新天地
熾烈な戦いだった。
ある日、星を覆う不可視の空間断層から出現したそれは、とある都市に落下した。その正体が知的生命体の船団だと判明して間もなく、都市周辺は彼らに制圧された。逃げ出すことができたのは都市人口の一厘にも満たず。
彼らは始め、自動化された兵器を凄まじい勢いで生産した。彼らは瞬く間に占領地を増やし、人類が対策を確立した頃には、既に広大になった占領地で彼ら自身が増殖し始めている始末。
全力を尽くし対抗する人類は、しかしさらに後退を続け、遂には星の八割が彼らのものになった。
絶滅の未来が迫ってきた人類は生き延びるために、あらゆる手を尽くした。
人権の縮小。人間の工場生産。
魔力面での素質があれど兵士に向かない者は、解体され魔力を生成するジェネレータに加工され。
ほかにも嘗て外法とされた行為が無数に、公然と行われている。このような所業への抵抗が急激に薄れたのが、今の人類という種族だった。
そう。生物種としての人類自体にも、様々な変化が齎された。肉体にも、そして、精神にも。
齎された変化は、どれも人類が敵と戦うにあたり有利に働くものだった。挙げればきりがないが、戦前と比べると、今の人間は別の生き物のよう。
もっとも、数々の変化は人類自らが意図して引き起こしたものではない。原因は、今も昔も全くの不明。
とにもかくにも、これらの変化と努力のおかげで、人類滅亡一歩手前で、戦線は膠着した。
開戦以前から世界を統治する三大勢力、『国家』、『同盟』、『連合』は、結局全て存続している。接続した領地を保持する同盟と連合は手を取り合って。周囲を包囲され孤立した国家は、他以上に手段を選ばないことによって。
人類と敵が技術停滞期を迎え、長い年月を経て反撃に打って出た人類。彼らがクヴァエレの支配地域を縮小させ、取り囲むのには、反撃開始からさらに長い年月を要した。
そして、その段階にも区切りがついたのが、この日だった。
♢♦♢♦♢♦♢♦♢
リァシクとの会話もなくなったゼライがこれまでの戦いを振り返っていると、小型機が目的地に到着する。
昼の戦場からは離れているが、新たな拠点となる地もまた荒れ地に囲まれている。ゼライはやや落胆する。テウダアテはクヴァエレの拠点跡地に築かれた基地と、それに隣接する要塞都市だった。兵士からの需要を当てに人が集まって形成された街。そのもう一つの側面は前線の物資集積地であり、住民は襲撃を受けた際の囮兼足止め要員を兼ねていた。
都市部の端、クヴァエレが侵攻してくる方角を向いた一角に基地本部はある。指向性の誘導灯がディスプレイ越しに目に映る。
輸送機は滑らかに着地し、管制室の指示に従い駐機場まで移動させられ、ようやく機が停止した。
降り立ったゼライを、肌寒い風と基地司令部の将校たちが迎える。緊張した面持ちで敬礼する彼らに、ゼライは鷹揚に返礼する。一人の女性将校が進み出て握手を交わす。
「テウダアテ基地へようこそ、ゼライ・レクサニーツ。当基地副司令、ライカ・シアヴァラフです」
「大層な出迎えだな。これから世話になる、よろしく」
「こちらこそよろしくお願いいたします。これから貴官には、まず司令への着任報告をしていただきます。次いで私が基地の主要設備を、簡単にではありますが案内させていただきます」
「了解」
「貴官のお荷物は既に私室へ運ばれております。当方と一広打、二広打両隊隊長との交渉の結果、貴官はアイサ=レイイ・レクサニーツと同室となっておりますが、よろしいですね?」
「おう、それでいい。ありがとうよ」
ぞんざいな口調に反し丁寧に頭を下げるゼライ。ライカと名乗った将校が、ゼライの左袖から微かな光と煙が漏れているのを見て問う。
「お望みでしたら、先に治療区画で修復処置を行いますが……」
「いらん。明日の朝には元通りだ」
未だ生地から手が見えないままの腕をひらひらと振る。常人であれば万全の体調でも、元に戻すのに何日もかかる損傷。しかしゼライは、まるで服のボタンがとれたかのような調子だった。ライカは羨ましいような、呆れたような心持ちになるのだった。
ライカに連れられて、基地の中を移動するゼライ。
基地の中は広大で、多種多様な区画からなる。役割も階級も異なる大勢の兵士たちが、慌ただしく行き交っていた。主だった通路は大柄な人間の倍ほどの高さの天井を持っている。特に道中、横に長いホール状の開けた通路は、通常の建築物の三階分ほどの高さがあった。
トラムやエレベータを乗り継ぎ、基地中枢部にたどり着く。
♢♦♢♦♢♦♢♦♢
ゼライが通された執務室の中では、男が椅子に腰掛けていた。小柄な体躯のせいで、椅子が不釣り合いに大きく見える。初めが肝心とばかりに作法通り敬礼。
「兵衛、第二広域打撃部隊所属、ゼライ・レクサニーツだ」
