第二部 15
──明日、妙子さんを捕まえよう。ああいうこと言うくらいなら、親たちよりもほんとのこと、絶対知っているはずだしな。
父は母に、
「あの写真を持ってきなさい」
と、一言告げた。母もまた、すぐ理解したようで立ち上がり、隣の部屋へ消えた。
「秋世、まず先に」
二人きり、座り込んだ秋世に向かい、父は静かに尋ねた。
「何があったか、覚えていないんだな」
覚えていたら誰が文句言うかって。そういい返したいものの、口篭もるだけだ。首を振った。父に目を向けたまま。これがやましくない証拠だった。
「そうか。ならいい」
母が戻ってきた。持っているのは真っ赤なアルバム一冊だった。分厚く、秋世が生まれてから即、産院で撮られた写真やら、七五三のお参りやら、入学式やら、すべてが挟み込まれているものだった。もっとも秋世は自分の写真を眺める趣味がない。観るのならば自分を鏡に映せばいいことだ。
父はそのアルバムを両手で受け取った。すばやく白い台紙を繰って、広げた。秋世に手渡した。重たくずしりと来る。
「この時のことを、覚えていないか」
目線を落とし、じっくり見つめた。そこには南雲家の家族勢ぞろい……もちろん昭代も一緒に……で、秋世が祖母の手をしっかり握り締めている姿が残っていた。両親は後ろに、昭代は母の腕で抱かれている。その中で、昭代の髪の毛が少年っぽくざくざくした感じにカットされているのが目についた。洋服がピンクのワンピースでなければ、きっと男の子と間違えられただろう。
「いつの?」
「お前が五歳で、昭代が二歳の時だ」
──一番問題の時かよ。
舌打ちしながら秋世はもう一度写真を見下ろした。こういう風な写真を撮ったこと自体、秋世は全く覚えていないし、なんでこんな家族写真を用意したのかすら理解できない。この写真から読み取れることと言えば、当時から秋世はおばあちゃん子だったことと、昭代はもともと男っぽい感じの子だったのだという、それだけだ。
しばらく父は秋世と母を交互に眺め、吐息をもらした。
「秋世、いいか」
呼吸の音がはっきりと聞こえた。さっき水浸しにしてしまったテーブルの上には、領収書やら書類やらが放置されていた。まだ、すべて片付けきっていなかったようだった。明日中に処理をしなくてはならない内容なのかもしれない。
──知ったことかよ。
唇を噛み、秋世は父を見返した。
「やましくないから、早く言ってくれよ」
「わかった」
父はアルバムの上へかがみこむように、中腰になった。同時に人差し指で、写真の上を突いた。その先は、ざくざく髪の昭代に向けてだった。
「この髪の毛は、秋世、お前がやったんだよ」
──こんな趣味悪いこと、いくら俺がガキでもするかって!
言われている意味がわからない。理解できても意味不明だ。
「どういうことさ」
母が顔をそむけた。父のみ、指を動かさずに小さく首を振り、
「つまり、お前が五歳の時に、昭代をいじめたというのは、このことなんだ」
「髪の毛、ちょんぎったってか」
無感情のまま、秋世は返すしかなかった。父の眼はさらに沈んだまま、秋世からそらされず、
「本当のことは、おそらくおばあちゃんと昭代しか覚えていないだろう。それは仕方ない。ただ、はっきりしているのは、お前のことを昭代は本当に怖がってしまっている。そのきっかけが、この写真に残っている。それだけを言いたかったんだよ」
「きっかけって、俺が」
言葉にならなかった。父の指に触れるように、秋世も昭代の髪の毛部分に手を重ねた。
「けど、まさか」
「しゅうくんは覚えていないのね」
母が小さな声で割り込み、父を見た。
「本当に、覚えていないならそれはそれでしかたない。秋世、お前もあの時以来、昭代に対して精一杯いいお兄さんになるよう努力してきたし、お父さんたちはそれを十分理解しているつもりだよ。でもな、秋世」
ゆっくりと、指をそのまま、父は秋世にくっつけた。ぬくもりが伝わってくる。
「昭代には、その時の恐怖がずっと続いているんだ。それだけは、忘れるなよ」
