ｅｐｉｓｏｄｅ Ⅱ 学習指導本格始動！ 怠けたら体罰もあるわよ
午前八時二五分頃、豊中塚高校一年五組の教室。
優平が自分の席に座ってくつろいでいると、
「ぃよう、ゆうへい。ついに母ちゃんから恐れていたこと告げられてもうて災難やな」
彼の中学時代からの数少ない親友、寺浦稜也がほぼいつも通りの時刻に登校して来て近寄って来た。丸顔で目は細め、背丈は一六九センチと普通だが、ぽっちゃり体格な子だ。
「おはよう稜也、母さんの求めるハードルは高過ぎるよ」
優平は苦笑いを浮かべつつも、明るい声で挨拶を返してあげた。中学入学当時、稜也の出席番号は今学年同様、優平のすぐ前だった。そのことがきっかけで入学式の日から自然に話し合う機会が出来、お互い仲良くなったというわけだ。優平は中学時代は稜也と同じパソコン部に所属し、高校でも同じ文芸部に入部した。
友達選び間違えたかなぁ？ いや、稜也と出会えてよかったよ。新しい世界が広がったから。と優平は今になって反語的に思うことが時々ある。
なぜなら稜也は、中学入学当時ファ○通と三大週刊少年誌とテレビ雑誌、果那が読んでいた少女漫画誌くらいしか雑誌の存在を知らなかった純粋な優平に、マニアックな月刊漫画誌やアニメ雑誌、声優雑誌、美少女ゲーム系の雑誌。さらにはラノベ、同人誌、深夜アニメの存在などを教え、そっちの道へと陥れた張本人だからだ。稜也自身は小学五年生頃から萌え系の深夜アニメに嵌っていたのだという。
「おはよう稜也くん」
「……おっ、おはよう」
突如、果那に明るい声で挨拶された稜也は思わず目を逸らしてしまった。彼は果那に限らず、三次元の女の子がよほど年上でもない限り苦手なのだ。かわいい女の子に話しかけられると緊張してしまうのは物心ついた頃かららしい。その性格が、彼が二次元美少女の世界にのめり込むようになった原因ではないかと優平は推測している。
「やぁ、おはよう」
ほどなく優平のすぐ後ろの席の男子生徒も登校してくる。優平にとっての親友は稜也と彼くらいなものだ。昨夜、卯月に問われた件で思い浮かんだまさにそいつである。
「おい、じゅんいち、高校でも相変わらず学年トップ記念に母ちゃんに何ご褒美もらった？」
稜也はにこやかな表情で問いかけた。
「特にご褒美はなかったですよん。いつものことですしぃ」
淳一はほんわか顔で質問に答える。稜也にとって淳一は、優平と同じ文芸部仲間なのだ。
「淳一は相変わらずの天才振りだよな」
優平は深く感心する。同じ幼小中出身のため淳一のことは昔からよく知っている。つまり果那にとっても古い顔馴染みというわけだ。
「おれもじゅんいちみたいな天才的頭脳が欲しいわ～。吸収っ！」
稜也は淳一の頭を両サイドから強く押さえ付けた。
「あべべべ、寺浦君、痛いので止めてくれたまえええぇぇ～。僕は天才ではないですよぉん。僕でも北野とか星光とか灘とかの最上位校進んでいたら、並以下の成績になっていたことでしょうしぃ」
淳一は首をブンブン振り動かし抵抗する。
「じゅんいち、明らかにトップ維持のためにこの高校進みやがったな。卑怯なやつめ。期末では、どれか一科目だけでも勝ってみせるぜ」
そう宣言し、稜也は手を離してあげた。淳一のフルネームは北之坊淳一。公立中学入学当時から今に至るまで校内テストの総合得点で学年トップを取り続けている秀才君である。坊っちゃん刈り、四角い眼鏡、丸顔。まさに絵に描いたようながり勉くんな風貌な彼は、背丈は一五六センチと高一男子にしては低く、学年ワーストクラスだ。
「淳一くん、期末も学年トップ取れるように頑張ってね」
果那はほんわか顔でエールを送る。
「はっ、はいぃ。頑張りますよん」
淳一は俯き加減で緊張気味に反応した。彼も稜也ほど重症ではないが、物心ついた頃から三次元の女の子を苦手としていて、小学校高学年の頃にはすでに二次元美少女の世界にどっぷり嵌っていた。しかしながら、淳一がそういった趣味を持っていることは、優平は高校に入学して文芸部に入部するまで知らなかったのだ。
どうしようかな？
優平は昨日の出来事をこの二人に話そうかな、と思った。けれど、信じてもらえるわけは無いだろうと感じ、黙っておくことにした。
八時半の、朝のＳＨＲ開始を告げるチャイムが鳴ってほどなく、
「皆さん、おはようございます」
クラス担任で英語科の播本先生がやって来た。背丈は一五〇センチちょっと。ぱっちり瞳に丸顔。ほんのり栗色なサラサラヘアーはミディアムボブにしている。二八歳の実年齢よりも若く見え、女子大生っぽさもまだ感じられるそんな彼女はいつも通り出席を取り、諸連絡を伝えて一時限目の授業が組まれてあるクラスへ移動していった。
このクラスの今日の一時限目は家庭科。一年生が今学習しているのは保育の分野だ。
「このページを捲ると可愛らしい厚紙工作が迫り出してくる飛び出す絵本、皆さんも幼い頃に楽しんだと思います。遊び心があって懐かしいでしょ？」
小顔でぱっちり瞳、ほんのり茶色な髪をフリルボブにし、お淑やかそうな感じの四十代女性教科担任はそれを教卓から、クラスメート達に向けて見せた。
あの教材、厚紙工作どころか、生身の人間が、飛び出して来たんだけど……。
「利川君、どうかしましたか？」
「……あっ、いっ、いえ、なんでも」
優平はロダンの『考える人』のような格好をしていたため、教科担任に心配されてしまった。優平の席は教卓に近いため目立ちやすいのだ。
二時限目は体育。今日は男女とも体育館で行われることになっていて男子は跳び箱、女子はバドミントンだ。体操服は今日から完全夏用。男女とも同じ柄で、学年色黄色のラインと校章の付いた白地半袖クルーネックシャツと、青色ハーフパンツだ。
「利川君が強制入塾されそうになってる烈學館、昔は体罰ありのスパルタ教育だったけど今はかなり生ぬるくなってるらしいよ。この塾に通ってる子のツイッターによると。今日の帰り、外観だけでも見に行ってみないかい？」
「そうだなぁ。一応見ておいた方がいいな。稜也はどうする？」
「もちろん行くぜ。どんな感じの塾なんかめっちゃ気になるからな」
淳一、稜也、優平、他男子が準備運動の腕立て伏せをしている最中、
「先生、樋上さんが倒れましたっ！」
女子の一人が大声でこう叫んだ。
「えっ！」
優平は思わず声を漏らす。そして視線を女子のいる方へと向けた。
本当に、果那がうつ伏せ状態で倒れこんでしまっていた。
準備運動として体育館内の周囲を走っている最中だったらしい。
「熱中症？」「カナっぺ、大丈夫？ 頭打ってない？」「かなちゃん、しっかりして！」「貧血っぽいね」
果那のすぐ近くにいたクラスメート達を中心にざわつく。その声が十数メートル離れた優平の耳元にもしっかり届いていた。
「ゆうへい、見に行ってあげた方がいいんじゃねえか？」
「利川君、これは緊急事態ですよん」
稜也と淳一からにやけ顔でそう言われると、
「そっ、そうだな」
優平は急いで男子体育教師のもとへ向かい、
「先生、ちょっと、果那ちゃんの様子、見に行って来ます」
こう伝えて、果那のもとへ駆け寄った。
「かっ、果那ちゃん」
優平は果那の顔色を心配そうに見つめる。いつもはきれいなピンク色をしている唇が、白っぽく変色していた。頬も青白くなっていた。
「あっ……優平くん」
果那は幸いすぐに意識を取り戻した。
「大丈夫？」
優平は心配そうに話しかけてあげる。
「うん、平気、平気。ちょっとくらっと来ただけだから」
果那はこう答えて、ゆっくりと立ち上がった。
「よっ、よかったぁ。でも、保健室には行った方がいいよ」
優平は強く勧める。
「保健委員さん、樋上さんを保健室へ連れて行ってあげてね」
女子体育教師はこう呼びかけた。
「その子今日欠席です」
すると女子の一人が叫んだ。
「あらまっ」
女子体育教師は苦笑いする。まだ出欠確認をする前だったので気付けなかったのだ。
