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第二部 23



──悪いことしちゃったなって感じですか、いろいろと



 逃げ場所なんてない。両親が引き出しを元の場所に戻している間に部屋へ駆け上がったがすぐに追いつかれた。先に父が、次に「教授」が、最後に片付け終えたらしい母が。

 戸を閉めようとするも、手の甲をしっかと間にはさまれて、開かざるを得ない。

「秋世、落ち着け」

「なんでもねえよ!」

「だったら、話を聞きなさい」

 父の落ち着いた声がかえって神経を逆撫でする。他人まで来ているのだったら、ガキっぽく抵抗するのも気が退ける。しかたなく秋世は椅子に座った。

 両親と「教授」は顔を見合わせ、頷きあった。「お願いします」と一言、添えた。「教授」も了解といった風に目礼を交わしていた。両親とすでに話が終わっていたようだった。


 本条先輩の部屋より片付いているだろう。「教授」は、

「男の子の部屋にしては、片付いているね」

 お褒めの言葉を下さった。うれしくもなんともない。

「この子は、几帳面なんですよ」

 別に注釈つけないでもよろし、母よ。

 ぐるりと見回した後、「教授」はゆっくりと床に座った。父がまた秋世に命令する。

「お前も正座しなさい」

 もぐってきたのはあんたらだろうが。そう言いたいのを我慢する。両親の企てか。親に対しては言いたい放題やりたい放題しでかすのを先読みして、よそ行き顔をさせて無理やり話を聞かせようとでもするのだろうか。秋世なりに大人たちの計算を読み取った。

 ──誰が、そんな手にひっかかるかよ。

 大人がそう出るのなら、子どもの秋世はいい子の仮面を被って戦うだけだ。


「秋世くん、今から私が話すことは、決して君を責めたいわけではないんだよ」

 沈黙が続く中、口を切ったのは「教授」だった。

「私も適切なやり方で君と話すことができなかったことを、後悔しているんだ。もう少し君が落ち着いてからいろいろと語り合うつもりでいたんだが、あせりすぎてしまったようで申し訳ない。もう一度、話し合うチャンスをくれないか」

「別に、この前聞いた話で十分じゃないっすか?」

 わざとらしく笑顔を貼り付けた。

「俺が、昭代を虐待したってことですよね。俺がもしもそんなことしなかったら、昭代はうちにいたけど、怖いお兄ちゃんの近くに帰りたくなくておばさんとこにいるって、それだけの話だから」

「違うんだ、だから秋世」

 父が言葉をはさむ。無視する。

「お前が勝手に自分を悪人呼ばわりする必要はないんだ」

「だって俺がすべて悪いって言っただろ!」

 父には遠慮しない。

「俺が昭代の髪の毛虎刈りにしたからだろ」

「とにかく、お前の思い込んでいることと事実はずれているんだ」

「そうよ、しゅうくん、もう一度ちゃんと話を聞いてちょうだい」

「どうせ犯罪者だし、それはそれでいいだろ」

 秋世が言い返し、両親が訴える。その繰り返し。

 しびれを切らしたのだろう。「教授」がぱちんと手を打った。

「単刀直入に言うとだ。秋世くん」

三人が「教授」に視線を一点集中させた。

「実は、私と妙子くんは、喪が明けたら籍を入れる予定だ。そして当然、式を挙げたいと思っている。その時にできたら、妙子くんの妹として、昭代ちゃんを参列させたい。そう思っている」


 ──昭代が妙子さんの妹?


