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  作者: K
18/26

志筑巧

志筑巧の入社は、地味で静かな薬局を、一気に華やかにした。

事務の女の子も、患者の女性たちも色めきたった。

超イケメンが入ったと聞いて、わざわざ見に来るナースもいた。

じっと見つめている女の子もいた。

鑑賞に耐えうるその容姿を、当たり前のように武器にして、志筑巧は、楽しそうに仕事をしていた。

見つめられるのには慣れているようで、それが、どんな女性でも、彼はちゃんと見つめ返し、にっこりと笑顔を見せる。

着飾ってくる患者が増えてきた。

病院に用がないのに、わざわざ、処方箋の必要のないマスクやローションなどのOTCを買いにくる婦人も増えた。

しかし、それは、斧田にとって、苦痛をひとつ増やすことになった。

患者は、処方箋を出し、その処方箋を担当した薬剤師に名前を呼ばれ、薬の説明を聞きに行く。

その薬剤師が、志筑巧であってほしいと、女性患者たちは、ときめきながら、名前が呼ばれるのを待っている。

それが、斧田であったときの失望感が、時に、斧田への怒りになってぶつけられる。

他の男性薬剤師にとっても、若干の鬱屈した気持ちは多かれ少なかれあったようで、1年先輩になる白川は、当初、あからさまに志筑を嫌っていた。

その中でも、斧田は、相変わらず、江藤に呼び出されていた。

ところが、ある日のことだった。

内科の婦長が、思い詰めた様子で、平を訪ねてやってきたのだ。

薬局内は、患者の待つスペースと調剤のスペースの後に、扉を隔てて、薬剤師の個人のデスクのある休憩室と、事務の休憩室があり、さらにその奥の部屋が、経営者である平のデスクの部屋兼応接室になる。

対応する病院が大きいこともあり、薬局としてはかなり大きいスペースを持っている。

平は、応接室に婦長を通した。

しばらくして、斧田が呼ばれた。

婦長は、昼休みに、呼び出されて説教を受けている江藤の声を、偶然聞いてしまったのだと言う。

江藤の声は、決して、大声ではない。

低い声で、ねちねちと、斧田をなじる。

そばにいなければ、内容までは聞こえない。

江藤は、休憩時間という、ナースのいない時間に、わざわざ診察室に静人を連れ込み、言葉の暴力をふるうのだ。

たまたま、婦長は、隣の部屋に用事があって、入った時に、江藤の声を聞いたのだと言う。

その言い方や、内容が、あまりにも辛辣であったので、つい、聞き耳をたててしまったら、斧田の人格を全否定するあまりにひどい言い方であったという。

しかも、しつこく、しつこく、同じ言葉を繰り返す。

あれは、完璧にいじめだと、婦長は、声をあげた。

平は、斧田に、事実確認だけすると、斧田は、静かにうなづいた。

婦長は、斧田に好意を持っているわけでは決してない。

けれども、ナースという人を救う仕事をし、婦長という人を導く立場にいながらの彼女の正義感は、中途半端に燃え、そして、自らは動けないジレンマから、問題解決を、平に丸投げしたのだ。

