人でないもの
翌朝、爽は、いつもより早く起きた。
巧に確かめたいことがあったからだ。
朝食を食べない巧の準備は、時間がかからない。
爽は、自分でパンなどを買っておくこともあったが、近くの喫茶店でモーニングを食べることも多い。
今日も、行きつけの喫茶店に行くつもりだった。
巧が、あっという間に支度をし終えて、ジャケットを羽織りながら、玄関に向かうところで、爽は呼び止めた。
「兄貴の職場に、背の高い眉の太い人っている?」
「?」
巧は、あからさまに形の良い眉をひそめる。
「何だ?いきなり。」
「いや、もしかしたら、大学時代の友達か、病院のスタッフなのかもしれないけど…」
「お前、俺の薬局に来たことあったっけ?」
「いや…。」
「?」
口ごもる爽を、不思議そうに見つめる。
そして
「うちの薬剤師に、一人、そんなのがいるな。」
と答えて、探るように爽を見る。
しかし、時間がなかったのか、時計を見ると、すぐに慌てたように出て行った。
爽は、巧の怪訝そうな顔を思い出しながら、少し悩む。
巧は、霊の存在を信じていなかった。
もし、このことを巧に告げたとしても、巧は一笑にするかもしれない。
けれども、爽には、何となくわかるのだ。
祖母の初枝が死んだあとに起こした事件のせいだった。
初江の暴走を、爽が止めた。
何故止められたのか、どうやって止めたのか、正直に言って、よくわからない。
けれども、自分の背後にいる、おそらく指導霊や守護霊のようなものから、爽は、助けられ、導かれたような気がしている。
わからないなりに、あの時、感情の暴走する初枝の霊を、爽は浄霊したのだ。
母の麻由美と巧は、その場にいた。
電化製品から火花が散り、電球が割れ、皿が飛び、包丁が飛んできた。
その現場に、麻由美も巧もいた。
どう解釈したのか、巧とは話をしていない。
爽から、話すことができないように、巧からも話すことがタブーだと思っているのか、とにかく話にのぼることがなかった。
それは、東京に来てからもずっとだった。
巧が、いったい、あのことをどう思っているのか、そして、自分をどう思っているのか、爽は、怖くて、聞けない自分に気がついている。
あの事件のあとの麻由美の目に、爽は、深く傷ついていた。
短い時間だけど、今は普通に接している巧が、麻由美と同じ目で自分を見るのを、想像するのが怖かった。
けれども、巧により寄り添っているものは、少なくとも巧を不調にし、巧の周りの空気をよどませている。
もともとのパワーは強いはずの巧より、遥かに強いものを持つその霊は、生きている。
爽にはわかるのだ。
そのソースが生きている人間だということが。
巧に憑りついているものは、おそらく、巧に何か感情的な執着を持つ生霊なのだ。
死霊であれば、何とかできる。
あの時のことを覚えていなくても、その場になれば、きっと浄霊できるという確信がある。
けれども、生霊となれば、話は別だ。
生きていた時に執着していた死霊、つまり意識の一部は、いわば、本の切れ端のようなもの。
そのワンピースのみと、生きている人間の無限のエネルギーを供給されつづける生霊では、ものが違う。
どう見ても、巧にとっていい状態ではないその状況に、爽は、どう対処していいのかわからない。
ネットで調べてみると、想像通り、生きている人間の執着が、生霊をとばすとある。
それは、いきすぎた愛情であったり、ストーカー的な執着であったり、恨みであったり、嫉妬であったり、とにかく生きている人間本体の、巧に対する、過度な方向性を持つ感情の塊だ。
もしかしたら、生霊に対してもっと詳しいエキスパートが、どこかにいるのかもしれないが、少なくとも、ネットで、ざっと見る限り、生霊のスペシャリストという存在にはいきつかない。
そして、ことごとく厄介だと書かれてある。
生霊をとばしている人間に、執着を持たないよう説得したり、謝ったりする方法くらいしか書かれていない。
自分が生霊をとばしているという自覚を持つ人間は、ほとんどいないのだ。
自覚のない人間を説得するのも困難な問題だが、その姿が見えている爽には、さらなる危惧がある。
巧に寄り添う生霊は、白衣を着ていたのだ。