後編2
王城に入り王との謁見は、到着初日にすませてしまったゆえに、婚儀まですることがないのじゃ。
白い服を汚すのも気が引け、結局部屋からでてないのじゃ。
ゆえに暇をつぶすために図書から本を借りて読んだり、刺繍などして過ごしておる。
当の王子とは結局会っていないのじゃ。すぐに来るようなことを言っておったが、どういうことじゃ。
式は明日というのに顔を見ることなく、当日に会うなど気分が悪くなるのじゃ。
そんなことを考えつつ、仕上げた刺繍はすでに10を超えておる。
エリスや他のお付の侍女に渡したり、過ごしやすいよう手配してくれた王に細やかな贈り物として差し上げておるが、これでは増えるばかりなのじゃ。
今は夜。月明りのないゆえ、灯る明かりを頼りに本日三枚目の刺繍を終わらせると、ふうと軽く息を吐き出す。
いましがた縫い上がった刺繍は、まだ見ぬ夫となる者に捧げる肩掛けようにと作ったものじゃ。
この国の紋である鷲と軍旗を象ったものゆえ、かなり細かく針を刺したのじゃ。
気に入ってくれるとよいのだがのう。
広げればかなりの大きさに、相手が10離れておることを実感する。
考えてみればこんな子供を娶るなど、相手も可哀想なことなのじゃな。
広げた肩掛けを畳み、脇に置くと立ち上がり、近くの鏡面を覗き込む。
まだ未発達の身体に、細く同年代の令嬢たちよりも幼い顔。12と言っても信じてもらえぬ小柄なわらわ。
成長は人それぞれと家族は言うが、わらわはこの小ささがキライなのじゃ。
何をするにも不便。未発達ゆえお針子たちも気を遣うのか、胸や腰など強調しないようにしてくれるが、それが逆に惨めに感じるのじゃ。
それでも父様や母様を恨むことなせぬ。結局は、己にないものを欲するゆえの妬みでしかないからじゃ。
そっと鏡の中におる自分に触れる。冷たい感触にため息が出るのじゃ。
これがエリス達がゆっておった「マリッジブルー」なるものかのう。
鏡から手を離し身を翻す。このままでは、気が滅入っていかんのじゃ。
明日は大事な日。もう寝るに限るのじゃ。
「サラエラさま、綺麗です……」
「ありがとうなのじゃ」
エリスの賛辞に上手く笑えておるのか不安じゃ。
今着ておるドレスはどれも、母様が心を込めて刺繍をしてくれたものじゃ。
刺繍に触れれば少しだけほっとするのじゃ。
いよいよ今日、婚儀を挙げる。これでわらわはバジリタの者となる。
国を背負う者になるのじゃ。知らぬ顔の夫と共に。失敗は出来ぬ。
ぎゅっと手を握り締め、前を見据える。迎えの者が来れば、そこからはわらわ一人。
誰も頼れぬ……頼れぬのじゃ。
「サラエラ様、お時間でございます」
「うむ。ではエリス、行ってくるぞ」
「はい。お気をつけて」
迎えの侍女と王宮の文官、それに護衛の武官に連れられ部屋を出ると、廊下には溢れんばかりの花が飾られておった。
どれも淡いピンクの花で、まるで天の国のようじゃ。
「この花は……」
「これは殿下が、サラエラ様の少しでも緊張をほぐれればと命じて飾らせたものですわ」
「殿下……。戻ってきておったのか」
「申し訳ありません、殿下が式までお会いにならぬ方がよいと申しまして……」
「よいのじゃ、そなたらが謝ることでないのじゃ」
大方顔を会わせるのが気まずかったとかじゃろう。初日に会いに来なかったからのう。
しかし、この花の道はわらわ好みなのじゃ。キレイなのじゃ。
知らず握りしめていた手を緩め、近くに飾られておる花に触れる。顔を近づければ甘い香りがした。
見慣れぬ愛らしい花に頬が緩むのが止まらぬ。
「その花はハユーミの花ですわ。ここを飾る花はこれを主役に飾られております」
「ハユーミ……。ここの花なのじゃな」
「はい。花言葉は『あなたを守る』。殿下のサラエラ様への思いを表しているようですわね」
うふふと綺麗な顔の侍女が、まるで自分のことのように嬉しそうに笑う。
