中編3
バジリタ国の使者であるアレンが帰り、本格的に輿入れの用意が進められた。
衣装や装飾品などは、話が来て合意した時から準備が進められておったゆえ、今度はそちらを運ぶための用意なのじゃ。
わらわはすることもなく、いつも通り過ごしておる。
胸には誰にも言えぬ秘密を隠したままに。
「失礼するよ、サラ。今日は天気がいいし、少し散歩でもしないかい?」
「兄様!わらわはヒマしておるからよいが、公務はどうしたのじゃ?」
「愛しの妹姫との逢瀬に、そんな無粋なものに邪魔されたくなかったからね。サクッと終わらせてきたよ」
「……バカアス。何がサクッとだ。妹に会いたいがために、放棄しようとしていただろう。俺がいなければ明日に回したくせに」
わらわと同じ青味がかった銀髪と薄い青色の瞳の人物が、やけに優雅に部屋に入ってくる。何をするにも様になるのが兄様なのじゃ。
アスレン・ルエリエ。この国の王子でわらわの兄じゃ。高い背とそれに比例するように、長い足をいかして僅か数歩でわらわの近くまで歩み寄る。
兄様の背後から続けて現れたのは、兄様の補佐役のアルヴィス・マクベシー。わらわ兄妹とは色味が違う、鈍い銀髪と碧い瞳の青年じゃ。
兄様は物語に出てくるような王子のように正統派じゃが、アルヴィスはその兄様とは正反対のように鋭い雰囲気をもつ美形なのじゃ。銀の柄のメガネが、さらに鋭さを強調しておるかのようじゃ。
あともう一人。いつも傍におるが、おそらく騎士であるエマージュも部屋の外に控えておるのだろう。
「それはそれ、これはこれ。アルヴィスは本当に固いんだよな」
「なにが固いだ」
「固い固い。フィール嬢に会いに行くのに、きっちり仕事を終わらせようとして夜中まで残ってただろう。
そのせいで目の下にクマこさえて早朝会ったそうじゃないか。要領よく適当に終わらせて、会いにいかなきゃ愛しの婚約者殿は心配で倒れてしまうぞ」
「その深夜までの仕事。誰のせいだと」
「ん~?誰だろうね? ね、サラ」
「……そうじゃな」
兄様が他人事のように軽い調子で返す。それをわらわも適当に相槌を打った。
これで兄様に意見しようものなら、キラキラした作り物の笑顔であれこれはぐらかさせられ、脱線をしつつ、結局一周まわり元の場所にもどるのじゃ。
しかし、なぜかはぐらかされた者は「もういいか」という気分になるそうなのじゃ。
長い付き合いのアルヴィスは、そうならなかったが、呆れがにじみ出た声で「そうか」とだけ言ったのがやや寂しいの。
王宮庭園は腕利きの庭師たちが、丹精込めて整えておる。ゆえに綺麗に咲き誇る花々が、道々に咲いておるのじゃ。
薔薇の季節は終わってしもうたが、他にも綺麗な花が咲いておるゆえ寂しくない。
「ぬ、また来たのかえ」
バサバサと音がしたかと思えば、いつかの小鳥がわらわの肩にとまった。
指に止まれるほどの大きさだったゆえ、肩にも止まれるのじゃ。頬を摺り寄せれば、愛想よく頭を撫でつけてくるゆえ愛くるしくてならぬ。
「その鳥はサラになついているようだね」
「うむ。この間、わらわの部屋に迷い込んできたのじゃが、懐かれてしもうた。
のう、兄様。鳥とはこう懐きやすいものなのかえ?」
「いや、普通動物は警戒心が強いからすぐに逃げてしまうよ。
その小鳥は珍しい子だね。アオのように躾けられているわけではないようだし」
「そうなのじゃな」
なるほど。野生は早々懐かぬのか。
納得しながらゆっくりとした歩みで庭園を歩く。兄様はわらわに合わせてくれているのか、歩幅が合わぬことはない。
長身ゆえ見上げてみなければ分からぬが、日の光を浴びた銀色の髪が揺れ、その下から優しい青い瞳がこちらを見下ろしておるのが嬉しくて、わらわはそっと微笑み返した。
「このあたりでいいかな」
「……そうだな」
「なんじゃ?なにかあったのかの?」
庭園の中央に造られておる東屋にたどり着き、兄様は周囲を見回す。同様に数歩離れた距離でついてきていたアルヴィスもまた、頷き返しておる。
エマは護衛ゆえ、二人より離れてついてきておるが普段よりも近いのじゃ。
これはどうしたことなのかの。
「兄様、なにか聞きたいことでもあったのかえ?わらわは兄様にウソはつかぬゆえ、このような人払いは無用ぞ」
「俺のサラは優しいな。でもこれは、あまり人に聞かれて欲しくなかったからね。
さて、どうぞお座りください。お姫様」
軽くほこりを払い、布がおかれる。もちろんこれをやるのは兄様じゃ。
