事故
だが、事態は、急展開を迎えた。
巧が交通事故で入院したのだ。
爽は、バイト中、携帯をロッカーにおいていたので、気づくのが遅かった。
連絡に気づき、あわてて駆けつけると、手術を終え、頭に包帯を巻き、足をつった巧が、ベッドの上で、看護師と楽しげに話をしていた。
可愛い顔立ちの看護師は、爽の姿を見つけると、少し顔を赤らめて、仕事に戻っていった。
「兄貴」
呆れる爽に、
「担当ナースが可愛くて良かった。」
と巧はにやりと笑う。
「心配したぞ。事故なんて」
対向車の居眠り運転で、車線をはみ出してきた車に、巧のバイクがよけきれなかったのだ。
生霊の仕業かもしれないと、爽は唇をかんだ。
足を骨折して、一か月の入院だという。
「何か、クラッとした一瞬のスキをつかれた。」
「何言ってんだよ?!下手したら死んでたんだぞ。」
「100パーセント、俺は悪くないけどな。」
巧には過失はないから、相手の保険で、事故による支払いはまかなわれる。
母が、社会人の兄貴にもかけている保険で、個室に入れ、いくらかのキャッシュバックもあるらしい。
「これで、仕事もしばらく行かなくていいし、こづかいも入るし、可愛いナースはいるし、最高じゃね?」
これは、生霊の仕業による不運なのか?
あまりに楽しそうな巧に、爽は首を傾げるが、そのクラっとしためまいが気になる。
「母さんは?」
出窓に花が飾ってある。
飲み物とタオルと雑誌が、巧の手の届くところに置いてある。
母さんが、来たのだと気が付き、爽が聞くと、
「さっき来て、バタバタして、帰った。」
と、雑誌をパラパラめくりながら言った。
「もう帰った?」
「…」
巧が、チラリと爽を見る。
爽に会わずに帰ったことを、気にすると思ったのか、
「俺が帰れって言ったんだ。完全看護だから、人はいらねーんだと。」
と、他人事のように言う。
巧が、爽に気をつかっているのだと気づいた。
忙しいと言っても、大事な息子の入院だ。
爽と出会うのが怖くて、早く帰ったとしか思えない。
「何か、パジャマとか下着とかあるみたいだけど、多分、お前の好きなもんも入っているって言ってたから、持って帰れよ。」
そう言って、巧は、ロッカーの前にある紙袋に向かって、あごをしゃくった。
「…」
そこへ、巧の上司と同僚が、やってきた。
「びっくりしたぞ。」
連絡を受けて駆けつけたのは、巧の職場の薬局のオーナーである平と同僚の薬剤師二人だった。
「ご心配かけました。すみません。」
悪ガキのような巧が、素直に謝って、頭を下げている。
平は、心からホッとしたようだった。
巧を大事にしてくれているのがわかる。
「一ヶ月も入院? 長いな。」
と言ったのは、巧と同じような空気を持つ白川という名の薬剤師。
彼とは、シフトが一緒のときは、ほとんど飲みにいっているらしい。
小突きあう様子から、仲の良さが見て取れる。
「早く、かえって来いよ。今日は、俺が江藤のお守りしたんだぞ。」
白川が情けなさそうな顔で言うと、巧は声をたてて笑った。
「ざまーみろ。」
「早く戻って来いよ。江藤が待ってるぞ。」
「あいつは、いつか俺が殺す。」
「おいおい。」
平が苦笑する。
「俺の事故、江藤は知ってるんですか?」
巧が聞くと、平は、気の毒げに、巧を見下ろした。
「お前がいないなら、明日でもいいというから、言わないわけにはいかなかった。悪いな。」
「ここの病院の名前、言わないでくださいよ。」
「いつまでも知らないとは言えないぞ。ドクターには逆らえんからな。」
そこで、巧は、気が付いたように、さっきから一言も話していない、もう一人の薬剤師に声をかけた。
「斧田さんも、来てくれたんですね。ありがとうございます。」
心がこもっていないのは、爽ならわかるが、営業スマイルは極上だ。
巧に、爽やかな笑顔を見せられて、斧田さんと呼ばれた薬剤師は、
「いや、別に」
と口ごもる。
その様子を、平が、眉をひそめて見ていた。
が、すぐさま視線をそらし、
「まあ、元気で良かった。」
と巧の肩をたたいた。
「うっ」
顔をしかめる巧は、元気そうに見えるが、しっかりあちこち打撲しているようだった。
平も、無事を確認すると、長居をするつもりはなかったようだ。
窓際に立っていた爽に
「やんちゃな兄貴を持って、苦労するな。」
と声をかけ
「また来るわ。ゆっくり休め。」
と帰っていく。
静かに斧田さんも続く。
白川も
「俺も、帰るわ。」
と、立ち上がったとこで、巧に腕をつかまれた。
「?」
「何で、斧田さんが来てんの?」
白川は、困ったように笑った。
「知らねーよ。平さんに、仕事が終わったときに行くかって声かけられたんで、一緒に行くことにしたんだけど、一緒に終わった斧田さんが、めずらしく俺をじっと見てるもんで…」
「お前を?」
「ああ。つい、一緒に行きますかって、声かけちまった。」
巧は、あからさまにがっかりする。
「何で斧田さんなんだよ。深山さんは?」
「深山さんは、お前みたいなチャラ男、タイプじゃないよ。そういや美紀ちゃんは、行く気満々だったぞ。何か作って持っていくって言ってたな。明日にでも来るんじゃないか?」
「深山さん、反応なし?」
「あきらめろ。」
また来ると言って、白川は、病室を出ていった。
爽は、気が付いていた。
あいつだった。
背の高い眉の太い白衣を着た男。
斧田というあの薬剤師が、巧につきまとっている生霊の正体だった。