【メッセージ】
――わたしは、彼のことが好きだ。
だけど、臆病者だ。
わたしは部屋の中。
机の上で突っ伏している。
手に持っているのはケータイ電話。
でもってメールを打っている最中で、相手はわたしのクラスメート。
内容が……。
そういうわけです。
告白しようと思ったのが8回。
電話で伝えようとしたのが5回。
メールで打とうと思ったのが3回。
内一回が、たった今更新。
ダメだったのが、全部足した数。
ダメだ。
ダメなのはわたしだ。
臆病です。
チキンです。
ニワトリよりも駄目なわたしです。
どうしよう。
どうしたら、この思いを伝えられるのだろう。
そんな風に悩みながら、わたしは今日も眠れない夜をすごすのです。
いつものように、朝はおとずれる。
わたしの悩みなんて、地球はちっとも気にしない。
今日の降水確率は90パーセント。
今日の運勢は……いて座は5位かぁ……。
ラッキーカラーはブルーね。はいはい。
パンを口に入れて、ぬるいカフェオレで流しこむ。
「いってきまーす」
制服姿のわたしはドアを開けて学校に。
外は快晴。見事な日本晴れ。
……偽者だけど。
ここは地下53階の地下都市エリア。鏡で太陽光を取りこみ、LED大画面映像で空を映し出す。
人が増えきった世界。土地の限界。
そこで人々は、地下に居場所を求め始めた。
それが、ジオフロント計画。
いまや人類はトンネルでつながりあい、どこでもトンネルでいけるようになったわけ。
飛行機だって、地下をトンネルで飛んでいく時代なのだから。
うんうん。まったく便利な世の中だ。――そんな風にお父さんが言っていた。
わたしはトンネルの中を走っていく。
冬だからコートにマフラーを使ってるけど、カイロは要らない。
トンネルの中は、いつでも冷暖房完備で、暑すぎることも寒すぎることも無いからだ。
幼稚園児を連れた保護者。腕時計をにらむサラリーマン。
いろんな人とすれ違いながら、わたしは団地の公園を歩いていく。
――学校に近づいていく。
坂道の歩道をゆっくりと進む。
ときどき横切る電気自動車の風が、わたしのマフラーをふわりと揺らした。
――学校に近づいていく。
見えてくるのは、二年間見慣れた校舎。
うちの、学校。
――彼に、近づいていく。
空気は暖められているのに、なぜか息をするのがつらかった。
「何してんの? お前」
教室で、彼が話しかけてくる。
「……勉強」
ぶっきらぼうな口調で、わたしは答える。
色気のない自分の声が、こんなに恨めしいと思ったことはない。
「少しは遊べよ。俺、お前が遊んでるの見たことないぞ」
「うるさいなぁ」
言いながら、彼はわたしの机に行儀悪く座る。
「塾まで行かなくていいだろ。そんなに偏差値低くねーんだから」
「……中間テスト2位」
「は?」
「こないだの中間テストで2位の人に言われたくありませんー」
わざと語尾をのばして、いやみっぽくわたしは言ってやった。つくづく自分が嫌いだ。大嫌いだ。
「ひでぇ言いよう……」
苦笑しながら、彼はわたしから顔をそらす。
それだけで、わたしの心は千切れそうになる。
もしかして、もう愛想をつかれたんじゃないかって思ってしまう。
そんなことないのは分かってる。
あなたの顔は笑ってて、三分もすればけろっとしてまたわたしに話しかけてくれるんだから。
それでも不安はぬぐえない。
分かってる。
一生懸命勉強して、あなたと同じ塾に行っても、それだけじゃ意味がないってことも。
わたしが素直になれないのがいけないんだってことも分かってる。
もっと愛想良くすればいいってことも分かってる。
分かってるのに、そんな簡単なことすら、わたしにはできない。できないの……。
「ところでさ……」
彼は、何も気にしていないという風に話しかけてきた。
それが嬉しいはずなのに、どうしてこんなに苛立たしいのだろう。
どうしてそんなに遠慮がないのよ。
何でそんな風にずかすかとわたしの場所に入りこんでくるのよ。
もしもあなたが話しかけてこなくなったら……自分からしゃべる勇気なんて、わたしには無いのに……。
「おーい、小林ー」
遠くから、男の子の声。たしか彼の友達だ。
友達を見たとたん――なぜか――彼の顔が険しくなる。
「日下部くーん。ちょうどいいところに来ましたネー」
なぜか丁寧な口調。だけどどこかおかしい。
まるで、怒りを隠しているのだけれど隠しきれていないような、そんな口調。
獰猛に歯をむいた威嚇的な態度で友達に迫っていく。
「うわー……やーっぱり怒ってるー?」
彼の影に押しつぶされそうになりながら、友達はじっとりと脂汗を浮かべていた。どうやら心当たりがあるらしい。
まるでジョーズかティラノサウルスににらまれているかのように、友達は動けないでいる。
で、その恐竜のほうはとてつもなく怒っていた。今にも頭が噴火しそうなほどに。
「今日の大休憩に屋上で待ってろって、お前言ったよな?」
「ハイ。言イマシタ」
閻魔大王に裁かれているかのような口調で、友達がカタコトに答える。
「で、俺は行ったんだよ。友達が言うんだから行くべきだよなァ? そうだろう?」
「ハイ。ソウデス」
「で、屋上まで行ったんだよ」
「ソレハヨカッタ」
その言葉を引き金に、彼は友達の胸倉をつかんで引き寄せた。
友達は凍りついているけど、彼は燃えている。
「お前、何でいなかったんだ?」
「ワー。何ノコトデショウ」
「とぼけるなコラ」
「……何があったの?」
これはわたし。
なんだか、気になったから。
「お前はいいんだよ」
しゃべらない彼。
「女の子に告白されたの」
あっさりしゃべる友達。
…………え?
