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第二部 19


 ──犯罪者?

 ──俺が、いるだけで?


 

 時折投げかけられる年上の女性たちの視線を無視しつつ、秋世は本条先輩相手にしばらくだべっていた。時間帯はすでにダンシングタイムということで、かなりだるいムードのジャズピアノとトランペットが流れていたし、なんとなく秋世たちの席の前で数秒立ち止まる人影も見かけたが、とってもだがそんな気にはなれなかった。むしろ今は、男同士の会話だけでカクテルをなめていたかった。

「本条さん、最近はこういう感じがほとんどなんすか?」

 二股野郎の本条先輩が、いきなり一筋の道を歩こうとするとは思えず、かといってまったく何もないとは考えられず、秋世は話を振ってみた。

「まあな、俺も歳かねえ」

 十六歳にして「歳」もないものだ。

とんではいないんですか」

 高校、とか学校とか言ってしまうと足がつく。言葉には気を付けておく。

「いねえとは言わねえよ。俺、もてないわけがないだろ」

「けどもう、四ヶ月も女っけなしってのは、ちょっとまずいんじゃあないっすか」

「ま、ストレスは、たまるわな」

 本条先輩はうつむくようにして、少し笑みをこぼした。この人のくせで、表情を読まれたくない時などはこういう風に笑ってごまかすところがある。

「それよかお前の方こそいろいろご苦労も多いようだが?」

「噂、聞いてるんじゃあないですか」

 さっきは本条先輩、「お前の話は聞いていない」とか言っていたくせに。やっぱり立村の前ではそれなりにかっこつけてくれたんだろう。秋世は二杯目のカクテルを揺らして一口飲んだ。酒に弱いほうではないと思いたいのだが、なんとなく眠くなってきているようだ。

「南雲だったらまだまだ選びようがあるだろうになあ」

「聞き飽きました、そういうのは」

「いや、あのあんまん姫が気に入らないっつうんじゃねえよ。ただ、お前もなんつうか」

 言葉をまた濁した。暗闇にだんだんミラーボールの細かな反射光が、吹雪色に舞い始める。奥の席で男女それぞれが、ゆったり身体を揺らしつつ立ち上がり始めた。秋世が行ったことのあるディスコでは、もっとテンポの早いユーロビートのリズムに空気がみじん切りとなり、自然と腰を振りたくなってしまう何かがあったのだが。ここだととてもだがそんな気持ちになれない。ただ、だるい気持ちで大また開いてソファーに寝転がっていたい。本条先輩が何かをつぶやいた。聞き取れず、背中を椅子の背にくっつけたまま秋世は尋ねた。

「なんか言ったすか」

「ああ、お前ってなあ、南雲」

 本条先輩は闇の中でめがねをつまみ、額に重ねた。天井を見上げたまま。

「マザコンとかシスコンとかっていうか、グラコンって奴じゃねえの」

「なんですかそのグラコンって」

「『グランドマザーコンプレックス』つまり、ババコンってこと」

 ──ババコン?

 背中がしゃきっと伸びた。


 本条先輩は秋世が慌てて座り直したのを気付いてないかのように、天井見上げたまま続けた。まだまだ酒に飲まれていないようすだった。

「何度かお前のとこのばあちゃんに世話になったけどな、なんかほんっと、あんまん姫そっくりじゃねえの」

「いや、それはちょっと向こうさんに申し訳ないのでは」

 言いかけた秋世をそのまま無理やりつっきりながら本条先輩の言葉は続いた。

「見た感じのにこにこってとこもさ、お前の尽くす姿をそのまんま受け止めてくれるとことかさ、ほんっとそっくりじゃねえの」

「まあ、悪い気はしないですねえ」

 じり、と半紙一枚が破けるような音が、心のどこかでした。

「男としたらやっぱり最高じゃあないかなと」

「そりゃあそうだわな。お前みたいに何から何まで面倒見てもらえるなんてなあ。けどお前、ばあちゃんふたりいて、うれしいか?」

 ──ばあちゃんふたり?

