終わりの始まり
地平線まで澄み渡る青空の下、起伏に乏しい薄橙の砂漠が映える。時折吹き抜ける風のために、そこかしこに濃淡の波が拡がっていく。波の狭間の所々には、人工物の痕跡……劣化した建築物や街路の残骸が目につく。
その不毛な大地の上を、いくつかの影が一直線に進んでいく。遠目には黒い点にしか見えないそれらは、超低空飛行する航空機だった。堅牢な造りであることが窺える無骨な外形に、黒の塗装。機体側面には、星のような幾何学模様が黄色で描かれている。
人間であれば二十人は乗れるであろう大きさの機体の中では、軍服を着込んだ男女がベンチに腰かけている。一見して兵士とわかる集団。彼らはみな、一様に目をぎらつかせていた。
全ての輸送機に搭乗している兵士たちに、彼らの指揮官から通信が入っている。内容は作戦の最終確認。刻一刻と変化する戦況が逐次報告されるため、作戦開始直前にも短いブリーフィングが行われる。
『――の通り、敵未確認兵器の砲撃により、現在我が軍の優勢が崩れつつある。諸君に課される任務は、軍主力と衝突している敵への側面打撃、並びに敵右翼へ突入する閃鉄の支援だ。着地後速やかに敵外縁部の重装部隊を排除し、奥まで浸透。主力と挟撃する形で敵を崩せ』
ディスプレイに現在の戦況と友軍の被害概要、判明している限りの敵戦力分布が地図とともに表示される。遠い昔に彼らの都市が存在した場所。なだらかな山脈により砂漠から隔てられた土地は、敵の大規模軍事施設と化していた。
『閃鉄が当該兵器を沈黙させ次第、我が軍は再度一斉攻勢に転じる。そこからは、当初の作戦の第三段階に沿い行動せよ』
図上に輸送機の航路の変更が示される。更新された航路は、敵基地からの射界を山脈で遮るように定まっていた。
『本作戦成功の暁には、敵――クヴァエレは拠点領域外最後の基地を失い、三勢力による包囲網が構築される。これは奴らを根絶するための決定的な一歩だ。長きに渡る戦争を我々の代で終わらせられるか否かは、諸君に懸っている。健闘を祈る』
通信が終わった後、兵士たちは溜息混じりに言葉を交わす。彼らにとって戦いは日常の延長であり、今更自身や同僚の生死を深く意識するものはいない。
「砲撃兵器はもう全部潰したんじゃなかったのかよ……。結局、また敵陣の真っ只中に突撃だ」
「まあいいじゃないか、いつも通りなだけだ。周り全部敵なら、適当に撃って斬ってしても当たる。気楽なもんさ」
「いくら国家の歴戦、第三○二遊撃大隊といえど損害は出るんだぞ。それにこの前の補給線切る戦いで、面子が三割近く入れ替わっている。どうせ新入りどもが足引っ張るぜ、クソッタレ」
「中隊長、この隊での経験が浅い我々とて、それなりに実戦を知っております。我々への評価は作戦終了後にしていただきたい」
「言ったな、マズったら作戦後にぶち殺してやる。ちゃんと生き残っとけよ」
輸送機の一つの中で無駄口を叩く中隊長が図に変化を捉える。レーダー上で、兵士たちを乗せた編隊の斜め後方から、小型の反応が追いかけてきている。速度は輸送機を上回り、少しずつ距離を縮めていた。
「っと――我らが切り札のお出ましだ」
「先の指示、彼が作戦に失敗したらどう動くか通達されませんでしたが」
「この状況で閃鉄がしくじるようなら作戦もクソもない。俺らも十七連も、他の奴らもみんな撤退だ……できるもんならな」
「大半は撤退するまでもなく死ぬか。また中々に閃鉄様頼みの戦局だねぇ」
副長の皮肉めいた口調に、中隊長が苦笑する。彼は戦線における自分たちの重要性を疑ったことはない。しかしそれでも、作戦の要は自分たちでなくソレであることをよく理解していた。
「気に入らんか」