今、何て?
「……どうして?」
震えているのは、どうにか隠せたと思う。
「だからお前はいいんだよ」
彼は拒む。
「僕が頼まれたの。こいつ、屋上につれてきて欲しいって」
友達はしゃべる。
「なんでお前は言うんだよ!」
「誰なの?」
わたしは問う。
「知らねー女」
「一之瀬綾さん」
「すまん、殴っていいか?」
「……一之瀬さん?」
「そう」
わたしの質問に、友達はうんうんと首を振る。
「D組の?」
「そう」
「中間テスト一位の?」
「そうそう。あの娘」
「一之瀬さんが?」
「そう」
「したの?」
「したの。告白」
知ってるの? そう友達は聞いてきた。
知ってるよ……。
だって塾で一緒の子だもん……。
いっつも彼に話しかけてた。うらやましいなって思ってた。
髪はサラサラしてるし、おとなしそうだしきれいだし、絶対もてるんだろうなって。
もしからしたら彼だって、いつか彼女のこと……。
「……どうしたの?」
わたしは、彼に聞いてみた。
「は?」
「どう答えたの?」
息を潜めて、わたしは待った。彼が答えるのを。
一秒、二秒、三秒……。
ほんのわずかな時間が、ひどく長く感じられる。
刹那の永遠を超えて、彼は口を開いた。
「断ったよ」
……そっか。
……そう。
……そうなんだ。
断ったんだ……。
「何だよいきなり黙って。言っとくけどフツーに振ったんだぞ」
「嘘だね。そーとーキツかったでしょ?」
彼の弁解を、友達があっさりとさえぎった。
「……見てたのかよ」
「覗き見の趣味はないの。あのあと、一之瀬さんにさんっざん当り散らされたから。……あれくらいで八つ当たるんじゃ、またまだ人間できてない証拠だね」
せっかく告白られたのにもったいない。オバケ出ちゃうよ? と友達がからかってくる。
「だったらお前が付き合えよ」
「ヤだよ、メンドくさい」
一切の迷いもなく、友達は言い切った。
女のわたしから見ても結構可愛いと思うんだけどな、一之瀬さん……。
「……。お前ってホント女の子に辛辣だよな。好きなタイプいないのかよ」
「例えば?」
「堀北真希は?」
「真面目すぎる」
「仲間由紀恵は?」
「固すぎる」
「Perfumeは?」
「頭にカラが残ってる」
「新垣結衣は?」
「まだ半熟」
「中川翔子は?」
「腐ってるから論外」
「だろうな……」
彼は、友達の肩に手を置いてうなずく。納得するんだ、それ……。
なんとなく、ふたりが仲いい理由がわかってきた気がする。
「でもさ、小林って遊びにいかないの?」
友達が、逆に問うてみる。
「俺は好きなやつとじゃなきゃ行かないの」
「こないだ僕と一緒にゲーセン行かなかったっけ?」
「あぁ、先週な」
彼のその言葉に、友達ははっと息を呑む。かなりわざとらしい。
「まさか小林は僕のことが!」
「いっちょしばくぞコラ」
つーかしばかせろと、彼は友達に抱きついて関節技をたたきこむ。
うわ、見事なコブラツイスト。
「に゛ゃー! ごめんなさいごめんなさいやめてやめて助けてー!」
悲鳴を上げているが、その顔は楽しそうだ。
バッカじゃないのと笑いながら、わたしは思う。
――そっか、断ったんだ……。
ほっとした反面、こうも思っていた。
――なら、わたしでもダメじゃん。
髪質なんか硬くって、
顔だって中くらいの平凡な感じだし、
背だって低いし、
お化粧なんてあんまり興味ないし……。
ぜんぜん勝てる気がしないよ……。
彼女でダメなんだったら、わたしなんて……。
そのままチャイムが鳴って授業が始まって、やがて昼休憩。
わたしは買っておいたサンドイッチをほおばる。
けど、食欲があまりわかない。
のどがつかえる。
どうしよう。味がしないよ……。
家の中で、わたしはケータイを握ってる。
送信できないメールとにらめっこ。
昨日とおんなじ。
何にも変わってない。
違うのは、まだ制服のままでいることくらい。
あまり、着替える気になれない。
着替えたら、学校に行くときの決意を全部無かったことにしてしまいそうな気がするから。
『……一之瀬さん?』
『そう』
『中間テスト一位の?』
『そうそう。あの娘』
学校での出来事が、頭の中で反芻される。
『D組の?』
――塾でいつも一緒の彼女。
『一之瀬さんが?』
――いつも彼のことちらちら見てた。
『……どうして?』
――彼と一緒に笑ってたこともあった。
『したの?』
――何でそんなことしたの?