 いもうと、と響く言葉。理解するのに時間がかかった。すでにその話題が出るのを予測していたのか、両親はこっくり頷いている。それでも親かと怒鳴りたい。

「昭代が妙子さんの妹、ってことは、おじさんおばさんの娘にならないとまずいんじゃないっすかねえ」

「自分の家族の一員として、昭代ちゃんを迎え入れたい。それができないんだったら結婚はしたくない、そう妙子くんは言い張ってるんだ」

 ははあ、結婚の条件か何かなんだろう。妙子さんにじらされてることも気づかないのか、この大学教授は。冷たく答えてやった。

「そんなの向こうの勝手でしょうが」

 そんなの知ったことか。

 教授は両親とまた目配せをして続けた。すでに準備済みだ。

「現在、昭代ちゃんは実質的に妙子くんの妹扱いをされているけれども、戸籍上は南雲家のものだ。それはわかるね」

「ああ、一応は」

「そうなると、昭代ちゃんの位置は、妹ではなくいとこになるんだ。妙子くんにそれはどうしても受け入れ難いことらしいんだ」

「だからそんなの中学生の俺に聞かれたってわからねえっすよ!」

 まだ二回しか会ったことのない人に「そんなのわかるわけねえよ!」なんて言えない。

「すでに君と妙子くんのご両親同士で話し合いはまとまっている。すでに昭代ちゃんも、自分にとって一番大切な家族がどちらかを選んでいる。君に、その了解を得たい。そのために今日は来たんだ」

 ──嘘つけ。

 つばをぺっと吐き掛けたい気分だが、そうもいかない。お客様だ、この人は。

「どうせ俺は関係ないし」

「君と僕とはこれからいとこ同士だ。わだかまりを一切なくして、いい付き合いをしていきたいと思っているんだ」

 ──この人が俺のいとこねえ。

 「教授」に恨みはない。タイミングが悪すぎるだけだ。

 父がまたくちばしをはさんだ。

「秋世、もう少し礼儀正しく返事をしなさい。年上の方に失礼だろう」

「これまた失礼いたしやした」

 おふざけ半分に、無理やり笑顔の仮面をくくりつけた。

「俺はいいっすよ。どうせ、関係ないし。うちの親がそれでいいと思ってて、昭代がそれを望んでるんだったら、俺も口出し出来ませんし。妙子さんの言うことが本当だったら、俺なんかともう二度と暮らしたくないのももっともでしょうし、俺だって男だ、今度は昭代に何をしでかすかわかりませんし。どうせ俺は犯罪者ですからね」

「しゅうくん!」

「だってそうだろ!」

 今度は母に遠慮なく浴びせた。

「俺は実の妹を散々やらしい遊びして傷つけた、わいせつ犯罪者なんだろ? 髪の毛切りつけて、あれだけいやらしいことして、親戚中に顰蹙かって。結局ばあちゃんがいたからそういうのばれなかっただけであって」

「しゅうくん、どうしてそんなこと」

「だって、教えてくれたの父さんと母さんと、それと教授じゃないっすか」

 父が口をはさんだ。重要情報だった。

「秋世、失礼だ。『つづき』さんと呼びなさい」

 教授の苗字は、「続」だった。


 両親が重ね重ね、今まで話してきたこととは別の話を訴えようとする。

「お前がしたのは、昭代の髪の毛を切り刻んだことだけであって、それ以上のことはないんだよ」

「そうよ、五歳児の悪戯なんだから」

 今更何言ったって遅い。ひざをつつき合わせたまま、続教授だけが黙って秋世を見つめているところみると「隠ぺい工作」そのものってとこだろう。そんなことも見抜けないと思っているのか、大人たちは。

 ──どちらにしても、同じだろ。

 ガラス戸の雨だれがつるっと流れるのと同じように、秋世は言葉をすべり落とした。

「どっちにしたってもう、同じことなんだからいいじゃん。父さんも母さんもさ。とにかく、昭代が向こうのうちに養女に行くんだったらそれはそれで俺の出る幕じゃないしさ。もういいっしょ。俺ももうどうでもいいし」

「そうやけにならないでよ、しゅうくん」

 続教授は秋世をわき目も振らず見据えていた。両親たちの言葉が途切れた合間に、

「本当に知りたいことを、まだ聞いていないんじゃないのかな、君は」

 重々しく告げた。

「え? なんですかそれ」

 客人にはあくまでも敬語を。

「秋世くん、君は本当のことを知らないままでいて、それでいいのか?」

「だからこの前教えていただいたんじゃあないですか」

 さわやかな笑顔が疲れる。

「俺の記憶がどうであれ、昭代がそう言い張ってて、その精神科医の先生が昭代の記憶を蘇らせたんだとしたら、どうしようもないっすよ。たぶん、俺、記憶を全部なくしたかなんかしてしまったんじゃあないかと思うし」