その表情は、仕える者を心から信頼し、幸せをながっておるものじゃ。
それに何とも言えず、あいまいな微笑みで返す。この花言葉のように、真に守ると言ってくれるのかも怪しいゆえに。
花で溢れかえる廊下を過ぎ、目新しさで呆けておるうち、式を挙げる教会についてしまったのじゃ。
しかし、そこに王子はおらなんだ。
連れてきた侍女も文官も、顔色を変え慌ただしく去っていく。
残されたわらわは、共にまいった護衛と待ち構えておった別の侍女とともに待機することになったのじゃ。
なにがあったのかのう。
「のう、なにがあったのじゃ?」
「いえ、少々こちらで手違いがあっただけですわ。姫様が心配なさることはありませんわ」
少々顔路の悪い侍女を見上げ問うが、彼女はさすが王宮に出てる身。わらわと共に残されたというのに冷静じゃ。
すました顔でニコリとも笑わんのはいただけぬが、こういう時に動じないのは好感がもてるのう。
その時じゃった。吹き抜けておる廊下から一陣の風が吹き、とっさに目を閉じ風をやり過ごす。
それは侍女も同様のようじゃった。風が収まり目を開ければ、侍女はまだ目を固く瞑っておった。
と、ふと背に何か柔らかいものが触れ、温もりが肌を伝う。
風に乗り懐かしい香りが鼻に届く。その香りはここではあり得ぬものじゃ。
「約束通り攫いに来た。お転婆姫さん」
「……っ」
あり得ぬ!いやあってはならぬ!
驚き振り向こうとするが、するりと抱きかかえられそれは叶わなかったのじゃ。
背とひざ裏を支えられ体が浮く。間近に見える端正な顔は、間違えようはずもないエッジじゃった。
風に攫われた黒髪に薄藍の装飾品が飾られ同じく揺れておる。日の光で輝く宝飾品と同じ輝きを赤い目が放っておる。
それに目を奪われ、エッジがわらわを抱きかかえ、式が行われる広間とは逆の方向に走るのを茫然としておったのじゃ。
「サラエラ様!?誰か、姫様が…っ!」
「そんな、まさか!?あれは…っ」
侍女の叫びと護衛の驚愕の声が遠くから聞こえるのじゃ。
エッジは足が速いのか、わらわの目が回る。酔いも感じ始め、目を閉じ身を任せるしかできないのじゃ。
聞こえてくる音はどれも騒々しいのじゃ。わらわが目の前で攫われてしまったからなのじゃからな。
そうじゃ。侍女も護衛もあの場におった。それなのに、目の前で攫われてしまったのでは、あやつらの職務怠慢で処分されてしまうのじゃ!
「え、エッジ!わらわは戻る!戻らねばならぬ…っ!」
「……どうしてだ?」
「戻らねば祖国に害が及んでしまうのじゃ!それにあの者たちにもバツが下されてしまう!
わらわは逃げることはできぬのじゃ!」
「……」
「約束したのに破ることになってしまうが、来てくれて嬉しかったのじゃ。
じゃから、ここで下してくれなのじゃ。わらわはわらわの役目を全うせねばならぬ!」
振動がやみ喧騒も聞こえぬ静かな場に出たようじゃ。聞こえるのは風と木の葉の音、鳥の囀りのみじゃ。
恐る恐る目を開ける。視界に入ってきたのは、じっとこちらを見つめる紅い瞳じゃ。
がっかりしたようでも、悲しんでいるようでもない。ただ真っ直ぐに見つめる瞳に、思わず笑ってしもうた。
こやつの性格を考えれば、むくれてもよいと思うがのう。
「おいおい、今この雰囲気で笑うのかよ……」
「すまぬ。しかし、お主に似合わぬ知的な光を見てしまったゆえにのう」
「悪かったな。粗雑で」
「そんなふくれっ面になるでないのじゃ。意外にカッコイイものぞ」
コドモのようなエッジと、宵闇のようなエッジしか知らぬ。
素直に褒めれば、エッジはキョトンとした顔で、ついで徐々に頬を赤く染めた。
「お前って、本当に不意で俺を動揺させるよな」
「それはどういう意味じゃ?」
「……純粋が辛い……」
「なにを言っておる?それよりも、わらわは戻るのゆえ、下ろすのじゃ!
