見で自分を見る──────薄い紫色の髪に、濃い紫色の瞳。おわた。


 特徴である目の下の泣きホクロと、口元のスケベホクロも発見した。間違いなくヴェロニカ・キエトロ侯爵令嬢であると私の頭が確定した。


「……詰んだ。完全に詰んだ」



 日本でOL時代にプレイした乙女ゲーム、聖なる乙女の祈りと悪しき魔女のキス。


 聖なる乙女──ヒロイン。

 悪しき魔女──悪役令嬢。


 ヒロイン──祈りで国民を治癒する魔力を持つジェシカ・ローレンス伯爵令嬢。

 悪役令嬢──魔性のキスで男を洗脳する魔力を持つヴェロニカ・キエトロ侯爵令嬢。


 ジェシカ──国民を祈る回数が増える毎に聖なる輝きが増していき、最後は聖女として覚醒する。


 ヴェロニカ──男共にキスする回数が増えれば増えるほど、悪役令嬢として忌々しい強面になっていき、最後は魔女になり聖女に倒される。



「やっべぇ…………」



 やってらんねーな、これ。


 ヒロインは祈りで国民を治癒するチートなのに、悪役令嬢はキスで男共を洗脳する、ビッチだ……。


『マティオス殿下との婚約が決まった』


「……あっ」


 マティオス殿下って……王族が婚約者にだけ使える真意魔法の使い手──別名ゲロさせる天才。いや、本音を吐かすチート持ちだ。それと婚約?


『ジェシカ。あれとはお互い10歳の時に政略婚させられた、お飾りの婚約者でしかない。何故あれと婚約してしまったのだろう……今は悪夢でしかない。夢ならはやく醒めてくれ。そしたら君に会いに行くのに……』


 これはゲームで殿下が王宮から夜空を見上げ、神殿で祈りを捧げるジェシカに向かって言う独り言。


 ということは既にヴェロニカは10歳。まずい。破滅フラグ回避の初歩である婚約期が過ぎていたとは。運良くヴェロニカのキスで殿下を洗脳できたとしても、すぐに真意魔法で見破られる。ゲームではそうだった……。


『喜べ、ヴェロニカ』


 喜んでらんねーよう! なんてことしてくれたんだお父様! それにしても記憶にあるヴェロニカ、お前! 王子様と結婚したいだの、王妃になりたいだの、よくも散々お父様を煽ってくれたな今までの私!


 ……神様。この乙女ゲームは28歳のとき中古で買っただけで、攻略対象者には思い入れもなにもないの。何故セールにつられて手にとってしまったんだろう。これは悪夢よ……夢ならはやく醒めて……そしたら行きつけの近所の肉バルでワインが飲めるのに……。


 もうふて寝しよ……。

 目覚めたら、あわよくばこのまま日本に戻ってるかも──そう考えながらベットに潜り込もうとした時、背後からかばっと抱き締められた。


「……っ、ヴェロニカ!? 起きたのかい!」


「お、父様?」


 ……なにこのいい匂い。

 渋みのある香油と、洗練された親父臭。

 これは働いてかいた男の汗の匂い。


 振り向くと、泣きそうな顔をした紳士がいた。ゲームのスチルにも2回出た、悪役令嬢の父、ジュリアン・キエトロ侯爵だ。素敵。ハゲて広くなった額と、その下にある深く刻まれたおでこの皺。威厳のある鷲鼻に、ぎょろりとした大きな眼。その瞳の奥は知性を匂わせた。ぞくり、背筋に電流が走る。


「お父様……わた、わたくし……うわああん!」


「どうしたんだいヴェロニカ!? まだ体調が悪いのかい?」


「違うの、違うのお父様あああ〜っっ」


 抱き付いてスーハースーハー。

 とりあえず肺活量の続く限り深呼吸。

 落ち着く匂いだわ。

 やっぱり大人の男性はこうじゃなきゃね〜!


「……っは!? お父様……そういえばわたくしっ……」


「ヴェロニカ!?」



 思い出した。私、前世で弟に星にされたんだ。

『テメー何で契約切ったんだよ!』

『ネカマしたいなら働けニート!』

『枯れ専喪女に言われたくねー!』

『ころしてやるうぅフシュルルル!』

 確かその時ステーキ焼いてて、調度握ってた得物で襲いかかったら返り討ちに合ったんだよね。

 ってそれ、いま、思い出す必要ある?

 あんのネカマニート、まじ空気読めや。



「どうした……黙って……ヴェロニカ? お父様になんでも言ってごらん」


 さて、気を取り直して。


「わたくし、実は…………殿下と婚約したくないのです」


 ジュリアン侯爵。ゲームでは娘を溺愛していたし、婚約したばかりの今なら解消も不可能ではないだろう。しかし理由はどうしようか? そう考えながらもっぺんお父様の胸に顔を埋めようとしたら、肩を掴まれた。


「…………何故だい?」


 お父様が私と目を合わせ、少し厳しめな表情になった。娘のいいなりになるだけじゃない、こんな素敵なお父様。前世でも欲しかった。


「我儘、なのは解っております」


「そうじゃない」


「え?」


「何故、意見を変えたんだい? それに行動も。ヴェロニカは私のような見た目の父親は嫌だと、美しい王子様のような恋人が欲しいと、いつも言っていたじゃないか。今みたいに私に抱き付くのは、ドレスや宝石をねだる時だけだった」


