第一部 10
──だってさ、俺、昭代のこと「あっちゃん」とか「あきちゃん」とか、そんな風に呼んだことないのに、そんなもの、買えるかよ。
──このあたりでご機嫌取らないとまずいかな。
ずっと黙りこくったままの立村を様子見しながら秋世は思案した。海をじっと見つめたまま、唇をかみ締め今にも泣くかなんかしそうだった。もちろんこんなところで醜態をさらすような性格ではないだろうし、秋世も女子っぽく「もう泣いちゃだめだよ、ほらほら元気だして!」などと声をかける気はない。
──けどな、これはひとつのチャンスかもしれないぞ。
からかい虫はおとなしくなった。腹いっぱいで満足したらしい。
その代わりもう一匹、計算虫が目覚め出した。男子だったら当然だ。ここいらで一発逆転を狙うというのはどうなのだろう。もちろんそんなこと露骨にできるわけもなく、秋世はしばらくポケットの中に手を突っ込み、ハンカチをこねくり回した。中には昨日の自由時間に買った細い包みが入れっぱなしのままだった。しまったと改めて気づく。
──彰子さんだったら、しわくちゃでも怒らないよな。
今まで付き合ってきた女子たちのことをふと思い出した。海の波にちらちら浮かび、即消えた。
──女子って、中身よりもシュチュエーションにこだわるから面倒だったんだよな。水菜さんの時も、クリスマス結局、ふたりで高校生っぽい格好してどっかの喫茶店で食事したしな。今年はさすがにそこまでなかったけどなあ、相手の誕生日、忘れてると怒られるって聞くけどなあ。
彰子にはそういうことが一度もなかった。
特別に薔薇の花をプレゼントしないと激怒するとか、ステディな証拠の指輪を要求するとか、そういったことは一度もない。むしろ、秋世の方が忘れないように慌ててチェックをしまくるのが常だった。うっかり忘れていたら、夏木&名倉ラインに寄り切られること間違いなしだ。彰子は秋世のプレゼント用に用意した花なりマスコットなり、どれもにっこりと受け取ってくれた。それも、たっぷりの笑顔を添えて。
──けどな、化粧品ってのは、夏木、君は買わないだろうなあ。
ほんの少しだが、差をつけたい。
秋世はポケットのしわくちゃになっているような包みをもう一度指先ではじいた。
潮時だ、仲直りの握手をしなくては。
「りっちゃん、もういいかげん、ご機嫌よかですか? もう頼むから、ほら、許して、ほら」
ごっくんと空気を飲み込んだ後、秋世は立村の仏頂面をもう一度覗き込んだ。泣いてないかな、すねてないかな。とりあえず大丈夫そうだった。さすが評議委員長。プライドは高いと見た。
「怒ってないからもういい。どうせ本条先輩に報告するんだろう」
秋世は立村の隣に並んで背を壁に持たせかけた。やはり話し掛ける時は、海と、青潟の山々を見つめながらの方がスムーズにいく。思いつくまま話をつないでいった。そうだ、立村が昨日の夜、ホテルの売店で買っていたプレゼント、誰にやるんだろう、ちょっとばかりつついてみよう。やっぱり計算虫よりも、今のところはからかい虫の方が優勢だった。
「そうだ、りっちゃん、昨日さあ、売店で買物してただろ? 結構大きい鏡、あれ、誰かのプレゼント?」
「そう」
「誰の?」
「後輩の」
「ふうん」
即答してくる。やましくはないのだろう。なるほど、後輩ね。
後輩だとすると、やはりあの二年B組の問題児と謳われる杉本梨南だろうか。
手鏡を、後輩とはいえ男子に買っていくような趣味があるとも思えない。
またひりひりと、立村の本音めいたものが気持ちの上をかすっていく。
もう少しつっこんでみようかな。
「俺もさ、買っちゃったんだよねえ」
秋世はもうひとつ、勝負してみることにした。
「おい、これって」
ポケットの中から取り出した包みは、彰子へのみやげ物だった。立村はさりげなく動揺を示したけれども、すぐにポーカーフェイスに戻した。
「そ、リップクリーム。やっぱり一番身近に置いてほしいものをあげたいもんじゃあないですか」
「あのおばあさんじゃあないよな、じゃあもうひとりの」
ここまで聞いたとたん、瞬時に買い忘れた相手のことを思い出した。
──しまった、昭代に買ってくの忘れてた!