式に行かねば、国同士の争いになってしまうのじゃ!」
コドモのわらわでは、大人のエッジに抱きかかえられてしまっては、もがいても抜け出すことはできぬのじゃ。
しばしモゴモゴと動いてみたがムリじゃった。そんなわらわの胸元にエッジの頭が落ちてきたのじゃ。
正確にはエッジがしゃがんでしまったゆえ、抱えられておったわらわの身体をも巻き込んでしまったといった所かのう。
やつの吐息が胸元にかかってくすぐったいのじゃ。
「エッジ!!聞いておるのかえ!?」
「……聞いてる、聞いてる」
「なんじゃ、そのぞんざいな返事は!ことは国際問題になるのじゃ!
攫って欲しいといってしまったわらわも悪いが、式の当日に攫いにきたエッジも悪いのじゃ!」
「支離滅裂な上に、逆切れかよ」
「して悪いのかえ!?」
「悪いな」
「そうじゃろう。……は?」
また軽くかわされると思っておったわらわの言葉に、エッジは即答で返してきた。
見れば眉間にシワが寄っておる。顔立ちがよいというのに、残念になってしまっておる。
迫力はあるが中身を知っておるゆえ、怖くはないのじゃ。
日の元で間近に見ると、ほんに整った顔立ちじゃ。しかし、この造作に近いものを最近見た気がするのじゃが。
「攫って欲しいと言ったのはお前だ。鳥籠から出たかったんだろう?」
「そうじゃ。しかし、わらわもここ数日で成長したのじゃ。わらわが姿を消せば、国際問題になってしまうのに気付いたのじゃ」
「そうか。けれど俺はお前を攫うぞ」
「ぬう!お主、わらわの話を聞いておらなんだか!?わらわが消えれば問題になってしまうとゆうておる!」
「……はぁ」
深い溜息とともに、わらわの手がエッジにとられ握りしめられたのじゃ。
大きな手は、エッジがオトナであるということ、オトコであるということを表しておる。わらわとこやつの違いを見せつけられた気がするのじゃ。
白い手袋で覆われた手から、温もりが伝わりそれはわらわの身体全身に広がっていく。
なにが起こったというのじゃ。今まで普通に話しておったし、触れておったというのに。
「国際問題とか正直どうでもいいんだが、お前が気にするならサクッと片づけるか」
「な、なにを言っておるのじゃ?」
「いいから黙って聞け」
「う……」
真摯な赤い瞳に飲まれ声が出ぬ。
握られた手が意志の強さと決意を伝えるようじゃ。
「お前が何者でもいいんだ。王族とか姫とか俺は興味ない。だが、それじゃお前の気がすまないだろう?」
「う、うむ……」
「だから、今この場でお前が俺の物だと公にするんだよ」
「……言っておる意味がわからぬ」
何故に、公の場で広めなければならぬのじゃ。こやつは盗賊ぞ。
しかし、姫ではないわらわがいいと言ってくれたのは嬉しいのじゃ。わらわの価値は姫であること、王族であることしかないからのう。
内心嬉しいと思いつつも、訝しむわらわに再びため息が落ちてきおった。
「お前、ここにきてからなにも聞いてないのか」
「うむ。白いドレスを汚すことはできぬし、婚儀を済ませておらぬゆえ、わらわはまだルエリエの者じゃ。
無暗に出歩くことは憚るからのう」
「……謙虚はいいが、少しは情報収集しておけよ」
「失礼ぞ。これでもここの国の知識は入れておるのじゃ!」
でなければ生きていくことは難しいからのう。
そう言えば「なら、なんでわからないんだ」とうなだれるエッジがおった。
分からぬとか、わらわには理解できぬ。むくれながら掴まれた手に視線を落とす。
先ほどまで気にならなかったが、エッジの袖は上質な布をつかっておるようじゃ。
こやつの黒髪に染まらぬ藍色の服は軍服に似ておるが、そういえば何故に軍服のようなのじゃ?
不思議に顔を上げれば苦笑しておった。
「気が付いたか?」
「何にじゃ?」
「……鈍いのも対外にしろよ、お転婆」
「じゃから、何に気が付くというのじゃ!お主が軍服をしておることには気づいたぞ!
しかし、お主。ここに忍び込むにしてもその服装とは度胸があるのう」
「服かよ……」
がっくりと肩を落とすエッジに首を傾げるばかりじゃ。
空いておった手でこやつの頭をベシベシ叩くが、いっこうに立ち直らぬ。しかたなく、「似合っておるぞ」と褒めてみたが「それだけか」と返されてしもうた。
うむむ、どうすればよいのじゃ!
