後編1
うむ。聞きしに勝る苦難の道のりじゃった……。
この五日は馬車での移動は尻と腰の戦いでもあった。街道の整備は今後の課題じゃな。
国境に領地がある貴族の館を借り、今夜はここで宿泊することになった。明日はいよいよバジリタ国に入るのじゃ。
残り三日をかけて王都へ行き、そこで王子と対面と婚儀を挙げる予定なのじゃ。
王子とはどのような人物なのだろうのう。アレンの話では自由奔放のようじゃが。
通された部屋でもてなしのために飾られてあった花を一輪抜き取ると、敷いてあったラグに座り込む。
花を回し見ながらまだ見ぬ結婚相手を空想で作り上げてみる。
顔立ちはよいと言っておった。髪や目の色は不明じゃが、前王も現王も黒髪と紫の瞳ゆえ似た色彩かもしれぬ。
王妃は彼を産んでそのまま儚くなってしもうたので、詳しいことはわからぬしのう。
「……黒い髪、か。もしそうならば、わらわは……わらわの心は……」
約束はしたが、果たされぬ約束じゃ。それなのに、ふと気づけば彼を思い出しておる自分。
攫って欲しいなどと言わねば、ここまで苦しくはなかったのかのう。
出会わなければ、こんなに狂おしい感情に支配されておらなかったのにのう。
「サラエラさま、風邪をひいてしまいますよ」
さりげなく肩掛けをかけて、エリスは支給するためにカートに乗せておる茶器を持ち上げる。
ビアンカと別れてからの道中、このように過保護に世話焼くのじゃ。いままではビアンカの役目じゃったのに。
それが彼女の成長した証拠と嬉しく思う反面、ビアンカはもういないと思い知らされるのじゃ。
「ここまでずっと緊張続きでしたからね。これで一息ついてください」
「む、これはもしやルルリの茶かの」
「はい。アスレンさまからいただきました。サラエラさまのこと、ずっと心配しているんですよ」
清涼感のある香りに気分がすっとなるのじゃ。
これはルルリの木と言われる、古来よりある樹木の葉を乾燥させ茶の葉として飲まれておるものなのじゃ。
気分を落ち着かせるときや、すっきりとしたい時などによいと言われておる。効能は……さて、どうじゃろうな。
「兄様が?兄様は今どこにおるのじゃ。これの礼を言わねばならぬのじゃ」
「アスレンさまは、護衛の引継ぎで出払っています。護衛としてのお役目はここまでになりますから」
「……そう、なのか」
そうじゃのう。無理を言ってここまで護衛として来てくれたが、本来王太子である兄様が護衛につくことはない。
また兄様心遣いと愛に胸が温かくなるのじゃ。
ここまで守ってくれたことが嬉しくて、しかし仕事を中断させてしまったことが申し訳ないじゃ。
「兄様にはここまで世話になったのう。明日からはちと心細いのじゃ」
「あら、私では不満ですか?」
「そ、そんなことは言ってないのじゃ!ただ寂しいだけなのじゃ」
親元を離れ、ビアンカとも別れてしまったからの。それなのに心から信頼している兄様とも、これでサヨウナラならは心にぽっかりと穴が開いたように感じるのじゃ。
温かいカップを両手で持ち、心の隙間風を埋めるようにそっと口づける。温かさにそっと瞼を下ろした。
「……いよいよ明日はバジリタだのう」
「そうですね。バジリタは私も初めてなのでドキドキしてます」