「納得いかないことでも、受け入れるのかい?」

 両親たちが息を呑む。だからこういう態度で秋世は自分が「犯罪者」だと感じるのだ。

「でなくちゃ、納得できないし。俺が今言えるのは、今の俺だったら絶対しないことでも、五歳の時の俺は平気でできちゃったとんでもねえ奴だったってだけであって」

「そうだね、今の君は、絶対にできないことだろうね」

 ──挑戦かよ。

 きらっと、目が光ったような気がした。

 続教授はひざを両親たちの方に向けると、「秋世くんに、話してもかまいませんか」と尋ねた。

 母には戸惑いが走り、父には重たい沈黙が宿る。

「はい」

 答えたのは、母だった。


 両親から了解を得た後、続教授は秋世に向き直った。

「今から私が話すことは、君にとってまだ受け入れ難いことかもしれない。それはお父さんもお母さんも、妙子くんのご両親も、みな理解していることなんだ。だから時期を待っていた。たぶん秋世くんが高校を卒業する頃にはすべてを説明するつもりでいたけれども、たまたま私と妙子くんとのことがあって、予定が早まってしまったというわけだ」

 ──まさか二十歳で結婚なんて、考えてなかっただろうしな。

「ひとつだけ覚えておいてほしいのは、私たちもご両親も、決して君を責めるために言っているわけではないんだ。すぐには納得しづらいところもあるだろうが、まずは事実関係だけをしっかと見つめてほしい。そばにはご両親もいる。私の思い違いもあるかもしれない。まずは聞くだけすべてを聞いてほしいんだ。いいかな」

 タバコを吸う人独特のくすんだ匂いが漂っていた。

 ──いいかなって、聞くしかねえだろ。

 聞きたかったことが向こうから近づいてきてくれたのだ。なら黙っているしかない。

 秋世はにっこり頷いた。両親たちには一切顔を見せないように、続教授にだけ。

「結論は一緒でも、どっちにしても聞きたいことだったし、お願いします、教授」

 最後の一言に両親たちがまた顔をしかめていた。

 続教授は、「もし間違っていたら、訂正をお願いします」と告げ、一呼吸置いた。


「秋世くんが小さい頃、身体を悪くして入退院を繰り返してきたのは覚えていると思う。ご両親も、おばあさんもみな、君のことを心配していた」

「ばあちゃん俺につきっきりでしたよ」

 さりげなく母に向かって言ってみる。

「そうだったね。君はおばあさんが大好きだったんだね」

「たぶん、うちの親以上に、ですね」

 母の顔が引きつるのを見るのが面白い。

「昭代ちゃんが生まれたのはその三年後だ。君の病気は一進一退でなかなか良くならない。つききりで本当は看病したいけれども、その一方で昭代ちゃんの面倒を見なくてはならないご両親が、どれだけ大変だったかは、想像つくね」

 ──俺が病気になりたくてなったんじゃねえもん。しょうがねえだろ。

「特に、秋世くんが三歳くらいの頃は、大変だったんですね」

 母に確認を取るような口調で、続教授は問うた。両親ともども頷いた。母が口をはさんだ。

「そうなのよ。今のしゅうくんでは考えられないくらいにね」

「君のかかっていた病気はいわゆる感染症だ。昭代ちゃんを病院に連れていくことはできない。いつどうなるかわからない君を見守り、同時に昭代ちゃんに淋しい思いをさせないために、ご両親はひとつの決断をした。それが」

「おばさんとこに、昭代を預けたってことっすか」

 三人の大人が頷いた。


 頷くしかない。

 自分の病気が人に移りやすいものであって、しかも新生児とあっては、まず同時に面倒をみるなんてできないだろう。もしも祖母が昭代の世話をするならまた話は別だっただろうが、あの頃から秋世はばあちゃんにべったりだったし、おそらくいなくなったらパニックを起こしただろう。仕方のないことだと、頭ではわかる。