「……バカですか、あなたは」
「むむ!?」
ガサガサと木の葉が擦れる音がした瞬間、聞き覚えのある声が頭上から落ちてきたのじゃ。
見上げれば、青空を背に茶色の色彩が飛び込んでくる。それは眉をピクリと動かし、冷たい視線を投げてきおった。
柔和で整った顔立ちじゃが、今は故郷の冬を思い出すほど冷たい目じゃ。
こ、この者はこのような表情も出来るのじゃなぁ。
「お?アレン、来たのか」
「来たのかですって……。バカだバカだと思ってましたが、ここまでバカだとは思ってませんでしたよ。『殿下』」
「バカバカ連呼しすぎだ。男のロマンだろ?結婚式当日に花嫁強奪ってのは」
「ロマン、ですか。理解しかねます。それよりも、抱き込んでいる姫を離して差し上げてください。
可哀想に、顔を真っ青にしてますよ」
「サラ?なに魚みたいに口をパクパクしてるんだ?」
キョトンとした顔で小首をかしげるエッジ。パクパクとしたくもなる。
今、茶髪の青年――アレンはなんというた?コレが『でんか』じゃと?
『でんか』とは『王子』の『殿下』かえ!?
「面白い顔してんなぁ。腹が減ったのか?」
「誰が変な顔じゃ!!お主、わらわを騙してたのかえ!?」
「騙してなんかねぇって。だた、あの時は状況が状況だったからな、正体は明かせなかったんだ」
「ならば、この国に来た時に会いに来ればよかったじゃろうが!
我が国に来たとき、アレンは王子を教えてくれなんだ!輿入れしても同じじゃ!
花嫁強奪は男のロマンじゃと!?お主、わらわを何だと思っておるのじゃ!」
秘密にされていたことが悔しくて、娯楽の対象にされておったことが悲しくて、目からとめどなく涙がこぼれおちる。
それでも恨む気にはなれぬ。恨んで、憎むほうが楽じゃというのに。
「ああ、それは……」
「だから言ったんです。自業自得ですから、しっかりと姫を宥めてください。
私は引き続き警護に戻りますので」
「まて!この状況で消えるな!!」
エッジの叫び空しく、アレンは颯爽と歩きだし姿を消してしまったのじゃ。
残されたのは同様しておるエッジと、ぐちゃぐちゃな感情で泣きわめくわらわの二人。
おたおたとしておったエッジの手が、わらわの頭を撫でる。それでも片手は繋がれたままなのじゃ。
おそるおそる触れる手は優しくて、壊れ物を撫でておるようにふわふわしておる。
「はぁ……」
「――っ」
何度目かのため息。しかし、今までとは違うため息に、肩が揺れる。
窺うように見上げれば、エッジは目を閉じておった。
「お前が何者でもいいんだ。王族とか姫とか俺は興味ない。さっきそう言ったと記憶しているんだが……」
「人はホンネとタテマエを使い分けると、兄様が言っておったのじゃ」
「お前の兄貴って何者」
「失礼なやつじゃ!兄様は普通の王子ぞ!少し人の話を聞かない、聞き流す、誤魔化す、反らすのが得意なだけなのじゃ」
「それが未来の国王かよ」
疲れた声をだすのう。
エッジの声に涙が止まったのじゃ。それでもズキズキする胸が苦しいのじゃ。
頭を撫でておった手が頬に添えられ、涙の後を指でなぞり始めたのじゃが何がしたいのじゃ。
またわらわを騙すつもりなのかえ。
疑いつつも、添えられておる頬が熱をもったかのように熱いのじゃ。
ぽ、ポーっとなど少しもしておらぬぞ!少しもじゃ!