そう言ってエリスは目元を和らげると、いつもは後ろで控えておるのをわらわの前に移動し跪いた。
それがまるでビアンカがわらわを見ていた時の目のようで、一瞬息をのんでしまったのじゃ。
「サラエラさま。お兄様ともご両親とも、国とも別れなければなりませんが、私は……エリス・ジアズは傍にいます。
いついかなる時も、共にいます。ですから、泣きない時や辛くて苦しい時はどうぞ私を頼ってください。
ビアンカさんには負けますけど、あの方のように支えてみせますから。いつかエリスがいなくてはどうにもならないと言わせて見せますから」
「エリス……」
そっと「ありがとうなのじゃ」とお礼を言うと、エリスは「はい」と嬉しそうに笑い返してくれたのじゃ。
どこか抜けておって心配になる性格じゃったというのに、この道中にエリスは変わったのう。それが頼もしいのじゃ。
そんな寂しくても穏やかな空気は、扉からのノックの音と共に現れた人物によって消える。
現れたのは白い軍服を着ておる兄様じゃった。いつもの何を考えておるのか分からぬ微笑を浮かべ、わらわを見ると歩き出す。
エリスは兄様を見た瞬間には立ち上がり、いつものように後ろに控えておった。
うむ、そつなくこなせるようなあったのう。やはり成長したのじゃ。
「寛いでいる所お邪魔してしまったかな」
「いいや、大丈夫なのじゃ。兄様は何用で来たのじゃ?」
「うん……」
近くに座った兄様に、エリスが茶を出す。それを口にした兄様が「飲んでくれたのか」と嬉しそうに言った。
それに対し、わらわも礼を述べる。言えてよかったのじゃ。
「兄様……?」
「明日、君はバジリタにいるからね。俺の役割もここまでだし、最後に顔を見にきたんだよ」
「明日、兄様はおらぬのかえ……?」
明日の朝、見送ってくれるのとばかり思っていたのじゃ。
その考えが顔に出ておったのか、兄様はすまなそうに眉を下げる。それだけで答えが分かったのじゃ。
「そう……なのじゃな」
「すまないね、サラ。国内で少し問題が起こってしまったようで、今日のうちに城へ戻らなければならなくなったんだ」
「問題?」
「サラが気にするほど重要な問題じゃないから大丈夫だよ。それよりも、顔色が悪いが大丈夫かい?」
「兄様は心配性じゃのう。わらわは平気じゃ。それよりも、兄様の方が心配なのじゃ。夜道は族も出るゆえ」
ルエリエは比較的、族と言われる者は少ない。少ないがいないのではない。
特に夜道は格好の標的となってしまうゆえ、この暗い中出る兄様が心配でならぬ。
よっぽど暗い顔をしておったのか、兄様の大きな手がわらわの頭を優しく撫でてきたのじゃ。
「サラは優しいなぁ。ありがとう」
「……」
「こんな別れは慌ただしくていけないな、もっと感動的な別れをしようとしたのに」
「ちなみにじゃが、感動的とは?」
「サラが馬車に乗るときに、騎士のように抱きかかえて乗らせ、最後に頬にキスを」
「あ、兄様?……さすがにそれはイヤなのじゃ」
想像してみたが皆の前でそれは、兄妹の度を越えておらぬか?
なんぞ、鳥肌がたってしもうたぞ。しかも今から花嫁になるのにそれは如何なものぞ。
頬を引きつらせ嫌がれば、兄様はクツクツと喉を鳴らし笑い出した。
「あはは、ウソだよサラ。けれど、頬にキスを贈るのは許してくれるかい?