自分とは似ても似つかない顔立ちの妹に、リップクリームのようなしゃれっけのあるものは似合わない。その辺で適当にお菓子かもしくは女子の好きそうな名前入りキーホルダーを買っていこうかと思っていたところだった。彰子と立村の騒ぎですっかり忘れていた。
船から下りたら少し時間あるだろうか。フェリーの中の売店に駆け込まねば。
「大当たり。やっぱりさ、いつでも使ってもらえるものが一番かなあと思ったわけだけど、りっちゃんの見てて負けたと思った。鏡だったら、割ったりしない限り、ずっと使ってもらえるもんなあ。俺もそっちにすればよかったって思ったけど、まあいっかってとこでさ、これからまだまだ先かもしれないけど、いつか使用させていただくために、ですね」
立村に一方的なしゃべりかけをしながら様子をうかがった。いきなりそっぽを向いたけど、聞いていないわけではないらしい。口をぎゅっと結んだまま、舳先の方を向いたままで、
「買おうと思った相手ひとりしかいなかったから」
投げ出すように答えた。
やっぱり、立村という奴、本当にわかりやすい男だと秋世は改めて思う。
これってやっぱり、そういうことなんではないだろうか。
気づいていないのはたぶん、本人だけだ。でも現実は、立村の彼女が清坂美里であることもまた事実なのだ。昨夜もしかしたら、もしかした関係かもしれないのだ。男同士、ある程度「好き」と「本能」の両立は可能な部分もあるし、欲求に飲まれてしまった可能性もあるけれども、立村の気づかない本心はすでに表にぺろんと見えているというわけだ。
もし相手が東堂だったら、こんなおせっかいな気持ちにはならなかっただろう。
何にも気づいていない立村だから、いいかげん気づかせてやってもいいだろうという本音と、清坂との関係を思いっきりかき回してやりたいという黒い感情、いろんなものが合わさっていく。考える間もなく秋世は本能に任せてたずねまくった。
「清坂さんには? 買ってやろうとか思わなかったわけか?」
「だって一緒に旅行している相手になんでだ?」
「だって俺、帰る前からこれ買ったよ」
もう一度、手元の赤い包みを見せてやる。若干早口になっているのは、やはり思い当たる節があるせいだろうか。
「旅行してもしなくても同じだろ、買うのは」
「身もふたもない言い方しますなあ、りっちゃんは。りっちゃん、あのさ、どうしようもなく、プレゼントしたいとか、そう思ったことって今までないんか? ねだられたとか、頼まれたとか、そういうんでなくてさ。こちらからこれをプレゼントしたい! どうかもらってくれ!とかいうような感じでさ」
「渡したことはあるよ」
そりゃあ、まあ、一年近く付き合ってきてまったく何もないということはないだろう。実際家に呼んでデートしたこともあると聞いたから。でも、それとこれとは違うような気がした。頭で考えて「〜ねばならない」と意識して行動したことと、今の鏡の件とはまったく違うだろう。もしかしたら清坂からバレンタインデーのチョコをもらい、ホワイトデーにお返ししたかもしれない。でもそれは秋世からしたら、自分と同じく「義務」を果たしただけのことに思える。自分もバレンタインデーの時期は、知らない女子からチョコやらケーキやらもらって、その場では和やかに受け取るけれども即、家でリストを作ってお返しの準備をしなくてはならず面倒だったことを覚えている。さすがに彰子と付き合ってからは数も減ったけども。それでもまったくないというわけではない。どうでもいいが彰子からもらったのは手作りクッキーだが、たぶん夏木と同じものだろう。素直に万歳と喜ぶわけにはいかない。