わたしだって同じことしてるはずなのに……。
どうして前に進めるのよ……?
「…………」
送信ボックスを開いて、わたしは意を決してメールを開く。
――今度、映画とか観に行かない?――
他愛のない言葉の最後に書かれた、簡潔な文字。
好きとか、付き合ってとか、そんな言葉は入ってない。臆病者のわたしらしいメール。
それでも彼に届くはずだ。
情報化の時代。各電子端末のボックスは恐ろしいほど強固になっている。
ちょっとやそっとのウイルスでは壊せないし覗けない。トロイの木馬なんて過去の遺物だ。
だけど、メールアドレスがあるなら話は別。
パスさえあれば、ちゃんと彼の元へ届くのだ。
――ちゃんと届いて。
携帯の液晶を額に当てて、わたしは祈る。
神様なんて信じないから、運命に。
どっちも似たようなものだし、祈るなんてばかげてる。
そう思うのだけれど、不安だとすがらずにはいられないものなのだ。こういうものは。
多分、これからさらに未来に進んでも、この気持ちだけは克服できないだろう。
意を決して――わたしは運命に飛びこんだ。
――送信。
【メール送信中】の表示が、ついにやってしまったのだという現実を突きつける。
どうしよう。どうしよう……。
どう答えてくれるだろう。
いいって言ってくれるかな?
断られたらどうしよう。
嫌がられないかな。
でも彼、映画好きだし。
でも時間取れるかどうか……。
ひょっとしたら……。
悲観と楽観がない交ぜになって、それがぐるぐるぐるぐると回っていく。
それが――
メールが拒否されました。
突然の表示で、ぷつんと切れた。
――え?
最初は、何かの間違いだと思った。
何度も確認した。
表示は嘘をつかなかったし、間違えてもいなかった。
拒否された。
わたしの、メールが。
どうして?
最新のネット情報交換システムは強固だ。
一切合財のハッキングを通さない、城のようにプログラムすることもできれば、ブログや掲示板のように何万のアクセスを通すことだってできる。
誰を通すかの微調整だって、業者を通せばセキュリティを万全にしてくれる。
なら、わたしのメールはどうして拒否されたの?
――着信拒否?
うそ、だよね?
そんなことしてないよね?
ここ地下だもん。電波が通らないとかそんなことだってあるよね?
そんなの嘘だ。
アンテナと有線との複数経由によって、地下での通信システムは盤石な物になっている。
それは理性で分かってた。だけどそれを認めたくない自分がいる。
わたしはもう一度送信してみる。
――拒否されました。
もう一度。
――拒否されました。
もう一度。
――拒否されました。
もう一度。
――拒否されました。
もう一度っ。
――拒否されました。
お願いだからっ。
――拒否されました。
届いてっ。
――拒否されました。
なぜか、わたしは思い出していた。
彼の言葉を。
――断ったよ――
いやぁぁぁぁああっ!!
心の中で、わたしは悲鳴をあげていた。
押しつぶされるように机に突っ伏して、わたしは声を殺して泣き叫ぶ。
手からケータイがこぼれ落ちたけれど、見なくても分かってた。
――拒否されました。
それからどれくらいたったのだろう。
時間なんて見ていない。
気がついたのは、ケータイの着信音が鳴っていたときだった。
正直、わたしは出る気になんてなれなかった。
彼の家からの着信でなければ。
「――もしもし?」
『あー、清野? 俺俺』
「この電話は使われておりません。ついでに言うとわたしに孫なんていませんから――」
『だー! 詐欺じゃねえよ! 俺だよ小林だよ!』
何やってんだわたし。
『今元気か?』
元気じゃねーよ。
「……別に?」
『最近、具合よく無さそーだけど大丈夫か、って思ってさ』
あんたのせいだって。
「……用が無いんだったら切るよ」
『おいおいおい! 待ってくれって』
このひねくれもの。
「だったら何? 早く言ってよね」
『分かったよ。分かったら切るなよな。ったく……』
ほんっとに大嫌い。
……わたしなんて。
『じゃあ、言うからな』
「どうぞ」
なんか、もうどうでもいい。
そんな風にわたしは聞いていた。
あれだけメール出したのに拒否られて、それで呑気に電話かけてる彼の考えが、わたしにはちっとも分からなかったから。
――俺は好きなやつとじゃなきゃ行かないの――
本当に、分からない。
『なぁ、今度どっか行かね?』
「……え?」
なんて、言った?