愛しい妹姫がお嫁に行き他の男のものになってしまうからね、こうして気軽に触れられるのもこれまでだ」
「そうなのかえ?兄妹なのじゃ、会うことも触れることも誰も問わぬのではないかのう」
「そうもいかないんだよ、サラ。いいかい?君は王妃を約束された身だ、そして俺は将来王になる。
たとえ兄妹でも国の頂点に立つものが、早々気軽に会うことはない。
そして会えたとしても、公式の場では互いに国の象徴。こうして触れ合うこともできないんだよ」
……王妃。国の象徴。
考えたことがなかったのじゃ。そうじゃ、わらわは将来王となる人物の妻となる。ということは王妃となるということじゃ。
結婚の話や、その国の風土、それにエッジのことで頭がいっぱいで考えておらなんだ。否、そんなこと思いつきもしなんだ。
そうじゃ……そうなんじゃな。何事もなければわらわは王妃となる。
そしてわらわの行動は、その国に直結する。わらわの言動ひとつで、政治が動いてしまう、国の損得につながってしまうのじゃ。
いままでのように、好き勝手に動くことも、我がままを言うこともできぬのじゃな。
できぬのじゃな……。
俯いたわらわに撫でていた兄様の手が止まる。重みも消え、代わりに左手が持ち上げられた。
わずかに兄様を見れば、兄様は慈愛に満ちた笑みを浮かべておった。
「それども、サラ。たとえどんなに立場が変わっても、俺たちが兄妹であることは変わらない。それだけは覚えておいておくれ。
どんなに離れていても、立場が違っても、君を心から愛しているよ。それは変わらない」
「兄様……」
「幸せになっておくれ」
幸せになるのか、未来は分からぬ。しかし、兄様の愛情に応えたいと思うのじゃ。
これから会う夫となる者にわらわなりに向き合おう。兄様の手の温かさに目を瞑り、決心と共に小さく頷く。
瞼裏にエッジの姿が浮かんだが、わらわはそれを心から締め出した。
やはり、この心に住まうものはしまっておこう。
いつか、こんなことがあったのじゃと、言える日まで。
わらわルエリエの姫。そしてバジリタの王を支える王妃になる者じゃ。
この心はいらぬ。――――いらぬのじゃ。
頬に触れた温もりがひどく心の傷にしみ込んだのじゃ。
兄様はその日の夜に、護衛騎士であるエマージュと共に城へと戻っていったのじゃ。
そしてわらわ達は、バジリタ国へ入った。
三日後には、王城がある城下に差し掛かったのじゃ。この国は緑が多く、街並みも煉瓦造りの家が配置よく建てられておる。
我が国は王宮を囲む塀と、それをさらに囲むように家が立ち並び半曲線状の景観じゃ。
しかしここを見ておると、この国は城が少し小高い場所に造られ、城と街を繋ぐように大きな通りが作られておるのがわかる。
そして通りを挟むように家が並び、家々の間に少々狭い道が作られておるようじゃ。
馬車から見える景色に、ここが隣国であると実感させられたのじゃ。
通りには隣国から来た花嫁を一目でも見ようと、民たちが押し寄せ、出発したときのような賑わいとなっておる。
ここも活気があるのじゃのう。そして、わらわを受け入れてくれてくれておるのが嬉しいのじゃ。
やがて、馬車は城へ入りわらわの旅は終わったのじゃ。
残るは婚礼。それが終われば、わらわはこの国の者じゃ。ここの民を守る者になるのじゃ。
通された部屋は広く、ルエリエの自室と同じくらいの広さがあるのじゃ。
わらわは近くにあった椅子に座ると、深く息を吐き出した。
調度品は趣味が良く、ところどころに花が活けてあった。故郷では自室に花を飾っておったゆえ、なんとなく懐かしさに目を細める。
誰ぞ、話を聞いて活けてくれたのかもしれぬの。嬉しいのじゃ。
「疲れているところすみません。サラエラさま、着替えを持ってきましたのでこれに着替えてください」
「……エリス、言葉遣いでここの侍女が驚いておるぞ」
「あれ?あはは……。これからガンバリマス」
エリスが持ってきたのは純白のドレス。婚儀を挙げる時ように何着か作ったうちの一着で、ボツになったうちの一着なのじゃ。
