押し寄せる暴力
『……で、どうするんだこの状況』
『司令部も混乱している。接近は難しいが……とにかく情報収集を』
『こんちくしょうめが……』
うんざりした調子で悪態を尽きながらも砲火を躱し、ゼライはセンサー類を駆使して都市跡近辺を伺う。先の敵部隊が前進した後、もぬけの殻になったはずの廃墟群。そこにはゼライ達が倒した群れの十倍以上のクヴァエレが蠢いていた。それを感知するまで接近したゼライは、クヴァエレ群からの猛攻撃に晒されることになった。
距離があるため収集できるデータは限られているが、敵が本格的な陣地を築いていることと、そこから先刻以上の大群をハミルトン基地に送り込む準備をしていることが判明してくる。複数ある共用回線に彼が意識を向けると、攻撃隊や待機中の二次突撃要員を中心に混乱の声が渦巻いている。
『どうなっているんだ、敵は打ち止めじゃなかったのか!?』
『偵察部隊は何を見てきたんだ!』
『奴らはとっくに死んでいる。最後の報告では確かに敵小規模、後続なしだったぞ』
『じゃあこいつらはどこから湧いてきたの……?』
『コ-テックス、救援はまだ着かないのか!?』
回避機動を継続しつつ、ゼライは考える。実際、これだけの規模の群れを短時間で移動させることは近年のクヴァエレでも困難だ。そして陣地の構築度合いから見て、この群れは初めから都市跡に陣取っていたとみるのが妥当だろう。では何故偵察隊はそれに気づかなかったのか? それとも……虚偽の報告?
そこまで考えてゼライは心の中で頭を振る。わざわざ天敵クヴァエレを利するような真似、今の人類がしようとすれば堪えられないほどの本能的嫌悪感に苛まれる。百歩譲ってしなければならない事情があったとしても、生物として実行不可能なのだ。
そうである以上、偵察隊が大群を感知できなかったのは未知の技術が関係するのか。それはそれで重大な懸案事項ではあった。しかしこの場で解決しなければならない問題は、現に存在する敵をどうやって退けられるか。
(こんなにいるなら、確かに、ゼドを削っておくって判断にならぁな)
突撃を敢行した攻撃隊は既に消耗している。兵は少なからず命を落としており、ゼライはともかくカレンデュラも余力がない。丘の陰に待機している兵士が残っているとはいえ、クヴァエレの大群に対抗できる戦力はもはやない。
『こちらコーテックス。攻撃隊は撤退せよ。戦力を再分配し迎撃に備える』
『カレンデュラよりコーテックス。ティグリスは相打ちで死亡したが、この規模の敵が進行してきた場合、対処できるのか?』
『……通常戦力の応援が一部到着しつつある。ゼドも復帰できそうな者を数名出す。それと貴官らで対応する』
『消耗のないゼドは集められないのか。なら現状の攻撃隊で吶喊した方がまだ――』
『却下する。今の貴官らでは敵陣からの弾幕を突破できる見込みが薄い。特に、貴官を失うことはあってはならない』
『だが――』
歯ぎしりが聞こえてきそうなやり取り。確かに、今のゼライとカレンデュラ、そして各々の随伴部隊の生き残りで都市跡に接近しても、迎撃砲火で殆どはたどり着く前に殺されるだろう。中でも英雄カレンデュラを失うことは、同盟全軍の士気に関わるため避けたい。撤退という判断も分からなくはない。しかし……
『……リァシク。ここで俺たちが退いた後、クヴァエレ群が基地に向けて進行してきたら、守り切れるか?』
『それこそ見込みの薄い話だな。上位個体がおらずとも、基地を守るのは難しい。同盟自前のゼドは出せるだけ出した後で、消耗している者を無理に駆り出すしかない。今慌てて国家と連合に救援を打診しているようだが、返答は芳しくないようだ』
『ここ数日のクヴァエレ同時襲撃でどいつも消耗しているからな。わざわざ貸し出して死なせるわけにも……』