「そうだっ！ 利川くんが連れて行ってあげて」
別の女子から頼まれる。
「おっ、俺が、連れて行くの」
「もっちろん。きみの彼女でしょ？」
「いや、そうじゃ、ないんだけど」
「いいから、いいから」
その子に背中を押された。
「頑張ってね！」
女子体育教師からもエールを送られる。
「あの、果那ちゃん、一人で歩ける？ おんぶしよっか？」
優平は緊張気味に、果那に話しかける。
「なんか悪いけど、その方が楽そうだし、そうさせてもらうよ」
果那は元気なさそうな声で伝えた。
「しっかり掴まってね」
優平は果那の前側に回ると、背を向ける。そして少しだけ前傾姿勢になった。
「ごめんね、優平くん」
果那は申し訳なさそうに礼を言い、優平の両肩にしがみ付いた。
「――っしょ」
優平は一呼吸置いてから果那の体をふわりと浮かせる。
おっ、重いっ！
途端にそう感じたが、もちろん黙っておいた。
「優平くん、本当にごめんね、迷惑かけちゃって」
「べつにいいよ、気にしないで」
なっ、なんか、胸が。果那ちゃん、いつの間に、こんなに大きく……。
むにゅっとして、ふわふわ柔らかった。
果那のおっぱいの感触が薄い夏用体操服越しに、優平の背中に伝わってくるのだ。
急ごう。
なんとなく罪悪感に駆られた優平は早足で歩こうとする。けれども足がふらついてしまい結局ゆっくりペースに。体育館正面出入口から保健室までは、距離にして百メートルちょっと離れていた。優平は果那を落とさないように、慎重に歩き進んでいく。
「失礼、します。辻江先生、あの、この子が、体育の授業中に、貧血で、倒れました」
やや息を切らしながら保健室の、グラウンド側の扉をそっと引いて小声で叫び、果那を背負ったまま中へ入った。
「辻江先生、失礼しまーす」
果那は元気無さそうに挨拶する。
「いらっしゃい」
養護教諭、辻江先生は二人を笑顔で迎えてくれた。ぱっちり瞳に卵顔。さらさらした黒髪は黄色いりぼんでポニーテールに束ねている、三〇歳くらいの女性だ。
今保健室には、この三人以外には誰もいないようだった。
「じゃ、下ろすよ」
「ありがとう」
優平は、果那をソファの前にそっと下ろしてあげた。
果那はソファにぺたりと座り込む。
「樋上さん、これをどうぞ」
辻江先生は、保健室内にある冷蔵庫から貧血に効く栄養ドリンクを取り出し、果那に差し出した。
「ありがとうございます」
果那はぺこりと一礼してから丁重に受け取る。瓶の蓋を開けると、ちびちびゆっくりとしたペースで飲み干していった。
「樋上さん、今日は早退した方がいいわね」
「いえ、私、少し休めば大丈夫ですよ」
果那は元気そうな声で答えてみるが、
「ダメだよ果那ちゃん、無理しちゃ。今日は早退した方がいいよ」
優平も辻江先生と同意見だ。
「でも、授業休んじゃうと、今日習うところ、ノートが取れないし」
果那は困惑顔になる。
「俺が取ってあげるから、心配しないで」
「大丈夫かなぁ？」
「大丈夫だって。俺、今日は授業、ちゃんと真面目に聞いてノート取るから」
「本当？」
「うん、本当」
「利川君、心配されてるのね」
辻江先生はにこっと微笑む。
「まあ、俺、普段授業中寝てしまうことが多いですし」
優平は照れ笑いする。
「二人ともとても仲良いわね。樋上さんは、貧血になったのは今回が初めてかな？」
「はい。私、テスト期間中は睡眠時間削って勉強してて、水泳の授業も近いからダイエットしようと思って、ここ一週間は朝食もほとんど食べてなかったからかな？」
果那は照れ気味に打ち明けた。
「原因は非常に良く分かりました。樋上さん、朝食を抜くのはダメよ。保健や家庭科の授業でも再三言われてるでしょ」
辻江先生は爽やか笑顔で忠告する。
「はい、今後は気を付けます。もうあんなしんどい思いはしたくないので。それに私、食べること好きなので、それを我慢したことでストレス溜まっちゃったのも良くなかったですね」
果那はてへっと笑った。
「樋上さんの身体測定のデータ見ると標準体重よりちょっと少ないから、少々増えたってダイエットはする必要ないからね。敏感になり過ぎて太ってないのにダイエットしようとする子が本当に多くて……」
辻江先生はパソコン画面を見つめながら、ため息まじりに助言した。この学校の生徒達全員の身体測定データが、専用ソフトに保存されてあるのだ。
「すごい！ データベース化されてるんだ」
優平は興味を示し、画面に顔を近づけた。
「あんっ、優平くん。私の見ちゃダメェッ！」
果那はとっさに優平の両目を覆う。
「あっ、ごっ、ごめん果那ちゃん」
優平が謝罪すると、果那はすぐに手を放してくれた。
「利川君、女の子はお友達同士でも体重を知られたくないものなのよ」
辻江先生は優平が目を覆われている間にデータ画面を閉じてあげた。
「ごめんね果那ちゃん、俺、もう戻らなきゃ」
優平は果那に頭を下げて謝り、保健室から出て行く。
その頃。優平のお部屋では、
「ユウヘイくん、あの女の子ととても仲良さそうだね。きっとガールフレンドだね」
「アタシもそう思うぜ。交尾はもう済ませたのかな？」
「優平お兄ちゃん、三次元にもいたんだ。意外だね。クラス内での階級低そうなのに」
「優平君、異性交遊関係についてはリア充なのね。中高時代、学力は学年トップ層ながら三次元の女の子からは全くモテなかったらしい保夢朗君とは正反対ね。三次元にもいるのに受け取って下さったなんて、とてもありがたいわ」
「わらわは、ただの幼馴染だと思うのですが……クラスに一人くらいいる、どんな冴えない男の子にも、たとえ保夢朗さんみたいな正直気色が悪いタイプであっても嫌がらず温かく接してくれる、心優しい女の子という感じがしますね」
教材キャラ達がテキストから飛び出しベッドの上に座り込んで、テレビを眺めていた。
優平の学校での様子を、モニターを通じて観察していたのだ。
「それにしてもこのグッズはベリーワンダフルインベンションだね。上空からの映像だけじゃなく建物内部の映像まで見れるなんて」
サラはとある加工品に大いに感心する。
「これさえあれば、地球上の任意の地点のライブ映像を映し出すことが出来るよ。ストリートビューと、衛星カメラの合体版かな？ これは保夢朗君の発明品なの」
露古湖は自慢げに語る。学習机の本立てに置かれていた地球儀と、テレビ端子とが一本の水色ケーブルで繋がれていたのだ。
「ド○えもんのひみつ道具みたーい。あたしのテキストには、そんなの組み込まれてないよ。いいなぁー」
「ホムローレンツ力、ロココロナにいい物持たせてくれたね。未来的技術だ。音声が入ってこない欠点はあるけど」
理密等と葉流棲は羨ましがった。露古湖の入っていた社会科のテキストには、他に開発者学力保夢朗の発明品も任意のページにいくつか詰められてあるのだ。ただし普通の人、そして露古湖以外のこの四人にも単なる白紙のページにしか見えない。取り出すことも露古湖しか出来ない仕様になっている。
「あっ、あのう、いいんでしょうか？ 盗撮なんかして？」
卯月は困惑顔で露古湖に問いかけてみる。
「……法律的に、良くないとはわたくしも思いますけど、その、優平君の学校での様子が気になってしまって」
露古湖は少し俯き加減になり、バツの悪そうに言い訳した直後、
――ドスドスドス。と廊下を歩く足音が五人の耳元に飛び込んで来た。
「ユウヘイくんのマミーが来るようだね。みんな隠れて！」
サラは注意を促す。彼女がテレビの電源も切った。
サラを先頭に他の四人も自分のテキストの中に素早く身を引っ込める。
一番動作の遅かった卯月が引っ込んでから約二秒後に、扉がガチャリと開かれ、母が優平のお部屋に足を踏み入れて来た。
「まったく優平ったら、また散らかしちゃって。変なコードまであるし。……これ、優平が使っとる変な教材ね。これも散らかってるってことは、ちゃんとお勉強したのかな？」
