吐き出した本音と後悔
神崎君は次の日もまた次の日も、学校に来なかった。
「神崎君ってなんの病気なんだろうね」
休み時間、居づらい教室から出て図書館に行けばたまたま立花さんと出くわした。
「さぁ」
病気じゃなくて虐待だよ、なんて口が裂けても言えない。
でも、休みということは、顔にまた怪我を負ったということだ。大丈夫だろうか。その時だった。重い足音と共に自分の名前を呼ぶ声がした。
「伊藤、ちょっといいか」
担任の鈴原先生だった。あの日以来、目を合わせづらくて避けていた。
立花さんと別れて先生のもとに行けば封筒を差し出された。
「すまないがこれを神崎に届けてくれないかな。仲のいい菅野たちは部活が忙しいみたいだし、電話で神崎と話したんだが伊藤に持って来てほしいって。家知ってるんだって?」
「あ、はい」
まぁ、この間一回だけ言ったところだが、そこまで遠くないし、大きい家だから間違うことはないだろう。封筒を黙って受け取った。
「それよりも良かった。思ったより元気そうだな」
は、口から乾いた息がこぼれた。
「お父さんのこととか大変だと思うけどストレス溜めすぎるなよ」
そう言うと先生は踵を返した。
思ったより、元気そう?
何を言ってるんだ。
ストレス?
あの人は本気で分かってないんだ。自分の担当しているクラスでいじめがあることを。
そして、自分の態度が、僕を突き放し、苦しめていることも。先生なら助けてくれるんじゃないか、話くらい聞いてくれるんじゃないか、そう思ったのに。その希望を打ち砕き、自殺への最後の一歩を踏み出す、背中を押したのは先生だということが、全くわかってない。
どす黒い、ヘドロのようなドロッとした感情が身体の中を渦巻く。
握った手の中で封筒がぐしゃりと音を立てる。学校は気持ち悪い。悪口を言ってくるあいつらも、見てみぬふりをするあいつらも、差し出した手に全く気付かずへらへら笑っているあいつも、みんな死ねばいいのに。脳内で包丁を握った僕が暴れる。
殺せたら、どんなにすっきりするだろう。悪口を言ってあざ笑っていた奴らの恐怖と苦痛にゆがむ顔は何て滑稽だろう。脳内が赤く染まった。
こんなこと、できるはずない。いや、できないわけじゃない。ちょっと背中を押されたらやってしまいそうな気もする。でも、母親を人殺しの母親にするわけにはいかない。父さんがいない今、僕まで犯罪を侵したら、もっと肩身の狭い思いをする。それだけは、ダメだ。
ゆっくり息を吐いて、封筒の皺を伸ばす。皺が跡になって取れなかった。
放課後、部活を休んで来てみるとやっぱりすごい家だった。門が締まっており呼び鈴を鳴らす。反応がない。その時、スマートフォンがメッセージの新着通知を告げた。メールじゃなくアプリの新規メッセージの通知だった。
『開いてるから入ってきて』
殺人依頼したアカウントからだった。入ると玄関も開いていた。
「お邪魔します」
疚しいことは何もしていないのについ、小声になってしまう。靴もないし、今日はお父さんがいないらしい。長い廊下を歩けば広い部屋に出た。リビングだ。吹き抜けのようになっていてものすごく広い。白を基調としていて、上手く言えないがお金持ちの家っぽい。
『そのまま階段上って右手の部屋』
聞こえているのかまたメッセージが来た。
家主がいないのに、勝手に入っているという状況に、緊張して心拍数が上がる。
階段を上がればまた廊下が続き、両脇に複数の扉があった。その一番手前、右の部屋をノックする。
「はい」
神崎君の声がした。ちょっとだけ安心して息を吐く。そして声をかけて扉を開けてみた光景に息をのんだ。
「神崎君!」
包帯がぐるぐると巻かれ明らかに異常な様子の神崎君が荒い息を吐いてベッドに寝ていた。片目は包帯で隠され、何とか見える左目は瞼が腫れ、変色している。口の端も切っていて、とても大丈夫には見えない。
「病院に行ったの?」
「行けるわけ、ないでしょ」
「こんなの、放っておいたらダメだって。病院行こう」
救急車を呼ぼうとして握ったスマートフォンを叩き落とされた。ゆっくり起き上がる彼の眼は溝のように濁っている。