 秋世は黙った。本条先輩が何を伝えようとしているかがまだつかめず、不用意に言葉を発したら最後、後で後悔するはめになりそうだと注意していたからだった。

「いや、ばあちゃんふたりなんて、ああた」

「とぼけんなよ」

 急に本条先輩の声がきつく締まった。これっていつもの本条先輩と違う。秋世に話し掛ける調子のものではない。むしろ、立村をしかりつける時と同じ。なんだかがきんちょ扱いされているようで、胸が焼けた。

「ばあちゃんばあちゃんってやってるのもいいけどな、南雲。そろそろお前もこの機会にババコンから抜け出せ」

「あの、そのババコンっていう言い、やめてほしいなと」

「黙れ」 

 あらら、今度は本気で本条先輩、秋世を責めようとしているではないか。この人との関係が先輩よりも同輩感覚だったのがひそかにうれしかったのに。いきなりなんだというのだろう。秋世もだんだん座っている椅子の尻が痛くなってきた。飲んでもちっとも酔いが進まない。

「南雲、お前は俺の弟分よりまだ大人だからな、ある程度わかるだろってとこで留めとくがな」

 本条先輩はめがねをかけなおした。秋世の目をじっとにらんだ。

「あんまん姫とばあちゃんとを一緒にしているうちは、お前のほしいもんなんて、手に入れられねえぞ」

「俺のほしいものですか」

 それ以上本条先輩は答えず、グラスを置いた。立ち上がるとひゅうと口笛を吹いた。視線をミラーボールの光降り注ぐホールへ投げかけて、

「ちょっくら一踊りしてくるか」

 言い捨てて、背を向けた。


 ──ババコンってなんだよ。

 秋世はぼんやりと闇の中の光を追っていた。

 修学旅行四日目の夜ならばそれは、「ほたる」として追いかけられたかもしれない。時折留まって秋世の顔を覗きこもうとするけれども、片手で追い払いたくなってしまう小さな光。尾っぽに明りをつけて飛んでいるほたるたち。

 ──本条先輩、きつすぎ。

 やけっぱちのつもりなんてない。ほっぺたに蛙が溜めるくらいのカクテルを一気に飲んだ。ぜんぜん酔いが回らない。

 ──これって、忌引明けのか弱い中学三年生に言うことかよ。

 ちくちく突き刺さってくるのは、胃の上の方だった。喉が少し焼けた。

 ──彰子さんに言ったら怒られるぞ。いや、彰子さんは怒らないかもしらねえけどな、ばあちゃんは怒るよ。

 本当は祖母のことも、家のことも、いや彰子のこともすべて忘れていたかった。

 たとえ明日になったら学校や家に戻らなくてはならないとわかっていても、今だけはすべてを切り捨てていたかった。

 なのに本条先輩ときたら、いきなり話を元に戻そうとするではないか。ひどい話だ。もしかしたら本条先輩は、秋世の家庭の事情なんぞ知っているのだろうか? いや、そんなわけがない。自分が妹に悪さしたらしいとんでもない兄貴だということなんて、誰が好きで話すもんか。つい一週間ちょっと前までは、南雲家が祖母を中心に回っている輝ける星だと思っていたくせに、そんな意味不明なこと話すわけがない。だったらなぜだろう? なんでそんなこと言い出したりしたのだろう?

 思い当たる節がないわけではない。青大附中規律委員長でかつ学内アイドルと言われた自分と、彰子を巡るやっかみの嵐。本条先輩も秋世が「あんまん姫」彰子と付き合っている事実を知った時はかなり驚いていた。その延長線上と考えれば、頷ける。時折冗談めかして、夏木や名倉を代表とする「花散里ファンクラブ」からの攻撃に頭を抱えていることを伝えたりもしたけれども、だ。

 ──なんで、彰子さんとばあちゃんとが同じなんだよ。

 もちろん彰子に一目ぼれしてしまったのが、自分の好みであるのは確かだし、ばあちゃんのことも大好きだったってことは「好き」の範疇にあるってことだろう。

 けど、祖母と彰子に持った感情は、決して同じものではないと思いたい。

 絶対に渡したくない。絶対に傷つけたくない。絶対に汚したくない。

 言葉にすれば同じだけども、絶対に違う。


 考えてどうする。そうだ。今夜はすべて忘れるためにここにきたんだ。

 秋世は立ち上がった。本条先輩には、さっき言われたことなんてすっかり忘れたふりして接すればいいことだ。酔っ払っていて、もうへろへろってところ見せてやればいい。本条先輩だってたまたまいろいろ腹の虫が悪かっただけだと思って無視してくれるだろう。そういう人だ、あの人は。