「忘れるなって、そんなこと、俺どうすればいいんだよ!」
声が荒立つ。自分でも頭の中が二分割されたようで、どちらの路線を通っていけばいいのかわからなかった。片方の頭では、自分がやんちゃを尽くして昭代の髪の毛をとこやさんごっこして切りまくったことを納得している。たぶんあの頃は、病院からやっと解放されて、とにかく外で走り回りたくてならない時期だった。たまたま傍には昭代もいたし、ちょうどいいおもちゃだったことは否めない。母の真似をして、髪の毛をくしでとかしてやったり、ご飯の前には手を合わせる習慣を教えたり、いろいろしたものだった。でも、秋世に残っている記憶はそのくらいだ。もしかしたら、近所の男子友だちと一緒に木登りとか何かしたかもしれないし、その時に昭代の面倒を見なくてはならないってことでとばっちりを受けたかもしれない。でも、そんなにおびえることなのだろうか? 秋世には理解できない。
そしてもう片方の頭には、否、否と唱える何かがいる。
それが何者なのかも、秋世にはわからない。
──そんな奇麗事だけじゃねえよ。
そうつぶやく、見知らぬ誰かがいる。
──だまされるなよ、目の前の大人どもに。
秋世は父の手を振り払った。そのままじっと父、そして母を見据えた。
「父さん、それだけじゃないよな」
母にも告げた。
「母さん、なんか、あるんだろ。ばあちゃんと昭代と」
一呼吸置き、凍りついたままの両親に言い放った。
「俺が髪の毛切り刻んだだけで、あんなにおびえるなんて、絶対ありえねえよ。もっと、俺なにか、したんだろ? それ以上になんか、ひでえことしたんだろ? もう俺覚悟できてるし、みんな話してくれたっていいよ。ほんとに」
自分の知らない誰かがしでかしたこと、かつて五歳だった自分がしでかした罪。
すべてを知らないまま、昭代や妙子にはもう顔を合わせたくなかった。
「どうせ、そういうこと、ばればれなんだろ。瑞希おばさんも、妙子さんも、おじさんも、他の親戚もみんな。その中で罪人の俺だけが知らないなんて、そんなの絶対変だろうが!」
「秋世、罪人だなんて言わないで!」
「だってそうだろ! 俺が昭代を髪の毛切っていじめたりしなければ、あいつはうちにいたんだろ? うちにいてずっと俺の妹でいたんだろ? なのに、俺がやったんだろ!」
「落ち着きなさい、話をよく聞くんだ」
「じゃあしゃべろよ!」
思わずかっとなる自分がいる。
思わず父親を殴ってやりたくなる自分がいる。
ずっと、どこか知らないところですわり込んでいたのであろう自分がいきなり、背中越しにやってきて、自分の立っている一線を飛び越えてしまいそうだ。
「聞きたいならまず、黙りなさい」
父は全く動揺せず、アルバムを閉じた。
「結論からいうと、昭代に手を出したお前はもう、この世にいない。それだけはよく覚えておけ」
全く意味不明のことをつぶやく父を、秋世はじっとにらみつけた。
「お前が五歳まで、しょっちゅう病院と家の往復をしていたのは覚えているな」
──そりゃあもう、すごかったもんな。見舞い客に「秋世くんのおうちは?」と聞かれて「ここ!」と病院のベッドを指差したくらいだから。生後即かかった病気……小児結核……はもう少し早い段階でめどがついたらしいが、その後の合併症とかが続いてしまい、ちょっと熱を出すとすぐに救急車で病院へ運ばれる日々を過ごしていた。
「五歳の夏、やっと退院してから一度、おばあちゃんと昭代と、それからお前と、三人で二日間過ごした時のことを覚えているか?」
「あ、それはある」
仏壇上に乗っかっている黒枠写真の祖母を見やる。
「父さんと母さんはふたりで、用事があって出かけていた。その間、おばあちゃんと秋世はふたりで、昭代を面倒見ていたはずなんだ」
そうだった。そのことは覚えていた。確か母に、「秋世はお兄ちゃんなんだから、昭代のことを可愛がってあげてね」と言い聞かせられた記憶がある。病み上がりということもあり、外には出られなかったけれども、祖母と二人で蜜豆を食べたり、テレビのヒーロー番組を見たり、時には近所の男の子友だちを呼んではしゃいだり、いろいろした。でも、それだけだ。昭代がいて、どうのこうのということはなかったはずだ。
