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第二部 12


──誰も、ここにいる奴の中で誰も、ばあちゃんいなくなって悲しいって思ってる奴、いねえよ!




 


 校舎へバスが到着すると同時に、事務員の人が菱本先生のもとへ駆け寄ってきて何か説明しているのを目にした時は、自分のことだと気づかなかった。ずっと彰子をはさんで水口と取り合いやりあいをしていたわけだから。その後いきなり菱本先生が最奥の席まで走ってきて、

「南雲、これからすぐに降りて、タクシーに乗れ。とにかく先に下りろ」

 と命令された時も、また菱本先生の冗談が始まるのだろうと脳天気な想像しかしていなかった。青潟の重たい空と、少し汗ばむ空気。秋世が最後に彰子へ投げキッスを送った時までは、祖母がもう声なき存在としてたゆたっているとは思っても見なかった。通路脇の入り口で立村だけが、黙って秋世を見つめていた時も、それが何なのか気づかずにいた。

 そうだ、すべては自分だけが、何も知らずにいたわけだった。

 ──まさかだろ。

 今の秋世にはそれしか言えなかった。


「お前のおばあさんが、先ほど、御亡くなりになられたそうだ」

 菱本先生は秋世を生徒たちの集団から引き離し、一度立ち止まり告げた。

 さすがに歩きながら人の死を語るのはまずいと考えたのだろう。

「うちのばあちゃんが」

 繰り返したのは、無意識だった。

「今から、ここに来るようにと、ご両親から連絡が入っている。これを運転手に見せて、そのまま行け。タクシー代はあるか?」

 渡されたメモには「青潟中央セレモニーセンター」とつづられていた。

「セレモニーセンターって、何?」

 間抜けな言葉を繰り返している自分がいる。どこか自分が自分でないようだった。

「つまり葬儀場だ」

 先生の言葉も、事務的でかつ、静かだった。

「わかりました」

「気をしっかり持てよ」

「はい」

 余計な慰めをしてこない菱本先生の態度に、ひそかに感謝した。ここで他の連中から「可愛そうに、辛かったでしょう」「耐えるのよ、がんばって」と白々しいお悔やみを言われても、たぶん秋世は受け入れられそうになかったから。

 ──うそだろう?

 ──だってばあちゃん、出発前はぴんぴんしてたじゃん。

 ──ちゃんと土産持ってくって。

 いろいろ迷ったあげく、テレホンカードと石鹸を購入したのにだ。入院先で顔を洗ったりなんなりする時に、石鹸がかなり必要だと聞いていたから、絶対役立つものをと選んだつもりなのにだ。秋世にはわからなかった。まだその事実が現場でひっくり返されることを、どこかで望んでいる自分もいた。

 菱本先生がタクシーを捕まえると、「ここまでお願いします」とセレモニーセンターの場所を説明した。秋世はただ突っ立ったまま、先生のすることを見ていた。後ろ扉が開いて秋世が乗り込むと、菱本先生はゆっくりとひとつ頷いた。


 車から降りて後、やたらと白さが目だつ華やかな建物の中に入っていった。ここが葬儀場なのだということだけは、「故〜葬儀会場」などと書かれたどでかい看板と、パチンコ屋で見かける花輪などで認めざるを得なかった。

 ──まったく、これ嘘だろ。

 「なくなられた」と聞かされた瞬間は息が止まりそうになった。それは嘘ではない。

 でも、一呼吸した後冷静に振舞っている秋世自身がいる。

 今菱本先生が口走った言葉は、たぶん何かの間違いだと、絶対ありえない仮定をしている自分がいた。

 でも、もし本当に……まだ秋世は認めていなかった……祖母が息を引き取ったとして、まず連れて行くべき場所は、病院か自宅かのどちらかではないだろうか。なんでいきなり葬儀場、もしくはセレモニーホールなのだろうか。このセレモニーホールという建物自体が陰気っぽくなく、下手したら結婚式もやれそうなムードの場所だからなおさらだ。さすがに飾られている花のほとんどが白い菊ばかりだし、その辺はなんとも言えないが。

 大理石にはさまれた受付らしきところに向かい、黒いスーツの女性に尋ねる。

「すみません、南雲といいますけど」

 年配の女性がすぐに頷いて、やさしい表情のまま秋世を案内してくれた。

 作り笑いでもなく、ただ楚々と自然に。

 ──やっぱり、嘘だよな。

 エレベーターに乗り、三階で降りた。連れていかれた場所は、和室だった。修学旅行の旅館に少し雰囲気が似ていた。それぞれの部屋に立て看板のようなものが置かれていた。「南雲家ご家族様」と、黒に白い文字でつづられていた。修学旅行中食事を取る時に使われていたものと同じだった。