リァシクは、そしてゼライも、もう一つの想像に至ったがそれを口にしない。負けても仕方がない状況、これにかこつけて、包囲網を崩してでも同盟を弱らせたい者が国家や連合の上層にいる可能性。それを戦場で考える必要はない。この場で目指すべきは勝利と防衛である。
『ス――ハルシグレはどこに行った? こんな時こそ奴の出番だろうが』
『彼女は同盟本土に出向いていて、こちらに戻るのは間に合わないとのことだ』
『あのガキ肝心な時に使えねえ……』
『――繰り返す、全攻撃隊は直ちに撤退せよ』
ここで全滅覚悟で突入を命じられないあたりが、同盟の限界であった。突っ込めば実際にほとんどの兵が死ぬ上、ゼドを失う可能性が高い。国家よりも戦況に余裕があり、ゼドが少ないにもかかわらず戦争を続けられてきた同盟が、決して命じられない戦術。長年の戦いで染みついた思想だった。
かといって、攻撃隊を下がらせたところで状況は悪化の一途を辿る。それは司令部も承知だろう。なけなしの援軍が到着したところで、進行してくるクヴァエレ群の規模とタイミング次第では、基地の防衛がかなわず同盟は敗走することになる。そうなれば対クヴァエレ包囲網に穴が開いてしまう。
致命的な結果に終わるか否かが敵のさじ加減で決まってしまう。控えている敵の大群に気付かなかった時点で、同盟の今作戦は事実上失敗していたのだろう。
♢♦♢♦♢♦♢♦♢
さてここに、彼らの戦術思想と無縁な余所者がいる。しかもその男は、必要だと判断すればあらゆる指示を笑いながら無視する、鼻持ちならない軍人もどきである。
『リァシク、敵の直射兵器、誘導兵器の数と分布は』
『……データの限りで、敵陣外縁部にあるのはこれだけだ。お前から近い場所の七、いや六割壊せば、今の攻撃隊でも突入できるだろう』
『全力を出しても?』
『同盟には九年前にフルスペックがばれている。当時と同じ程度になら』
『よし、フォロー頼むぜ』
溜息交じりのリァシクに簡潔で面倒な仕事を押し付け、ゼライは都市跡に向け全速で飛翔を開始する。その間にもリァシクは司令部に、提案という名の宣言を行う。
『コーテックス。閃鉄単身による吶喊と、砲撃兵器の無力化を提案』
『こちらコーテックス。閃鉄とて現状無傷ではないだろう。単身なら撃破される危険性が非常に高い』
『もう動き始めている。それに、こちらの許容範囲内の運用だ』
『待――』
一方的にリァシクが通信を絶ち、ゼライとだけ通じたチャネルで聞こえよがしに溜息をつく。結局こうなるのだ、全く冗談ではない、と。ゼライの方こそ冗談のつもりはないこともわかっている。
ゼライの視界に廃墟をなす個々の建造物と、その下で蠢く影が入る。砲撃はますます苛烈になり、近づくにつれて精度が上がっていく。スラストを連発しても被弾は避けられない。痛手となる攻撃を優先的に回避。
やがてステルスの効果が全く見込めない距離にまで達する。敵陣到達までの数秒間、高度な火器管制による精密集中砲火。かいくぐるのに有利な要素は、兵器としては小さな鎧装体と、偏差射撃を攪乱するスラストのみ。
ゼライはさらに、継続的にミサイルを乱射する。起爆するまでもなく被弾、爆発し、その爆炎を出入りして突き進む。これで魔力、可視光、赤外線を用いた照準はいくらか困難になるはずだった。従来ならば。
ゼライは爆炎など意に介さない弾幕の洗礼を受ける。今回の敵の性質を思い返し、脳内で舌打ちする。
それでも彼はクヴァエレの本陣に突入した。ずたずたの全身に無数の弾痕、流血。右腕が肩口から消滅し、両足は高出力ビームパルスを受け一部融解している。目のセンサーシールドは、左のものに亀裂が入った。口を覆う可動式の装甲は半分剥がれ、歯を食いしばった口が露出。鋭い牙が晒される。
この程度なら戦える。ゼライは突入完了の旨を全軍に伝え、周囲のクヴァエレの群れを蹴散らし始める。修復を続けながら、無数の銃撃には機銃で応じ、勇敢にも飛び掛かってくる個体は刀か四肢で吹き飛ばす。