「いや、りっちゃん、バレンタインデーは違うよ。俺も毎年もらって返したりするけど、あれは一種の『おつきあい』だろ。俺が言うのは、そういう義理のおつきあいではなくて、腹の奥からぐぐっと、渡したい、やりたい、抱き締めたい、っていうもの、そういう気、ねえの?」
「ないよ」
あらら、またここいらで本音がぺろっとめくれているではないか。この調子だと清坂との交際解消も時間の問題でないだろうか、という気が秋世にはした。たぶんだけど、立村はあの杉本という女子のことを気にかけていて、無意識のうちに自分の宝物にしている。杉本梨南の噂については芳しくないものばかりだし、東堂が保健委員として毎日「やべえよなあ、ああいう女子が来たら修羅場だぞ」とため息ついていたこととか、規律委員に彼女がまぎれてこなかったこととか、いろいろ思い出してみると辛いものがある。
でもそういう女子を、立村は彼女の入学当時から目をかけてきた。
大切に、それこそ自分の地位……評議委員長……を失うかもしれないという時ですら、身体を張って守ってきた。去年の冬場に起こった出来事や、今年に入ってから周囲のごたごたを耳にした時も、あらためて立村は行動の人間だと思うことしきりだった。言葉ではいくらでも「俺は清坂氏と付き合ってるし、それこそ大切な人だと思っている」と答えるだろう。でも、その言葉の裏には「大切な友だちだから」というものが隠れている。秋世と同じく、「友だち」としてだったらいくらでもたくさんの女子とお付き合いが可能だろう。でも、「友だち」では満足できず、もっと肌に密着した形でそばに置きたい相手、手元において見守っていたい相手、思いっきりそばでくねくねしたくなる相手、それは今のところ、たった一人しかいない。
ちょっとばかりえらそうだけど、説教させてもらいたい。
まったく気づかずに、はだかの王様状態の立村に、「王様ははだかだ!」と叫びたい気持ちだった。それがなぜなのかは、秋世にもわからなかった。
「そうか、けどさ、りっちゃん、とりたててあげる必要のない人に、あげたくなったとしたら、それはやっぱし、そういう気持ちだと思うんだけどな。りっちゃん、たぶん自分で気がついていないと思うけど。りっちゃんが無意識のとこで、他の奴のこと一生懸命かばったり守ったりしているとこ、俺しょっちゅう見てるんだよな。ほら、さっきの鏡の相手みたいにさ。俺、あまりうまく言えないけどさ、他の奴はみんな認めてるんだよ」
「まさかだろ」
「りっちゃんが他の評議の人のために一生懸命動いてるとことかさ、ほら、今みたいにさ、昨日の夜のこと誰にも言うなって言ったりさ、そういうの見てるんだもん、りっちゃんが一生懸命にやってくれてるってことがさあ、俺には丸見え。しゃべってることよか、ずっとわかりやすいもん。去年の夏にさ、りっちゃん言ったよな。恋愛感情感じないことって異常なのかとかなんとかさ。あれ、りっちゃんは大したことないと思って言ったのかもしれないけど、俺もちょっと気になっててさ。けど一年たって見て気づいたんだけど、好きとか嫌いとかそういう前に、身体で示してるなって思うようになったんだ。恋愛感情持ってるかどうか別にして」
「身体で示してるって?」
何慌てているのだろうか。目を見開いて、慌てて襟元を直したりジャケットを羽織りなおしたりするのはなんでだろう。思わぬところで激しい反応が帰ってきた。よくわからないのはこちらの方である。身体で示しているというのはひとえに、立村本人なのだけれども、どうやら別の方で勘違いしたらしい。しかたがない、別のネタでもって説明するしかない。
「ほら、水口いるだろ。あいつ、三年になってからさかりついた猫状態にやあらしいことばかりわめいてるだろ? けど、面白いことにさ、彰子さんには別なんだよな。目の前で一生懸命スケベな三文字叫んだり、いろいろ卑猥なこと言ったりしてるくせに彰子さんのためには、動いちゃうんだよなあ」