お針子たちが丹精込めて作り上げたゆえ、捨てることなどできぬ。それゆえに、王と謁見するさいに着るように持ってきておいたのじゃ。
他のドレスも道中に着ておったのじゃぞ。我が国のお針子部隊は優秀ゆえ、すべて気に入ってるのじゃ。
そのドレスを持つエリスの後ろには、この国からわらわ付きになった二人の侍女が驚きつつ控えておった。
歳はエリスより上のようじゃのう。しかし精々4、5歳離れておるくらいじゃろう。
ビアンカと共におったエリスには、嬉しい限りじゃろう。歳が近いと打ち解けるのも早いからのう。
その二人と、エリスの手を借り身を清めドレスを着ると、王と謁見するために謁見の広間へとわらわは赴いた。
開けた空間を天井からの光が照らす。吹き抜けになっておるので、天気が良い今日は燦々と降り注ぐ光が眩しいのじゃ。
そして少しだけ高くなっておる玉座に、この国の王は威厳を漂わせ鎮座しておる。
歳をとってもなお豊かな黒髪。優しく細められた紫の瞳。若いころ数多の令嬢たちに騒がれたという話通り、整った顔立ち。
父様が柔和な美形ならば、この国の王は冷たい美形なのじゃ。目じりにあるシワと、優しく下がった目じりがなければ、その鋭さに身を竦ませておった所じゃのう。
アルヴィスに近いものを感じるのじゃ。あの者も歳をとれば、この王のようになるのかもしれぬの。
伏し目がちに進み、玉座の前で頭を下げ礼儀と通す。
「遠いところよりよく来てくれた、ルエリエの姫。顔を上げてくれ」
「はい」
「ほう、さすが美女と名高い王妃の姫だけある。まだ蕾だが、可憐な容姿だな」
「お褒めありがとうございます。この度の婚礼、若輩者ですがこの国のさらなる繁栄のために捧げる所存でございます」
うむ。ふつーに話すのは疲れるのう。
しかし王の姿を見て、多少甥であり王子である婚礼相手の容姿が知れたのじゃ。
「そう固くならんでいい。これからは家族になるのだからな」
「……ありがとうございます。あ、あの」
「なんだ?」
「わら……私の婚姻相手である王子殿下はどこにいらっしゃいますでしょうか?
絵姿を頂けなかったので、この場におられるものとばかり思っていましたので」
「ああ、アレは……」
目を泳がせ、心なし冷や汗を流しておる王に首を傾げる。
言いづらいことでもあったのかのう。
「今所要ででかけているのだ。迎えを行かせたのでもうじき戻ってくるだろう。
……すまないなサラエラ様」
「いいえ、政務で忙しいのでしたら無理に呼ばなくてよいです。
ただ婚儀の折に顔合わせでは、心の準備が間に合いませんゆえに」
「そう申してくれるとありがたい。アレが戻って来るまでしばらくの間休まれよ」
この話は切り上げたのか、王はその冷たい顔に微笑を浮かべ休息をとるよう勧める。
うむ。王子のことをアレと言ったり、この言動。王は王子を好いておらぬのかの?
しかしその割に、邪険にしておる様子はないのじゃ。不思議なのじゃ。
王の勧めもあり、謁見はものの数分で終わってしまったのじゃ。
与えられた部屋への道すがら、王子とやらが戻っておらぬか窺って見たがムダに終わったのじゃ。
仕方ないゆえ、好意に甘え寛ぐことにする。とはいえ、暇ではあるのう。
婚儀まではわらわはルエリエの者ゆえ、我が国のしきたりが通用する。
そのため、儀式まではわらわは白い物しか身に着けることが出来なんだ。
この姿では目立つことは勿論のこと、汚れるのも早い。むやみやたらと出歩くことも出来いのじゃ。
しかも今着ておるのは裾が長く、動くとき裾さばきが必要になる。引きずればすぐさま汚れてしまうゆえ、今日は部屋でゆっくりすることにした。
む、しかしなにゆえ、このドレスだったのかのう。もっと見栄えが良く動きやすい物もあったと思ったのじゃが。
せっせと他の侍女二人と、身の回りを整えておるエリスを見れば、それに気づいたエリスが笑みを深くしておった。
いや、まて。これはもしやエリスの仕業かえ!?う、してやられたのじゃ!
ムダに動き回らぬようにこれを選んだに違いないのじゃ。
悔しいのじゃ!