「我がテウダアテ基地へようこそ。基幹国軍西部方面軍司令、コイレイ・イェナレドだ。階級は中将……だが、貴官を同格として接するよう通達を受けている。よろしいか?」
「ああ。下手にへりくだられても居心地が悪い」
「昼の戦いについての報告は聞かせてもらった。よくやってくれた」
「あの程度で褒められても困る」
「噂通りふてぶてしい男だ」
鼻を鳴らすゼライに、くぐもった笑い声を返すコイレイ。ゼライの態度は実際には作られたものだったが、彼は気づかない。
立ち上がったコイレイと握手しながら、ゼライは彼を観察する。見た目に反して低い声をしていた。経験と苦労が滲み出ている声音。
指揮能力に秀でた者たちは前線から離れ、指揮官としてのキャリアを積む。敵に殺されることはなくとも、その中で上り詰めていけるのは並大抵の人間ではない。競争は激しく、脱落すれば前線送り。そして脱落せずとも"戦死"は珍しくないのだ。
「一広打の『牟顎』アイサに加えて、二広打の『閃鉄』ゼライ。国家の最高戦力を両名とも迎えることができて光栄だよ。特に私は養育施設にいたころ、同盟との接触戦を戦況報道で見てね」
「それくらいの歳か。比較的若いな」
「ああ、若造だ。貴官の名はその時に覚えた。開戦時から三百年以上戦い続けている伝説の兵士。東部のクヴァエレを同盟の英雄と協働して駆逐した、国家最高戦力の片翼だと」
「おだてたくらいじゃもう何も出ねえよ。だらだら生き続けている搾りかすの爺だ」
「謙遜を。長寿は誇るべきものだ」
人間の身に降りかかった異変の一つが、"寿命"の喪失。開戦間もなく、人間は二十歳前後で成長・老化が凍結するようになった。おかげで人類側の人的資源は、過去とは比べ物にならないほど豊富になった。
ただし、殺されれば死ぬ。そして寿命がなくなっても、人口は増えてはいない。
今の世で実際に生き続けられるのは、少数の例外的な存在だけだった。
「しかし、隊長でもない俺にわざわざ挨拶させてくれるとはな」
「兵衛の中でも、貴官がアイサと並んで特別な立ち位置にあるゼドであることは承知している。最大限の礼を払わせてもらおう」
「そいつは恐縮だ」
何も恐縮していない声音で、怠そうに答えるゼライ。しかし不満があるような雰囲気でもない。
人類の中にはごく少数、図抜けて強大な魔力を持つ者が存在する。それらはゼドと呼ばれ、戦争の要となる個人戦力だった。特に上位のゼドは、単身で戦局を左右し得るほどの力を持ち、時には英雄と讃えられる強者。
他のゼドと比べて何か違いを感じたのか、コイレイは少し考え込む素振りを見せた。それから、挨拶もそこそこに本題に入る。
「そちらの隊長より先に来てもらったのは不測の事態に備えてのこと。今ここで、状況を簡単に説明しておこう」
「聞かせてくれ」
「君たちの任務は拠点領域から侵攻してくるクヴァエレの迎撃。必要に応じて包囲網を形成する他基地の支援。場合によっては同盟や連合への救援もある。というと忙しく聞こえるが、国家の戦力の多くがこの包囲網に集中することになる。ゼドの、特に君たちの出撃ペースは、これまでよりは余裕のあるものになるだろう」
「そりゃありがたい。ああそうだ、包囲網ができたことで色々と体制が変わるらしいな。俺たちの作戦計画やら出撃調整はどこの主導で?」
コイレイの表情が固くなる。彼は一呼吸おいてから応えた。
「君を含む兵衛のゼドの扱いは、今まで通り要帝陛下がお決めになった運用指針に沿う。改めて我が方面軍にお貸しいただいた形になるわけだ。具体的な個々の活動は我々司令部と各部隊長が折衝して決定し、一広打隊長兼兵衛督のウウナイ・サイツェラクが裁可する」
ゼライは目の前の男から、うっすらと刺々しい気配を感じた。
「君たちは基幹軍に属していない、これもこれまでと変わらない。勿論私は指揮権を持たない」
コイレイの顔は不満と警戒心を隠そうともしていない。聞かされた内容と自分が前もって持っていた情報に齟齬がないことを認めた上で、ゼライがコイレイの態度を笑い飛ばす。
「既に兵衛の一部の面倒を見てるだろう? 全員揃うからと言って、そうピリピリすることはねえよ」
「これまでの対クヴァエレ戦において、貴官らの独断専行で軍に被害が及んだことは一度や二度ではない。安心して協力できないのは、分かってもらえるだろうか」
コイレイの理知的だが率直な物言いに、ゼライは好感を持った。彼にはコイレイの胸中がよく理解できる。作戦の要になる戦力が軒並み自分の隷下でなく、土壇場で独自行動を始め得るというのは、眉間の皺を深める要因でしかない。
ゼライの属する『兵衛』は小規模ながら、正規の軍隊『基幹国軍』とは独立した組織。厳密には軍ですらない。
国家の頂点に君臨する存在が保有する武装集団。有体に言えば、私兵組織である。総勢百六十余名、直接戦闘を行うのは、たった十人余りのゼド。