「そりゃあ。あいつらが戦場の花形なのはいいとしても、いざ危なくなったらあっさり撤退許可が下りるんだ。僕らは十中八九、あいつらの撤退を助ける捨て駒にされるっていうのに」
「魔力の強さが命の重さってのはしゃあない。俺も腹立つがな。ただ、閃鉄に限っては撤回許可貰ったことも、実際に逃げたこともほとんどないぞ」
「本当に?」
「あいつの態度は鼻につくが、実際国家で最もきつく、長くこき使われてきた奴だ。機会があったら詳しく戦歴調べてみろ、無理難題押し付けられてばかりで泣け――」
突如機内に警報が響き渡る。それを受けて兵士たちは一瞬で意識を戦闘に最適化する。慣性が緩く制御された機内が揺れる。回避機動。
『作戦領域付近から砲撃を受けている。山脈の隙間越し、予測射界と食い違っている』
副パイロットの通信が終わるのとほぼ同時に衝撃が機体を揺さぶる。直後に天地が回転し始めたのを感じた中隊長は、正確に事態を察知し指示を飛ばす。
「後ろの奴、ハッチ飛ばせ、脱出して鎧装体に移行!」
兵士たちは素早く固定具を解き、機体後部のハッチを操作し緊急脱出の手順を踏む。全員、上下が目まぐるしく入れ替わる状況下でも、機内の構造に掴まり要領よく移動する。ハッチが機外に吹き飛ぶや否や次々と兵士が脱出し、最後に中隊長が飛び降りた。
宙に身を投げた彼の下方で、部下たちが次々に閃光を発する。光が収まった後、彼らのいた空間には、金属質の体表を持つ怪物が出現していた。人間よりやや大きな異形たちは、概ね人型でありながらも人外じみた特徴を有している。
変容した部下たちを確認すると、中隊長もまた戦闘用の異形に肉体を再構成する。それから、降下中周囲を見渡して通信を飛ばす。
『全員、作戦領域まで低空飛行。小隊単位で固まれ。……パイロット、生きているか。なぜ撃たれた?』
『敵兵器は高い移動能力を持つようだ。それで想定より早く捕捉された。輸送機隊は全滅だ』
中隊長は心の中で舌打ちし、地表を目指しながら背後を見やる。怪物としての肉眼に、幾つもの火の玉が映る。輸送機の三分のニほどは、兵士の脱出前に爆発した様子。残りもみな撃墜され、兵士が降下している。まだ作戦領域までは距離があるというのに。
さらに、遥か後方にも黒煙が認められた。彼らの切り札を乗せた機体も撃墜されている。
地上すれすれを、魔力を利用して飛行する隊員たち。彼らの魔力では輸送機の七割程度の速度しか出せない。彼らからやや離れたところにも、生き残りの部隊が地を滑るように進んでいた。中隊長は脳裏で兵装を確認する。ライフルにグレネードランチャー、そして白兵戦用の剣。全てまだ実体化させていない。上位の大隊長からの指示を受けた彼は、部下たちに伝達する。
『作戦は変更だ。閃鉄と我々の速度が違いすぎるため、奴さんは我々の支援を待たず敵砲撃部隊に接近する。よって任務から閃鉄の援護を外し、敵の攪乱と軍主力との挟撃に専念する』
通信を受けた兵士たちの反応は様々、ある者は負担が減ったことを密かに喜び、別の者は貸しを作る機会を逃したと悔やしがった。
輸送機抜きで進行するとなると、敵に防備を固める時間を与えてしまう。先方は、支援を当てにして自分たちと歩調を合わせるよりも、敵の防御体制が充実する前に単身突入した方が勝算があると判断したのだ。
中隊長が率いる一団に、影が高速で近づく。
彼らと似た、概ね人型の怪物。しかしその形は大きく異なっていた。黒に近い紺の装甲。猛禽類と爬虫類を掛け合わせたような頭部。一対の細長い眼窩を、黄色のセンサーシールドが覆っている。
中隊長は、亜音速で追い越していくそれと一瞬目が合ったように感じた。
(悪いが、勝手にやっててくれ。できるだろう、あんたなら?)