「…………」


 記憶を探る──────まずい。

 髪が寂しいだの、ぎょろ眼がキモいだの、鼻が怖いだの、おまけに臭いだの、だからお母様が出ていったんだ等……随分と酷いことを言っている。


 お父様の顔が真顔だ。

 心の底から怒っているのだろう。

 渋いわ。今夜は絶対一緒に寝よう。


「……私を、馬鹿にしているのかい?」


「いいえ! 違います!」


 なんか年の離れた恋人と痴話喧嘩してるみたいでドキドキしてきたぁ。


 さて、ニヤつきそうな頬は引き締めてと。


 私には前世で28歳まで日本人として過ごした記憶と、この世界──ゲームの知識がある。おまけにヴェロニカ10歳の記憶も。


「だって、お母様が出ていってからのお父様は、元気がなくなり、塞ぎ込み気味です。だからわたくし、お父様に元気を出して欲しくて、お母様になることにしたのです」


「………………え? それは、」


「お父様はお母様を愛していましたから、見た目はお母様そっくりなわたくしがお母様の真似をしてお父様に接すれば、お父様は元気を出してくれるのではないかと……でも、わたくしは間違っていました」


 ここで口元に手を添えてスケベホクロを隠します。残った涙ホクロだけを強調し、目に涙を浮かべます。ちなみにこれはゲームのヴェロニカが泣き落としする時のやり方である。


「わたくし本当は、お父様に笑いかけたいのにっ……お父様と手を繋ぎたいのにっ……でもそれはお父様が愛したお母様の姿ではありません……お父様を罵ったお母様の真似をすればするほど、お父様の心はわたくしから離れていって、それが寂しくて……気を引きたくて、殿下と婚約したいだなんて大嘘を……うわあぁあん!」


「そんなっ、そんな……ヴェロニカ! 泣かないでおくれ!」


「ごめんなさい……お父様……わたくし取り返しのつかないことをしてしまいました」


 ぽろぽろと涙が溢れてきた。

 目の前のお父様を泣きおとし、仲直りして今夜一緒に寝る、その為ならば、女優でもなんにでもなれる気がした。


「頼むから泣かないでおくれ! ヴェロニカがそんな風に思っていただなんてっ……ああ、ごめんよヴェロニカ……すまない、気付かなかったお父様を許しておくれ……本当にすまない……ヴェロニカ……」


 ああ。抱き締められたこの腕のなんと逞しいことか。鍛えられた分厚い胸板も申し分ない抱かれ心地。スーハースーハー。



「ヴェロニカ……落ち着いたかい?」


 こくりと頷く。

 ええ。とても落ち着く匂いでした。

 涙で顔に張り付いた髪を優しく拭ってくれたお父様は、まだ心配そう。


「本当に、本当に心配した。昨夜の夕食の席でヴェロニカが倒れたとき……あれはまるで、ビビアン()が悪阻でステーキを吐き出したあの時の姿に、そっくりだった」


「まぁ、そうでしたの。わたくしは知らない間にもお母様の真似ばかりしていたのですね」


「ああ……妊娠に気付いたビビアンは、それまで最低限していた日常会話すら拒むようになり、無理に面会を申し込んだら『本当はステーキが大嫌いなのに、腹の子が欲しがるから毎日食べている、これ以上なにも望むな!』と……更に私を避けるようになった。後継者を産んだら出ていくとも言って……」


 成る程。昨夜は突如甦った前世の記憶に丸飲みしたステーキを吐き出してしまったのだけれど、お母様そっくりな私がステーキを吐き出す場面は、お父様からしたら愛しい者が出ていく予兆にみえたのね。


「もうわたくしはお母様の真似事はしません。お母様のように出ていくこともありません。ずっとお父様の側にいます。あと、ステーキは前世でも大好きでした」


「前世?」


「あ、いえ、生まれる前、お母様の腹の中にいた時から、好んでおりました」


「ああっ……そうだったねヴェロニカ。お前はステーキが大好きで、離乳食で出されたステーキもよく舐めていた。歯がはえてからは、毎日ステーキを食べるようになって……」


 お父様は穏やかな笑みでぽろぽろと涙を流し、私の頭を撫でてくれた。大きくて温かい手にうっとりしてしまう。


「昨夜までは、お前はステーキに夢中な、いつまでも変わらない子供のままだと思っていたが……」


 項垂れたお父様は私の両手をとると、祈るように額をおしつけた。


「いつの間にか周囲に目を配り……自らの心を痛め……お父様を気遣ってくれる……優しい子に成長した。お前はお父様の自慢の娘だよ」


「お父様……」


 だいの男の振り絞るような声と震える肩に、胸が撃ち抜かれたようにショックを受けた。前世の記憶があるので精神は大人のつもりでも、弱った人間の姿というのは、言葉にできない程の感銘を受ける。


「お父様あああ〜! 大好き〜!」


「ヴェロニカっ……お父様も、お前を心から愛しているよ!」


 前世では殿方と相思相愛なんて、現実はおろか、とくに日常でも液晶が邪魔で実現しなかった。実際体験してみると良いものだ。ネカマニートへの怨みも浄化されていく。

 さて。再びスーハースーハーしたら、婚約解消に向けて動かなければ。






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