母はため息まじりながらもちょっぴり嬉しそうに告げながら、床に散らばっていた教材を学習机の上に積み重ね、掃除機をかけて部屋から出ていった。
「マミー、重ねたら出にくくなっちゃうよ。Ａｒｅ ｙｏｕ ａｌｌ ｒｉｇｈｔ？」
一階へ降りていったことが確認出来ると、サラは英語のテキストからぴょこっと飛び出す。そして他の教科のテキストをベッドの上に一冊ずつ並べてあげた。
すると他の四人はすぐに飛び出してくる。
「甚だ重たかったです」
卯月はホッとした表情で告げた。彼女が一番下になっていたのだ。
「ユウヘイソロイシンのママ、よりによって一番重たそうなサランタノイドを一番上にしていくとはね」
「ワッ、ワタシ、そんなに重たくないよ」
葉流棲に指摘され、サラはむすっとなった。
「アメリカナイズな食生活送ってるって設定になってるくせに」
「そんな設定ないもん！」
サラはそう主張して、葉流棲の髪の毛を引っ張る。
「いたたたたたっ、やったな、サランタノイド」
葉流棲はサラのほっぺたをつねる。
「二人とも、しょうもないことでケンカは止めましょうね」
露古湖は優しくなだめてあげた。
「だってパルスちゃんがぁー」
サラはつねられながら言い訳する。
「鹸化はしてないぜロココロナ。カルボン酸の塩もアルコールも生成されてねえだろ」
葉流棲は髪の毛を引っ張られながら反論する。
「訳の分からないこと言ってないで、いい加減にしなさい。めっ！」
露古湖は二人の頭をゴチンっと叩いた。
「Ｏｕｃｈ！」
「いたーっい。分かったよ、止めるよロココロナ」
「ワタシも大人気なかったな」
すると二人はすぐにケンカをやめてくれた。露古湖のことを恐れているのだ。
「葉流棲お姉ちゃん、サラお姉ちゃん。優平お兄ちゃんのその後を見た方が面白いよ」
理密等の手によってまたテレビが付けられると、教材キャラ達は再びモニター画面に食い入る。
その頃、優平の通う学校では三時限目世界史Ａの授業が始まっていた。
眠いけど、なんとか取らなきゃ、果那ちゃんに迷惑掛けちゃう。
果那のために、一生懸命シャーペンを走らせノートを取る優平の姿に、
「ユウヘイくん、ｌｅａｖｅ ｓｃｈｏｏｌ ｅａｒｌｙしたカナちゃんのために頑張ってるね」
サラ達はまたも感心させられた。
＊
この日の放課後。優平、稜也、淳一の三人は週一回木曜日だけ活動している文芸部の部室、情報処理実習室へ。そこには最新式に近いデスクトップパソコンが五〇台ほど設置されてある。文芸部の主な活動内容は小説やエッセイ、詩、俳句、短歌、川柳などの創作。パソコンを使って作業をすることも多いため、ここを部室として使っているのだ。
ところがこの三人は、パソコンでアニメ鑑賞やインターネットをしていることがほとんどである。顧問はいるものの、放任状態となっているため特に咎められることはないという。二十数名いる他の部員達もオンラインゲームで遊んだり、動画投稿サイトや某巨大ネット掲示板を眺めていたりと本来の活動内容とは全然違ったことをしている者は多い。真面目に活動している者は少数派なのだ。ちなみに男女比はほぼ半々である。
三人は一台のパソコンの前にイスを寄せ合い、近くに固まって座った。
優平が電源ボタンを入れ、彼の学籍番号とパスワードでパソコンを起動させる。
「まずはこれから見ようぜ」
稜也は録画した深夜アニメ番組が焼かれてあるブルーレイディスクを通学鞄から取り出し、投入口に入れて再生した。
「わーお、いきなりヒロインのシャワーシーンですか。謎の湯気が邪魔ですが萌えますね」
開始十秒で、淳一の表情がほころぶ。
「やっぱ女は二次元に限るよな？」
流れてくる高画質かつ高音質な映像を眺めながら、稜也はにやけ顔で問いかける。
「その通りだね。三次元にはろくなのがいないよん」
淳一は即、同意した。
「確かに二次元の女の子はすごくかわいいけど、俺は恋愛対象にまではならないなぁ。髪の色が変だし。あんな水色とか緑とか、ピンクとかオレンジとかあり得ないでしょ」
優平はキャラクターよりも若干、ストーリー重視なのだ。まだ、この二人ほどは萌え系深夜アニメには熱中していないようである。
「そこには突っ込んでやるなって。ゆうへいはまだまだ二次元世界初心者だな」
「利川君は、僕や寺浦君のようにまではならない方がいいよーん。もう戻れなくなっちゃうからね」
淳一は自虐をまじえて忠告する。そんな様子を優平のお部屋から、
「ユウヘイくんったら、あんなテンプレートでｍａｓｓ ｐｒｏｄｕｃｔｉｏｎ ｔｙｐｅのアニメ美少女キャラに鼻の下伸ばしちゃって」
「アニメ美少女はプロのキャラクターデザイナーさんの造形。わたくし達をデザインしてくれた保夢朗君は所詮アマチュアだから、容姿で劣っちゃうのは仕方ないわ。だからわたくし達は内面で魅力を出さなきゃね」
サラと露古湖はちょっぴり嫉妬心を抱きつつモニター越しに眺めていたのだった。
優平達三人はあのあと五時過ぎに学校を出て、体育の授業中に打ち合わせた通り、興味本位で最寄り駅前に聳え立つ烈學館の建物側に近寄ってみた。
四階建てで東大本郷キャンパス安田講堂を髣髴とさせる赤茶色の煉瓦造り。周囲の建物と比較して威圧感があった。中学受験、高校受験、大学受験全てに対応しているわりと大きめの進学塾で少人数制、習熟度別クラス、熱血指導が謳い文句らしい。入口横には東大○○名、京大○○名、阪大○○名、灘○○名、東大寺学園○○名、星光学院○○名などなど、名門校の合格実績が書かれた看板も目に付く。
「遅いぞ、こんな基本的な数列の問題くらいもっとパッパッパッと解かんかいやっ！」「ぅおーい、なんでこんな簡単な問題間違うんじゃボケェッ！ おまえそんなんじゃ灘どころか六甲にも受からへんぞぉっ！」「そこの二人、ぺちゃくちゃおしゃべりするんやったら今すぐ出て行けぇーっ！」「これ何やっ？ こういうくだらんもん持ち込むなって塾規則に書かれとったやろうがぁっ！ 字ぃ読めんのかぁぁぁっ！」
建物内からは、こんな講師達のドスの利いた怒声が三人の耳元に飛び込んで来た。
その声とともに、パシーッン！ と竹刀で床や机を思いっ切り叩いていると思われる音も。教室の窓が開かれていたこともあり、より一層聞こえやすくなっていたのだ。
「噂通り昭和体質で講師が酒呑童子も怯えて泣き出す怖さみたいだな。女の子のすすり泣く声も聞こえて来たし。俺、こんな所に週五で通わされそうになってるのか……これは、勉強真面目にこなさないとマジでやばいよな。俺、筋金入りの豆腐メンタルだし、もし入らされたら初回授業で速攻ＰＴＳＤになりそうだ」
優平は苦々しい気分だ。
「ゆうへい、大ピンチやな」
稜也は他人事のようににこにこ笑っていた。
「さすが熱血指導が売りなだけはあるね。利川君、期末に向けて勉強頑張って下さいませ。スポーツその他実技とは違い、筆記試験のための勉強は頑張れば必ず報われますから。心から健闘を祈ります」
淳一はきりっとした表情でエールを送ってくれた。
夕方六時頃。
「ただいまー」
「おかえり優平、お部屋はもっときれいにしなさいね」
「分かってるって」
優平は途中、果那のおウチに寄りノートと今日配布されたプリント類と、近所のスーパーで買った抹茶シュークリームといちご大福を届けて自宅に帰って来た。
手洗い、うがいを済ませて二階に上がり、
いない、よな？ 今朝は姿を見かけなかったし。
恐る恐る自室の扉を開くと、
「Ｗｅｌｃｏｍｅ ｈｏｍｅ！ ユウヘイくん」「おかえりーっ、ユウヘイソロイシン」「おかえりなさいませ、優平さん」「おかえり、優平お兄ちゃん」「おかえりなさい、優平君」
教材キャラ達がみんな揃って爽やかな表情で出迎えてくれた。
「……夢じゃ、無かったのか。昨日の、出来事は……」
優平は顔を強張らせる。
「だから現実だって。ユウヘイソロイシン、もう認めちゃいなよ。アタシ達はキャラデザのホムローレンツ力の空想と現実の二面性を持っているのだ。光が波と粒子の二面性を持ってるのと同じようにね」