ゼライは過去の自分たちの所業を思い返す。
兵衛は現地の軍の指揮に、"基本的には"従ってきた。一方で強制力のないそれを無視したり、逆に基幹軍の指揮系統へ介入することがあったのも事実。自分に関しては大局的に見て全て適切な判断だったとゼライは信じているが、傍から見ればとんだ無法者の集まりである。
結果的に軍に局所的な被害が及ぶことも当たり前のようにあり、兵衛を忌み嫌う者が少なくないことは当然彼も承知している。
「そう言われると返す言葉もないが、お前らが大人しく指示に従えば丸く収まることも多いんだぜ? まあそれはそれで立場上難しいだろうがな。……そう殺気立つなよ。わかったわかった、ぎりぎりまで自重するよう俺からも言って聞かせておく。敵を無闇に作らない方針で動くよう、改めて念をしておこう」
「配慮してくれるかね。約束してもらえると非常に助かる」
「この話のためにわざわざ呼びつけたんだろうが? 俺が言って他の奴らが聞くかは知らねえ。というより俺自身も比較的マシなだけだ……。それに、基幹軍側からちょっかい出してきた場合はどうなっても知らん」
「いいだろう。こちらとしても貴官らと敵対するのは避けたい。意見を違えることはあろうが、軍の維持のためにも、対等な友人でありたいものだ」
深刻な顔で頷くコイレイ。その後もいくつかの事柄を確認しあう二人。最後に改めて、翌日は待機、すなわち緊急時を除いて休日だと告げられる。ゼライの消耗が激しいことと、クヴァエレの活動は今は落ち着いていることが理由だという。
「さすがのクヴァエレも、向こうの防衛とここへの攻撃でかなりの戦力を失ったか」
「三、四日あればまた押し寄せてくるだろうが、こちらが体制を整えるには十分だ。今回喪失した人員と物資も、内地から滞りなく補充される」
「二箇所であれだけ長期戦やってもまだ少しは余裕がある。随分と楽な戦争になったもんだな」
「この状況ならば人類が負けることはまず無いだろう。拠点領域はいまだ汚染の問題があり、戦力の均衡も保たれている。しかし、攻略の目処がつくのは時間の問題だ。クヴァエレ殲滅に向けた最後の仕事を共に、よろしく頼む」
「生きている間は応えよう。こちらこそよろしく」
握手する二人。何も気負う様子のないゼライの笑顔と対照的に、コイレイは少しばかり固い笑みを浮かべる。
打合せが終わり、ふとコイレイが思い出したように言う。
「しかし知っての通り、クヴァエレの戦力供給は追いつめられるにしたがい増強されてきている。貴官がいつでも特定のゼドと、揃って休息できるとは思わないでくれ」
「仕事だろうが。そんな配慮はあてにしてねえよ。ま、少なくとも今日明日は家な――あー、アイサと一緒にいられるのはありがたい」
ゼライは段々浮足立つ内面を隠し、平静を努めて言う。一方のコイレイはきまり悪そうな顔をしているが、ゼライは気付いていない。
「さて、待ちに待った再会だ。今晩はゆっくり二人で明日の予定を――」
「ああ、水を差すようで申し訳ないが。つい先ほど連合から救援要請があってね、まだ余力のあった彼女を送った」
♢♦♢♦♢♦♢♦♢
執務室を辞した後、ゼライは不貞腐れて基地を案内されていた。
人間、目前に迫った楽しみをお預けされるのは特に堪えるものである。長い年月を生きた彼でもそこは多分に漏れない。憮然とする傍ら、ライカが説明する細かな規則を頭に叩きこんでいく。
「――ですので、市街地でこれらの違反行為を働いた場合、一時的に身柄は保安隊の管轄下に移ります。軍人、市民を問わず他者の違反行為や違法行為、特に私闘への介入は、他の規則に反しない限りで認められます。ただし保安隊到着後は、彼らの指示に従ってください」
「私闘か……多いのか、ここでも?」
「死体が転がっていない日が珍しいくらいですよ。この地を奪還して都市を作ってからずっと増加傾向にありますし、たまに暴動なども起きます」
「あまり内地の都市と変わらねえな」
ため息をつくゼライを、ライカが不思議そうに見る。ややあって彼女はゼライに纏わる風評を思い出して得心する。
国家の最高戦力の片割れにして、暴力や殺人を嫌う異常者の一人。
それが軍内部における彼の評判だった。
彼が生まれた当時は、本当にこんな人が普通だったのか。ライカは信じられない心持ちになる。昔の人類は多くが彼のようだったと伝えられているが、彼女にはかつての世界が想像できなかった。
あの人も同じなのだろうか。ライカは以前から基地に駐留している女性を思い出す。数度しか会話したことがない、もう一人の国家最強。彼らが"夫婦"なる関係であることは多くの人が知っていたが、ライカを含むほぼすべての人間には、それも理解不能な関係だった。
ゼライはそんな彼女の内面など知らず、これからの日々に思いを馳せるのだった。