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死にたい僕と殺したい君と  作者: 相良美斗
11/23

殺したい彼の話

 俺の家は大きい。白を帰郷にした吹き抜けのリビングに螺旋階段があり、小さいころから十分すぎるほどの広さの子供部屋があった。庭までついた立派な一軒家で、買ってと頼めば何でも買ってくれるような家だった。周りからは羨ましい、羨ましいと言われ、特別なんだと知った。

「うるさいんだよおまえは!!」

 今日も呂律の回っていない怒号が響く。ガシャンと食器が割れる音と母の泣き叫ぶ声が響いた。

「ごめんなさい、ごめんなさい」

 父はとても優しい人だった。実業家で人望も厚く、近所でも評判の『いい旦那』『いいお父さん』だった。それがお酒を飲むと豹変する。月に何度かこういう日がある、俺の普通だった。

 暴力はずっと続くわけじゃない。

「ごめんな。昨日はどうかしていた。許してくれ。お前につい甘えてしまって」

 朝が来れば優しいお父さんに戻っている。ずっと、悪魔が取り付いていると思っていた。

 俺が殴られたこともある。それはお母さんが泣いているのが悲しくて、助けなきゃ、と本能的に思ったんだ。テレビで見たヒーローみたいに、なれると思っていた。

「お母さんをいじめるな」

「なんだと」

 地を這うような声に全身の血が引いた。初めての恐怖に体が動かない。

 お父さんとは少し離れていたのに、気づけば目の前に来ていて、あ、と思ったら視界が揺れていた。

 頬を思い切り殴られたのだ。殴られた頬と、倒れた時に地面にぶつけた頭がワンテンポ遅れて痛みを訴え始める。

「やめてください、この子だけは」

「お前がしっかりしつけておかないからこうなるんだ」

 怖くて、痛くて、動けなかった。

 その日は一層、ひどかった気がする。

「美沙子さんその怪我どうしたの」

「ちょっと転んでしまって」

「ちょっと前もそうだったわね。気を付けてねぇ、もう」

 困ったように笑う母の声が耳についていた。

「なんで誰かに助けてって言わないの」

 物心がついたくらいで、DVなんて言葉も概念も知らない時だったが、このままではだめだと思った。

「私が我慢すればいいことだから」

「でも、人を殴ったり蹴ったりしちゃダメだって言ってたじゃん」

「お父さんのおかげで生活で来てるからね」

 後から聞いた話、母さんと父さんは知人の紹介で会って、金銭的に困っている母を支援していたところから逆らえなかったらしい。働いていない母さんが父さんに依存していたところもあるのかもしれない。

「早く大きくなってお母さん幸せにするね」

 そう言った時のうれしそうな顔は忘れられなかった。

 それから、どうやったらお母さんを幸せにするなんてどうすればいのかわからなかったがとりあえず勉強を頑張った。頭が良くなって、お金持ちになればお父さんと縁が切れると思っていた。