「化粧、涙で流れて変だな」
「へ、変とはなんじゃ。そう何度も変変言うでないのじゃ!どうせ化粧はまだ早かったというのじゃろう!」
「いや、似合ってたぜ。キレイだった。ただ、俺は素のお前の方が好きだな。うん」
「す、すすす好き!?」
好きじゃと!いや、落ち着け!落ちつくのじゃ。
好きは好きでも愛玩的な好きかもしれぬ。うむ、自分で言っておいて傷ついておるのじゃ……。
「姫さんはすっぴんの方がカワイイってこった。それに化粧してちゃ、俺みたいに攫いに来るヤツが出てくるかもしれないだろう」
「それはないのじゃ」
きっぱりと言い切るぞ。
わらわを攫うなど、付随する身分が欲しい者しかおらぬと思うしのう。
エッジもきっとそうなのじゃ。身分、後ろ盾、国同士の契約。そんなものでわらわを娶るのじゃろう。
「おい、また勘違いしてるだろう。何度も言ってるが、俺はお前が何者でもいいって言ってるんだ。
俺はお前だから結婚に前向きになれたんだ。それなのに暗い顔で見上げてくるな」
「そ、そうなのかえ」
信じてもよいのか。迷うわらわの額に同じく額をつけ、目を合わせてくる。
視界がエッジの顔でいっぱいになる。う……、心臓の音が激しいのじゃ。
聞こえておらぬことを祈るしかないのじゃ。
いつの間にか、しゃがんておった態勢は座っている形になっておった。
「本当は結婚なんぞしたくなかったし、そもそも王位も興味なんてなかったんだ。
けどな、お前と会って気が分かった。言っておくが、お前との婚姻の話があった時には、さわりだけしか知らなかったんだからな」
王位に興味がなくとも継承権はこやつにあるゆえ、自動的に王位を継ぐことになっていたのじゃ。
ゆえに出会いがなければ、そもそもこの結婚の話は契約で、お飾りの夫婦になる予定だったとエッジはそう言ったのじゃ。
他に継ぐものがおれば、自由だったのにとワザと嘆く素振りまでみせたのじゃ。
「あの時偶然出会ったのは、俺にとって運命のようなものだったんだろうな」
「空から落下が運命とは、エッジは変人なのじゃのう」
「……お前って本当に変な感性してるよな」
「また変言ったのじゃ!お主の感性の方がおかしいのじゃ」
顔にたまる熱はまだあるというのに、先ほどまであった胸の痛みが少しだけ引いていくのがわかる。
これは信じてもよいのかもしれぬ。と感が囁くのじゃ。
「そういうお前は、あれは運命じゃないというのか?」
「う……それは」
言いよどむわらわに、エッジの口の端があがったのが見えたのじゃ。なんぞ、悔しいのじゃ!
しかし、あれはわらわにとっても『運命』といえるのかもしれぬ。
鳥籠から出たかったわらわ。計画の末に、一時でも大空を羽ばたいたときに出会った相手。
それが、その人物が鳥籠から外へ出してくれた。結婚相手として。
見方によっては別の鳥籠に移るだけに見えるかもしれぬ。
いや、本当はわかっておる。住まう籠が換わっただけなのじゃ。それでも、国におったときのような気持にはならぬ気がするのじゃ。
エッジはじっとしておる性分ではない。そしてきっと相手を閉じ込める性格でもないと思うのじゃ。
それに、お互いが鳥籠が同じなら、そこを終の住まいにしてもよいと思うのじゃ。
「運命とは歩んできた道なのだと、父様が言っておったのじゃ。あの出会が運命だったかなど、わらわには分からぬ。
しかし、これから先、そう思えれば嬉しいと思うのじゃ」
「素直なんだか、素直じゃないんだか、本当に分からない姫さんだな」
「素直と受け取れ!」
ああ言えばこう言う。わらわはいつでも素直ぞ!
頬を膨らませ睨み付けると、頬に添えられていた手が離れ、同じく突き合わせておった額も離れる。
額から体温が消え、やたらと涼しく感じるのじゃ。
離れていった額の持ち主は、そっぽを向き何やら独り言を呟きつつ頷いておる。
一体なんなんじゃ。離れていったことはありがたいが、少し寂しいのじゃ。
先ほどまで近くにおったというのに、今はもう遠い。少しはこちらを見てくれぬかと窺えば、「無自覚、無自覚」となにやら自己暗示のように言っておるようじゃ。
風と木の葉がすれる音であまり聞き取れぬのう。
そういえば、攫われてから随分と経つというのに、アレン以外誰も来なんだ。
うむ。アレンと言えばあやつは文官ではなかったのかえ?
