変わっていく彼ら
それからは、何が何だか、よくわからなかった。熱くて、痛くて、ぼうっとして経っているのも限界で壁に背を預けて座った。そんな俺に、茫然として、そして泣きついた。
「父さんが悪かった、だから見捨てないでくれ」
頼む、頼む。何度も言われた。それになんて答えたかわからない。数分で到着した警察は玄関が締まってたから窓を割って入ってきて、何かバタバタ動いていた。
「君が通報してくれた子だね。よく頑張った、病院に行こう」
大して、体を見なくても怪我が酷いことがわかったのか、そう言うと救急車を呼んでくれた。遠くに泣き叫ぶ父さんの声が聞こえた気がした。意識を失って目が覚めると病院だった。
「初めまして、児童相談所から来ました。田崎です」
黒髪で眼鏡のまじめそうな人が入ってきた。
「良く、自分で通報してくれましたね」
良かった、助かって、と苦しい息を吐き出すように言った。どうやら肋骨や腕の骨にひびが入るくらいの重症だったらしい。右腕が固定されて動かしにくくなっていた。もし、昨日暴力を振られていたら本当に死んでいたかもしれない。そして、父親は児童虐待で逮捕されたらしい。話を聞いても、どこか他人事で、へぇ、としか思えなかった。
「これからの生活をどうしていくか、一緒に考えていきましょう」
あまり、表情豊かな人じゃないけど眼鏡の奥の一重の瞳は、ちょっとだけ俺に似ていた。
新しい保護者とか、住む場所とか学校はどうするとか、決めることは山ほどあるらしい。
「あの人は、なんか言ってましたか」
帰り際、田崎さんの背中に投げかければ、彼女はじっと俺の目を見た。
「ストレスで、お酒に逃げてしまった。怪我をしたあの子を看病すると、いい父親と言われ快感だった、と言っているらしい」
なんだ。全部、献身的に息子を支える演出だったんだ。俺は、そんなことのために、十年以上もの間、あいつの怯えて生きてきたんだ。
「田崎さん」
「どうしたの?」
「あの人と縁を切れますか」
彼女は黙った。そして頷いた。
数日後、彼女は新しい保護者として母方の祖父母はどうかと提案した。ただ、母の実家はここから遠く、また二人も足腰悪いということで共に生活することはなく、俺は一人暮らしをすることに気まり、お金は父親のものがごっそり学費や生活費として振り込まれた。
まどろみから覚醒させたのは激しい足音だった。バタバタとなり、そして部屋の扉が開いた。母さんの焦った顔にドキッとする。父さんが、事故にあった時もこんな感じだった気がする。
「神崎君のお父さんが捕まったって」
「・・・え」
勢いよく起きたら眩暈がして母さんが支えてくれた。
神崎君のお父さんが捕まったって、それは、虐待が明らかになったということだろうか。
「神崎君がね、自分で通報したんだって。怪我がすごくてね、しばらく入院するぐらいらしい」
確かに、昨日見た神崎君はもうミイラ状態に近かった。ところどころ見える皮膚もほとんど変色していて、見ていられるものじゃなかった。
「限界だったんじゃないかしら」
母さんが通報したから、ひどい暴力を受けたんだ、とは言えなかった。やったことは正義感からだし、間違ったことはしていないけど、正解だったかはわからない。もっと。方法があったかもしれない。彼が死にそうになるまで、暴力を振るわれずに済めばもっとよかったのに。
「お見舞い行ったら?ま、それより早く風邪治しなさいね」
そう言うと仕事に行ってしまった。
一人の部屋でただ、天井を見て過ごす。
神崎君のお父さんが捕まったんだ。それは、とても悲しいことだけど、でも、やっと神崎君は暴力から逃れられたんだ。良かった。
また、瞼が重くなってきて、目を閉じる。その日は何かいい夢を見たような気がする。
病院は、父さんが運ばれた県立病院と同じだった。
ナースセンターで部屋を聞いて廊下を歩く。足は重かった。神崎君の様子は気になっていた。でも、最後の別れ方が問題だった。なんて言えばいいんだろう。
お見舞いに持っていきなさいと渡された近所のケーキ屋さんのゼリーを手に進む。入り組んだ廊下も、乗り気じゃないとあっという間に目的地についてしまう。
「はい」
ノックすると、数日前と変わらない声がした。心臓が口から出そうだった。
「失礼します」
扉をゆっくり開けると顔から包帯が取れた神崎君と目が合った。瞼や頬はまだ腫れてるし額にはガーゼがついているが、前回家に行った時よりだいぶいい気がする。
「へぇ、来てくれたんだ」
張り付けたような笑顔で放たれる言葉に背筋が凍る。
「あ、あの、この間は、本当に言いすぎて・・・・ごめん」
入り口近くで頭を下げたから、お尻がしまったドアにぶつかってバランスを崩す。
恥ずかしい。みっともないところを見られて、顔に熱が集まる。
「はは、別にいいよ」
初めて、声を上げて笑うところを見た。そこまで大きく笑ったわけじゃないけど、顔を上げれば自然な笑顔を浮かべる神崎君がいた。窓から差し込む光も相まって美しく、神々しくも見えた。この人、ちゃんと感情あったんだ。そういえば家に行った時も珍しく怒鳴ってたっけ。あの時は自分がカッとなってたからあんまり他人のことを気にする余裕がなかった。
「これ、お見舞いです」
「あぁ、ありがとう。明日にでも退院できるらしいよ」
「へぇ、そう」
「それだけ?」
彼が首を傾げた。他に、とは何だろう。謝ったし、何を求められてるんだろう。色素の薄い、茶色がかった黒目が覗く。
「えっと、不謹慎かもしれないけど、ちょっと安心した」
きょとん、と目が丸くなった。間違えた。
全身から汗が吹きだした。
「いや、変な意味じゃなくて、もう痛い思いしなくていいのかなって思って。これからも大変だとは思うんだけど」
全部本心なのに、もう言い訳にしか聞こえなかった。焦ってしどろもどろになって余計おかしくなる。どうしよう、と目を泳がせているとさっきより大きな笑い声が聞こえた。
「君、本当に面白いね。大嫌いだったけど今はそうでもないよ」
突然、どうしたんだろう。目頭を押さえてまだ笑っている。そんなに変なことは言ってないと思うんだけど。そもそも、僕のこと大嫌いだったとか、全然知らなかったし、地味にショックを受ける。
「あ、そう」
「ごめんて。ちょっと前までの話だから」
それから、何が面白いのか地味に笑い続ける神崎君としばらく取り留めもない話をした。共通の趣味があるわけでもないし、ものすごく気が合うわけじゃないけど、居心地は悪くなかった。
穏やかな秋空が広がり、心地よい風が吹く。少し開いた窓から落ち葉が一枚入ってきた。もう葉が散る季節がやってきていた。
気づけば一時間たっていた。そういえば、かなり良くなったとはいえ怪我人。長居してしまって申し訳ないと病室を後にした。少しだけ、足が軽かった。一階の広いロビーに出たところだった。
「急患です!」
ストレッチャーに乗った人が何人もの看護師さんに運ばれていて、お医者さんが走ってきた。すごい、ドラマみたいだ。なんて考えながら歩く。邪魔にならないように距離を取ってすれ違う時だった。
「患者は立花朝日さん、十七歳女性。症状は」
あまりの速さにはっきりと聞き取れなかったが間違いない。
「立花さん・・・?」
後ろを見るが顔は見えず、あっという間に角を曲がって消えてしまった。