 頭を下げて、女性が去っていった。他の遺族たちとバッティングしないように組まれているらしい。引き戸の前でもう一度唇をかみ締め、秋世は手をかけた。

 六畳の部屋が襖でもって仕切られている部屋の中に、両親と祖母がいた。

 祖母は布団の中であお向けになり、横たわっていた。ただ寝ている時と同じに見えた。

 認めざるを、得なかった。


 両親の顔を交互に見つめ、秋世は靴を脱いで部屋に上がった。

「ばあちゃんは」

 それしか言葉が出なかった。父が黙って自分の隣の座布団を叩いた。母の隣と父の隣に一枚ずつ敷かれていた。促されるまま、そこに正座した。

「秋世、おばあちゃんに、挨拶しなさい」

 母がかすかに涙目で秋世に頷いた。

 目の前で横たわっている祖母の姿は、どうみてもただ寝ているだけにしか見えなかった。なのに、近づけば近づくほど、雰囲気が硬くなっていく。呼吸が止まり、口の中と鼻の穴から白い詰め物が見えた。かすかに化粧されているのか、口紅が施されていた。真上を見上げる格好で、目を閉じていた。

「ばあちゃん、俺、帰ったよ」

 声をかけた。

「土産、買ってきた」

 かばんを背負ったままなのに気づいた。着替えや土産を全部詰め込んだかばんの中に入れておいたはずだった。ちゃんとそこには、祖母のために買ったテレホンカードとレモンの形をした手作り石鹸が入っているはずだった。引っ張り出す前に、昭代に用意した海峡クッキーが邪魔だったので取り出した。枕もとにちゃんと一枚と一個、並べておいた。

「見えるよな、ばあちゃん。旅行、ばあちゃんのてるてるぼうずのおかげでさ、晴れてたよ。四日目の夜だけすげえ雨だったけどさ、あとみんな、いい天気だったよ。船も揺れないで、俺、酔わないですんだしさ」

 聞こえているならきっと目を覚ますはずだ。小さい頃から、秋世が風邪を引いて熱を出し、のどが乾いて眠れない時も祖母はすぐ、ストローでジュースを用意してくれた。両親が気づかないことでも、祖母だけはすぐに「秋世どうしたの、元気ないねえ」と声をかけてくれた。最近は眠りが深くなったせいか、あまり言われなくなったけれども。でも、こうやって枕もとで話し掛けたら、秋世の声で目覚めないわけ、ないはずだ。

「ばあちゃん、起きてよ。起きて話、しようよ」

「しゅうくん、もういいでしょ」

 母が手首を軽くつかむようにして、後ろへ戻そうとした。なぜかかっとなった。

「よかねえよ!」

 母の引きつった表情に、また血が滾りそうになる。なぜ、なぜなのだ。修学旅行前日まであんな元気だったのにだ。いったいなぜ、いきなり、動かなくなるのだ。声も出さず、寝てるのに化粧なんかして、ただ硬くなったままでいるなんて、そんなのはばあちゃんじゃない。それに、こんなところ……セレモニーホールなんてところに、なんでいきなり運ばれているんだろうか。秋世は絶対、ばあちゃんが死ぬわけないと思っていた。絶対に、秋世が死ぬまでばあちゃんは生きていると思っていた。年齢の差と理屈は頭にあるしそんなこと言ったら馬鹿にされるから言わなかったけど、絶対に死ぬわけなんてないと信じていた。

「なんでだよ、ばあちゃん、なんで死んでるんだよ、俺、なんか悪いこと、したかよ」

「秋世、落ち着きなさい。おばあちゃんが悲しむよ」

「だって、ばあちゃん死ぬわけねえって」

 ここまで口にしたとたん、のどの奥に熱いものが突然こみ上げた。吐きそうだった。口を手で覆い落ち着かせようとする。でもわっと吐き出してしまわないとどうしようもない。それが涙のほとばしりからなる前兆だということを、秋世は今まで忘れていた。最近泣いたことなんてなかったし、泣かされることもなかったし。どうして今になって、忘れていた涙が溢れ出すのだろう。まるで、めそめそする女子みたいだった。自分をいくら叱っても、「俺は青大附中の規律委員長だろうが!」と言い聞かせても、無駄だった。かかっている布団の端を握り締め秋世は祖母の胸に顔をうずめようとし、はっと気が付いた。かすかに漂う匂いには、祖母の持つ甘い香りが消えていた。近づいて見つめた顔の上には化粧で隠されたとはいえ、紫の班がぽつん、ぽつんと残っていた。