彼らを置いて戦域へ飛翔する黒紺、識別名・閃鉄は、現代の戦争において単身で戦況を覆す化け物。
彼らを運用する『国家』の最高戦力だった。
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この世界の人類の歴史上、戦争は何ら特別なものでない。
現代まで続く文明が興ってしばらく経った頃から、小さな小競り合いも含めると常に世界のどこかしらで起こっていた。
しかしそれらは十年もすれば目的が果たされ、あるいは情勢が変わり終結するものであった。
現在彼らが経験している戦いは、過去すべての戦争と異なる狂気。
百年単位で続いてきたそれは、正体不明の敵性存在との絶滅戦争だった。
♢♦♢♦♢♦♢♦♢
夕日が照らす大地に、冷え込む空気が夜の訪れを知らせる。朱色の天地の中で広がっている紺と灰色の領域では、戦闘の跡始末が行われていた。
兵士が行き交い敵の死骸や兵器の残骸を片付ける。即席で作られた野戦医療所へ負傷した同僚を運び込む。破壊された施設を調査し、自軍の基地へと改修するために、周囲の地質や敵施設の被害状況をまとめる。
クヴァエレと名付けられた敵は、自身たちの支配地域を汚染し、堅牢な基地施設を構築する。人類が戦闘に勝利した場合には、それらのうち活用可能な施設を最低限除染した上で流用することも多い。
慌ただしく作業する兵士たちを後目に、一機の小型機が基地跡から上昇する。それに気づいた者たちは皆一様に見上げ、中にはおどけて敬礼を送る者や、悪態をつく者もいる。
小型機は戦場跡を離れ彼方へ飛び去っていった。
その機の収容スペースでは、一人の男が内壁に背を預けて座っていた。赤みがかった黒髪をもつその男は青年と呼んで差し支えない容姿。顔立ちが整っている一方で、鋭い目つきが険の有る印象を与える。
着込んでいるのは深緑の軍服。二つに割れた三日月を描いた襟章をつけ、右肩には「6」を表す記号が白であしらわれている。本来であれば小綺麗にすら見えるその服装には、いたる所に血が滲んでいる。
足を組み、くたびれた表情を浮かべるその男は今、説教を受けている真っ最中だった。
『聞いているのかゼライ』
「さっきからずっと聞いているだろうが。終わったことでいつまで騒ぐんだ」
『独断で動くのは今に始まったことじゃない。だがあれはないだろう。私の制止まで無視して、わざわざ死にかねない戦術を。おかげで指揮所の連中は全員、あの数十秒心臓が止まる心地だった』
「よかったなぁ無駄な心配で心臓が止まらなくて。あそこで俺が退いて仕切り直せば、被害はあんなもんじゃ済まなかった」
『だからといって――』
「実際うまくいっただろう? あの場は押し切れる確信が持てたと言っているんだ。天下の閃鉄が信じられねえか?」
『お前先月も読み違えて死にかけただろうが』
「……」
通信は映像を伴っていないが、ゼライと呼ばれた男は虚空に目を泳がせた。敵の要となっていた砲撃部隊を単身撃破し、満身創痍で生還した彼を待っていたのは、オペレータからの戦い方に関する小言の嵐だった。彼は勢いのない声音で話す。
「大体な、リスクの話をするんなら、今回の作戦自体が危ない橋だっただろうが。こっちは既に他のゼドと組んで、上位個体の群れを相手していたんだ。それが片付いた後こっちを手伝わされる、とは確かに聞いていたがな、それでも、消耗した身で単機突撃は無茶苦茶だ」
『論点をずらそうとしても無駄だ。まったく……危険だとわかっているなら、自分からリスクを増やす真似をしてくれるな。他の兵士はともかく、お前は替えが効かんのだぞ』
面白くなさそうに鼻を鳴らすゼライ。通信相手は尚も続ける。
『それと、本来なら単機突撃とはならないはずだった。ただ、上位個体群の陽動と撃破で、お前以外のゼドは全員戦闘不能になったのでな』
「全てあの愚図どもが悪いわけだ……。とにかくだ、あの場でああ判断して動いた訳はそれなりにある。後で体裁整えて作文してやるから、期待していろリァシク」
『他所に言い訳が立つよう、しっかり書いてくれ』
通信の向こうで相方リァシクがため息をつく。専属オペレータとして戦う彼の仕事には、ゼライの作戦中の行動責任を負うことも含まれる。そのために幾度となく頭痛と胃痛を感じてきた彼は、今回は真っ当な理由が報告書に載るらしい分ましだと自分に言い聞かせる。