 ピアノの脇でふらつきながら立っていた時、手を曳かれた。本条先輩がどこにいるかをまず見極めてから、「パール・シティー」のIKUの乗りで身体を揺らそうと思っていた矢先だった。小さい子どもを連れているわけでもないのに。振り返ると、知らない女性が立っていた。すばやく顔と瞳と口元を見て判断した。笑っている。年齢は大体、大学生くらい。髪の毛は長めのワンレングス。つやがワックスかけたみたいに白く輝いているところが、妙子さんに似ていた。逆光だったせいかそれ以上は読み取れず、秋世はあいまいな笑みを返すにとどめた。

「もしかして、IKUに似てるって言われない?」

 ──やっぱりだよ。

 青大附中ではそれほどでもないにせよ、しょっちゅうIKUに似ていると言われるのはそうそう珍しいことではない。年齢的には三歳くらい違うと聞いているが闇にまぎれているとほとんど見分けがつかないらしい。夜道でしょっちゅう追いかけられたものだった。今夜はファッションも意識的に「パール・シティ」だしいたし方ないことだろう。

「まあ、それなりに」

 あいまいな言葉を返した。これも「パール・シティ」のIKUを意識してだった。あまり意味のある言葉を吐くキャラクターではないらしいという。

「もしかして、IKU本人だったりする?」

「まさか」

 これ以上かまう気もなく、秋世は愛想だけ振り撒いて背を向けようとした。とたん片手を握り締められ、少し引きずられるような格好になった。背中と彼女とがぺたっとくっつくと同時に、胸の頂点が背骨にくっついたのを感じた。思わず身体が反応していた。

「私、IKUのファンなんだ。今だけ一緒にいて」

「けど俺、本人じゃないし」

 ワンレングスの女子大生らしき人の瞳をのぞきこんだ時、秋世にはよく理解できない揺らめきを見つけた。

 途切れない微笑みと、どこかふわふわとした口調。

「みんな、嘘。嘘でいいの。いいじゃん、嘘で」

 握り締められた手と、完全に反応した身体の機能。

 ──みんな、嘘かよ。

 計算する余裕も、判断する気力もなかった。突然腰が抜けたようにがくがく震え、秋世は側の椅子に滑り落ちた。背中だけではなく、今度は真正面同士で抱き合う格好となり、そのバランスは胸のふくらみでもって支えられ、ゆっくり重心が唇へと挙がって行った。身体のでこぼこがぴたりと合ったのを全身で感じた瞬間、秋世の唇はもう一枚のぬめっとしたなめくじで覆われた。それをなめくじと取るか、何度目かのキスと受け取るか、それすら今の秋世には判断できなかった。腰から落ちて抱き合い、足を広げる形でワンレングスの彼女を受け止めた段階で、秋世の全身はすでに攻撃態勢に入っていた。いつもだったらそれは「未成年だし」「好きでもないのにやっぱりそれは怖い」「彰子さんとだったらいいけどさ」いろんな言葉で打ち消される場面だった。一歩退いて逃げることもできたはずだった。なぜ、背中に回ったワンレングスの彼女は何度も唇を重ねるのだろう。その味はなぜ、いつだったか水菜さんと一緒に経験した時よりも甘いのだろうか。どうして腰が動いてしまうのか、どうして相手がベルトに手をかけて自分がチャックを開こうとするのを止めたいと思わないのか、何もかもがわからなかった。それから後続いた出来事を、秋世はただ機械的に続けるだけだった。水菜さんと途中まで続けたあのことを、あっけないくらいすばやく誰にも見られないように済ませるだけだった。決して、難しいことではなかった。


──これって、カウントされるのかな。


 外から見たら単純に抱き合っているだけに見えただろう。少し、押し倒すという格好に見えたかもしれない。また厳密に言えば、そういう「初体験」なのかもわからない。

「また、あとでね」

 抱き合った身体をむこうの方から離すようにして、しばらく彼女は秋世の目をじっと見詰めた。「見据えた」に近かった。今までこんな生ぬるい目で見つめる女子と出会ったことなどなかった。秋世は首を動かさず、手馴れた調子で身体を整えようとする彼女に任せていた。それがしなれているのかそれとも初心なのか、どう判断したかはわからない。ただ、