「三日目の朝に、父さんたちが帰ってきた時、昭代の髪の毛がさっきの写真と同じように散切り状態だった。それがどうしてなのかおばあちゃんに尋ねたら、秋世がとこやさんごっこをして昭代の髪の毛を切ったのだ、と説明してくれたんだ」
「やっぱり、俺かよ」
吐き捨てた。逃げたくても逃げ場所が見つからない。そんな怒りがふつふつと湧く。
記憶にもないことを土下座して謝らねばならない。そんな理不尽さ。
「いや、それだったらお前のことを、きつく叱ってそれで終わるだろう。それに昭代も二歳だ。いくら兄貴に髪の毛をいたずらされても、普段から可愛がっていればすぐに忘れるだろう。だが、しかしなんだ」
「だがしかしって、結局俺が悪いのかよ」
大きく父は息をついた。
「その時以来、昭代はとにかく、お前のことを怖がっていたんだ。どうしようもなく、怖くてならない兄貴だと思って、顔を見るなりおびえて泣き出した。もちろんお前の罪ないいたずらにすぎなかっただろうし、髪の毛も伸びるものだ。最初のうちはそれほど心配していなかったんだよ」
父が「最初」のところに、奇妙なアクセントをつけたところが気になった。ぐいと顔を上げて唇をかんだ。
「どういうことだよ、それ」
隣で父の顔をじっと伺っていた母が、おそるおそるといった風に言葉をはさんだ。
「その後、おじさんおばさんと相談して、昭代をしばらく預けることにしたのよ。それだけよ」
「それだけってなんだよ!」
思わずすごむ。話のつじつまが合っていないじゃないか。
「なんだよ、いったい話がわけわかんねえよ!」
アルバムを思いっきりぶん殴る。一瞬、手型がついたがすぐ消えた。
「だってさ、父さんが言うことが本当だったら、俺が昭代の髪の毛を切って遊んだことがきっかけで、あいつは俺のこと嫌いになったんだろう? それならわかるよ。俺が悪かったって、今からでも謝るよ。だけど、それだけじゃねえよな。ふつう、そんなことだけで、兄貴が嫌いだってだけで養女に出すっていうんだったら、世の中の兄弟仲最悪な連中みんな、養子縁組のオンパレードだぞ。俺だって、そんときは確かにとんでもないことしちまったかもしれないけど、今の俺がそんなことすると思うかよ? 俺、あいつがもし、今、首根っこ掴まれてバリカン刈りされそうになったら、たぶん半殺しにしてやるよ。青大附中なんて退学になったっていいって。それほんとだよ」
「そうだよな、秋世、お前はそういう奴だ」
断言する口調の父に、戸惑い自分の勢いが殺される。
「私が言ったのは、あくまでも五歳の夏の、たった二日間のことなんだ。秋世がその後、昭代を大切に守ろうとしていたのは親としてもよくわかる」
「そうよ、しゅうくんは本当にいい子だったのよ」
「じゃあなんで」
再び蒸し返す秋世に、今度は母が両手を組み合わせたまま言葉をはさんだ。
「もうおばあちゃんが居ないから話すけど、あの時ね、しゅうくんのことを親戚中からさんざん責められたの。妹の髪の毛をざんばらにしてしまうような悪い子だとか、尾ひれ背びれがついてね。昭代はまだ二歳だけど、しゅうくんの傍に近づけない子になってしまい、それがかえって周りを誤解させたのね。しゅうくんはもうとっくに反省していい子にもどったのに、本当に周りの人たちは聞くに堪えないことを言ったのよ」
「どんなことだよ」
「言えないわ。酷すぎて」
──ほんとかよ。
秋世の記憶している限り、そんな酷い言葉を今まで親戚筋から投げつけられたことはなかった。それどころか、いつも「秋世くんは本当に思いやりのあるいい子だねえ」と誉められてばかりだった。葬儀期間中の三日間は、あの妙子さんと昭代を除いて、非常に受けのいい子どもだと受け止められていたはずだ。もちろん自分がそういう仮面をかぶっていたこともあるだろうが、それほどずれがあるとは思えない。
