プロローグ
覚えているのは、爽が4歳くらいの頃。
「待って、兄ちゃん。」
兄の巧は、小学校低学年のギャング世代。
その兄のあとを、爽は、必死で追いかけていた。
けれども、どんなに頑張っても、小学生にはかなわない。
あっという間に引き離され、巧とその友達たちに置いて行かれてしまう。
「兄ちゃん…。」
誰もいなくなった道端で、爽は、ついに、しゃがみこんだ。
4歳児らしくない小さな溜息をついた爽は、いつの間にかそばにいた女の子に気が付いた。
爽と同じか、少し下くらいの歳の女の子だった。
どこか遠くを見ている。
「何してるの?」
爽が、尋ねてみるが、女の子は答えない。
「一緒に遊ばない?」
誘ってみるが、その子は、振り向くこともなく、遠くを見つめていた。
そこへ、やっと爽がいないことに気が付いたらしい巧が、うんざりしたように引き返してきた。
「爽。」
「あ、兄ちゃん。」
巧の後には、巧の同級生たちが、巧を追うようにバラバラとやってきていた。
その中でも、巧は、ひときわ目立つ。
母によく似た色白で、髪も染めたように茶色だ。
目元がくっきりしていて、小学生ながら、完成されたような綺麗なパーツを持つ巧は美少年だった。
「ついて来れないなら、家に帰れよ。」
小学生の男の子に、4歳の幼児をみるのは酷な話だ。
けれども、
「巧、爽を頼むわね。」
と言った、旅館業で忙しい母の言葉に、巧は逆らえない。
バラバラと集まってくる巧の同級生たち。
ギャング世代の彼らは、男女とも大きなグループを持ち、普段は、別々に遊んでいるが、時々こうやって一緒に絡んで遊ぶこともある。
集まってきた友達に気遣うように、イライラした巧が爽を促す。
「来るなら、早く来いよ。」
「うん。」
と、素直に行きかけた爽だったが、ひとりぼっちになる女の子のことが気になる。
「一緒に行かない?」
「…」
女の子は、無表情のまま答えない。風で青いワンピースが揺れていた。
「お前、何やってんだ?」
巧が呆れたように、爽を見下ろした。
「この子も一緒に行っていい?」
「この子?」
「うん。」
巧は、口をとがらせて、爽を睨む。
「この子って、誰?」
「誰か、わかんないけど…」
爽が、女の子を顧みると、巧が変な顔で爽を見る。
巧の周りの友達も、一斉に爽と爽が見ている方向を見る。
「…」
爽は、巧たちの様子がおかしいのに気が付いた。
「お前、誰と話してんだ?」
巧の視線が、道路の端にそっと置かれている花束に注がれた。
「爽ちゃん、そこに誰かいるの?」
「何?誰がいるって?」
巧の友達が騒ぎ出した。
その様子を見ながら、巧は、小学生ながらも、形の綺麗な眉をしかめる。
「どこに、誰がいるの?」
「爽ちゃん、何が見えているの?」
「ここって、この前、幼稚園の子がはねられたとこだよね。」
「気持ち悪―い。」
巧は、友達の反応に、気をつかうように、爽をしかりつけた。
「嘘つくな。馬鹿。」
「嘘じゃないよ。」
兄ちゃんには見えないの?
爽の方が驚いた瞬間だった。
巧だけじゃない。巧の友達、誰一人、女の子が見えていないのだ。
そして、青いワンピースの女の子は、そんな喧噪のなかでも、何も関心がないかのように、ただただ、そこに立っていた。
それは、それが、誰にも見えるものじゃないということを、爽が学んだ瞬間だった。
巧に、散々気持ち悪がれ、嘘つき呼ばわりされた爽は、それ以降、それは、人に話すべきことじゃないことを悟ったのだ。