都市跡に沿って展開した敵陣の縁を舐めるように移動しながら、いくつもの砲撃兵器を破壊していく。無数の敵には目もくれず、ひたすら砲の類を壊して回る。常に包囲されている、少しでも動きを止めれば蜂の巣は避けられない。動いていても当たる、当たる。
誤射を嫌うクヴァエレは乱戦を苦手とするが、それでも単身で食い込んできた敵に打つ手がないわけではない。守備に就いていた上位個体まで現れる。
クヴァエレたちはしきりに、近くにいる仲間に耳障りな鳴き声を送りあう。まるで言語のようにも聞こえるそれは、人間にはうまく判別できない。一方で攻撃を受けた個体が上げる鳴き声は、わかりやすい生物の悲鳴に聞こえる。
鎧装の修復が徐々に追いつかなくなってきたゼライは、敵砲を一定数壊した段階でカレンデュラに通信を送る。
『おいカレンデュラ! 砲台はある程度片付けてやった、今のお前らでも突入できるさっさと手伝え!』
『っ仕方がないな!』
言いながらカレンデュラは残存する随行部隊を率いて前進し始める。声は笑っていた。司令部の指示を仰がない行動。しかしゼライの独断行動の結果を注視していた司令部は、既に方針を固めていた。
『コーテックスより攻撃隊。敵砲撃陣地を閃鉄が強襲中。各員突入し、閃鉄の救援に迎え。ツァンジェン、ゲール隊は前進し追って突入。各第二、第三攻撃部隊は丘の陰まで移動、前進用意』
助っ人に無茶はさせられないが、自分から無謀なことをやらかすものだから仕方なしに助けなければならない、そんな体をとるらしい。同盟にとっては真実そのものだったが。
実のところ、国家の基準でいってもこれほど危険な突撃は滅多にない。が、ゼライからすれば「たまにある」程度の状況。なぜなら、長い戦争の中でそれほどに危うい局面では、たいてい彼が投入されていたから。
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敵外縁部の砲台を大半破壊したところで、カレンデュラと随行のブレイズ隊、四〇八隊が到着する。満身創痍に見えるカレンデュラの動きには未だ鋭さが見られ、既に弱っていた上位個体を斬り捨てる。世界屈指の継戦能力。
随行部隊も合わせて三割弱、十一人生き残っている、驚くべき生存率と言わざるを得ない。内心舌を巻くゼライ。これならこの場を押し付けてもよいと判断する。
『ほらよ来てやったぞ』
『やるじゃねえか。その辺の食べ残しをくれてやる』
『こんなもの畜生も食わん』
『人間は畜生以下かよ』
軽口を交わしながらもゼライは移動し、別の砲撃陣地を襲う。やがて通信が飛び、通常戦力の攻撃隊が一斉に前進を始める。クヴァエレの上位個体は少ない。彼らに限っては、本当に過半が先の前哨戦に投入されたらしい。しかし、予備の砲台なども後方から出てくるだろう。早急に大部隊に来てもらわねば収拾がつかない。
リァシクから、支援要員が解析した状態を鑑みた警告。
『弾薬の生成一時停止、鎧装の回復を最優先に』
全く小休止を挟んでいないので余裕が無くなってきた。随行部隊を盾に後退すれば休めなくもなかったが、ゼライはその案を採らない。苦痛と疲労感は激しくなっているが、まだ深刻ではない。休むくらいなら随行部隊を支援する。
ゼドよりもずっと脆い体で敵に切り込む彼らに、ゼライは敬意を払っている。あまり表には出さないが。それに、国家最強の片割れとして、改めて力を誇示しておくのは無意味ではあるまい。
敵群後方に一瞬飛び、敵編成の情報を確実にして戻ってくる。常識的な戦力しか存在しない。ゼライは安心しながら、格闘戦になった個体の腹を斬り裂く。おそらくこれが最後の上位個体。止めを刺そうとすると、不意に敵が手首から矢のようなものを放つ。射出されたそれはゼライの肩に刺さった直後爆発する。ゼライは攻撃を中断してしまい、その間に敵は大きく間を取る。