「とにかく、あまりにもしゅうくんばかり責められるものだから、とうとうおばあちゃんが怒ってしまったのよ。しゅうくんのことをいじめる人間は、大人であろうが子どもであろうが容赦しません、と親戚中に宣言してしまったの」
──宣言かよ。
「けどそんなことでふつういじめってなくなるもんかよ。俺、親戚の人たちから嫌味も嫌がらせもされたことねえよ。みんないい人だって、ばあちゃん言ってたし」
「違うのよ。それはね、なんというか」
言葉をにごらせるように母がうつむく。そういうところに真実が隠れているはずだ。
「なんというかって、なんだよ」
「おばあちゃんは、誤解したのよ。兄が妹にちょっとやんちゃをしかけただけなのに、大げさに受け取りすぎる昭代のほうが悪いってね」
「けどまだ二歳だよな!」
「そうよ、まだ二歳だったわね。でも、おばあちゃんにとっては二歳でも二十歳でも関係なかったのよ。しゅうくんを傷つける人は、絶対に許さない。しゅうくんは世界中でただ一人、おばあちゃんが守るんだ、そう決めていたの」
「けどけどさ、昭代だって、ばあちゃんの孫だよな。俺も昭代も孫なのに、それだけでなんで差別されるんだよ」
言葉に詰まったのか、父の方を伺う母。やはりこのあたりに、核が隠れている。
「秋世、もう一度言うとな」
父は舌先で唇をなめるようなしぐさをした後、
「おばあちゃんもそうだったが、昭代も生まれた頃から、瑞希おばさんたちになついていたんだ。お父さんお母さんが抱いても泣き止まなかったのに、瑞希おばさんがだっこするとすぐに落ち着いたんだ。あの事件以来、瑞希おばさんの傍から昭代は離れなくなってしまい、父さんたちが連れて帰ろうとすると激しく泣いて嫌がったんだ。もちろん秋世のこともあっただろう。でもな、それ以前に昭代は向こうの家にいたがってならなかったんだ」
「親なのに子ども置いてって、それで平気かよ!」
腰がふわっと浮いた。父と母が座っているのを、見下ろした。それぞれまだ葬儀後の髪の毛を整えたままだった。白いシャツにグレーのスカートとズボン。
「父さん、どうしてだよ。昭代が嫌がるようだったら、無理やり抱きかかえてうちに連れてくればよかったんだよ。生まれた時はどうだったか知らないけどさ、昭代はうちの子だろ、父さんと母さんの子だろ、ばあちゃんの孫だろ? ばあちゃんが誤解しているのはしょうがないけど、それは俺が後からいくらでも謝ってみんなにそんな奴じゃないって証明すればいいことじゃないかよ。昭代をこれから守ってやればいいことじゃねえかよ。なのになんでだよ。たかが俺が悪さしたくらいで、なんで昭代を追い出さなくちゃならなかったんだよ!」
黒枠の写真から祖母が秋世を笑顔で見守っている。
──ばあちゃん、昭代を追い出すなんてわけ、ないよな。
理屈では理解しているつもりなのだ。
──ばあちゃんは、俺がやらかしたいたずらで昭代が傷つけられたことを知っていたんだ。
──その時に俺が親戚中から総すかんくったこと知ってて、それで俺を守ろうとしたんだ。
──けど、だからって別のうちに昭代を預けるってのは、なんか違いすぎるよな。
──少しほとぼりが冷めてからさ、うちに戻すってことだってできただろ。
祖母が秋世のことを溺愛していたのは自覚していた。
でも、妹を追い出すほどに、とは思えない。
祖母にとっても、昭代は秋世と同じ孫のはずだ。可愛くないわけがない。なのになんで、祖母はあんな写真を残していたんだろうか? 秋世と昭代の顔があまりにも似てなかったからだろうか? それとも秋世をいじめた奴は、たとえ孫娘でも許さないってことなのだろうか? そんな感情、秋世には想像がつかないし、ありえないと思う。
──ばあちゃんのことだから、あとで気がつくはずだよ。ばあちゃん、そんなに話のわからない人じゃねえし、そんなことくらいでばあちゃんが昭代を追い出すわけないよ。
──な、ばあちゃん、そんなこと、絶対ねえだろ?
