番外
バジリタ国王子補佐官、アレン・バロンド。22歳。男。
バロンド伯爵家の次男で、幼いころ王子の遊び相手として傍つきになり、そのままずるずると現在にいたる。
重要書類に目を通し、決済が早い順に並び替え主人の元へ運ぶ。
軽くノックをしても返事はなかった。仕方なしに許可なしで入出してみれば、案の定。
窓が盛大に開き温かな風が舞い込む。一応、舞い込む風に飛ばされないよう、紙類は重しが置かれてあった。
「……逃げましたか」
やれやれと肩を竦めつつも額に青筋が浮かぶのは止められない。
国をぶらぶらして暫くぶりに帰ってきたと思ったらコレだ。この放浪癖はどうにもならないものか。
溜まっていた書類の隣に追加の書類を置き、同じく風で飛ばされないよう重りを乗せる。
その足で開け放たれた窓を閉めに向かえば、眼下に見覚えのある色が入ってきた。
ちなみに自分は目がいい。ここは二階なので、下がよく見える。
「ユウイ、殿下はどこに」
それほど声を張り上げていないというのに、その人物は振り返り大げさなほど顔をゆがめた。
「げ、アレン様!?」
「げ、とはなんですか。ユウイ、レガロ殿下の護衛はどうしたんですか」
「それは、その……。申し訳ありません!また撒かれました!」
可哀想なほどに顔を真っ青にし、平謝りの近衛隊の護衛騎士の返事に肩眉が動く。
半年前に彼が王子護衛の任についてからこれで五回目だ。前任者に比べれば格段に頻度は落ちているが、それでも五回は多い。
王子の逃走が上手いのがいけないのだ。そうだ。自分に言い聞かせつつ、ユウイを見下ろす目は冷たいことは自覚している。
彼の職務怠慢でないことは分かっているが、それでも仮にも護衛騎士が護衛対象者に撒かれるなどあってはならない。
「わかりました。私も心当たりを探ってきますので、あなたは引き続き城内を探索してください」
「は、はい!!」
よっぽど怖かったのか、ユウイは涙目になりながら駆け足で捜索に戻っていく。
その後ろ姿を見送り、戸締りをすると私も心当たりのある場所に向かった。
城下町の外れに位置する酒場に、黒髪赤目の青年が上機嫌で酒を呷っていた。
その耳にゆれる羽根はとある盗賊の証。彼以外にもこの酒場にいる者はみんな、同じ飾りを体や服の周りにつけていた。
そんな中を、周囲と同じような羽根のイヤーカフスをつけ歩く。
盗賊に身を落としたわけではない。下っ端のさらに下っ端を少し眠らせ、証を奪ってきただけだ。
規模が大きすぎ、掃討させるのが難しいので少しずつ根絶やしにする計画を今練っている最中なのだ。
「『エッジ』、ここにいたんですか」
「ああ……っ。うわ、アレ」
「はい。あなたの『アレク』ですよ、『エッジ』」
アレンと言いそうになったのを遮り、自称エッジと名乗る男の隣に座る。
隅の席なので、自分ひとり来たところで誰も意に介さない。気が付いたとしても、証がある限り仲間だと思ってくれる。
「おおおおお、お前!なんでここに」
「あなたが逃走したと聞きまして」
「いや、そうじゃなくて!なんでここが。しかも名前!」
「私、情報取集得意ですから」
にっこりと微笑めば、エッジことレガロ殿下の頬が引きつった。
フラフラ出歩いているときに、ここの盗賊団に腕を買われ仲間にはいったと調べはついている。おそらく殿下は懐に飛び込むために、腕っぷしを披露し近づいたのだろう。
なんともハチャメチャで、こちらの心配を気にしないやり方だ。王になっても、この性格が治らなければ国は崩壊してしまうかもしれない。
性格矯正が必要な時期になったのか。頭が痛い問題だ。
殿下はそのまま勢いよく酒を飲み干すと、近くにいた男に何かを二三言い立ち上がる。
自分もまた彼に続いて立ち上がり、外へと出た。
通りの陰、酒場の裏手に回り周囲を探る。自分たち以外いないことを確認すると殿下を冷めた目で見る。
悲しいかな。殿下が逃走するたび、危険な所にいるわ、危ない目にあうわでこちらも自己防衛のために武術を極めなければならなくなってしまった。
おかげで今は気配察知、情報探索、護衛なんでもできるようになってしまった。補佐官で文官なのに。
「ユウイが血相を変えて探してました。いい加減城に帰ってください」
「ああ、それか。ユウイには悪いことしたなぁ。まぁ、でも俺は帰らないぞ」
「殴りますよ」
ぐっと拳を握ると、殿下は慌てて手を振り待てと静止をかける。
幼いころから知っている仲なので、気安さから不敬罪に問われる言葉や行動も問題にならない。