「君だろ、児童相談所に勝手に電話したの。いや、君のあのお節介なお母さんか」
「もしかして、そのせいでこんなに?!」
ふ、と彼は脱力するように笑った。
「そういうの迷惑だって、言ったよね。それともわざと?俺が君がいじめられてるのからかったから嫌がらせでそういうことしたわけ?」
「そんなつもりじゃ」
「じゃあ何?人助けのつもり?気持ち悪い。恩を売って、いいことをした、って満足するわけ。こっちはこんなに迷惑受けてるのに?思い上がんな」
氷の牙が次々と飛んでくる。
別に恩を着せるつもりも、迷惑をかけるつもりもなかった。確かに、ちょっとは迷惑になるカモとは思ったけどここまでのことになるとは思わなかった。
「迷惑をかけたなら謝る。でも、さすがにこの怪我は病院に行かないと」
「だから!」
大声を出したかと思ったら、あぁ、と息を吐いた。
「なるほど、病院に行って、虐待のことばれたら、父親が捕まるから。そしたら自分と同じ犯罪者の息子と言う仲間ができると思ったの?」
神崎君の言葉に頭が真っ白になった。
「一人だけだと肩身狭いもんねぇ。現に、親のせいでいじめられて自殺にまで追い込まれて。同じ思いをさせたかったわけ」
頭がぐるぐるする。何言ってんだ。同じ犯罪者の息子の気分を味合わせたい?そんなこと考えるわけない。自分がどれだけ苦しい思いをしてきたと思ってるんだ。それを同じ目に合わせたいだ?誰かに代わってほしいとは思ったことあるけど、今、この話は関係ない。
「なんだ、おとなしい人かと思ってたらとんだクズじゃん」
「ふざけんな!」
封筒を投げつける。肩にぶつかって、痛そうに顔を歪めた神崎君が、ぎろりと睨む。
「何すんだよ!」
「誰もお前を巻き添えにしようとなんて思ってない!それに父さんは人を殺そうとして殺したんじゃない!運転しろって命令されて、断れなくて、それで・・・。お前の父親みたいに時意識的に人を傷つけるようなクズじゃない。一緒にすんな!」
「はぁ?結果的に人殺してんだからかわんないだろ!この期に及んで父親庇うなんてファザコン?気持ち悪い」
一度、口走ったらもう止まれなかった。
「どっちが!こんなに暴力振るわれてまで父親のことを庇うなんて、どんだけ大好きなんだよ」
「好きじゃない!あんな奴、死んでほしいと思うくらいに嫌いだ」
「じゃあ何で言わないの!」
神崎君が苦しそうに顔をしかめる。
「君が助けてって言えば、いくらでもお父さんを止められただろ」
「そんなことない。誰も聞いてくれなかった」
「それは違う!児童相談所に、先生に、警察に、誰かに言えば絶対誰かが動く!そんなに傷だらけで見てみぬふりなんかしない。それなのに、君は。助けてもらうことを望んでないんだろ。助かる道じゃなく、傷だらけになる方を自分で選んだんだ」
「お前に何がわかんだよ!」
「わかんないよ!君の気持ちなんて、これっぽっちも!こっちはどんなに傷ついても、苦しくても、目に見えないから誰にも気づいてもらえない。体が健康だから、どんなに心が死んでもまともに取り合ってもらえない!君のは誰が見てもわかる。みんなが味方になってくれるのに、なんでわざと隠して庇うの!」
心配されたいわけじゃない。でも、苦しみを理解してもらえないのが何より辛かった。心は見えないから加減を知らず、永遠に攻撃される。もうズタズタのボロボロでも、それを知ってるのは自分だけで、理解できるのも自分しかいないんだ。
だから、気のせいなんて笑われ、心が弱いなんて馬鹿にされる。もううんざりだ。
「助けてくれる人がいるのに求めないお前が、そんな目に合うのも自業自得だろ。僕に八つ当たりしないで」
飛び出すように部屋を出る。心の中はぐちゃぐちゃだった。家を出ると雨が降っていた。傘もなく、制服がどんどん濡れていく。
やってしまった。
あんなこと言うつもりなかった。ましてや怪我人に。封筒まで投げちゃったし。
痛そうな顔してた。本当に、やってしまった。
「あーーー」
吐き出した声は雨音に吸い込まれて消えた。