血塗れのゼライのコートの左袖は付け根から萎んでいた。危ない橋を渡り切った代償は、魔力の衰弱と左の肩から先だった。敵基地に向かう前に大規模交戦を経て消耗していた彼には、もう左腕をはじめ肉体の損傷を瞬時に再生できるほどの魔力が残っていない。さらに不愉快なことに、人の姿に戻っても苦痛は止まらない。
全身の傷口からは薄く光の粒子と煙が立ち上っている。滲んだ血液は剥がれて蒸発するように空へと消えていく。この分なら左腕以外はもうじき復元できるだろう。
ゼライは続いて非実体化している装備に意識を向ける。これらも魔力不足のために、破損したまま放置されている。腕が治り次第、修復と弾薬の生成にかからなければ。
怪我人への説教に飽きたのか、リァシクがオペレータとしての話を打ち切る。僅かばかり冗談めかした口調で、付き合いの古い友人としてからかう。
『まさかとは思うがお前、決着を焦ってあんな無謀な真似を? 勘弁してくれよ、いくら早くアイサに会いたいからといって、やっていいことと悪いことが――』
「んなこと考えている余裕無かったわ馬鹿野郎。輸送機が落とされた時に、全部頭から吹っ飛んだぜ」
『あれはあれで肝を冷やした瞬間だったな。奴ら妙に目が良かった。ともあれ、これで対クヴァエレ包囲網が形成され、お前たちはめでたく異動先の前線基地で合流するわけだ。直接会うのは何時ぶりだったか』
「人類の攻勢が始まったとき以来だからなぁ、長かった…………が、ぎりぎり百年かからなかった」
感慨深げに息を吐く音が通信に入る。少し間を空けて言葉が続けられる。
「しかし本当に生きて再会できるとはな。我ながら実感が湧かねえ」
『だろうな。いつ死んでもおかしくない環境に、何十年と身を置いてきたんだ。よくやったよお前たちは』
「生真面目なクソガキだった奴も、今やこんな偉そうな口をきいてきやがる」
『反撃戦が始まった頃には、既に私もベテランだったが。耄碌したか』
「確かに説教はもっと昔からされていた気がする……。それより他人事みたいに言うなよ。戦いに関しては、付き合っているお前らも苦労してきたろうに」
『そうだな、感謝してくれよ。何にせよ、私は二人の行く末が明るくなるよう応援しよう。お前たちは共通の友人でしかも、今や世にも珍しい"夫婦"とやらだからな』
「そいつはどうも」
気怠気に言うゼライは、片手で壁の隅にあるパネルを操作する。壁の一部がディスプレイに変わり、小型機のセンサーがとらえた外の景色を映し出す。既に夕日は完全に沈み、空には無数の星が瞬いている。一方で大地は重苦しい闇に覆われている。
『当のアイサはテウダアテ基地前方の防衛任務を終え、既に基地に帰投している。お前の荷物は出撃直後に全て送っておいたから、彼女が受け取っているだろう』
「そりゃよかっ――全て? 先に送るのは必要最低限のものだけだったはずだ。ちゃんと箱に目印つけてきたぜ」
『元々成功する公算が大きい作戦だったのだ。お前がいち早く新生活を始められるようにという、ささやかな心遣いだ』
「攻略に失敗して戻ったらどうなっていたんだ」
『もとの部屋は既に埋まっている。閃鉄殿は通路に転がって寝る手筈だった』
「お前もお前で大概にしろや……」
ゼライの脳裏に、肩を竦めて薄ら笑いを浮かべるリァシクが浮かぶ。おどろおどろしい声の抗議にも、彼は飄々と返す。
『お前じゃないが、うまくいったからいいだろう。私は雑用を片付けていくので、基地に着くのは三日後になる。代理オペレータとしてリーリと手伝い数人を一足早く送るが、大した戦闘はないかもしれん。その間、イチャついているのはいいが書類仕事も忘れるな』
「わかってるって」
『あと、向こうにいる面子に合流して、早々にトラブルに巻き込まれるのはやめてくれ。異動してしばらくは、笑顔で過ごしたい』
「お前はあいつらを何だと思ってんだ」
『国が誇る問題児ども』
力なく笑う二人。その後もぽつりぽつりと言葉を交わす。電子端末で報告書を作成し、続いて異動に掛る書類も完成させて、これから赴く基地に送信する。
人類の敵との戦争が始まってから、長い年月が経過した。開戦時に生きていた者は、今となっては片手で数えるほど。それでもここまで来た。
終戦まであと一息。
ここは、戦火と敵意に蝕まれた世界。
その中で平穏を求める一人の男が、戦い続けている。