 ──ばあちゃん死ぬわけないのに、なんでだよ。

 こらえきれなかった。秋世は顔をうずめられず、仕方なく一歩ひざで後ろに下がった。母がまた手を差し伸べてくれたが思いっきり払った。

「秋世、トイレは部屋の脇にある」

 父の言葉が救いだった。秋世はトイレに飛び込み嗚咽し続けた。


 ──なんで、死んじゃったんだよ。

 思いっきり泣くと、涙腺が限界を向かえてからからになってしまった。

 のども嗄れた。

 こんなところで一人うじうじやっているなんて、自分の流儀じゃないはずだ。なのに祖母のことになると、どうしても自分がおかしくなってしまう。

 彰子のことが絡んでいても、どんなことが起こっても、まず最初に秋世にはばあちゃんありき。ばあちゃんの顔をまず最初に見ること、朝起きたらばあちゃんに「おはよう」と声をかけ、寝る時も「おやすみ」と挨拶を交わす。おいしいものをもらったらまず、ばあちゃんに半分渡すのが習慣だった。両親では決してなかった。何かうれしいことがあったら……もちろん小学校の頃限定だが……まずはばあちゃんに報告していた。青大附中に合格した時も、受験会場から電話をして、すぐに出た母を追っ払い、ばあちゃんに代わってもらった。彰子のことだってそうだ。彰子はばあちゃんにものすごく気に入られていた。秋世がそれまで付き合っていた女子のことをどのくらい知っていたかは知らないけども、ばあちゃんは彰子が将来秋世のお嫁さんになってくれることを、真剣に祈っていた。ばあちゃんが望んでいて、自分も大好きな子でないと絶対結婚したくないと子どもの頃から思っていた。

 ──いきなりすぎるって。なんでだよ。

 なんでだよ、を繰り返しているうちに、聞き忘れていたことに気が付いた。

 ──なんで、ばあちゃん今日死んだんだよ。よりによって、なんでだよ。

 顔を水で何度も洗った。髪の毛がだいぶぼさぼさになったがかまうことない。秋世は部屋に戻った。いつのまにか、部屋には人が増えていた。いつもならば髪の毛を至急ムースで整えたりするのだが、それすら面倒くさかった。

「しゅうくん、瑞希おばさんよ」

 秋世は一礼した。母の声がとがっていたのは、やはり昭代がおばさんの隣にぺたりとくっついて正座していたからだろうか。秋世たちの隣に、ざぶとん二枚ぶん離れた格好で座っていた。紺色の半そでワンピースを着た昭代は、髪の毛を一本にまとめ低く結んでいた。いつも見かける時のように、秋世をおどおどしながらにらんでいた。

「秋世くん、おひさしぶりね。このたびは」

「そういう他人行儀なことやめてよ」

 母がまた、刺のある調子で割り込んだ。

「今、秋世も修学旅行から帰ったばかりで、まだ何も話していないのよ」

「まだ話してないの? 姉さん」

 瑞希おばさんもやり返した。母の妹に当たる人なのだが、秋世の観る限り決して仲の良い姉妹には見えなかった。秋世の前では「あら、秋世くん大きくなったわねえ」とおざなりのお世辞を口にするし、笑顔も見せる。でも母にとっては「娘の気持ちを奪った女」なのかもしれない。たまたま秋世が入院している時に預けたら、実の母よりも育ての母となった瑞希おばさんの方に懐いてしまった。決して帰りたがらなくなってしまった。それゆえの、恨み。

 このあたりを追求していくと、秋世が幼年時代、入院生活を送っていたことがすべての理由になりそうだった。あえて口にせず、秋世は父の隣に座った。

「でも姉さんも大変だったわよねえ。いきなりですものね、病院で」

 倒置法を使い、秋世がひそかに聞きたかったことを尋ねてくる瑞希おば。

「今晩は身内だけの仮通夜だから、あんたたちもここで泊まっていく?」

 話を無理やりそらそうとしている母。ぴんときた。秋世は割り込んだ。

「母さん、なんでばあちゃん今日倒れたの」

 当然、聞かねばならない事情のはずだった。おばさんも昭代もおそらく、聞いているのかもしれない。なのにまた、秋世だけ聞いてないなんてことになったらいやだ。彰子のこともそうだった。立村のこともそうだった。なぜかこのごろ、みな秋世に本当のことを語ろうとしない。その理由すらも見当つかないまま、ひとり取り残されていく。ばあちゃんのことだけは、誰よりも先に、秋世が知らなくてはならないはずなのに。

 ──ばあちゃんは、俺が一番だったんだ。それなのに、なんで俺にはなんも話してくれないんだよ!

