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死にたい僕と殺したい君と  作者: 相良美斗
16/23

きっかけはちょっとの勇気で


 雨の中、歩いて帰ったところ、案の定風邪を引いた。

「大丈夫?病院に行かなくて」

「平気。寝てれば治るから」

 重い体がベッドに沈む。スマホを開いて、アプリを開く。彼は何も呟いていない。数日前の『今日ちょっと寒い』から途絶えていた。大丈夫だっただろうか。百歩譲って、怒鳴ってしまったことで嫌われても構わない。ただ、あの怪我で放置してきたのはやばかったんじゃないか。下手したら骨言っててもおかしくない気がする。やっぱり救急車を呼ぶべきだった。

 スマートフォンの画面を見つめる。連絡したくても連絡先を知らない。

 その時、ちょうどよく通知が来た。

『風邪だって?大丈夫かー』

 小田だった。クラスも違うのにありがたい、大丈夫、と送ってスマホを置く。

 クリーム色の天井を眺める。

 親に、暴力を振るわれるのはどんな感じだろう。父さんのことは特別好きでもないけど、決して嫌いじゃない。一人っ子だったからか、かわいがられたほうな気がする。小学生の低学年の時は、よく日曜日になると父さんと二人で動物園などに行っていた。母さんはお弁当を作ってくれて、笑いながら見送ってくれる。時々三人で公園にピクニックに行ったりもした。友達と遊ぶようになるとそれも次第に無くなっていったが、車で送り迎えなどしてくれていたし、愛されているんだと思う。

 親に嫌われたら、僕の居場所はもうどこにもない。今、何とか心が落ち着く場所が家だ。毎日、学校が見えるたびにお腹が痛む。もう見るのでさえ拒絶したいくらいには地獄になった。教室が駄目になり、部活が駄目になり、職員室も駄目になった。あそこに居場所はない。それに、最も愛されるはずの親から嫌われるなんて、想像を絶するくらい苦しいだろう。

 何も知らずに、考えずに、暴言を吐いてしまった。

 あの時は、ちょっとイライラしてて。でも、彼も彼だ。こっちの気も知らないで好き勝手言うから。彼には学校があるから、僕の気持ちなんてわからないんだろうけど。

 学校で、強くいってしまったことを言いふらされたら、どうしよう。

 考えただけで胃が締まる。高まる吐き気にトイレに駆け込んだ。

 熱が出て寒いせいか、震えが止まらなかった。



 昔から、人が寄ってくるタイプだった。

「暁人君はいいなぁ。何でもできて」

「暁人君ってかっこいいよね」

「暁人君は何でも持ってて羨ましい」

 昔から、よく言われた言葉だ。

 何でもできて。そりゃあ努力すれば大抵のことができるさ。お前はしないからできないんだ。

 かっこいいよね。顔が、ね。

 何でも持ってて。なんでもって、何かな。金、おもちゃ、洋服、ゲーム、漫画。子供の世界ってそんなものかな。

「なんで俺はこんな目に合わなきゃいけないんだ」

 お腹に鈍い痛みが走って息がつまる。本当に、何でも持ってると思う。母親もいない、父親もクズ。親の愛情なんていつまでもらえたっけ。もうどうでもよくなるくらい知らない。

「ごめんな、こんなことするつもりじゃなくて。今日は付きっ切りで看病するから」

 眉を下げた父がすりつく。こんなのが親の愛情?

「優しいお父さんで羨ましいわ」

「暁人君は本当にいい子ね。お父さんの教育がいいのかしら」

 馬鹿言え。どいつもこいつも表面のことしか見てないくせに。何を知ってるんだ。俺の、父親のことなんて一ミリも知らないくせに偉そうなことばっかり。人間は本当に気持ちが悪い。だから、程よく距離を置くときは必ずこういうのだ。