葉流棲が肩をポンポンッと叩いてくる。
「わっ、分かった。認めるよ、もう」
優平はついに観念してしまった。その方が精神的に楽だと感じたからだ。
「あのう、ユウヘイくん、三次元の世界にも素敵なガールフレンドがいるんですね。Ｗｈａｔ‘ｓ ｈｅｒ ｎａｍｅ？」
サラが問い詰めて来た。
「あっ、あの子は果那ちゃんっていうんだけど……ていうか、なんで知ってるの？」
優平は当然のように驚く。果那のことはこの五人に一度も話したことはないからだ。
「これで、ユウヘイくんのハイスクールライフをウォッチングしてたんだよ」
サラはテレビ画面を指し示す。
優平の通う学校校舎の映像が映し出されていた。
「何、これ？」
優平はケーブルの方にも目を向けた。
「このケーブルは、地球上のどの地点からでもライブ映像を映し出すことが出来る保夢朗君の発明品よ」
露古湖はどや顔で得意げに説明する。
「すっ、すごいな、あの人。どういう原理で、こんなことが？」
優平はかなり驚いている様子だった。教材キャラ達がテキストの中から最初に飛び出て来た時と同じくらいに。
「それが、保夢朗君自身にもよく分からないみたい。小学校時代に好きだった女の子のおウチを覗きたいなという願望が、発明しようと思った動機だとはおっしゃってたけど」
露古湖は照れ笑いする。
「……これ、非常にやばくないか？ 盗撮だろ」
「優平さんもそう思いますよね？」
卯月は同意を求めてくる。
「そっ、そりゃそうだろ」
「ユウヘイソロイシン、これでカナフタレンって子のおウチ内部も見られるぜ」
葉流棲はそう伝えるとリモコンボタンを操作し、映像を切り替えた。
「こっ、これは――」
優平は思わず顔を画面に近づけた。果那のお部屋の一角の映像が映し出されたのだ。
ピンク地白水玉のカーテンで、水色のカーペット。窓際に観葉植物。学習机の周りにはケーキ、ドーナッツ、アイスクリーム、いちご、みかん、バナナなんかを模ったスイーツ＆フルーツアクセサリーやオルゴール、着せ替え人形。ゴマフアザラシ、モモンガ、コアラなどの動物やゆるキャラの可愛らしいぬいぐるみなんかがたくさん飾られてある、じつに女の子らしいお部屋だった。何度か果那のお部屋を訪れたことのある優平には特に目新しくは映らなかったが、こんな視点で観察したのはもちろん初めてのことだ。
「ユウヘイソロイシン、好きな女の子がおウチでどんな風にして過ごしてるか知りたいでしょ？」
葉流棲はにやっと微笑む。
「ダメダメダメ！」
優平は冷静に判断する。
「あっ、カナちゃんっていう子、今からｕｒｉｎａｔｉｏｎかｆｅｃｅｓするみたいだよ」
サラは画面を食い入るように見つめる。
「どわあああああああっ、ダッ、ダメダメダメッ。法律的に」
「ユウヘイくん、見たくないの？ 高校生くらいの男の子って、こういうのにすごく興味があるかと」
「ない、ない、ない、なーっい！」
優平は慌ててテレビの電源を切った。また映像が切り替わり、トイレで下着を脱ぎ下ろしている果那の姿が映し出されていたのだ。果那の穿いていた水玉模様のショーツを、優平はほんの一瞬見てしまった。
「あーん、もっとウォッチングしたかったのにぃ」
「アタシもーっ。腎臓で血液からろ過され、膀胱に溜められた老廃物が排泄される重要な人体現象だもん」
サラと葉流棲はふくれっ面で駄々をこねる。
「これは、プライバシーの侵害だよ」
「ごめんね優平君、つい〝知る権利〟の方に意識を片寄せ過ぎちゃって。これからは必要最低限の生活面だけを見るようにするね」
優平に困惑顔で注意され、露古湖は申し訳なさそうに謝る。
「いやぁ、全く見なくていいんだけど」
優平は対応に困ってしまう。
「ロココちゃんが、ユウヘイくんのことを知る権利があるって言ってたから、ユウヘイくんのお部屋、勝手にｉｎｖｅｓｔｉｇａｔｅさせてもらったよ。面白いコミックやラノベ、けっこう持ってるね。ワタシもコミックやラノベ大好きだよ」
「ユウヘイソロイシンって、三次元のヒトのメスの裸が載ってるエッチな本は一冊も持ってないんだな。ベッドの下も綿密に調べたんだけど、収納ケースが置いてあって、中に服とゲノムならぬゲームが入ってただけだし。男子中高生必須のアレする時に使うビジュアルは二次元の女の子のみってわけだな」
「ユウヘイくんはホムロウくんと同じくｗｈｏｌｅｓｏｍｅ ｂｏｙだね。いい子いい子」
葉流棲とサラは機嫌良さそうに話しかけてくる。
「あのう、あんまり俺の部屋、荒らさないでね」
優平は悲しげな表情で注意しておく。
「優平お兄ちゃん、このテレビ、テレビ番組は見れなかったよ。どのチャンネルに変えても受信できませんって出た。これじゃあド○えもんもクレ○ンしんちゃんもちび○る子ちゃんもサ○エさんも妖怪○ッチも見れないよう」
理密等は優平の袖をぐいぐい引っ張りながら不満そうに伝えた。
「そりゃあ放送用のアンテナ繋いでないからね。このテレビはＤＶＤ・ブルーレイ視聴専用なんだ。繋ぐのは大学合格してからって母さんと約束してる。今は深夜アニメ、稜也がＤＶＤかブルーレイに録画して来たやつをこのテレビか、学校のパソコンで部活中に見てる状態だから。早く生で自由に見られるようになりたいよ」
優平は苦笑いで切望する。
「それじゃ優平お兄ちゃん、お勉強ますます頑張らなきゃいけないね」
「うっ、うん」
「ユウヘイくんは、ビデオゲームはやらないの？」
サラが質問してくる。
「ビデオゲームって、テレビゲームのことだよね。高校に入ってからは全然やってないな」
「そっか。でもそれは良いことだよ。勉強のｏｂｓｔｒｕｃｔｉｏｎになっちゃうし」
「そうだね」
まあ、テレビゲームしてた時間が、アニメ雑誌やラノベを読む時間に取って代わっただけなんだけど……。
「ユウヘイソロイシン、カナフタレン今からお風呂に入るみたいだぜ」
葉流棲は優平が他の事に意識が移っていたのをいいことにまたテレビをつけ、果那のおウチ内部を観察していた。
「うわっ、こらこらっ、ダメだろ」
今度は果那が脱衣場で服を脱いでいる様子が映し出されていた。果那のブラジャー姿を一瞬見てしまった優平は慌てて主電源を消し、葉流棲の頭をパシンッと叩く。
「いたたたっ、ひどいよユウヘイソロイシン」
葉流棲が頭を押さえながらそう言ったその時、
「優平ぇー、ご飯よぉー。今日利川先生、職員会議で遅くなるからいらないって」
一階から母の叫ぶ声が聞こえてくる。
「分かったーっ。すぐ行くよ」
優平は大声で返事をしたのち、
「果那ちゃんがお風呂入ってるとこ、絶対覗いちゃダメだよ」
サラの方を向いてこう念を押し、部屋から出ていった。
「男の子からそんなこと注意されるって、ｓｔｒａｎｇｅ ｆｅｅｌｉｎｇだよね」
サラはにこっと微笑む。
「これはチャーンス！ カナフタレンの入浴シーン、思う存分覗くぞーっ」
葉流棲は嬉しそうに叫んでテレビをつけ、果那のおウチの浴室を映し出した。
ちょうど果那が風呂イスに腰掛け、長い髪の毛をシャンプーでこすっている最中だった。
「おう、カナフタレンはシャンプーハットを使ってるのかぁ。シャンプーハットの材質はＥＶＡ樹脂、シャンプーは弱酸性のものかな？」
「果那お姉ちゃん、おっぱい大きいね。体積量りたぁーい」
「ナイスバディだね、カナちゃん」
「羨ましいわぁ～」
理密等とサラと露古湖も画面に食い入る。果那は自分の体をバスタオルで隠すことなく全裸姿だったのだ。
「皆さん、鬼の居ぬ間に洗濯はダメですよ」
卯月は困惑顔で注意した。
「まあいいじゃんウヅキアズマ」
「出た！ 日本のことわざ。ちなみに英語では、Ｗｈｅｎ ｔｈｅ ｃａｔ‘ｓ ａｗａｙ，ｔｈｅ ｍｉｃｅ ｗｉｌｌ ｐｌａｙ．だよ。でもユウヘイくんは鬼って感じが全くしないよ」