「動くって何をさ」
「ほら、動くというか、なんというか。あのすい君がだよ。一生懸命に自分のうちに電話してさ、すぐに入院させて、手術してくれとか頼んでるんだよ。もうとっくに救急車で運ばれてるって聞いてるのに、もう別の病院に移動されてるってのに」
「ちょっと待て、今の話、もしかして奈良岡さんの家族のことか?」
今度は自分の方が無意識のうちに何かしゃべってしまっている。水口のことをきっかけにしようとは思っていたけれども、なぜ、そこまでべらべらしゃべってしまったのか、自分でもわからなかった。秋世は言葉を切った。
「そう、だけど。まだわからない」
──彰子さん、まじで大丈夫なのかよ。
──本当に、うちの学校、出て行くとかいうんでねえだろうな。
表面上は楽しげに語ることによって、秋世はごまかした。人間みないい人ばかりというのは彰子の口癖で、ばあちゃんの言葉でもあった。秋世もそれを間違いだとは思わない。ただ自分の中にだんだん、どろどろした黒い闇が浮かんでいるのもまた確かだった。そんな闇を海の底に沈めてしまい、すっきりさわやかな気持ちで終わらせたい。
「そういうこと。つまり、あのお子様すい君でも、彰子さんのためなら何とかしようって行動するってこと。それ見てたら、どういうことか誰だってわかるよな」
「……確かに」
立村の目がゆっくりと秋世の方に向いた。見透かされそうだった。影を見られたくない。
「そういうことなんだよ。りっちゃん。今俺がすい君の話を例に出したのと同じ現象が、りっちゃんにも起こってるってわけ。みんな、りっちゃんがどう思ってるかとかどれだけ努力してるかとか、評議委員長としてどれだけ仕事してるかとか、みんなお見通しなんだよ。だから、もうこれ以上、無理しなくてもいいと思うんだ、これ俺の考えだけどね。それともいっこ。念のため言っとくけど、別に今回のことで弾劾裁判やる気ないから、安心してちょうだいな」
今の自分は青大附中の規律委員長であり、立村の友だちであり、同時に愛想のいい女子受けのいい男子でもある。うちに帰れば即、祖母に会うため病院に向かうだろう。おばあちゃん子の「いい子」だ。多少女子関連の問題がないとはいえないけれども、お天道様の前で歩けないようなことは一切していない。でも、その奥には海の色に似た深い黒っぽいブルーが含まれている。彰子と水口の関係についてかっと血が昇った瞬間も、ある種の関係を結んだであろうと思われる立村と清坂の関係についても……もちろん「あれ」ではないとは思うが……また、昭代のみやげ物を買い忘れた奥の理由についても。
ずっと目をそらしたくてならないものが、波のゆれと同時に押し寄せてきて、本気で酔いそうだった。早く、一刻も早く、黒い気持ちを捨てて修学旅行を終わらせたい、そんな衝動に駆られていた。
だから洩れた言葉だった。
「あのさ、りっちゃん。せっかくだし、ご相談なんだけど、いいかなあ。今日さ、これから青大附中に戻るだろ?その時にさ、俺、一足先に抜けたいんだよな。諸般の事情があってさ」
「事情ってなんだよ」
「たぶん、全員整列して、先生の挨拶やって、それから解散になるだろ? 俺、できればそれも無視してさっさと脱出したいんだ。みんなくたびれ果てて、俺がいようがいまいがどうでもよくなるとは思うんだけど、羽飛あたりがぎゃあぎゃあ言わねえかな、とかそのあたりが少々心配だったんだ」
立村の言葉は、意外だった。
「どうしてそんな早く帰りたい……? 奈良岡さんとこに、行くのか?」
──そうか、そういう手があったか。