「物心つく頃にはもう昭代ちゃんにとって、親とは妙子くんのお父さんお母さんだった。責めるわけにはいかないよ。いつも側にいてくれた人に愛情を抱くのは、どんな人だって同じだ。しかも妙子くんのご両親はあずけられっ子の昭代ちゃんに掛け値のない愛情を注いでくれた。受け止めた昭代ちゃんが、君のご両親よりも妙子くんのご両親になつくのは、仕方のないことだと思わないかい?」

「そうですね」

 冷たく流した。

「幸い、君は病魔に勝利をおさめ、家に帰ってきた。本当に辛かっただろうし、がんばったなと人事ながら思うよ。それが五歳くらいの時だったんだ」

「ああ、そうですね。その時に俺は犯罪者に」

「だから違うんだ!」

 父が叱責する。無視だ無視。目で続教授も制した。

「さっそく親子水入らずで生活できるとみなが喜んだ。君のご両親にとって、昭代ちゃんは大切な我が子。もちろん自分の手元に置きたいに決まっている。妙子くんのご両親も、淋しい気持ちはあっただろうが、甥っ子が元気になったことも嬉しいわけで当然、昭代ちゃんを返すことに決めた」

「嫌がっていたのは昭代だけですか」

 さりげなく返しただけなのに、両親がうつむくのはなぜだろう。

「まだ三歳の女の子にとって、今までずっと『お父さんお母さん』と慕っていた人から引き離されるのは、もちろん理解できることではない。たとえ戻る家が自分の両親だったとしても、理解できる年齢ではない。それはわかるだろう?」

「そうですね」

「ご両親はそのことを考えた上で、少しずつ昭代ちゃんと君との距離を縮めていこうと考えられたんだ。それがあの夏の日なんだ」

 言っている意味がつかめず秋世が首をひねると、母が遠慮がちに呟いた。

「あの写真の時よ」

「虎刈りの時ですか」

 尋ね返したのは続教授の方にだった。

「そうだね、昭代ちゃんと君とが本当だったら兄妹として、仲良く過ごすはずだった夏の日だよ」


 ──それをぶっこわしたのが俺かよ。

 わかっていてもやりきれない。タイムマシンが存在しない現実が悔しい。


「その時の状況が具体的にどうだったかは、君のおばあさんと昭代ちゃん、そして君しかわからないことだ。もちろん記憶をさかのぼって調べた結果いろいろなことは判明しているけれども、それは昭代ちゃんサイドから見た真実であって、本当のところはどうなのか、きっとわからないままだろう。秋世くんはこの前、記憶には全く残っていないと言っていたね」

「はい、全然」 

「そうなると、もうひとり真実を知っているのはおばあさんだけになるね」

 祖母の顔が思い浮かんだ。やさしかったばあちゃん。

「しかし、もうおばあさんはこの世にいらっしゃらない。確認を取ることもできないだろうし、お元気だったとしても決して話をしてくださらなかっただろう。だから真実は藪の中だ。昭代ちゃんの記憶と君の記憶が全く重ならなかったとしたら、どれを正しいと取ればいいのか、永遠に不可能なままだ」

 ──そのくせ俺を罪人扱いしやがって。

 結局のところ、続教授は、妙子さんの妹になりたがっている昭代の味方なのだろう。

 秋世に無理やりそれを説得しようとしているんだろう。

 誰が信じるか、そんなこと。


「今、ここではっきりしているのは、その夏の日以降昭代ちゃんが君を恐れるようになり、君は精一杯昭代ちゃんを可愛がろうとしたことだけだ。ご両親もふたりの間柄が不安定なことや、昭代ちゃんが育ててくれたおじさんおばさんを必死に求める様にいろいろ考えた結果が現在の状態なんだ」

「現在の状態って、俺と昭代が引き離されたってことですか」

「そうだね。昭代ちゃんと君とは相性が良くないし、なかなか実のご両親にもなついてくれない。情緒安定を最優先に考えた時、昭代ちゃんにとって一番幸せな道は、妙子くんのご両親と一緒に暮らすことではないか、そう決断を下されたというわけだ」

