説得
勇気を振り絞って、爽は、巧に話をした。
けれども、話の全てを聞き終わったあと、巧は呆れたように言った。
「それで?」
「え?」
「それで、俺は、どうしたらいいんだ?」
「話し合いだよ。」
「斧田さんと?」
「そう。」
「斧田さんの生霊が、俺に悪さをするから、あちこち行かないよう、自己管理してくれって?」
「そんなこと言っても、通じないよ。ほとんどの人は、生霊をとばしてることすら気が付かないんだから。」
そう言いながら、爽は、マンションで、彼の姿を見た時に、確かに目があったことを思い出した。
「霊能力者なんだろ?」
「限りなく受け身のだ。」
巧は、わけがわからないというように、首を振る。
「受け身って、何?」
「自分で、コントロールできるような能力じゃないんだよ。憑依される受け皿が、信じられないほど大きいから、霊がいくらでも入ってくる。けれども、それだけなんだ。限りなく憑依されまくるだけなんだ。そして、そのほとんどが、人にとっての悪霊だ。」
「除霊は?」
「無理だよ。彼にも不可能だし、僕にもできるとは思えない。彼が生きてる以上、その器がしぼむことはないから、とにかくすごい量の悪霊を常に身に着けている状態なんだ。」
「霊能力者って、種類豊富なのな。」
巧は、他人事のように、感心した。
「どこかで、正式に修行して、コントロールできるようになれば、斧田さんの人生も変わるかもしれないけど、あの量の霊を何とかできる師匠のような人材が、いるのかどうか?」
「ほお。高野山とか?」
「彼が、本気で望むなら、僕も、斧田さんの為の道を探してみるけど、まずは、兄貴への執着を何とかしてもらわないと。」
巧は、小首を傾げて、少し考える。
爽は、斧田の力がわかっている。わからない巧にどれだけ伝えられるかわからない。
わからなくても、伝えなければならないと思っていた。
「斧田さんが、どれだけのことを自覚してるかわからないけど、こんな事故が続く可能性だってあるんだ。斧田さん自身は、自覚してないかもしれないけど、彼のコントロールできない潜在的なパワーは、ほんとに凄いんだ。」
「なるほどね。」
「こんな大きなブラックホールみたいな受け皿は、僕も初めて見た。近づくのが怖いくらいだ。」
「斧田さんに、とり殺されるってのも、恰好悪いよな。」
呑気な口調の巧は、本気にしていないようにも見えた。
「兄貴、僕は、本当に心配してるんだよ。」
「わかってる。」
と言いつつ、巧は、天井を見上げる。
「俺が、斧田さんと話し合って、斧田さんが、俺に何を求めているのか、どんな気持ちを持っているのかを聞き出し、俺への怒りだか、何だかを解放してもらうよう説得する?」
「そうだよ。」
「無理。」
きっぱりと即答する巧に、爽はあわてる。
「俺には、斧田さんが理解できない。奴が俺を憎んでいるとしても、俺には心当たりはないし、こうなるに至った心理を、俺が理解できるとは、100%思えない。」
「そうかもしれないけど…。」
「理解できない奴を、説得なんかできるか?」
「でも、それしか方法が…」
巧は、身体をゆっくりベッドに沈めて、毛布を引っ張り悪戯っぽく笑った。
「もし、それが俺に対する嫉妬だったら、俺にはどうしようもできない。整形を強く勧めるしかないだろ?」
「え?」
「それより、俺は、美咲と別れた傷心の自分自身を何とかする。お前に言わせれば、それが、つけ入られるきっかけなんだろ?」
「それはそうだけど…。」
「新しい恋を見つける。それが手っ取り早い。」
確かに、生霊になるくらいの強い気持ちを、話し合いくらいで、解決できるかどうかは疑問だ。
それより、激しく嫉妬されたり、一方的に恋されたり、巧の容姿ならば、ありがちなんてものじゃない。
爽は、気が付かなかったが、そんな感情にさらされるのは、日常茶飯事だったのかもしれない。
そして、そんな感情は、説得しようと思ってもできないものであることを、巧は、悟っているのかもしれない。
誰からも、羨ましがられる容姿を持つが故、達観してしまったものもあるのかもしれないと、爽は、巧の態度を見て思う。
「なあ、俺、結構、あちこち痛いんだ。もう寝たいんだよ。」
そう言って、巧は目を閉じる。
「実体のないものに振り回されるなんて、俺のプライドが許さねー。もう気にするな。」
「兄貴…」
巧は、決して、爽の言葉を軽視しているわけじゃない。
爽の言葉を、信じてくれているのはわかる。
自分には見えないのに、斧田が、巧に生霊として憑いていたことも、その斧田が、初めて見るタイプの、強い霊能力者であることも、爽にしかわからないことを、証明もできないことを、巧は、まま受け止めてくれている。
それが、爽にはたまらなかった。
誰に話しても、わかってもらえないと思っていた世界のことだ。
それを、条件なく受け止め、信じてくれているのが、この目の前で、強い思いに殺されかけたかもしれないのに、平気で寝ようとしている兄なのだ。
これが兄貴だ。
これが、母親にすら怖がられてる爽と、躊躇なく一緒に暮らせる兄なのだ。
このままでいいわけがない。
わかっているのに、何もできないなんてことがあるわけない。
何とかするんだ。
爽は、再び決意した。