壊れた心と過ち
『お土産渡しに行かない?』
神崎君からメールが来たのはその日の夜だった。修学旅行の次の日は休みだ。昨日は仲のいい人が部活がないからと立花さんのお見舞いに行くなんて言っていた。多分、明日ならあまり人はいないだろう。
『いいよ』
正直、神崎君ともどんな顔で会えばいいのかわからない。彼はずっと僕が死にたがっているのを知っているからまだましだが、それでもあの時確実に死のうとしていたことはばれているだろう。
これは立花さんと約束したから行くんだ。結局八つ橋と鏡と練香水を買った。それを届けに行くだけ。明後日は初公判。そしたら、死のう。
適当な私服に着替えて家を出る。
病院への道のりも随分馴染んでしまった。一年前は全然行ったことなかったのに。
「おはよう」
病院に行けば入口に既に神崎君が来ていた。お土産は彼が持っていた。
特に、会話はない。ただ、賑やかな病院を無言で歩く。僕らの周りだけ、音がなかった。
ドアをノックすれば、返事がなかった。顔を見合わせる。寝てるのだろうか。
「失礼します」
ただ病室の前で立ってるのもおかしいということで挨拶をして中に入る。
彼女は起きていた。ピンクのニット帽をかぶって、少しやつれた彼女はベッドに座って窓の外を見ていた。
動くテーブルにはいくつものお土産が乗っている。部活の人やクラスの人が昨日持ってきたのだろう。
「起きてたんだ」
彼女はゆっくりこっちを見てほほ笑んだ。ただ、いつもの元気がない。体調が悪いのかもしれない。
目の下には隈ができていた。
「約束通りお土産持ってきたよ」
「ありがとう」
静かな声だった。神崎君と目を合わす。
「どうしたの、らしくないね」
「体調悪いなら帰ろうか」
彼女はゆっくりお土産で買った鏡を取り出した。縮緬のざらざらとした触り心地を確かめ、そして開く。
その時彼女は思い切り鏡を投げつけた。
「え」
どっちの声だっただろうか。
ぱた、と小さな音を立てて鏡が落ちる。
何が起きたかわからなかった。
「こんなもので、何を見るの。このボロボロになった姿を見ろって言うの」
「そんなつもりじゃ」
「じゃあなんで!なんで、」
彼女は言葉に詰まったのかそこで口をつぐんだ。
「何があったの、立花さん」
神崎君がしゃがんで彼女の手を握る。
「私、死ぬんだって。もう治るのは厳しいんだって」
立花さんの顔からは感情が抜け落ち、人形の様だった。
そして、クシャリとゆがんだ。
「なんでかな。なんでこんな目に合わないといけないのかな。私悪いことした?なんで死ななきゃいけないの」
聞いてるだけで苦痛だった。なんとなく、確証もなくどうせ治るだろうと思ってしまっていた。それだけ、僕ら十代には病気と言ものが疎遠で現実味のないことだった。テレビで見るドキュメンタリー番組に映る子供は特別な気がしていた。
でも、こんな現実で起きていた。誰よりも人が良く、好かれていた彼女が死ぬなんて。
「代われればいいのに」
時が止まった。つい、こぼれるように口から出た言葉に二人はゆっくり僕の顔を見る。
「じゃあ代わってよ」
冷たい声だった。十年以上彼女を知っていて初めて聞くものだった。
言ってしまった、そう思ったら病室を抜け出していた。
走って、走って、病院を出る。
やってしまった。自分でも、あそこで言うべき言葉じゃなかったと思う。でも、本心が溢れてしまったんだ。
「何言ったかわかってる」
咎めるような声が降ってきた。午前中の病院の中庭はほとんど人がいなかった。ベンチに座りぼうっと咲いた花を見る。秋も深まりそろそろ散りそうだ。
「彼女の前でそれを言うのは違うだろ。彼女は病気のせいで気分が落ち込んでるだけだと思うし」
「わかってる!」
自分が間違えたことも、彼女はまだ自分の死や病気を受け入れられずに精神的に追い詰められているだけだということくらいわかっている。
「君に何がわかるんだ!」
神崎君を見るとものすごく冷たい目をしていた。
「知らないよ、勝手に自殺する奴の気持ちなんか」
『お母さん、亡くなってるらしいよ。噂によると、自殺じゃないかって』
立花さんの声が脳内に響く。彼の眼はいったい誰を見ているんだろう。
「いじめに耐えろとは言わないし、君のメンタルが弱いわけじゃないと思う。だけど限界なら学校に行かないとか転校するとか、方法はいくらでもあるでしょ。なんでわざわざ死ぬの」
「もう疲れたんだ。生きるのが、何もかも。死のうが何しようが僕の人生勝手だろ」
「勝手なわけないだろ。周りが迷惑すんだよ」
冷たい風が僕らの間を駆け抜ける。
「だから死ぬんだろ!迷惑かけたくないんだ。父さんが捕まってからずっと母さんは落ち込んで、やっと元気になったんだ。これ以上心配はかけたくないんだよ。それに学校行かなくなって、ただ家に居て、社会から孤立して。高校すらまともに卒業できなかったら将来どうなるの。まともな職になんてつけない。ずっと親のすねかじって生きるくらいなら今死んだ方がよっぽど親孝行だ」
久しぶりにみる、溝の底のような目と合う。
「君は本当の馬鹿だよね。君のお母さんはそう言ったの?迷惑かけるなら死んでくれた方がましって?君と君のお母さんの価値観は違うってわからないの?相談でもすればいいのに心配かけたくないって。死なれたほうがよっぽど迷惑だしショックじゃないの。お前は相談する相手がいるのにしないだけ。そうやって一人で自己完結して悩んでるのは自分だけ、みたいな顔してんのが本当に嫌い」
中庭に一人。ベンチに座ったまま動けなかった。
わかってる。自分が馬鹿だってことは。母さんなら、きっと真剣に聞いてくれるし、転校したいって言えばさせてくれるかもしれない。
死んだら、もっと悲しむってことくらいわかってる。
劣等感だった。
母さんは悲しみから立ち直って昼夜問わず働いている。好奇の目にさらされても、体がしんどくても、絶対に愚痴を言わない。そんな母さんを見るたびに、どんどん自分がどうしようもない人間に思えた。どうして母さんはできるのに自分はできないのか、お前は弱い、根性なしだ、そう言われている気になって、余計苦しくなった。母さんは全く悪くないのに、一緒にいると息がつまった。
花壇の花の花びらが一舞い風に舞った。
もう、どうすればいいのかわからなかった。