「やらしいことする兄貴なんかと一緒じゃ」

「そうじゃないのよ!」

 母が口を出すがまた目で制された。

「秋世くん。この一件は誰が悪いわけでもないんだ。君が病気になったのも、ご両親が昭代ちゃんを手放さざるを得なかったのも、おじさんおばさんが昭代ちゃんを我が子同様に可愛がったのも、誰も責めるわけにはいかないんだよ。君は精一杯可愛い妹を可愛がろうとしたんだろう。でもそれが昭代ちゃんには不快感の記憶を残す結果となってしまった。またおばあさんにとっても、つききりで世話をした可愛い孫息子と、あまり接することのない孫娘とでは愛情のかけ方が違ったのもしかたのないことだろう。誰を責めるわけにもいかないんだよ」

 続教授は両手をひざに置くと、細い目でじっと秋世を見つめた。


「妙子くんにとって昭代ちゃんは、大切な妹なんだ。十歳くらいの頃から小さな母親代わりになって面倒を見てきた子だ。もともと妙子くんは人の世話をするのが大好きな人だから、なおさらいとおしかったんだろう。昭代ちゃんを一度、君の家に返す時は一週間くらいハンガーストライキをしたくらいだと聞いている。お姉さんとして、大切な妹を手放したくない、その気持ちはわかってほしいんだ」

「実の妹でもないのにですか」

「一緒に暮らした年月もあるだろうが、妙子くんにとって昭代ちゃんは、一緒に暮らしてきたかけがえのない存在なんだ。君がおばあさんを大切に思っているのと同じように、妙子くんは昭代ちゃんを宝物のように守ってきた。実際は南雲家の娘かもしれないけれども、気持ちは自分の妹なんだと、繰り返し私に語ってくれたんだ」

「なんか、女きょうだいって俺よくわかんないけど、そういうもんなんですか」

「いろいろな心の繋がりがあったのだろうね、そればかりは私もわからないが」

 言葉を濁した。

 たぶんここだ。秋世は直感した。

 

「じゃあ、俺は直接妙子さんと話をした方がいいんじゃないっすか? 続教授」 

 三人がみな、無表情に秋世を見た。

「いや、そういうつもりで言ったのではないよ」

「俺、思うんですけど」

 そっとひざの上の手を握り締めた。

「要は妙子さんが昭代を妹に欲しいってことでしょう。俺に納得してほしいってだけだったら、すぐにそのまま話を進めればいいことしょう。だけど、あえて俺にこんな話をするってことは、妙子さんが俺を許してないってことですよねえ」

 続教授、急所を突かれたのか黙りこくっている。

「それだったら直接妙子さんと俺が話をして、それでOKを出せばいいことじゃないですか」

「しゅうくん」

 母のとがめる声など無視する。続教授と父が無表情だからこそ、言えることだった。

「だって、もう話は決まってることなんだから、あとは妙子さんの気持ちだけでしょう。兄貴が、昭代をいじめて傷つけた。昭代の言い分を信じれば事実でしょうし、俺がいくら記憶にないったってしょうがないことですよ。今の話が本当だとしたら、昭代があっちのうちにお世話になった方が幸せだろうし、うちの親たちも了解してるんだったらそれはそれでいいことなんだし。ただ妙子さんが俺のやらかしたことを今でも恨んでいるんだったら、それこそさしで聞きますよ。要は、俺ひとりがなんもしらないおめでたいままでいるのを妙子さんが許せないってだけでしょう」

 ぴんと張り詰めた空気。誰も動かない。言葉の粒子だけがまっすぐだ。

「俺は、妙子さんが何言っても受け入れます。お医者さんごっこしたひでえ兄貴よりも、やさしい姉さんの側がいいんだったらそれだっていい。妙子さんが俺にどうしてほしいか、それをとことん聞かせてもらいたいです、俺としては」