「そうだな。ユウヘイソロイシン、怒っても怖く無さそうだし」
「優平君は、草食系男子っぽいわね」
「あたし、優平お兄ちゃんの優しそうなところが大好きぃーっ！」
卯月以外の四人は果那の入浴シーンを眺めながら、楽しそうに会話を弾ませる。
「皆さん、止めた方がいいですよ」
卯月は再度注意するも、
「大丈夫だってウヅキアズマ。ウヅキアズマもいっしょに見ようぜ」
「卯月ちゃん、同性なのだからよろしいでしょ。ヒンドゥー教徒のガンジス川での沐浴に通じるものもあるし」
「今ちょうどボディーをゴシゴシｒｕｂｂｉｎｇしてるいいところなのに。このあとは湯船に浸かってくつろぐという日本ならではのシーンが楽しめるんだよ」
「卯月お姉ちゃん、眺めてると果那お姉ちゃんといっしょにお風呂入ってる気分になれるよ」
四人はこう言い訳して尚も画面に集中する。
「ねえ、皆さん……今すぐ、そういうをこなことはやめなさい！」
卯月は眉をへの字に曲げて、古語も交えて少し強めに言った。すると次の瞬間、
「ごっ、ごっ、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい卯月お姉ちゃん」
「ひいいいいいいい、すっ、すまねえウヅキアズマ」
「申し訳ありませんでした、卯月ちゃん」
「アッ、アイムベリーソーリー。Ｉ‘ｍ ｖｅｒｙ ａｆｒａｉｄ ｏｆ ｙｏｕ．Ｙｏｕｒ ｆａｃｅ ｗａｓ ｍｕｃｈ ｍｏｒｅ ｆｅａｒｆｕｌ ｔｈａｎ ａ ｐｏｒｔｒａｉｔ ｏｆ Ｂｅｅｔｈｏｖｅｎ．Ｉｔ ｅｑｕａｌｓ ｎａｍａｈａｇｅ．」
四人はびくびく震えながら慌てて謝った。葉流棲はとっさにテレビの電源を消す。理密等は泣き出してしまった。卯月の顔が今しがた、般若面に急変化したのだ。しかも元の顔の大きさの五倍くらいまでふくれ上がっていた。卯月の顔はそれから瞬く間に何事も無かったかのように元の可愛らしいお顔へと戻った。
「わらわは、怒りがある程度上昇すると、こんな風になっちゃう設定になってるんです。きっと国語の学習内容に《能と狂言》があるせいだよぅ。優平さんには絶対こんな醜い姿見られたくないです。穴があったら入りたいよぅ」
卯月はとても照れくさそうに、顔を真っ赤に火照らせながら呟いた。
「「「「…………」」」」
卯月の恐ろしい風貌を見てしまった四人は、すっかり反省したようである。
それから三〇分ほどのち、
「覗かなかった？」
夕食を取り、風呂にも入り終えた優平が再び自室へ戻って来た。
「あの、優平さん。この人達、みんなで果那さんのお風呂、覗いてましたよ」
卯月は困惑顔で、四人を指し示しながら告げ口する。
「やっぱり……」
優平はムスッとなった。
「ユウヘイソロイシン、すまんね。もう金輪際やらねえから。たとえウラン２３８の半減期くらい長い時間が経とうとも」
「アイムベリーソーリー、ユウヘイくん。カナちゃんが湯船に浸かるシーン、どうしても見たくって」
「優平君、もう二度とやらないから。わたくし、次こういうことしたら大石内蔵助のように切腹するか、ソクラテスのように毒杯を仰ぐわ」
「優平お兄ちゃん、ごめんなさーい」
四人は優平の方を向いて深々と頭を下げた。
「優平さん、ご覧の通り皆さんは大いに反省しているので、許してあげて下さい」
卯月は優平の目を見つめながら頼み込む。
「まっ、まあ、いいけど。今後は、絶対やらないでね」
優平はこう忠告して学習机の前に立った。学習机に貼られた時間割表を眺めながら、優平は明日行われる授業の教科書・副教材、ノートを通学鞄に詰めていく。整え終わったちょうどその時、優平のスマホ着信音が鳴り響いた。今放送中の深夜アニメのＥＤ主題歌だった。電話がかかって来たのだ。
「果那ちゃんからだ」
番号を確認すると優平はこう呟いてベッドに腰掛け、通話アイコンをタップする。
「もしもし」
『あっ、優平くん。ノートとプリントと、シュークリームといちご大福も届けてくれてありがとう。すごく嬉しかったよ♪』
「どういたしまして。体は、大丈夫？」
『うん、おウチ帰った後いっぱい休んだからもう平気。すっかり元気になったよ。あのね、優平くん、すごく言い辛いんだけど……全部同じ色で書かれてるから、どこが要点なのか分かりにくいよ。字も、読みにくくて』
「ごめん、果那ちゃん。俺の、書き方、良くなかったね」
優平は電話越しにぺこぺこ謝る。
『いいの、いいの。優平くんが、一生懸命取ってくれたことが良く分かるから。気にしないでね』
果那は慰めてくれた。
「本当に、ごめんね。あっ、あと、連絡だけど、時間割変更で、明日も家庭科があるよ。六時限目に。帰りのホームルームで担任が言ってた」
『あの、そのことは家庭科の授業でも連絡してたよ。中間で抜けた分の埋め合わせって』
「えっ！ そうなの？」
『優平くん、聞いてなかったの？』
「うっ、うん。考え事してて」
『優平くん、授業中は集中して先生のお話聞かなきゃダメだよ。テストに出る大事なポイントもお話ししてくれるからね』
「分かった。次からは気をつけるよ。じゃっ、じゃあ俺、そろそろ切るね」
『あっ、待って優平くん』
「なっ、何？」
優平はぴくっと反応した。
『あの……今度の土曜、明後日だけど、いっしょにショッピングに行こう』
「えええっ！」
果那の突然の発言に、優平はどきっとした。
『あの、今日の、お礼がしたくて……』
「あっ、そっ、そう。それじゃ、いっ、いいけど」
デートの誘いなんじゃないのか？ これ。
優平はやや躊躇う気持ちがありながらも、一応引き受けた。
『ありがとう。それじゃ、また明日ね、優平くん』
「うっ、うん」
こうして優平は電話を切った。
「ユウヘイくん、今のが、ガールフレンドのカナちゃんですね？ Ｈｏｗ ｌｏｎｇ ｈａｖｅ ｙｏｕ ｂｅｅｎ ｄａｔｉｎｇ ｗｉｔｈ ｈｅｒ？」
「うわっ！！」
優平はかなり驚く。すぐ横にサラがいたからだ。現在完了進行形で質問もして来た。
「ガールフレンドじゃなくて、おっ、幼馴染だ」
「幼馴染、つまりＣｈｉｌｄｈｏｏｄ ｆｒｉｅｎｄなんですか！ Ｗｏｗ！ ウヅキちゃんの予想通りだね。ねえ、ユウヘイくん、ワタシはカナと知り合って十二年になります。を英語で言ってみて。ヒント、現在完了形を使うの。中学生の頃にも習った単元でしょ？」
「えっと……アッ、アイハブ、ビーン、ノウン、カナ、トウェルヴ、イヤー」
「ノーノー、ダメだよ。Ｙｏｕ ａｒｅ ｗｒｏｎｇ．Ｉ ｈａｖｅ ｂｅｅｎ ｋｎｏｗｎ Ｋａｎａ ｆｏｒ ｔｗｅｌｖｅ ｙｅａｒｓ．よ。リピートアフタミー」
「アッ、アイハブビーンノウンカナ、フォアトウェルヴイヤーズ」
「Ｇｏｏｄ！」
優平が棒読み英語で言ってみると、サラは指でＯＫサインをとった。
「あっ、どっ、どうも」
「あのぅ、幼馴染ということは、Ｙｏｕ ｈａｖｅ ｅｖｅｒ ｔａｋｅｎ ａ ｂａｔｈ ｗｉｔｈ ｈｅｒ，ｈａｖｅｎ‘ｔ ｙｏｕ？ いっしょにお風呂に入ったこともありますよね？」
サラは付加疑問文を用いてさらに質問してくる。
「ないよ」
優平は俯き加減で言う。
「怪しい」
サラは顔をぐぐっと近づけてくる。
「あっ、あのさ、露古湖ちゃん。昨日、地図帳から民族衣装を取り出してたけど、他の教材からも、写真や図に載ってるやつを取り出せるの？」
優平は無視して露古湖の方に話しかけた。
「もちろん出来るわよ。ちょっと教科書借りるね」
そう自信たっぷりに言うと露古湖は、化学基礎の教科書カラー口絵を開いて手を突っ込んだ。そして中から、金の延べ棒《元素記号Ａｕ》を取り出した。
「うわっ、ロココロナすげえ。本物だ」
「露古湖お姉ちゃんすごーい！」
「ロココちゃん、マジシャンみたーい」
葉流棲、理密等、サラはパチパチ大きく拍手する。
「あれ？ でも中の写真はそのままだ」
優平は不思議そうにその教科書を見つめる。