 ──また、あとでなんてねえよな。

 尻から腰がずるずると沈んでいくような感覚だった。

 ここが引き上げ時だろう。本条先輩に挨拶してから後、ゆっくりと消えよう。

「電話番号とか、ないの」

「別に」

 口数少なに答えると、

「また、会いたいね」

 彼女の目はいわゆる「パール・シティ」のIKUを追っかけているのだろうか。

 南雲秋世という十五歳の人間を追いかけているわけではないのだろう。

 秋世は黙ったまま首を振って、席を立った。


 さっさと帰った方がいい。時計の針を見ると数字一つ分しか動いていない。

 ──五分間かよ。

 自嘲した。

 あれが「初体験」にカウントされるとしたら実にむなしい。たった五分で終わってしまったなんて、そんなのあるか。いきなり疲れがどかりと肩にかぶさってくる。通り過ぎる女性たちの顔をさばのひらきと同じっぽく眺めながら、秋世は本条先輩といた席についた。さっさと踊ってきたのかそれとも疲れたのかわからないが、本条先輩は三杯目の透明な液体をすすっていた。色は照明にかき消されていた。秋世の姿を見るなり、隣の席をぽんぽんと叩いた。

「気いつけろよ」

 肩を組み、耳に息を吹きかけた。

「何を?」

「食いたい気持ちもわかるけどな」

 まじまじと本条先輩の顔を眺め、読み取ろうとした。

「今夜のところは俺と出来てる振りしろよ」

「だから何をっすか」

 たった五分間の出来事を本条先輩は見ていたということだろうか?

 心臓がぱくぱく言い出し、目の前の明かりが揺れ出した。

「お前、規律のくせに知らんのか」

 いきなり忘れていた「規律」なんて言葉を口にした本条先輩。髪の毛を掻き揚げると大きなため息をついた後、

「『児童福祉法』によるとだ。『満18歳に満たない者』がいわゆる『児童』なんだとさ。ついでに言うと、お前まだ十五歳だろ。『小学校就学の始期から、満18歳に達するまでの者』は『少年』なんだとさ。俺もお前も、まだ『少年』な」

「法律詳しいですねえ。弁護士目指してるとか?」

 おちゃらけてごまかそうとするが果たせなかった。さらに腕をがっちりと組まれ、ささやかれる。

「児童福祉法第34条1項6号によるとだ。『児童に淫行をさせる行為』をさせちゃあいけないって決まりになってるわけなんだ」

 人のこと言えるかと言いたいががまんする。

「つまり、なぐちゃんにに色目使った『チェリー食い』のお嬢さんたちは、即、犯罪を犯したことになっちまうってわけだよ。どっちが誘ったかとか、愛があるかとかないとか、そんなの関係ないにしてもだな」

「あの、じゃあ先輩は」

 思わず「先輩」と口走ってしまった。不覚なり。さらにぐいと肩を抱かれた。

「同じ青少年だったら罰則は適用されないんだよ。ま、条例違反になっちまうから、補導はされるかもしれねえけどな。その辺は計算してるぞ」

 意味不明な言葉を吐いた後、本条先輩は立ち上がった。

「とにかく、いったん出るぞ。なぐちゃん、お前いるだけで犯罪者が増えちまう。足ついちまうぞ」


 ──犯罪者?

 ──俺が、いるだけで?


 朦朧とした意識の中、本条先輩とべったりくっつきながら闇を歩いた。どうもこのダンスパブでは、男と女もさることながら同性同士の繋がりも認められているらしい。

「とにかく詳しい話は、部屋で聞くぞ」

 男子同士の恋人同士の顔して、ふたりは闇から抜け出した。地下からうねっていた生臭い匂いが夜風で吹き飛んだ。本条先輩の髪の毛に振りかけ銀粉はだいぶはげていた。

「しっかしなあ、すっかりしょぼくれてしまいやがって」

 まだその辺には鏡になるようなものがなかったので、「しょぼくれた」自分がどんなものだか、さっぱりわからなかった。少し緩んだベルトを指先で持ち上げながら、秋世はこれから本条先輩にどう説明すべきかに頭悩ませた。


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