自然とまた、涙がこぼれてくる。
「ばあちゃんのこと、今になってなんでそんな酷いこと言うんだよ」
これだけがやっと、搾り出せた言葉だった。
「ばあちゃんだって、そんなつもり、絶対ないよ。だけどなんで、あんなに嫌うんだよ。俺だけじゃないよな、俺の悪さだけじゃねえよな」
何度も繰り返す。母が意を決したように立ち上がり、秋世の肩に触れようとした。
「しゅうくん、もう終わったことなのよ。おばあちゃんはしゅうくんのためによかれと思ってしたことなのだから、おばあちゃんを責めないでね」
「誰が責めるかよ!」
手を振り払った。生暖かくて梅雨っぽくて、じめじめしているその感触が許せない。
「ばあちゃんのどこが悪いんだよ! 周りが悪いじゃねえかよ。俺を責めればいいんだ。俺が悪かったんだから、俺はとことん昭代に嫌われたっていいのに、なんで今になってばあちゃんばっかり責めるんだよ! ばあちゃんのせいになんてするなよ!」
左手がテーブルの書類にとんだ。話をしている間にテーブルの上に広がった水は乾いていた。紙を叩き落とした。すぐに父が背中を羽交い絞めにした。腕力がかなわない。無理やり引き倒されるような格好でソファーに横たわった。三発目の張り手を食らわされた。
「朝になるまで部屋に戻っていろ。しばらくは学校休みになるだろう。もう少し、頭を冷やしてから考えなさい」
「よく自分の親が死んでも平気でいられるよな!」
罵倒したかった。とことん罵って、殴るなら殴ればいいというそんな気持ちだった。
父はそれ以上手を挙げることなく、黙って散らばった書類を拾い始めた。母が秋世の隣でそっとしゃがみこむようにして、
「しゅうくんは何も心配しないでいいの。しゅうくんはその分、きちんと努力しているの。あとは昭代の問題なの。だから、もう思い悩まないでもいいのよ」
明日からあと四日間、秋世は忌引で学校を休む予定だった。それはわかっている。まずは寝ていても大丈夫だ。朝の心配はない。
おそらく、瑞希おばさんの家もそうだろうし、昭代も付き合うだろう。
でも、まずは最初に、やらねばならないことがある。
完全に腫れた頬をさすりながら、秋世は部屋に戻った。階段を昇ってゆき、祖母の部屋の襖が開けっ放しだったことに気づいてすぐに閉めた。自分の部屋の戸を力いっぱい閉め、ベッドの上に座り込んだ。まだ残っている気持ち悪い感覚が、抜けなかった。
──それだけで自分の子を、親戚に預けっぱなしに、できるかよ。
どうしても、納得いかなかった。窓の外を眺めると、かすかに淡い桃色の朝焼けが浮かんでいた。なんだか祖母が作ってくれたてるてる坊主を思い出し、また涙が出そうになる。こんなうるうるしてしまう性格でもないというのに。しばらく流れるままにした後、手の甲でこすった。つんとくさい匂いがした。
──ばあちゃんがいくら言ったって、俺がいくら昭代の髪の毛切ったからって、それだけの理由で瑞希おばさん家に昭代を置いてくるわけねえよ。仮にも親だろ? いくら昭代が瑞希おばさんや妙子さんになついてたってさ、うちがいいに決まってるさ。俺だって。
自分の記憶では、それ以降いじめた記憶なんてさらさらない。
今もし、この家にいたら昭代になにをしてやっただろう?
──もちろん、勉強も教えてやってさ、おいしいもの買ってやってさ、青大附中の学校祭にはちゃんと呼んでさ、彰子さんにも紹介してさ、規律の連中にも紹介してやってさ、いろいろやってやるに決まってるのにさ。
いじめるなんて選択肢だけは、断じて、ない。
なのに、妙子さんははっきりと「いたずら」とか「いじめつくす」とか言う言葉を使って秋世を責めた。「誰もがみな知っている」とまで言った。両親も当然知っていると思って今尋ねた。その結果が、これだ。
とこやさんごっこして、髪の毛切って、それでおびえられて、ばあちゃんが怒って。
そんな単純な話ではないはずだ。
両親が秋世のことを思って隠していたのか、それともまた別の意味があったのか、それはわからない。はっきりしているのは、両親の言葉は空洞がありすぎてすかすか、事実のかなづちでこつんと叩くと、即、こなごなになる、それだけだ。
明日も、あさっても、しばらくは家にこもる予定だ。
なら、妙子さんも同じ状況のはずだ。同じく喪に服さざるを得ないはずだ。
つまり、それなりにみな、ひまなはずだ。
だったら。
──明日、妙子さんを捕まえよう。ああいうこと言うくらいなら、親たちよりもほんとのこと、絶対知っているはずだしな。
秋世はすばやく布団にもぐりこみ、眼を閉じた。