「そうですかね」

 そう言って笑えばみんな喜ぶ。すぐに騙されて、馬鹿みたいにチョロい。その一言で、容姿端麗、性格も完璧な神崎明人が出来上がる。

 もう少しだった。あと少し我慢出来たら、高校を卒業できる。それまでの我慢だと思った。

「あら、あなたどうしたの。怪我だらけじゃない」

 父親がいない隙に、家の外に出るのがちょっとした楽しみだった。家から離れたコンビニに行って立ち読みしたり、大したことのないものを買ってゆっくり帰る。キャップやフードをかぶって絶対にばれないようにしていた。近所の人の行動も大体把握している。人が通らない時間は知っていた。完璧だったのに、怪我が見られたことに焦って走って家に帰った。心臓が壊れそうなぐらいうるさい。ばれた。家までばれてないよな。通報されないよな。もし、ばれたら、あの日、人生で初めて父に暴力を振るわれた時を思い出す。ガタガタと震える体を抱きしめながらベッドに潜った。

 あの人と二度目にあったのは、顔の傷が綺麗になったときだった。

「暁人、一緒に帰ろうよ」

「スタバ寄ってかない?」

「私行きたいところあって」

 香水がきついな、それだけだった。俺は母に似たらしく、見た目は良かった。中性的かもしれないが整っている自覚はある。

「あぁ、神崎はモテモテだよなぁ。勉強もできて運動もできて、挙句に女にモテる。ずるいうわ」

 じゃあ、変わってあげるよ。心の中でそう言う。別に、モテたいわけじゃない。こいつらみんなくれてやるよ。父親も一緒に。なんて言えるはずもなく、曖昧に笑う。どうでもいいが、香水の香りは嫌いだった。ちょっとだけ、母親を思い出すから。まぁ、それよりもきつすぎて鼻が曲がりそうなんだけども。

「あら、あなたこないだの」

 声をかけてきたのはいつかのおばさんだった。忘れることはない。唯一、殴られた顔を見られている人だ。脳が警鐘を鳴らす。それでも、勝手に組んできた女の腕が逃げることを許さなかった。

「知り合い」

「へぇ、そうなんだ。こんにちは」

 媚びを売る間延びした声を気にすることもなく向こうも挨拶をする。逃げろ、という思考と共にこれはチャンスかもしれないとも思った。

「ごめん、この人に用があるから、先帰ってもらえるかな」

「えぇ」

 渋る彼女たちにもう一度ごめんね、と言えば引いてくれた。

「じゃあまたね」

「また明日」

 両脇の熱が無くなると新鮮な空気が入ってきた。

「モテる男は大変ね」

「はは、ありがたいですが、ちょっと歩きにくいですね」

 なんで、女は必要以上にべたべたしてくるのか。心底理解できなかった。

「助かりました。じゃあ」

 知らないふりして帰ろうとしたが、それは許されなかった。

「良かったらご飯食べていかない?」

 心の中で盛大に舌打ちをした。このパターンは断れない。黙ってついて行くと今最も嫌いな奴がいた。

 伊藤雄太。アプリ内で出会ったクラスメイトだ。

 不特定多数の他人とコミュニケーションをとれるアプリでたまたま出会った。

『死にたい。誰か殺してほしい』

 その言葉を見た時、言いようのない嫌悪感が押し寄せた。

『死にたいけど、自殺する勇気もなくて。それに、失敗したくないから、誰かに見届けてほしいんです』

 随分と身勝手な話だった。直接会ってみれば、やっぱりというか、猫背のさえない人だった。まさか同じクラスとは思っていなかったけど。彼の背後に母が見えた気がした。そういえば、死ぬ直前の母もこんな感じだったかな。クマが酷くて、髪もぼさぼさだったかも、化粧で隠して髪も結っていたからよくわからなかったけど。見れば見るほど似ている気がして、嫌いだった。

 彼の家は、こじんまりとしているが綺麗で、『普通』だった。

「迷惑かけたくないから」

 死にたいくらい悩んでるのに、相談すらしていなかった。人に殺してほしいと頼む甘ちゃんのくせに。彼なりの、親への思いやりだった。

 そんな感情、芽生えたこともなかった。

 明るい母親と少し口下手な息子。父親が逮捕されてるとはいえ、平和な過程そのものだった。むかつく。こんなにいいもの持っておきながら、恵まれながら、簡単に死にたいとか、ぐずぐず言っていることが、心底軽蔑した。