立村は本当に、無意識でいろんなことを指示していることを知らないのだろうか。今の言葉は決して彰子がらみの問題ではないのに。すぐに脱出したいのはただ、祖母のところへ即駆けつけたいからとか、そういう理由だったというのに。でも、教えてくれた以上はそっちを優先したい。そうだ、彰子の家に駆けつけて、様子をうかがう。どうしてそういうところに気づかなかったのだろうか。これは使える。夏木たちも、水口にも、秋世はこれだったら勝てるだろう。心でサンクスをつぶやき、秋世はいかにも当然といった顔で話を続けた。
「うん、すぐにさ」
「行って、いいのか?」
けげんそうに立村が秋世を伺う。瞬時の切り替えが早すぎて、よこしまな計算を見抜かれそうだ。立村の性格上、女子に近い直感の鋭さというのがあって、たまにどきんとすることがある。もし立村が女子で、秋世と付き合っていたとしたら、きっと尻に敷かれていただろう。
「わかんないけど、とにかく動かないとだめだと思うんだ。俺、頭悪いからなあ、どうしてかってわかんねえけど、とにかく、早く、行きたいだけ」
秋世はゆっくり、立村が納得しているかどうかを見極めた。まだまだ甘そうだ。どんどん思いついた言葉を、思考を通さずに勘で続けた。
「だからさ、今回のこと、俺は一切言うつもりないし、りっちゃんたちをつるす気もない。ただもし、俺に貸しがあるのがやだったらさ、俺が規則違反なことちょこっとやっても、大目に見てくれって羽飛たちに言っておいてくれないかなあ」
「規則違反って、しょせんエスケープするだけだろ? 学校でだろ?」
まあ、規律委員だし、しかも規律委員長だし。鋭いところを突かれたけれどもすぐ切り返した。髪の毛を振り払った。また波が押し寄せてきて、自分をあおる。
「ほら、俺だけじゃなくてさ、すい君も同じこと考えてる可能性、大だからさあ」
「あいつもさ、今回の一件で、『愛』に目覚めたらしいからさ」
さりげなく「愛」に力をこめてつぶやいた。いろいろなところで「愛」という漢字は印刷されていたり口にされていたりするけれど、秋世を含めて周りの友だち誰一人、会話の中で使うことはない。かっこ付きの単語だった。
「『愛』?」
「そ、彰子さんは偉大だよ。あのがきんちょすい君をだよ、『男』にしたんだからなあ」
「『男』にした?」
「とにかく、一刻も早く、俺はとんずらさせていただきたいと、そういうことなんだけど、どう、りっちゃん、受けてくれる?」
本気で立村につっこまれたら、たった今思いついたばかりのはったりだということがばれてしまう。彰子目当て、彰子に会いたい、その気持ちは嘘ではないにしてもだ。ただこの場から離れたい、突き詰めていけば点に突き刺さるから、なおさらに。
立村がどう感じていたのかはわからない。
「俺はしくじってばかりいるから、もし、うまくいかなかったらごめん」
一言あいつらしく答えただけだった。
「俺もその辺はご迷惑かけないように、うまくやるつもりだから安心してちょうだいな、りっちゃん。ま、これでご破算ってことで」
指先でじゃらっと、そろばんをはじく真似をした。
すべてこれで、ご破算だ。
しばらく取りとめもない話をしていたけれども、反対側から羽飛・清坂・古川の「不純異性交遊未満トリオ」が登場したこともあって、秋世は早々に引き上げることにした。なにはともあれ立村は秋世の頼みを「最愛の彰子に一刻も早く会いたい」という位置付けで受け入れてくれたはずだ。評議委員長で話もわかるクラスメートで親友で。互いの秘密を打ち明けあったということで、まずは幕が降りるだろう。そのあたりはあまり心配していなかった。
彰子に会いたくない、ということは絶対ない。