「妙子くんにか」

「そうです。この前行った時、妙子さん言ってましたよね。昭代は俺の身代わりだったって。『あきよ』の音は俺の名前を訓読みした時と同じだし」

「そんなわけないじゃない」

「母さんは黙ってろ。どうせ俺は犯罪者なんだから何言われても平気なんだ」


 続教授が両親および妙子さんたちと何を相談してきたのかは読み取れない。

 恐らく秋世に、昭代の養女縁組を説得したくて来たのだろう。

 秋世が昭代を傷つけたゆえに、こうなってしまったと説得したかったのだろう。

 もうその点はどうでもよかった。

 ただなんで、ひとさまの家庭に……フィアンセの従弟に……そこまで力を入れる理由がわからない。なにが「今救うべきは秋世くんです」なんだろう? 勘違いもいいところだ。もう秋世は自分が罪深い小羊だという事実を受け入れている。もういまさら「いい人」になんて戻れやしない。だったら、流れに沿ってほっといてくれればいいのだ。昭代がずっと妙子さんの妹でいたいのだったらそれでいい。両親が納得しているのだったら秋世の出る幕はない。

 それをあえて持ち出したということは、つまり。

 妙子さんがまだ秋世を責めたりないということではないのか?

 責めたりないのだったら、こちらで鞭打たれにいけば済むことだ。

 どうせ自分は、実の妹をいたずらした張本人なのだから。妙子さんはそれに気がついていない秋世を罵ったけれども、もし秋世がそれを丸ごと認めてしまったら妙子さんも満足なんじゃないだろうか。続教授がしつこいくらい秋世に話し掛けるのは、きっとフィアンセ妙子さんの気持ちを慮ってのことだろう。

 

「秋世くん、君は決して、犯罪者なんかじゃない」

 厳しい声で続教授は制した。

「それなら今から妙子くんに連絡を取って、直接話をしようか」

「あ、いいんですか」

 慌てている両親が笑える。続教授に向かって「もう少し時間を置いたほうが」なんて語りかけている。善は急げってことが、どうしてわからないのだろう。

「そうだね、秋世くんが望むのなら、それがいい」

「そうっすね。俺も明日は期末試験なんで、面倒なことはさっさと片付けておきたいし」

「秋世、勉強は」

 また父が話をそらそうとする。教授は首を振った。

「私に任せてください。決して、秋世くんの傷を深くするようなことはしません」

 なにが任せてなんだか。秋世は大きく深呼吸をした後、ポケットに英語の単語帳を一冊放りこんだ。一応は勉強するかっこうをつけた。

「どうせ聞くことだったら早い方がいいし、もう俺も図太いから大丈夫ですよ」

「それなら、今から私に着いてきてほしい」

 立ち上がった秋世に、母がすがるような眼で訴えた。

「しゅうくん、どうしてわかってくれないの」

「わかってるから話聞くだけだろ」

 言い捨てた。父が黙りこくったまま戸口に視線をずらした。

「じゃあ、行ってくる」

 続教授の後ろに秋世は付き従い、階段を下りた。

 

「秋世くん、助手席に乗ってくれたまえ」

「ちゃんとシートベルトしますよ。ご安心を」

 車庫から車を出した続教授は、秋世が乗り込むのを待った後、ひざに大きめの封筒をを乗せた。

「なんすかそれ」

「中を見たまえ」

 アクセルをふかしたまま、続教授が促した。

 少し重ための封筒をひっくり返し底を叩くと、色鮮やかな写真が五枚ほど出てきた。夜の闇を背景にして、女性とふたり白いデコレーション風の建物に入っていく少年の姿が映っていた。一枚、二枚、三枚と、相手は異なっていたけれどもすべてそれは、秋世の姿だった。ちっとも笑っていない自分とご機嫌そうな相手との対照にインパクトを感じた。

 右下の日付も見た。心当たりはあった。

「悪いが、しかるべき相手に頼んで、調べてもらったんだ。言いたいことはあるかい?」


 車が発進するのを待って、秋世は教授に尋ねた。

「うちの親、これ見てますか?」

「いや、ご相談を受けた後、個人的に調べたものだから、まだ見せていないよ」

「そうですか」

 なにか答えないといけない雰囲気だった。しかたなく呟いた。

「悪いことしちゃったなって感じですか、いろいろと」

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