「わたくしが取り出したものは、コピーされたものだからよ。何度でも複製出来るの。続いて英語の教科書から、登場人物のボブ君を取り出してみせましょう」
露古湖は得意げな表情で、今度は英文読解用の教科書に手を突っ込む。
数秒後、
「Ｏｕｃｈ！」
中から男性の叫び声がした。次の瞬間、クリーム色の髪の毛が飛び出て来た。
露古湖がさらに引っ張り上げると顔、首、胴体、足も姿を現す。
露古湖は本当にボブ（Ｂｏｂ）という登場人物を取り出して来たのだ。
「Ｗｈａｔ‘ｓ ｈａｐｐｅｎ？ Ｗｈｅｒｅ’ｓ ｈｅｒｅ？ Ｗｈｙ ａｍ Ｉ ｈｅｒｅ？」
引っ張り出されたボブは周囲をきょろきょろ見渡す。彼はとてもびっくりしている様子で、かなり戸惑ってもいた。
「やっぱ英語か」
優平は冷静に突っ込む。彼はあの光景を先に目にしているので、もはやこんなことが起こってもあまり驚かなかった。
「大丈夫だよ。ボブはｐｒｏｂａｂｌｙこのテキストの範囲を超える用法は使用してこないから。英語の得意な日本人高校生よりもボキャブラリーは少ないと思うよ」
サラは推察する。
「Ｗｈｏ ａｒｅ ｙｏｕ？」
ボブは教材キャラ達と、優平のいる方に目を向ける。
「やっほー、ボブタジエン。アタシ、原子葉流棲というのだ。英語だとＩ ａｍ Ｈａｒａｋｏ Ｐｕｌｓｅ．かな？」
「ボブおじちゃん、はじめまして。あたしの名前は四分一理密等です。小学四年生、九歳です。趣味はお絵描き、特に好きな食べ物はトーラス構造になってるドーナッツと、回転楕円体に近いお饅頭です」
葉流棲と理密等は嬉しそうに自己紹介した。
「リミットちゃん、ボブは老けて見えるけど、ワタシやユウヘイくんと同級生ってことになってるよ。おじちゃんじゃなくて、お兄ちゃんって呼んであげた方がベターかも」
サラは笑顔で伝える。
「そっか。ごめんね、ボブお兄ちゃん」
「Ｏｈ！ ｖｅｒｙ ｃｕｔｙ ｇｉｒｌ！ Ｉ‘ｍ ｖｅｒｙ ｈａｐｐｙ ｔｏ ｍｅｅｔ ｙｏｕ．」
上背一八〇センチくらいあるボブは中腰姿勢で理密等の顔を眺めながらそう叫び、目を大きく開いた。
「サラお姉ちゃん、ボブお兄ちゃんさっき何って言ったの？」
理密等は興味津々に尋ねる。
「とてもかわいい女の子だね、キミと会えてボクはとても幸せだよ。だって」
サラはにこにこしながら教えてあげた。
「わぁーっ、嬉しいなーっ！ あたしも幸せーっ♪」
理密等は満面の笑みを浮かべる。
「Ｌｉｍｉｔ，Ｉ ｆｅｌｌ ｉｎ ｌｏｖｅ ｗｉｔｈ ｙｏｕ ａｔ ｆｉｒｓｔ ｓｉｇｈｔ．Ｓｈａｌｌ ｗｅ ｄａｎｃｅ ａｎｄ ｓ○ｘ？」
ボブはこう告白すると突然、理密等にガバッと抱きついた。
「……いっ、いやあああっ。こっ、怖ぁい、このおじちゃん」
押し込まれ壁際に追い込まれた理密等は途端に怯え出す。
ボブにほっぺたをぐりぐり引っ付けられて、さらには耳元にフゥーッと息を吹きかけられたのだ。
「おい、何してるんだよ」
「ボブ君、理密等ちゃん嫌がってるからやめなさい！」
優平と露古湖は慌ててボブの背後に詰め寄る。
「Ｇｅｔ ｏｕｔ ｏｆ ｔｈｅ ｗａｙ！」
「きゃぁんっ！」
「いてっ、強いな、こいつ」
瞬間、ボブに蹴り飛ばされてしまった。露古湖はしりもちをついたさい、けっこう可愛らしい悲鳴を上げた。
「Ｂｏｂ，Ｓｔｏｐ ｂｏｄｙ ｃｏｎｔａｃｔ ｔｏ Ｌｉｍｉｔ ａｔ ｏｎｃｅ！」
サラは強い口調で注意した。
「Ｎｏ ｗａｙ！」
けれどもボブは聞き耳持たず。
「Ｉｎ ｐｌａｃｅ ｏｆ Ｌｉｍｉｔ，Ｈｕｇ ｍｅ！」
「Ｉ’ｍ ｎｏｔ ｉｎｔｅｒｅｓｔｅｄ ｉｎ ｍｉｄｄｌｅ ａｇｅ‘ｓ ｗｏｍａｎ ｌｉｋｅ ｙｏｕ ａｔ ａｌｌ．Ｙｏｕ ａｒｅ，ｓｏ ｔｏ ｓｐｅａｋ，ｕｇｌｙ ｆａｔ ｐｉｇ．」
ボブは腐った生魚でも見るかのような目つきで、命令して来たサラに向かって言い放つ。
「まあ、なんですってぇぇぇっ！ 失礼ね、このロリコン」
サラはぷくぅっとふくれる。
「今ボブ、何って言ったの？ 早口で分かりにくかった」
優平が質問する。
「おまえのような年増には全く興味ないね。おまえはいわば、醜い太った豚だ、だって。Ｉ‘ｍ ｐｉｓｓｅｄ ｏｆｆ！ Ｉ‘ｍ ａｓ ｏｌｄ ａｓ ｙｏｕ！ Ｍｙ ｂｉｒｔｈｄａｙ ｍａｙ ｂｅ ｌａｔｅｒ ｔｈａｎ ｙｏｕ！ ユウヘイくん、ｂｅ ｉｎｔｅｒｅｓｔｅｄ ｉｎは～に興味があるっていう重要英熟語だから、しっかり覚えておいてね。否定文にはｎｏｔよ。これを覚えたらハ○ヒの名台詞が英語で言えるよ。あともう二つ重要英熟語、ｎｏｔ～ａｔ ａｌｌは全く～ない。ｓｏ ｔｏ ｓｐｅａｋはいわば、例えて言うならっていう意味だよ」
サラはボブを睨み付けながらも、ちゃっかり優平に英熟語を教えてあげる。
「Ｉ‘ｌｌ ｍａｒｒｙ Ｌｉｍｉｔ ｉｎ ｔｈｅ ｎｅａｒ ｆｕｔｕｒｅ．Ｉｆ ｔｈｅ ｓｕｎ ｗｅｒｅ ｔｏ ｒｉｓｅ ｉｎ ｔｈｅ ｗｅｓｔ，Ｉ ｗｏｕｌｄｎ’ｔ ｃｈａｎｇｅ ｍｙ ｍｉｎｄ．」
ボブはスキンシップをやめようとはしない。
「やめてやめてやめてぇぇぇぇぇぇぇ～」
理密等は大声で泣き叫ぶ。
「ボクは近い将来、リミットと結婚するんだ。仮に太陽が西から昇っても、ボクは決心を変えないよ。ですってぇぇぇーっ。Ｐｅｒｖｅｔ！ Ｆｕｃｋ ｙｏｕ！ Ｐｅｉｃｅ ｏｆ ｓｈｉｔ！ Ｙｏｕ ａｒｅ ｓｃｕｍ！ ユウヘイくん、ｍａｒｒｙは前置詞ｔｏやｗｉｔｈを付けずに目的語を取るよ。ｍａｒｒｙだけで～と結婚するっていう意味になるの。あとＩｆ主語ｗｅｒｅ ｔｏ動詞の原形で、もし仮に～したら……だろうという意味だよ。この表現はＩｆ主語ｓｈｏｕｌｄ動詞の原形よりも、さらに実現可能性の低いことについての仮定に使われるの」
サラの怒りはさらに増した。けれどもボブの会話中に出て来た重要英語イディオムはしっかり解説することを忘れない。
「あっ、あのうボブさん。理密等さんとても怖がっているので……」
卯月も彼の暴挙を止めさせようと説得に加わる。
「Ｒｅａｌｌｙ？ Ｌｉｍｉｔ，ｐｌｅａｓｅ ｄｏｎ‘ｔ ｂｅ ａｆｒａｉｄ ｔｏ ｍｅ．Ｉｆ ｙｏｕ ｍａｒｒｙ ｍｅ，Ｉ‘ｌｌ ｂｕｙ ａｎｙｔｈｉｎｇ ｙｏｕ ｗａｎｔ ｔｏ．」
ボブは一応、日本語も理解出来ているようだった。彼は理密等に優しく微笑みかける。
「ボブおじちゃん、早くやめてぇぇぇぇぇぇぇーっ」
しかし逆効果。理密等はますます大泣きしてしまった。
「Ｗｈｙ？」
ボブはハハハッと陽気に笑いながら問いかけ、再び理密等に頬を引っ付ける。
「ロリコンのボブタジエン、リミットロコフォアいじめちゃダメだぞ」
葉流棲はこう注意すると直径十センチくらいの鉄球に変身し、ボブの脳天にゴンッと直撃させた。
「Ｏｕｃｈ！」
ボブに衝撃が走る。両目が☆になった。
「引っ込め！ 引っ込め！」
葉流棲は元の姿に戻ると英語の教科書を素早く拾い上げ彼のいたページを開く。そしてボブの脳天に押し付け、中へと戻してあげた。
これにてボブのＺ軸成分が０と化し、二次元座標への変換が完了した。
「あぁん、すごく怖かったよぉぉぉ～。ありがとう、葉流棲お姉ちゃぁぁぁーん」
理密等はえんえん泣きながら礼を言い、葉流棲にぎゅぅっとしがみ付く。
「どういたしまして。ボブタジエンは有害なホモサピエンスだったね。アタシも対象外みたいだったし。ボブタジエンの質量を全てエネルギーに変換した方よかったかな？ 質量×光速度二乗で、とんでもないエネルギーになっちゃうから不可能だけどね」
葉流棲はにこにこしながら物理学的に説明する。
「ボブって子、何がＢｏｂ ｉｓ ｔｈｅ ｋｉｎｄｅｓｔ ｂｏｙ ｉｎ ｏｕｒ ｃｌａｓｓ．よ。教科書の本文と全然違うじゃない。Ｔｏ ｔｅｌｌ ｔｈｅ ｔｒｕｔｈ，Ｂｏｂ ｉｓ ｎｏｔ ｏｎｌｙ Ｌｏｌｉｔａ ｃｏｍｐｌｅｘ，ｂｕｔ ａｌｓｏ ｃｒａｚｙ．」
サラは、まだぷっくりふくれていた。