夏木父子と共に一足先に青潟へ戻った彰子に、詳しい事情と父上の……心臓病だったらきっととんでもないことなんだろうが菱本先生の言い分だとどうもそうではなさそうだ……病状をうかがい、秋世なりに精一杯の「愛」を込めてリップクリームをプレゼントするだろう。それともあまった小遣いでもって、女子受けするような花束を買っていってもいい。日の丸印の黒い車でいちゃいちゃデートしやがった夏木少年にジェラシー燃やすひまあったら、秋世なりのきざなやり方で取り返すのみだ。
「あれ、どうした、なぐっちゃん」
東堂が他のクラス連中とつるんでトランプに興じていた。神経衰弱だろう。ばばっとじゅうたんの上に裏向きでカードを広げ、一枚ずつめくっては同じ数字をあわせていく。記憶力がかなり必要だった。ただ船室の空気はだんだんあぶらっぽい匂いでむせそうだった。中には少し気分が悪くなったのか、とど状態で横たわっている生徒もいた。同じ寝るのでも、集団の中でだったら不純異性交遊が生まれることもないのだろう。
「入るか?」
「いい、悪い」
東堂は「あっそ」とさらりと流した後、さっそくスペードとダイヤの七カードをめくった。さっさと秋世は船室から出ると、売店で見かけた女子向けの「名前つきバッチ」を一個買うことにした。もちろん昭代の分だ。お菓子の方がいいんだろうが荷物これ以上増やしたくない。
「名前つきバッチ」とは、「あっちゃん」とか「まりちゃん」とかいう風に、愛称がプリントされている丸いバッチだった。名前の印象によって、男子もの、女子ものに分かれているようだ。だいたい「みいちゃん」とか「ゆみちゃん」だと明らかに女子ということでピンク色だし、「ゆうくん」とか「たっちゃん」とかわりと男子向きのものはブルーだ。男子でこれをつけて歩くとなると、かなりいい根性しているか女子の尻に敷かれているかのどちらかではないかと秋世は思う。一応「しゅうくん」は見つけたけれどもそんなの誰が買うものか。
さて、「あきちゃん」がいいか、それとも「あっちゃん」がいいか。
──名前で呼んだこと、ないもんな。
──第一、こういうがきっぽいのって喜ぶのかなあ。
彰子にはとてもだがこんなものプレゼントする気にはなれない。噂によると小学校時代、何を血迷ったか特撮番組の女性戦士「ピンクマン」だったかそのあたりのキャラクターカードを誕生日プレゼントにしたそうだ。お菓子のおまけについてくるカードで、夏木の奴、かなり小遣いを費やして手に入れた貴重なものだったらしい。とてもだが秋世には真似できない。というか、そんなものもらって、彰子は喜ぶだろうか? もっとも彰子はうれしかったらしく、秋世に思い出話としてにっこりと語ってくれたけれどもだ。
いや、彰子は何度も顔を合わせて話をしているし、いっしょに行動することもあるし、笑いあったりしているし、互いの好みはわからなくもない。でも、昭代は? 数回、ごくたまにお客さんの顔して遊びにくるあの妹は、どういう好みしているんだろうか? 「
「あっちゃん」バッチをもらってうれしいだろうか。
── やっぱし、お菓子の方が無難かもなあ。
結局、昭代には、フェリー限定名物の「海峡クッキー」を五百円分買って終わりにした。味はどんなもんだか、わからない。
──だってさ、俺、昭代のこと「あっちゃん」とか「あきちゃん」とか、そんな風に呼んだことないのに、そんなもの、買えるかよ。
自分に言い聞かせた。船内アナウンスで、「あと十五分で到着です」と流れた。秋世はビニール袋に入ったお菓子をぶらさげ、片方の手をポケットにつっこみ、もう一度甲板に出た。手の中に感じる、彰子へのプレゼントを選んだ時は空の色のようなすっきりした気持ちでいられたのに、なぜ妹にだと、海の泥ついた色で染まるのだろう。