私は時と場合を選んでいるので、本当に気心知れた人しか知りませんけれど。
「まてまて!別に遊んでるわけじゃないぞ。今深刻な問題になっている事案をこうして調査してるんだ。
まだ調べがついていない中、草々と戻れるか」
「それは情報部の仕事です。あなたの仕事は、国をよくするために広い視野で物事を見るのが役目です」
「だから、これが片付かないと他もダメなんだって。
いいか、規模がでかすぎて対策が追いつかないのは分かっているが、こいつ等のせいで民たちの生活に陰りが出ているんだぞ。
先日はジジババ総会で足腰の相談から孫の嫁婿探し、職安の話があったが、治安の悪化で満足に出かけられない、結婚相手が見つからないと言われたし。
その前は熟女同盟で、畑が荒らされ野菜の物価が高くなって家計の圧迫。その前はおやっさん会合で仕事の不満もあったしな」
「……あなたは、いったい何をしてるんですか」
「視察だ、お忍び視察」
「視察にしても、なんでお年寄りの足腰相談に孫の縁談相談。熟女やおやっさんなど可笑しな集団に紛れて混んでるんですか」
「普通に行っても身分がジャマで、ホンネが聞けないしな。それに俺自身堅苦しいの嫌いだし。
でもなかなか楽しいぞ。今度、お前も来いよ。そしてジジババ総会の餌食になれ」
頬を引きつらせ遠い目をする殿下に、冷たい視線を投げる。
どうせいい年になってもフラフラしてるのなら、家の孫でもどうかと勧誘されているのだろう。そう言えば、当たらずとも遠からずといった所の反応を示した。
現にこうして独り者の自分に誘いをかけてきているのだし。
「遠慮させていただきます。そうそう、婚姻ですがあなたの相手を王が見繕っているようですよ」
正確には既に打診し了解を得ているのだが、どうやらあの書類の山を見ていない殿下はそのことは知らないらしい。ならこのまま騙してしまった方が得策だろう。
顔を苦々しくゆがめ、あろうことかこのまま王を続けろと毒づいていた。
「何度も言っていますが、現王であるあなたの叔父上は継承権を放棄した身。
成人をとっくに過ぎている継承者がいるのならば、変わるのは道理です。
ああ、そろそろあなたの首に縄でもつけられそうな、女傑でも見つけたかもしれませんね。精々尻に敷かれないようなさってください」
「うげぇ」
いったいどんな想像を働かせたのか、殿下は吐く素振りをしつつ項垂れた。
様々な所に出歩いている人なので、本当にごつい女でも想像したのかもしれない。というか、いるのか。そんな女。
王子に嫁ぐ条件は貴族であること。貴族以上であること。そう例えば王族とか。
婚姻を了承したルエリエから送られてきた姿絵を思い出し、嫁ぐことになった姫に謝る。
姿絵からは華奢で幼い印象を受ける姫だ。12と聞いていたがどう見ての10やそこらで発育が遅い姫のようだった。
それでも絶世の美貌と謳われる王妃に似て、将来が期待できる容姿のだ。自分の好みではないが、主の傍にいるのならばそれ相応の見栄えは必要だと思っている。
夜を写し取ったような漆黒の髪と、命の滴を思い出す赤い目。
容姿も申し分ない主と、かの姫が並んだ姿を想像するが、どう頑張っても幼女趣味の男が無理やり嫁にした図しかでき上らなかった。
「それから、その関係で近々私は国を発ちます。その前に書類をすべて終わらせてください」
「俺じゃなくてもいいだろう。それこそ叔父上にでも」
「王はあなた以上に書類に追われてます。いいですか、いいですね。ではいきましょうか」
「おい!まだいると言ったばかりだろうが!」
「こちらも暇ではないんですよ」
「俺も暇じゃないんだよっと」
「……!」
腕をとられその遠心力で殿下の後ろに投げられる。油断していた。
その隙をつき殿下は颯爽と通りに出、人混みに紛れてしまった。
「あの性格を姫が矯正してくれることを願うしかないですか」
投げられた体を起こし、服を軽く叩き埃を落としつつ呟く。
それがいかに難しいのか身をもって知っているだけに、その考えは早々に消した。
あの幼い姫には無理だろう。随分と甘やかされて世間というものを知らない、無垢な目をしていた。あれでは主のいい隠れ蓑になるだろう。
「ともあれ、この目で確かめる必要はありますか」
服装をただし、耳に着けていたカフスを引きちぎる勢いで外す。
手のひらで光る羽を見つめ、それを投げ捨てた。こんなものがあるから、国が乱れるのだ。
姫が国に来るまでには根絶やしにするか。
柔らかい容姿だと言われるそれが、冷たいものに変わっていることに自分では気づかなかった。