「病院でって、どういうことだよ、母さん」

「秋世、止めなさい。母さんは疲れているんだ」

 父が声を荒げた。そんなの知ったことか。父だって、陰でばあちゃんのことを「困った人だなあ」とため息ついていたじゃないか。「わがままだなあ」と。母さんだって、本当はもっと病院に付き添ってあげてたっていいはずだろう。なのに、なんでなのかわからない。秋世にはまったく理解できない。

「病院でね、話している時にね、いきなり」

 母は言葉をとぎらせた。父がまた「母さん、今は黙ってなさい」とやさしげに語る。でもそんなの許したくない。秋世は母の真正面にまわり、ひざとひざをつけるような格好で正座した。じっと母の目を覗き込んだ。そらそうとする母を、逃しはしなかった。

「おばあちゃん、気分が悪くなって、病院でそれで」

 またごまかそうとするのか、言葉を飲み込む母。最後まで言わせたかった。

「いいじゃないの、姉さん、悪いことしたわけじゃないんだし」

 あっけらかんと、本当は全然悲しんでいないんだろうという口調でもって、瑞希おばさんは秋世の知りたいことを、すべて語ってくれた。それこそ、秋世のほしい言葉だった。隣でまだ、びくびくしながら秋世がにらみつけている。片ひざを母の座布団に、もう片ひざは瑞希おばさんに向け、

「教えてください」

 そう告げた。

 そばで目を伏せ顔を覆っている母からはこれ以上言葉が出てこなかったけれども、瑞希おばさんはさらさらと、その辺のワイドショー話をするようなのりで語りつづけた。


「おばあちゃんの体調がおかしくなったのは今日の十一時近くだったわよね。姉さんがいつものように着替えとか準備をしに病院に行った時に、何かがあったらしいわね。姉さんは忘れているかもしれないけど、隣で寝ていた人に聞けばわかることだから無理には聞かないけど」

「やめてくれませんか」

 父も相当いらだったのだろう。中腰になりおばさんを制そうとした。秋世はおばさんから目をそらさなかった。続けてください、のメッセージのつもりだった。

「いいじゃないですか、樹さん。私は秋世くんに話しているんだから。それにどうせばれることなんだから」

「やめて!」

 母も叫んだ。いきなり激しく嗚咽しだした。どこかうそ臭い。秋世は知らん振りをしたままおばさんを見つめた。

「別に姉さんが悪いことをしたわけでないって、私だって言ってるじゃない。泣いてあげるならおばあさんのために泣いてあげなさいよ。これでも一緒に暮らしてきたんでしょ。とにかくそこらへんでおばあちゃんが興奮してしまってね、脳血栓だった? それがね、切れちゃったのよ。病院だったからすぐに処置したのだけど、やはり、歳だったからねえ。あっけなかったわ」

 畳を叩くようにして泣き伏す母が醜い、そう思った。

 秋世は尋ねた。

「そんなに、早かったんですか」

 おばさんは芝居がかった風に、大きく頷き、ため息をついた。

「かなり大きな声で話していたという話よ。興奮したのよねきっと。私もさっき、病院の先生に挨拶に行ってきて」

「なんでそんなことするんですか!」

 激昂しているのは父だった。ついに立ち上がった。もともと声を荒げることの少ない父なのに、なぜ、そんなに憤るのか秋世にはわからず、その理由を知りたいと思った。

「これはうちの家族の問題であって」

「いいえ、私たちの問題でもあるのよ」

 きっぱり、恐れる風でもなくおばさんは言い切った。

「しつこいようだけど、姉さんが悪いわけではないのよ。ただ、これからいろいろ面倒なことが起こった時に、おばあちゃんの話を私たちも知っておく必要があるんでないかしら、と思っただけなのよ。今は無理に聞かなくてもいいけど、時間がくれば知られることなんだしね」