 父さんが暴れるたびに自分の部屋で耳を塞いでうずくまった。母さんの鳴き声を聞くたびに、早く大人になりたいと、それだけを考えた。

 母さんはいつもあざだらけの顔で笑っていた。そんな母さんがかわいそうで、掃除も洗濯も率先してやった。本当にいい子だね、と頭を撫でてくれた。その生活は突然終わった。

 休み時間、教室で友達と話しているときに先生が血相を変えて飛んできた。

「暁人くん、帰り支度して」

 何のことかわからなかった。ランドセルを背負って学校を出るとお父さんが待っていた。

「暁人、良く聞いてくれ。お母さんが死んだんだ」

 お父さんの目は赤くなっていた。嘘だ、って言ってほしかった。

 信じられなかった。だって今朝笑顔で行ってらっしゃいって言ってたもん。ちょっと痣が薄くなった顔で笑ってたもん。

「お父さんが叩いたの。お父さんが蹴ったから死んじゃったの」

「違う!」

 信じられなかった。

 いつもいつも平気な顔して一回りも小さいお母さんを蹴ってたじゃん。やめってっていう声も聴かないで。

 人殺し。

 父さんは心から傷ついている顔をしたから、ちょっとだけ罪悪感が芽生えた。でも俺は間違っていない。

 母さんを殺したのはこいつだ。

 病院で、横になるお母さんの手は取っても冷たかった。そこでやっと、お母さんはもう戻ってこないことを実感した。それと同時に涙が止まらなかった。

「暁人くん突然のことで大変ね。これからはお父さんと二人で頑張るのよ」

 葬式に来た親戚のおばさんの声でハッとした。

 俺が、この悪魔に取りつかれた人間と二人で暮らすなんて冗談じゃない。

「いやだ。いやだいやだいやだ」

 わがままを言ったことなんて一度もなかった。俺は『手のかからないいい子』で、駄々をこねる同年代の子とは違うのだ。そういう子を見て子供っぽい、恥ずかしくないのかと冷めた目で見ているタイプだった。でも、今はどうでもいい。おばさんだけじゃない、周りの大人が驚いた顔をしている。それでも、こいつと二人っきりの生活なんて嫌だった。

 暴れる俺の上に影ができた。

「すいません。美沙子が居なくなって動揺しているみたいで」

 父だった。よそ行きの、完璧なお父さんの皮をかぶっていた。

「あ、そうよね。突然お母さんがいなくなったらそれはショックよね」

 違う。

「精神面でもサポートしていきたいと思っています」

 嘘だ。

「お仕事もあるのに大変ね。何かあったら言ってちょうだい」

 助けて。この化け物から助けて。

「気遣いありがとうございます。しばらく学校も休みをもらえたので二人でゆっくりしようと思います」

 頭が真っ白になった。

 それはいいわね、とおばさんがほほ笑んでいる。何がいいんだ。お前が変われよ。こっちの気も知らないで、なんで笑えんだよ。

 おばさんも化け物に見えた。気持ち悪い。

 信じれる人間なんて誰もいなかった。

「美沙子、どうして、美沙子」

 その日の夜、誰もいなくなった家で父さんはものすごい量のお酒を飲んだ。空いた瓶が何本も転がっている。その床を眺めながら、ひたすら耐えるしかなかった。

 死んでほしくなかったら、なんで暴力なんて振るったんだ。全部全部、お前のせいだろ。

 痛い、苦しい、助けて。

 助けてくれる母さんはもういない。

 気づいたら朝だった。どうやら気絶したらしい。ちゃんと手当てしてベッドに運んでくれたらしい。腕や足が包帯やガーゼだらけになっている。なんとか、痛む体を引きずって起き上がったとき、部屋の扉が開いた。咄嗟に身体が強張る。

「起きたか。ごめんな、うどん食べれる?」

 眉を八の字に下げた父さんがお盆を持っていた。

 口を利きたくなくて目をそらした。

「ごめんな、こんなことするつもりじゃなくて・・・」

 肩に触れる手をはたく。気持ち悪かった。昨日は平気な顔して殴ってきたくせに、どういう神経してるんだ。心底理解できなかった。

「しばらく学校も休みもらったから今日はゆっくりして」

 どうせ、この怪我が知られないようにあらかじめ休みをもらっただけだろう。

 部屋を出ていく背中は本当に切なそうだった。

 



 それから、俺は病弱になった。

 暴力は定期的に繰り返される。それでも顔にけががない時は学校に行く。見えるところに痣が出来たら休む、そういう生活になった。家からは一切出ることは叶わなかった。母が死んでから家で仕事をすることが増え、常に監視がついた。