平に話した婦長は、すっきりしたように、薬局をあとにした。

彼女とて、医師と問題を起こすわけにはいかなかったのだ。

丸投げされた平は困惑した。

想像はしていたはずだ。

でも、見ないようにしていた。

あえて、触れず、あえて、聞かず、物言わない斧田に、その問題をまかせて、ふたをして、見ないふりをしていた。

けれども、不本意ながら、医者についで、関係性を持つ婦長に、その蓋をあけられてしまった。

見たくないのに、見てしまった。

そこへ、江藤の呼び出しコールがきた。

「昼休みに、斧田さんに、資料を持って説明に来いと伝えてとのことです。」

事務の子が、機械的に平に告げて、仕事にもどる。

平は、頭を抱えた。

そして、斧田を見た。

斧田は、静かに待っている。

期待はしていなかった。

大きなため息をついて、平は何故か、志筑を呼んだ。

平は、志筑巧に、内科の江藤先生が、昼休みに、薬の説明に来いと言っていることを告げ、資料を渡す。

江藤が、面倒な性格の男であることを告げ、薬局の立場を口を酸っぱくして説明した。

「どんなことを言われても、キレるな。我慢しろ。」

「何か、怖いな。」

苦笑しながら、志筑は、江藤の元へ、資料を届け、説明するために出かけて行った。

斧田は、それを、夢をみているような気持ちで見ていた。

期待してはいけないと自分に言い聞かせる。

誰も、自分を救うために、動いてくれたわけじゃない。

何も変わるわけじゃない。

少し、脱線しても、すぐに元に戻る。

期待してはいけない。変わらないんだ。

そして、昼休みの終わるころ、志筑は帰ってきた。

「平さん!」

血相が変わっていた。

「何ですか!? あの江藤ってドクターは!」

「志筑、落ち着け。」

「あのくそ親父、ぶっ殺してやる!!」

薬局内には、数人の患者が待っていた。

平は、あわてて、志筑を薬剤師の部屋に押し込んだ。

中には、斧田と白川が待機していた。

志筑の剣幕に驚き、白川も立ち上がって、なだめようとする。

「みんな、経験してきたことなんだ。我慢してきたんだ。」

斧田は、志筑の怒りを、呆然と見ていた。

こんなに思い切り感情を表現することなど、斧田にはとうていできなかったからだ。

「冗談じゃないですよ。」

「勿論だ。だが、薬局と病院の関係は、そんなものだ。大人になってくれ。」

平が、志筑の自分より高い肩に両手を置き、椅子に座らせようとする。

「何で、こんなことが許されるんですか?!」

志筑の怒りは収まらない。

平の手を振りはらって、背を向ける。

「斧田は、ずっと耐えてきたんだ。」

平の言葉に、志筑は振り返った。

「そう言えば、指名されてましたね。」

感情を、何とか抑えようと、努力はしているようだ。

すると、いきなり、志筑は、斧田の背後から肩を抱き、斧田の顔を覗き込んだのだ。

「斧田さん」

「?!」

至近距離で、斧田は、志筑巧の顔をはじめて見た。

怒っていても、綺麗な顔だった。

「俺達二人で、完全犯罪の計画たてて、あいつをぶっ殺しましょうよ。」

「??」

「物騒なことを言うな。」

平が、志筑の肩をつかみ、斧田から引きはがして、無理矢理、椅子に座らせた。

斧田は、呆然としていた。

何が起こったのかわからなかった。

今、自分は、何をされたのか、斧田は冷静になる必要があった。

心臓がバクバク鳴り、自分が興奮しているのだということがわかる。

志筑のあけすけな怒りにも驚いたが、何より、自分の肩を抱き、自分の顔を至近距離で覗き込んだ志筑に驚いたのだ。

肩を抱かれた。

こんなことは、おそらく初めてだ。

こんな近くまで顔を覗き込まれたのも初めてだ。

パーソナルスペースを完璧に無視して、斧田にここまで接触してきた男は、彼が初めてだ。

今まで、仕方なく近づく人間はいた。

クラスメートの席や、電車の指定席など、本人の望まない形で、近くにいたものはいたが、こんな形で、斧田に声をかけたものなど、今まで一人もいなかったのだ。

「俺達二人で、完全犯罪、計画して、あいつをぶっ殺しましょうよ。」

そんな言葉に全身が震える。

俺達二人で…

俺達なんて、自分をそのくくりに入れられたことも初めてだった。


斧田は、まだ、怒りまくっている志筑を顧みた。

誰も、斧田のことを見ていない。

斧田は、高揚する自分を押さえられなかった。

自分の表情が、どんなことになっているのか、想像がつかなかったが、すごく興奮しているのだけは自覚していた。

志筑は、平と白川になだめられて、落ち着きはじめていた。

ここにいる薬剤師全てが、江藤の陰険な性格は知っている。

皆、一度は江藤のストレスのはけ口になっているからだ。

「俺が悪かった。入社したばかりのお前をスケープゴートにした。」

と、平が素直に謝った。

「誰かが行かないといけなかった。苦しみを薬局で分散するつもりで、まだ行ったことがないお前を行かせてしまった。悪かったな。」

平に謝られて、志筑は、大きなため息をついた。

「平さんに謝られても…あんなセクハラ、病院じゃ問題にならないんですか?」

「セクハラ?」

平と白川が目をあわせる。

「セクハラというより、パワハラだろ。病院ではしないんだよ。弱い立場の薬局がターゲットなんだ。頭いいからな。人を選ぶんだ。」

「セクハラでしょ。人の身体、べたべた触りやがって…」

志筑は、吐き捨てるように言う。

「?」

「お前、どんな話をしたんだ?」

話の展開に、平も白川も、完全に意表をつかれている。

「勿論、薬の説明ですよ。でも、ほとんど、聞いちゃいないじゃないですか。」

「説教は?」

「説教?何で?」

志筑の不思議そうな顔に、平も白川も更に不思議そうな顔になる。

「他にどんな話をしたんだ?」

「話って、ほとんど、話なんかしてないですよ。あいつ、俺を上から下まで、ジロジロ見て、やたら身体に触ってきて…」

平と白川は、もう一度顔を見合わせる。

「あいつ、ゲイだったのか?」

「最後に、俺の首をなでたんですよ。クソッ。気持ち悪い。」

平と白川は、同時に噴き出した。

「笑いごとじゃないですよ。平さんに言われたから、我慢したんですよ。でなきゃ、殴ってる。」

平は、笑いながら、志筑の肩に手を置いた。

「いや、悪かった。そんなことになろうとは…だが、今後、江藤の担当は、お前な。」

「何でですか!?」


このあと、志筑は、平と白川に、今までの江藤の薬剤師に対する仕打ちを話され、斧田が、どんな仕打ちを受けていたのかを伝えられ、ただ、見つめられて、身体を少し触られるだけの対応が、どれだけ楽なことなのかと、こんこんと説かれる。

斧田が、犠牲になっていたことを平は、うすうす知っていたが、ずっと知らないふりをしていた。

けれども、婦長が、正義感を振りかざしてきたおかげで、平は、見て見ぬふりができなくなった。

どちらにしても、何かの処置が必要だったのだ。

志筑巧の存在は、薬局にとって、平にとっても救世主だった。

「じゃあ、俺のストレスは、どうしてくれるんですか?」

情けなさそうな顔で見上げる志筑に、平は

「臨時ボーナスを出す。」

と、手をうった。

白川も、

「今日は、俺が奢る。飲みに行こうぜ。」

と、志筑の肩を抱いた。

斧田は、その様子を、まだ心の鎮まらない状態で、複雑な想いで、静かに見ていた。



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