事件
爽は、毎日、巧の見舞いに行った。
巧がとにかく心配だった。
今日も、巧からのリクエストのジュースや珈琲を持って、部屋の備え付けの冷蔵庫に入れようとすると、中に手作りらしき弁当が3つもある。
「病院食がまずいって言ったら、配達してくれた。」
「三つも?」
何も言わずに巧は、少し自慢げに笑う。
三人からか…
昼間はナース。夜は勤務先の薬局の事務の女の子たち。
兄貴の毎日は、パラダイスじゃないか?
本当に、これが、生霊の招いた不運なのか、疑問に思えてきた。
呑気にへらへらしている巧に、爽は斧田に会ったことを話さなければならなかった。
「勝手なことして、ごめん。」
話しあうような感じにはならなかったことを爽は巧に謝った。
結局、何にもならなかったのかもしれない。
むしろ、無意識だったものを、気づかせてしまうこともある。
彼の潜在的なポテンシャルを考えると危険な状況でもあった。
けれども、斧田に、巧への憎悪のようなものは、感じられなかったのは確かだった。
巧は、爽の話を聞いても、全然動じなかった。
「俺、斧田さんとは、別次元に生きてるって感じがするんだよな。」
「別次元?」
「うん、変な言い方かもしんねーけど、言葉の背景というか、裏側にあるものが違い過ぎて、同じ言葉を使っても通じないような気がする。」
「どういうこと?」
「俺の行動を、斧田さんが解釈すると、別の意味になるって感じ。だから、あの人とコミニュケーションはとれそうにない。つまり、説得できる自信がない。」
「え?」
巧が、何を言いたいのか、爽にはわからない。
けれども、人並みはずれた美貌を持つ巧が、平凡な容姿を持つ人間とは違う感覚を感じて生きていたとしても、不思議ではない。
爽が、霊感を持ったことで、人とは違う人生を考えたように、美貌という才能を持った巧が、人とは違う哲学を感じて生きてきたとしても不思議はなかった。
「でも…」
「心配するな。俺は大丈夫だ、多分。」
巧は、笑って爽を見た。
昔から、根拠のない自信を持つ男だったけど…
そこへ、巧の携帯が鳴った。
巧がとると、相手の早口でまくしたてる声が、傍に居る爽にも聞こえた。
「っと、落ち着け、白川。もっとゆっくり話せ。」
相手は、兄貴の同僚の薬剤師白川だった。
白川の大きな声が、今度ははっきり、爽の耳に聞こえてきた。
「あの江藤が自殺したんだ。」
白川の慌ただしい電話が切れて、爽は、巧に聞いた。
「江藤って?」
「うちの前の病院のいけ好かないドクター。」
巧は、吐き捨てるように言った。
確か、この前、平が見舞いに来た時も、その話が出ていた。
皆が一様に嫌っていたドクターだとわかる。
「俺達、薬局の人間は、ドクター様々なんだよ。逆らえないのをいいことに、好き勝手する勘違い野郎もいる。」
よほど、腹の立つ相手らしい。
が、思い出したように笑いだす。
「もう、死んだんだった。ざまあみろだ。」
そして、そのあと、首を傾げる。
「けど、自殺なんか、するタマじゃないぞ、アイツ。自殺?」
「何で自殺?」
「さあ。白川も、動転してたからな。家の屋上から飛び降りたみたいだって言ってたけど…。」
不意に、爽は斧田を思い出した。
「あなたのことはわかります。」
と年下の爽に敬語を使い、うつむきながら話す斧田の姿が浮かんだ。