「じゃあ何で言わないの!」

 何でって、そんなの行ったって子供の俺の言葉なんて聞いてくれる人が誰もいなかった。母さんの葬式の時だって、あんなに嫌だって言ったのに。

「目に見えないから誰にも気づいてもらえない。体が健康だから、どんなに心が死んでもまともに取り合ってもらえない!君のは誰が見てもわかる。みんなが味方になってくれるのに、なんでわざと隠して庇うの」

 別に庇っているわけじゃない。あんな父親大嫌いで、縁を切れるなら、今すぐにでも切りたい。

「暁人、体の具合はどうだ。ゆっくり寝てないとダメじゃないか。あれ、この封筒は?」

「・・・学校から」

 スーパーの袋からプリン出して机に置く。その前に包帯変えようか、と頭に手をかける。その手つきは夜とは全く違って腫れ物に触るみたいに優しかった。この人はいったい何なんだ。何がしたいんだ。暴力が楽しいのか。やってみれば、分かるのか。雀を怪我させても、全然わからなかった。やっぱり人じゃないと、わからないのかな。

 夜、瓶が床に落ちる音がした。何年も聞きなれた、嫌な音だ。心臓がドクンとなり、冷や汗が噴き出す。一昨日、児童相談所の役員が来た。部屋に行っているように言われ、聞き耳を立てていると、誰かが通報したらしかった。伊藤だ、真っ先に思った。彼か、もしくはその母親しかありえない。俺は完璧に隠していたはずだ。

『息子さんに会わせてもらえませんか』

『今体調が悪くて、寝てるんですよ』

『一目だけでいんです』

『すみませんが、日を改めていただけないでしょうか』

 当たり障りのない会話が続いて、あっけなく終わった。帰っていく音がする。あぁ、やっぱり駄目だった。それからが地獄だった。

 部屋を出て、こっそりリビングを覗く。

 既にビールの缶が何本も空いていた。父さんはぐったりと机に突っ伏している。一歩、踏み出したとき、ゴロ、と重い音がした。足元をちゃんと見ていなかった。ウイスキーのボトルが転がっている。父さんがゆっくり頭を上げ目が合った。

 やばい、殺される。

 頭でガンガン警報が鳴る。児童相談所の職員が来てから、暴力が一層激しくなり、寝ていても全身がずきずきと痛み、熱が引かず頭がぐらぐらした。こんな状態で、また暴力を振るわれたら、死ぬ。

「なんで、俺が、虐待の容疑をかけられなきゃいけないんだよ」

 ゆっくり立ち上がった。

「俺は美沙子が死んでから一生懸命働いて、お前を育ててきたんだ」

 一歩ずつ、よろめきながら近づいてくる。全身の毛穴から壊れたように汗が噴き出す。

 だめだ、死んじゃう。

 死にたく、ない。

 手が届きそうなくらいの距離に来た時だった。咄嗟に隣にあった観葉植物を鉢ごと放り投げた。

「あきと。どうして」

 しりもちをついた父さんは驚いたように俺を見上げた。その目には困惑と、そして恐怖が浮かんでいた。

 どうして、こんな男の言いなりになってたんだっけ。あの日と、今の光景が重なった。でも、父さんと俺の立場が逆転していた。あの日、見下す父さんの顔がずっと忘れられなかった。あまりに怖くて、思い出すだけで体がすくんだ。そんな父さんが、今しりもちをついて情けない顔で見てくる。

 こんなに、大したことない奴だったのか。気づけば身長もほとんど変わらなくなっていた。あの時は大きくて、力が強くて、叶わなかったのに、今はどうだ。あの時から皺も増え、明らかに年を取った。なんでこんな男に、黙って殴られてたんだ。

 ゆっくりスマホをポケットから出す。そして緊急電話から三つボタンをタップして耳に当てた。

「助けてください、殺される」

 思ったより、あっさりと口にできた。




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