あの言い方は武官のそれじゃった。
「なにゆえぶつくさ言っておるのじゃ。それよりも気になることがあるのじゃが」
「……早く育て。いまはそれしか言えない」
「言っておる意味がわからぬ。それよりも、エッジ。聞きたいことがあるのじゃ」
「はぁ?まだ疑ってんのか?」
心外とばかりに顔をしかめるエッジに、そうではないと訂正をいれる。
疑うことはもう止めたのじゃ。隠し事は多いが、どうもウソはつくことが苦手なようじゃし、最早疑いようもないのじゃ。
「そうではないのじゃ。わらわがここに来てからアレン以外に誰にも会っておらぬ。
式には招待者が多くいたのではないかえ?主役たるわらわ達が消えて、大騒ぎになっておらなんだか?」
「ああ、そのことか。それなら大丈夫だろう。叔父上が誤魔化してくれているだろうし、招待者も俺の性格を分かっている者ばかりだからな」
「…………やはり、おおらかというより、無関心。大雑把なのじゃ」
珍しくわらわの頬が引きつるのじゃ。
ここの国民性がよくわかる一場面に出会うのは、おそらくもう少しかかるかもしれぬのう。
「大雑把な俺が王子なんだ、国民も他国の客も大雑把なやつらばかりってことだろ」
「うむ。なにやら気苦労を強いられそうなところに嫁いできてしもうた気がするのじゃ」
「いまさらだろ。俺が支えてやるから、しっかりやれよお転婆姫」
「姫はもういないのじゃ。これからは王子妃ぞ、放蕩王子」
からかいを含んだ声音に対抗し、こちらもからかいと少しの嫌味をこめて返したのじゃ。
フラフラ他国に来ておったし、周囲もフラフラしておることを認めておったしのう。
目を合わせ、同時に笑いあう。
胸がどきどきするのと同時に、ぽかぽかと心が温かくなるのじゃ。
「時に放蕩王子よ、名を何というのじゃ?
お主だけわらわの真名を知っておるのは、夫婦として対等でありたいわらわの意に反するのじゃ」
「ああ、そうか。ずっと『エッジ』と言われてたから馴染んじまって忘れてたな。
俺の真名はレガロ。レガロ・バジリタだ。サラエラ嬢」
「レガロ………贈り物とは愛された名じゃのう。『刃』はお主に合っておったが、そうか『贈り物』か」
「似合ってなくて悪かったな」
「誰もそうは言っておらぬ。両親にとってお主は真に贈り物じゃったんじゃろうなと思っただけじゃ」
ふてくされておるところを見ると、会う者みなに言われておるようじゃのう。
先ほどまでのオトナなエッジ……レガロとは逆の子供っぽさに、自然と頬が緩む。
「そなたのそのような表情はかわいらしいのう。なにやら父様が母様に言い負かされておるときの顔にそっくりじゃ」
「………ルエリエ王家、こえぇな。おい」
そうかのう?
おおげさに顔を引きつらせるレガロに、表情が緩むのがとまらぬ。
このまま二人でいたい所じゃが、今日は大事な日ゆえもうここに長居もできぬじゃろう。空を見上げてみると、僅かばかり太陽の位置がずれておるしの。
「そうむくれるほどの事でもあるまい。式が終わったら慰めてやるゆえ、立つのじゃ。
ほれ、迎えがきたのじゃ!」
わらわが座っておらぬ右足に腕を付き、口を尖らせ頬づえをつく姿は10も年上には見えぬのじゃ。
微笑ましいと思い笑ってしまったが、それを堪えるのがつらいのじゃ。
これでは益々機嫌が損なわれるのじゃ。戻るのにも動かないしのう。
結局、「時間です」と迎えにアレンに頭を叩かれ、渋々動き出したのじゃが。
「そういえば、アレン」
「はい、なんでしょうか」
「アレンは文官なのかのう?それとも武官かえ?」
「補佐官ですので、文官ですよ。姫」
「しかし護衛に戻るとゆっておったぞ?」
「主がコレですから、必然的に鍛えられたんです」
「ああ……」
「おい!納得するな!」
「アレン、お主も苦労人じゃのう。ご苦労なことじゃ」
「労りの言葉、ありがとうございます」
「……ムシか!?おい、サラ!お前は俺が好きなんだろう?だったら未来の夫をいたわれ!」
「うむ。好きじゃが、苦労人の心労はいかばかりか計り知れぬことを知っておるからのう。無理じゃ。
して、アレン話の続きじゃが」
「……あのシリアスな場面に戻りたい」