どっか行こう、って言わなかった?
――俺は好きなやつとじゃなきゃ行かないの――
『勉強ばっかりじゃ頭腐るだろ? だから……ほら……気分転換とか、さ』
彼の口調はとても歯切れが悪い。
緊張してるんだ。
わたしみたいに……。
どういうことなんだろう。
意味わかんない。
けど、
だけど……。
すっごく興奮してる自分がいる。
だけどすっごく冷静な自分もいる。
どうしよう。わたし、めちゃくちゃだ。
『行くのかよ? 行かないのかよ?』
「行く! ついてく!」
『……そっか、……わかった。じゃあ詳しいことはまた今度な』
言いながら、彼は「じゃあな」とつぶやく。
それはまるで逃げるみたいで……。
それをわたしは、待ってとつなぎ止める。
まるで細い糸をつまむような、心もとなさ。
『……なんだよ』
「あの、あのさ。これって、デートって思って……いいのかな?」
張りつめる静寂。
しばらくして、答えが返ってきた。
『……好きにしろよ』
勢いよくぷつんと切れた。
まるで限界だといわんばかりに。
「…………」
どうしよう。
わたしの手、震えてる……。
だけど謎は残る。
どうして、わたしのメールは着信拒否されたのか。
それはのちのち分かることとなった。
――三週間後。
「あれ? 何してるの?」
わたしは、学校で友達に話しかける。
なぜかしきりにケータイをいじっているのだ。
「――? それって……」
友達が持っているケータイに見覚えがあって、わたしは疑問を抱く。
だってそれは……。
「うん。小林のケータイ」
「何でそんなの持ってるの?」
「ほら、あいつ地上育ちでしょ?」
「え? そうなの?」
そんなの初耳だ。生まれも育ちも地下都市のわたしにとって、地上の暮らしはあまり想像できない。
「あの日って、土砂降りでさ。そしたらドブの中にケータイ落っことしたらしくって、メモリ飛んでたから泣いてたよ」
なるほど、わたしのメールが拒否されたのはそういうことか。
それで家からの着信だったんだ。
わたしの電話番号を、ケータイなしでどうやって知ったのだろう。
もしかしたらメモしていたのかもしれない。大切な人だけの電話番号を記したメモ。
その中に自分が入っていたのかなと思うと、なんだか照れくさくなってくる。
「わたし、そんなのぜんぜん知らなかった」
「あいつ、自分のことあんまり話さないから」
「日下部君には話すの?」
「言わなくったってわかるよ」
友達だからね、と笑ってみせる。
「清野さんってあれでしょ? 自分の周りがあんまり見えてないタイプじゃない?」
思わぬことを指摘されて、わたしは「え?」と声がひっくり返りそうになる。……そうかな? そうなの?
「だめだよ? どれだけ悩んでも人に話さなかったり告白しないんだったら、結局の自分のことしか見てないだけなんだから」
「……ごめん」
そんなことを話してるうちに、スカートの中が震えだす。
「あ、着信」
ポケットからケータイを出してみる。どうやらメールらしい。
「誰? 友達?」
「ううん……」
その問いに、わたしは答える。
ちょっと照れくさいけど、これ以上あんなことされたら困るし。
だから言った。
「わたしの恋人」
その言葉に、友達は目を丸くして、それからしばらくして納得したように肩をすくめた。
「仲介役は廃業だね」
ごちそうさま、とつぶやきながら友達は、わたしに彼のケータイを預ける。
「君から返したほうがよさそうだから」
「自分で返せばいいのに」
「今度会うときの口実に使えばいいよ」
「……預かっときます」
「正直でよろしい」
わたしは歩く。まっすぐ歩く。
迷いはない。
トンネルの向こうで、何の遠慮もなく近づいてくれる――彼が待っているのだから。
雨を見上げて、気が滅入ることもあると思う。
いっぱい悩むと思う。
自分のことでいっぱいいっぱいかもしれないけど、
たまには相手の心も見てみようよ。
雨が降っていても、その雲の向こうは青空が広がっているんだから。
――そんなことを思いながら書いてみました。
実は、この子たちにはちゃんと名前があったりします。
わたし――清野晴美
彼―――小林健太
友達――日下部尊
です。