「ボブ君は、肉食系男子ね」
露古湖はぽつりと呟く。
「肉食系男子って、ティラノサウルスみたいだな。犬歯も発達してるのかな？」
葉流棲はすかさず突っ込みを入れた。
「ワタシ、肉食系の男の子は苦手だな。ユウヘイくんみたいな草食系がいい」
サラはそう告げて、優平の手をぎゅっと握り締めた。
「えっ、あっ、あの」
優平の頬は酸性を示すリトマス試験紙のごとく赤くなる。
「ユウヘイくん、照れてる。かわいい」
サラはにこっと微笑みかけた。
「そっ、そんなことないって」
優平は必死に否定しようとする。
「優平君、しぐさでバレバレよ。あの、英語の教科書にもう一人出てくるイギリス人男の子キャラ、トム君も引っ張り出してみようかしら？ ｈａｎｄｓｏｍｅ ｂｏｙって書かれてあるから」
露古湖は微笑みながら問いかける。
「露古湖お姉ちゃん、もう止めて！ また変なおじちゃんだったら嫌だよぅ」
理密等はげんなりとした表情で伝えた。
「この教科書に出てくる女の子、ワタシと同じ名前のＳａｒａｈと、メアリーとスージーはきっとボブに悲しい目に遭わされてるわ」
サラはため息まじりに告げる。
「ボブ君も二次元平面上では本文通りのいい子かもしれないわよ。三次元空間上の女の子はオタクを嫌う酷い子が多いのと同じようにね。さあ優平君、今からは自宅学習の時間よ」
露古湖はそう告げると、優平の後ろ首襟をガシッとつかんだ。
「えっ、いっ、今から？」
「当然よ！ 保夢朗君曰く高校生の本分は学業、大勢の友人同士で海や遊園地やカラオケボックスなんかで遊び回って恋愛なんかもしちゃってるリア充共は爆ぜろだからね」
戸惑う優平に、露古湖はきりっとした表情で言う。
「優平お兄ちゃん、勉強を一日サボったら、元の学力を取り戻すのに一週間かかるよ」
理密等は笑顔で忠告する。
「さあユウヘイくん、シッダウン！」
「わわわ」
優平はサラの手によって無理やり学習机の椅子に座らされた。
「まずは学校で出されたホームワークからよ」
「宿題は、今日は出てないよ」
「優平君は、宿題が出てなかったら家庭学習はしなくてもいいと思ってるの？」
「そりゃそうだろ」
露古湖の質問に、優平は笑いながら答えた。
次の瞬間、パチーンッ！ と乾いた音が鳴り響く。
露古湖が優平のほっぺたを思いっ切り引っ叩いたのだ。
「……なっ、何するの？」
優平は突然のことに動揺していた。徐々に泣き出しそうな表情へと変わっていく。
「愛の鞭よ」
露古湖はきりっとした表情で伝えた。
「ユウヘイくん、高校生はね、ホームワーク無くても授業の予習復習するのが当たり前だよ。ワタシ達、今日からユウヘイくんの成績をアップさせるために、シビアに学習指導していくからね。怠けたら体罰もあるよ♪」
サラはにこやかな表情でさらっと告げた。
「えっ……」
優平はびくっとなる。
「学校では体罰は禁止されてるようだけど、わたくし達は容赦なくやるわよ」
「なんてったってワタシ達は非実在だから、ユウヘイくんが再起不能になるまでボコボコにしても、ｋｉｌｌしても罪に問われないもんね」
サラはにこりと笑った。
「恐ろしいこと言うなよ」
優平はさらに表情が強張り恐怖心が増した。
「真面目にやれば体罰はしないから。優平君、姿勢を正しなさいっ！」
「ちゃんと真面目にやらないと、坊主頭にしちゃうぞ、ユウヘイくん」
「いっ、いててて」
露古湖に両サイドからほっぺたをつねられ、サラに髪の毛を引っ張られながらくどくど説教され、優平の恐怖心はさらに高まった。
「ユウヘイくん、まずはデスクの上をちゃんと片付けようね。ワタシがやってあげようとは思ったけど、それじゃあユウヘイくんのためにならないからね♪」
サラはにこにこ顔で注意する。
「わっ、分かったよ」
優平はびくびくしながら素早く手を動かし、散らばっていた教科書、プリント類などを集め、隅の方へ寄せてスペースを設けた。
「それじゃ優平お兄ちゃん、数学の特訓からやろう」
理密等は自身が入っていた数学のテキストを学習机の上にポンッと置く。
「でっ、でも、そのテキストは白紙じゃ……」
「大丈夫だよ。捲ってみて」
「うっ、うん」
優平は不思議に思いながらも、理密等に言われた通りにしてみる。
「あれ？ 問題文が、ちゃんと載ってる」
優平は現れた図や数式を驚き顔で凝視する。
「優平お兄ちゃん、シャーペン持ってさっさと解いて。標準時間は五分だよ」
理密等はそれを優平に手渡した。
「わっ、分かった」
優平はそこにある問題を解き始める。整式の乗法に関するものだった。
「優平お兄ちゃん、答は合ってるけど解くのおそーい！ もう一回やり直し」
理密等が開かれているページに手をかざすと、優平がさっき書き写した文字が跡形も無く消えてしまった。さらに、問題文が一新され数値まで変更された。
「こんな能力も使えるのか」
優平はあっと驚く。
「問題文は自在に操れるよ。すごいでしょ？ サラお姉ちゃんも露古湖お姉ちゃんも卯月お姉ちゃんも葉流棲お姉ちゃんもみんな同じ能力が使えるよ。テキストが最初白紙なのは、受講生の学力に合わせて演習問題のレベルを調整するためだよ」
理密等はてへっと笑う。
「そっ、そうなんだ」
「優平お兄ちゃん、感心してる暇があったら、さっさと問題解き始めて」
「わっ、分かった」
優平は理密等に命令されるがまま、同じ単元に関する問題を解いていく。
「さっきよりは早くなったけどまだ遅いなぁ。もっと頑張ってね、優平お兄ちゃん。次は単元変えるね」
理密等は手をかざす。またも優平の書いた文字がふっと消え、問題文が一新された。
優平は続いて、一次不等式と因数分解に関する問題を解き始める。
数分後、
「時間オーバー、それに、計算間違いも多いよ。次はこの単元の問題解いてね」
理密等がまたまた注意してくる。ぷっくりふくれて不機嫌そうだった。
「分かった。今度は順列・組み合わせかぁ。その分野は特に苦手なんだよなぁ」
優平は一問目の黒玉５個と白玉３個を一列に並べる時、白玉が隣り合わないような並べ方は何通りあるかという問題から悩んでしまう。
「優平お兄ちゃん、手を休めちゃダメーッ！ 順列と組み合わせは習ったばかりでしょ？」
「あいたぁーっ！」
理密等にコンパスの針でほっぺたをプツッと突かれてしまった。
「優平君は、中学生の頃はテストの成績良かったみたいだけど、どんな勉強方法をしてたのかな？ 正直に答えなさい」
「その時は、テスト前だけ、一夜漬けみたいな感じで、やってました。それでも、けっこう良い点取れたので」
露古湖から唐突にされた質問に、優平はびくびく怯えながら答える。
「優平君、高校のテストではそんなやり方じゃ通用しないってことは実感したでしょ？ 一夜漬けで身に付けた知識は、そのほとんどがすぐに忘れちゃうの。本当の実力は身に付いてないってことを肝に銘じておきなさい！」
「わっ、分かりましたぁぁぁーっ」
厳しく注意された優平は体罰されないようにと、必死に思考回路を巡らせシャープペンシルを動かし問題に取り組む。
全部で十題あるうち八題目を解いている途中、
「あのさ、俺、トイレ、行きたくなったんだけど」
優平は椅子に座ったまま足をくねくねさせ始めた。
「露古湖お姉ちゃん、優平お兄ちゃんがおしっこだって」
理密等は露古湖の袖を引っ張りながら伝える。
「ダメ！ 認めません。講義中のトイレ行きたいは、逃げるための常套文句ですから」
露古湖は厳しい表情で告げる。
「そっ、そんな……」
優平の表情は強張った。
「これにすれば大丈夫よ」
露古湖はにこっと笑い、現代社会の資料集に手を突っ込む。そして環境問題に関する項目が載っているページからペットボトルを取り出し、優平の目の前にかざした。
「でっ、出来るわけないだろ」
優平は当然のように拒否した。
「ユウヘイソロイシン、ズボンのチャック開けるね。あっ、パジャマだからついてないのか。直接脱がしちゃえーっ」