 一度、逃げ出そうとしたことがあった。眼は腫れ、口の端も切っている。全身にも至る所に痣がある。この状態で外に出れば、誰か助けてくれる人がいるに違いない。

 音を立てずにそっと部屋を出て、玄関に向かおうとしたときだった。

「どこに行く」

 冷ややかな声に全身が震えあがった。

「・・・トイレ」

何とか返したセリフがこれだった。すると父さんは空気をやわらげ、そうか、とだけ言って部屋に戻った。扉が開いているからいつでも音を聞かれているだろう。逃げれないと悟った。

 全身から冷や汗が噴き出し、廊下に座り込んだ。

 部屋に戻って電気もつけずに布団をかぶる。気づけば真っ暗になっていた。永遠と広がる暗闇の中で、ただ涙があふれた。



 殴られる痛みに、直になれると思ってた。

「ごめんなさい、ごめんなさい」

「うるさい!」

 怒号に必死に唇をかみしめる。それでも洩れるうめき声とお酒の缶が床に落ちる音が響く。

 もう無理。母さんは何年も我慢してたけど、俺には無理。仕方ないじゃないか。まだ小学生だし、体も小さいし、耐えられない。このままじゃ死んじゃう。

「待て!」

 父さんがビールの缶を踏んで気をとられた一瞬のすきに逃げ出した。ここから玄関までは追い付かれる。それならせめて、自分の部屋に籠ろう。今日殴られなきゃ、とりあえずいい。

 必死に短い脚を動かして走る。蹴られたお腹が痛いが気にしてられなかった。後ろから、父さんが追いかけてくる気配がする。でも酔っているのか思ったより遅い。

 何とか自分部屋に飛び込んだ。扉を閉めて鍵をかけようとしたときだった。

「鍵が、ない」

 この前までちゃんとあったはずの鍵が無くなっている。強い力で押されて床に転がれば、扉がゆっくり開いた。

「鍵を外しておいて正解だった」

 ゆっくり化け物が姿を現した。手には小さな日本酒の瓶。がちがちと歯が鳴った。

 それからは地獄だった。

 なんで、こんな目に合わないといけないんだ。俺はずっといい子だったのに、なんにも悪い事してないのに。どうしてこんな目に。

 全身がいたくて起き上がる気力もなかった。気づけば夜が明け明るくなり始めていた。やっと気分が晴れたのか、静まった家でただ一人、自分の部屋の床で横になっている。その時、ちょうど勉強机の下に何かあるのが見えた。

 古い辞書だった。お父さんが使わないからと俺にくれたもので、いつの日か母さんとしおりを作っていた。確かその日は、四つ葉のクローバーを見つけて、幸せになるって聞いたから、母さんにあげたらしおりにしようって言ったんだ。そんなに昔のことじゃないのに、懐かしい。

 ゆっくり手を伸ばしてたぐり寄せて、ページを開く。すると、あるページがすぐに開いた。それはクローバーが入ったページで、他にも小さな紙が入っていた。

『ごめんね』

 たった一言、そう書いてあった。

 言葉を失った。

 ごめんね?

 確実に、母さんの字だった。こんなの、しおりを作ったときには入れてない。

 母さんは、父さんのせいで死んだんじゃないのか。そういえば、まだ小学生の俺に誰も死因を教えてくれなかった。父さんは外面がいいし、頭がいいから、ばれないように言い訳して逮捕されないように交わしたんだと思っていた。

 母さんは、自殺した?

 父さんの暴力に耐えかねて?


 どうして、俺を置いていったの?


 母さんが父さんを手放したくないから、我慢するって言ったんじゃないか。俺は別に暴力をふるう父親なんていらなかったのに。離婚でも何でもしてくれればよかったのに。俺は母さんがいてくれればそれで。

 俺が苦しい思いをすることがわかってるから、『ごめんね』なんだよね。

 母さんも、俺を見捨てたんだ。

 涙なんて出なかった。体の内側から嫌悪感と怒りが混ざった汚いものがあ不出して止まらなかった。もう、誰も信じない。

 まぶしい朝日に背を背けた。


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