「そんな、ここで言わないでください」

 かすれた声で母が哀願した。秋世は一歩、母から離れた。立ち上がり、見下ろした。

「なんで隠す必要あるんだよ」

 自分でも、こんな怖い声が隠れていることを、今の今まで気づかなかった。

「ばあちゃんがどうして死んだのか、聞いちゃ、なんでいけないんだよ」

 言い終えることができなかった。いきなり後ろから肩を掴まれ、身体をひねった状態のまま頬に張り手を食らわされたからだった。相手ははもちろん、父だった。

「いいかげんにしろ! 目の前におばあちゃんがいるのになんでそんなこと、言えるんだ!ばあちゃんだって悲しんでいるぞ。お前がこんなに、こんなに汚い奴だと」

 いつもならここで引く。父に逆らったら半端な仕置きではすまないと体験済みだ。でも今の秋世は何も怖くなかった。ただ、真実が知りたかっただけだった。

 ──ばあちゃんのことを心配だったら、ちゃんと話すべきだろが!

 ──母さんだって、ばあちゃんが死んだから泣いてるんじゃねえだろ!

 ──誰も、ここにいる奴の中で誰も、ばあちゃんいなくなって悲しいって思ってる奴、いねえよ!

 

 ついさっき、修学旅行青潟行きのバスの窓べに、彰子の顔を見つけた時。

 秋世も、水口も無我夢中で飛び出した。

 

 おととい、彰子が夏木親子の車で青潟へひとり帰ろうとした時、

 秋世も、水口も、夏木息子もそれぞれが彰子を想ったはずだ。


 家族でない彰子にすら、こんなに一途に思えるのに。

 なんで、父さんも母さんもおばさんも昭代も、ばあちゃんのために泣こうとしないのか。

 それどころか、死んだ理由を隠しあってばれないように自己保身に走っている。

 泣いているのは、秋世ひとりだった。


 殴られた時の痛みで頬がちくちくした。あごが少しずれたような気がした。相変わらずおばさんの隣で昭代がくっついたままでいる。自分とはちっとも似ていない、目のきつい顔。母さんよりも、おばさんの方に似ている。おばさんも昭代の髪の毛を片手で整えながら、小さい声で何か話している。

「すみません、少し家族だけにしてくださいませんか。隣の部屋、空いてますから、お茶を用意してもらいましょうか」

 使い物にならない母の代わりに父は、隣の六畳間を襖で区切り、座布団とテーブルを用意しはじめた。いつもなら手伝わないわけにもいかず荷物運びをするのが秋世なのだが、そんな気にはなれなかった。父が一人で襖を一枚ずつあわせ、お茶のポットを用意するため電話で注文しているのを、立ったまま眺めていた。母の泣き顔に付き合わされるのもいやだった。

 おばさんは立ち上がり、まだひっついている昭代の顔を見下ろし、頬を撫でた。

「昭代もこちらに連れてきて、いいですか」

「それの方がいいですね」

 事務的な口調で、父がおばさんと昭代の落ち着ける場所をこしらえていた。やはり母とおばさんが犬猿の仲だったのは本当だったのだ。誰もが仲良しの兄弟姉妹であるわけではないのだ。いろいろな事情を聞き知っていても、どこかでまだ、暖かいものが流れることを期待している自分がいた。きっとどこかで「姉さん、ごめんね、言い過ぎて」と謝ってくれるんじゃないかと祈っている秋世がいた。でもおばさんはまったく振り返ることなく、言われた通りに自分らの席をこしらえ、静々と襖を閉めた。

「あとでうちの人も来ますから。ね、昭代、みんなもう少しで来るからね」

 小さな一声。

「お父さんとお姉ちゃんは?」

「お仕事終わってから来るわよ。さびしくないからちょっとだけ我慢してね」

 顔が見えなくなって安心したのだろうか。昭代とおばさんとの会話が少しだけ聞こえた。


 ──少し家族だけ、かよ。

 もう父にとっても母にとっても、昭代は家族の一員ではない。

 昭代にとって、秋世は決して、「お兄ちゃん」ではない。

 

 秋世はかばんから「海峡クッキー」を取り出した。母のしゃくりあげる声だけが六畳に仕切られた部屋の中で響いていた。父はタバコを吸いながら、あぐらをかいた。秋世の方を見なかった。息苦しくて、ついいつものくせがでた。

「土産、持ってきた」

 短く告げ、自分の方から菓子包みの包装紙を破いた。


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