彼はそれを追いかけはじめ、突如急制動で転進した。その個体がいきなり十文字に切断されたからだった。極端に細い曲刀。それを手に高速で飛び込んできたのは、深緑色の小柄の鎧装体。鳥類に似た頭部を持っているそれに、ゼライは見覚えがある、コールサインはツァンジェンだったか。
『横取りとはな。がっつくなよみっともない』
『貪欲は美徳だ。こちらではハングリー精神という』
落ち着いた女性の声。どの勢力でも戦果の取り合いは頻発し、ごく自然な流れで兵士同士の戦闘に繋がる。表向きよろしくないこととして罰するかどうかは状況次第。この場は文句で済ませて丸く収まる。ゼライには衝突する発想がなく、ツァンジェンもそれ以上煽りはしない。ともあれ戦域で建材のゼド三人が敵陣に食い込んだ。もはや負けはない。
手当たり次第に敵を葬る途中、ゼライが来た方角を振り返ると、遠くから大軍が迫ってきている。装甲車や飛行できる兵士が先行し、それ以外の兵士は高速で地を文字通り走っている。飛行よりも遅く、脚の動きも素早くはないが、一歩毎に跳躍するように長い距離を進んでいる。
それら全てが、ある程度ステルスを使用している。クヴァエレからは、荒野がちらつく霧に埋め尽くされ、それがノイズの轟音とともに迫ってくるように見えるだろう。今のクヴァエレは、普段よりもずっと少ないこの大軍を押しとどめる力すら奪われている。
ついに人類はクヴァエレに殺到し、蹂躙が始まった。敵にできるのは最早、後退しつつの迎撃のみ。"人類は接近しさえすれば強い"、その仮定が満たされた。兵士たちは敵意の塊となってクヴァエレに飛び掛かり、得物で斬る刺す叩く潰す、または自身の鎧装そのもので殴る蹴る。クヴァエレを押さえつけて自らの口部装甲を開き、各々異なる形の顎部で食い殺す者も少なくない。
クヴァエレに感情があるならさぞかし恐ろしいだろう。辺りは夥しい数のクヴァエレの死体で満ち、地面は鮮血に塗れていく。乾いた大気をクヴァエレたちの絶叫が震わせる。
ゼドは三人とも遊撃に徹している。目ぼしい大型兵器を破壊すると出番は終わったも同然。対空火器が沈黙しているので、ある程度高度を上げても安全になった。さらに時間が経過し、通常戦力の戦闘自体も佳境に入る。ゼライはようやく一息ついて状況を眺める。たった一戦で大きく消耗してしまったが、その甲斐はあったといえる。
同盟軍と国家の部隊が衝突しないかと気を揉むも、杞憂に終わるようだった。四〇八隊も他部隊と連携している。
(上位個体は今回だけで十五、六体。それほどの密度じゃなかったな)
上位個体の出現数は、通常の戦闘であれば数体から十体前後。大規模な戦闘では三十体ほど出てくる。今回は波状攻撃の中でかなりの数が襲撃してきた一方で、一度のクヴァエレ群に帯同する個体数はさほど多くなかった。
戦場の一角で、離脱途中だったクヴァエレの武装車両が襲われている。普遍的に見られる型だった。中から飛び出した個体はどれも他のクヴァエレとは違った装備を身に着けており、銃火器とブレードで必死に応戦している。兵士たちは数人殺されるも、間もなく全個体を排除する。
一人は両腕を落とされながらもクヴァエレの頭部に噛みつき、そのまま倒れこみ胴を踏みつけて引きちぎった。喉元まで左右に分かれた下顎を使って、器用にクヴァエレの頭を咥える。音を立てて咀嚼しながら、その兵士が通信で報告する。
『スプラウト1より全軍。敵の指揮部隊と思われる一群を排除した』
『コーテックス、了解。全軍、敵の戦術行動の変化に注意せよ。撤退を許すな』
そこからは何事も起こらない機械的な排除活動。作戦が終了するまで長くはかからなかった。ゼライは時折ふと、クヴァエレが哀れに思えてくる。人類にとって異質な敵、根絶すべき存在であるというのに。
奇妙な憐憫の理由は、その姿が人間と変わりないからだろうか。
いずれにせよ、敵にそのような感情を向けているのを悟られるわけにはいかない。戦況に意識を集中する。