葉流棲は優平の側により、ズボンを引っ張ろうとする。
「ワタシも手伝うよ」
サラも加担してくる。
「やっ、やめてくれ」
優平は全身をぶんぶん振り動かし必死に抵抗する。
「ユウヘイくん、このままじゃおもらししちゃうよ」
「ちなみにペットボトルのペットとは、ポリエチレンテレフタレートのことなのだ。エチレングリコールとテレフタル酸との脱水縮合により作られるのだ。有機化学分野で習うぜ」
けれどもサラと葉流棲の方が優勢だ。
「あっ、あのう、露古湖さん。厠には、行かせてあげた方がいいのではないでしょうか？」
「露古湖お姉ちゃん、優平お兄ちゃんがかわいそうだよ」
卯月と理密等は説得する。
「……それじゃ、特別に許可するわね」
露古湖は数秒悩んだ後、こう告げた。卯月にあの姿に変身されては困る、と感じての判断であった。
「よっ、よかったぁ～」
優平はサラと葉流棲から解放されるとすぐさまガバッと立ち上がり、一階にあるトイレへ向かって走っていった。
（規制対策のため削除）
自分の非は認めない優平が自室の扉を開くと、残る三人は優平の所有するマンガやラノベを読み漁ったり、携帯ゲーム機で遊んだりしていた。
「あっ、あのう、もう一度言うけど、あんまり俺の部屋を荒らさないでね」
優平が優しく注意すると、
「ごめんなさい優平さん。すぐに元の位置へ戻します」
「了解、ユウヘイソロイシン」
「優平お兄ちゃん、すぐお片づけするね」
三人は快く応じてくれた。
「さてと、問題の続きやらないと」
優平が椅子に座り、シャープペンシルを手に持った。
その直後、
「ユウヘイくぅーん」
「もう、優平君ったら。シャイな男の子ね」
サラと露古湖の声がするのとほぼ同時に、部屋の扉がガチャッと開かれた。
「ごっ、ごめんなさーっい」
優平は反射的に謝る。
「ユウヘイくん、Ｉ ｄｏｎ‘ｔ ｍｉｎｄ ａｔ ａｌｌ ｔｈａｔ Ｉ ｗａｓ ｐｅｅｐｅｄ ｂｙ ｙｏｕ．」
サラは頬をピンク色に染めながら自分の気持ちを英語で伝える。
「わたくしもサラちゃんのあとにやったよ。優平君、なんで逃げたのかな？ 男の子なら、こういうシチュエーション大喜びすると思ったのに」
露古湖は不思議そうに尋ねて来た。
「エロゲーの世界じゃないんだから」
優平は困惑顔ですかさず突っ込む。
「ユウヘイソロイシン、アタシ以外は普通に排泄行為をするからね。この四名は三次元空間上では現実の女の子と生物学的特徴が同じだから。アタシの場合は、飲食物は体内でエネルギーに変換されるからする必要ないけどな」
葉流棲はにこにこしながら自慢げに語る。
「ド○えもんかよ」
優平はまたもすかさず突っ込んだ。
「まあでもアタシでも月一、数日に渡って血液が子宮から体外に排出されるのだけどね。三次元世界の人間の女の子で言うとアノ日のことだよ。ユウヘイソロイシン、このことを正式名称で何と言うかもちろん知ってるよね？ 保健の授業とかで習ったでしょ？」
葉流棲は少し照れくさそうに訊く。
「もうその話はいいよ。あの、もう十一時過ぎてるし、そろそろ終わりに」
優平は目覚まし時計の針を眺める。かなり眠くなって来ていた。
「ダメだよ！ ユウヘイくん。まだ今日の分ほとんどやってないよ。高校一年生は少なくとも三時間はやらなきゃ」
サラはぷんぷん顔で注意する。
「ユウヘイソロイシン、ほら見て。カナフタレンも家庭学習頑張ってるぜ」
葉流棲に言われ、優平はテレビモニターに目を向ける。
果那が学習机に向かって、一生懸命英語の演習問題を解いている姿が映し出されていた。
「ほんとだ」
優平は食い入るように見つめる。普段よく浮かべるのほほんとした表情とは違い、真剣な表情をしていた。
「こちらは淳一君の様子よ」
露古湖がリモコンを操作すると、淳一のおウチ内部が映し出された。
彼もまた、机に向かって数学の演習問題を解いていた。
「淳一も、天才かと思いきや、やっぱ陰で努力してるんだな」
優平は感心しながら呟く。
「その通りです。淳一さんも、果那さんも、長年刻苦勉励し続けて、あれだけの高い学力を身に付けられたんですよ。テスト前だけ勉強すればいい、なんていう優平さんのような浅はかな意識の持ち様とは違うのです。真の学力というのは、一夜漬けで身に付くようなものでは到底ありません。優平さんは、中学生の頃や高校の一学期に一夜漬けで覚えた内容を、今もう一度やって完璧に解けますか？」
「……それは、自信ないな」
卯月からの質問に、優平は俯き加減で答えた。
「そうでしょう優平さん。楽をして成績が上がるなんてそんな甘い考えではいけませんよ」
「学問に王道なしは、ユークリッドの有名な言葉だよ、優平お兄ちゃん」
理密等は得意げに教える。
「さあ、ユウヘイくん。次は英語を頑張ろう。ユウヘイくん一番の苦手科目みたいだから、重点的にやろうね」
「分かった！」
優平は急にやる気がみなぎって来た。
椅子に座ると、さっそくサラが調節した演習問題を解いていく。
「ユウヘイくん、スペル間違えてる！」
「いったたたぁ、ほっ、ほっぺたそんなに強くつねらないで」
時折サラから体罰を受けながら。
☆
まもなく日付が変わる頃、
「優平お兄ちゃん、あたし、もう眠いから、寝るね」
「わらわも眠いので寝ます。子の刻以降に起きているのは辛いです。おやすみなさい」
「アタシも眠くなって来たぜ。夜行性じゃないからな。ユウヘイソロイシン、あとは頑張ってね」
睡魔に負けた理密等、卯月、葉流棲は自分のテキストの中へと飛び込み就寝。
０時二〇分頃。
「優平君、夏にぴったりの夜食よ。元気が出るわよ」
英語の特訓中、露古湖が学習机の上に、あるメニューを置いてくれた。
タイ名物、トムヤムクンだった。
「ありがとう露古湖ちゃん。これも地図帳から取り出したんだね」
「その通りよ。食べ物だって取り出せるの」
「ユウヘイくん、これ食べてＬｅｔ‘ｓ ｂｒｅａｔｈｅ ｆｏｒ ａ ｍｏｍｅｎｔ．」
「じゃあ、いただきます」
優平は一旦シャーペンを置き、お皿に浸されてあったレンゲを手に取る。そしてお汁と具をいっしょに掬って口に運び入れた。
「かっ、からぁ」
瞬間、舌をぺろりと出す。
「優平君、辛いのは苦手？」
「うん」
「ごめんね。ちょっと待ってて」
露古湖はトムヤムクンを地図帳に戻し、代わりにタイ名物のデザートを取り出した。
「ありがとう」
机の上に置かれると、優平はすぐさまスプーンでお口に運んでいく。
「美味しい？」
サラがにこやかな表情で尋ねると、
「うん。ココナッツ味がけっこう甘くて」
優平は笑みを浮かべて答えた。彼は美味しそうに全てを平らげた。
「さあユウヘイくん、もう少しだけ頑張ろう。毎日コツコツ努力すれば、一時凌ぎではない本当の学力が身に付くからね」
サラはウィンクする。
「分かったよ、サラちゃん。俺、一生懸命頑張るから」
優平は再びシャーペンを手に取り、英文読解の演習問題を解いていく。
英語の今日の分を学習し終えた頃には午前一時過ぎ、優平はようやく寝させてもらえた。
まさか、体罰されるなんて思いもしなかったよ。叩かれたところがズキズキする。物理的な暴力が振るわれない分、烈學館の方がマシなんじゃないのか？ でも、優しくも励ましてもくれたし、それに、顔もしぐさも声もすごく萌えるし、これからもあの子達に教えてもらいたいなって感じたな。
布団の中で優平はそんなちょっぴりＭっ気が芽生えて来た。彼が眠り付いたあと、
「優平さん、傷を治しておきますね」
眼鏡を外した卯月が国語のテキストから飛び出て来て、優平に向かって手をかざした。
すると優平の顔や腕、下腹部、足に出来た痣が瞬く間に消えていったのだ。
「優平さんの寝顔、いとらうたしです。わらわは体罰に加担しないので、ご安心下さいね。おやすみなさい」
卯月は小声で伝えて小さくあくびをし、自分のテキストへと戻っていった。