兄様の座るところはアルヴィスが整えておった。
言い合う仲ながらも、この阿吽の呼吸羨ましいのじゃ。二人は四年前に出会い、学園で再会したそうじゃが、わらわも学園に通い友と呼べる者が欲しかったのじゃ。
「して、話とは?」
「ん……。その、サラは今回の婚姻の話を渋々受け入れただろう?」
「そうじゃな、わらわは王女ゆえ。しかし、いまさらその話とは、兄様話題にするには遅すぎぞ」
話を切り出すのに随分と時間が経ちすぎておる。隣国に嫁ぐまであと一か月を切っておるのにの。
隣に座る兄様を見れば、なにやら視線がウロウロして挙動不審なのじゃ。
なにか言いあぐねておるようじゃが、それが何かわからぬ。後ろで控えておるアルヴィスに目で訴えるも、無表情無言で返されてしまったのじゃ。
「はぁ……このヘタレ。サクッと聞けばいいだろう」
「そ、それが出来ないから困ってるんじゃないか!……ごほん。前にお城を抜け出したことがあっただろう?」
「う、うむ。その話は耳に痛いのじゃ……」
「ああ、別に責めているわけではないんだ。ただ、その……その時、おかしな男と会ったとエマージュから聞いていたわけで……。
帰ってきてからも元気がなかったのは、その男のことが……その……」
「つまり、その会っていた男のことで、姫が心あらずになっていんじゃないかと」
言葉に詰まらせる兄様にアルヴィスが要約して口にする。
二人が言いたいのはエッジに会ったことで、わらわの心が変化しておるのではないかということじゃな。
うーむ。さすが二人じゃ。鋭いのう。
正直に言えば是。しかし、ここでそのようなことを言えば国同士の問題になってしまう。
婚姻は国同士の契約じゃ。それにエッジは盗賊。どう転がってもよいことにはならぬ。
ウソはつかぬと言ったばかりじゃが、これではウソしか言えぬ。人払いはこの話題のためなのじゃのう。
脳裏に月夜のエッジの横顔と約束がよみがえる。迎えに来てくれるという約束。
迎えに来るとは、すなわち「さらいにくる」とわらわは理解しておるが、実際はそれはできるはずもないことじゃ。
わらわは「迎えに来る」という約束を宝物に、バジリタ国に行くことになるじゃろう。
そしてそれをずっと大事にして生きてこうと、庭園を使者殿と歩いておるときに決めたのじゃ。
約束をしてくれたこと。それがわらわの宝物。これで嫁いでもやっていける気がするのじゃ。
不安げな兄様と何を考えておるのか分からぬアルヴィス。二対の瞳に見下ろされ、わらわはにっこりと笑みを浮かべる。
兄様にウソをつくのは、きっとこれが最初で最後。どうか騙されて。
「男というのはあれのことかのう。なんというか、奔放で掴みどころのない男じゃったが、暇つぶし程度にはなったのう。
街に不慣れなわらわに、世間話をしてくれただけじゃ。兄様たちが心配するようなことはない」
「しかし、元気がなかっただろう?」
「うむ。わらわは何も知らなかったのだと実感してしもうてな、このまま嫁いでいってよいものか心配になったのじゃ。
お金というものの存在は知っておったが、それをどう使うのか知らなかった。売り買いするものの努力を知らなかった。
人のざわめき、臭い、温かさを知らなかったのだと反省していたら、みなに心配をかけてしもうたらしい」
「……それだけかい?」
「それだけじゃ。うふふ、兄様。わらわはもう嫁ぐことに否を言わぬ。そう疑い深く聞いてくれるな」
無邪気に。なにもないのだと思い込ませるように笑う。笑えておるかのう……。
しばらく見つめ合っておったが、兄様はふう……と息を長く吐き出し「変なことを聞いたね」と優しく笑ってくれたのじゃ。
誤魔化しも騙されたとも思えぬくらい長い溜息に、わらわの心はバクバクなのじゃ。アルヴィスはメガネを押し上げ何も言わぬしのう。
「あはは、すまなかったね。もうすぐ向こうにお嫁に行っちゃう愛しの妹が、元気がないと聞いていてもたってもいられなかったんだよ」
「妹バカここに極まれり、だ」
「そういうお前は婚約者バカだけどな」
「……」
またもや兄様たちの掛け合いじゃ。ほんに仲の良いことじゃのう。
わらわは目元を緩ませただ笑いながら二人を見上げ、心の中でひたすら謝ることしかできなかった。
そして時がたち。
城の一番見栄えがよい謁見の間に、わらわは白い衣装を纏い国王夫妻でありわらわの実の両親に旅立ちの挨拶をするために来ておる。
謁見後、馬車に乗り五日かけて隣国へ参る。隣国に入ってからは王都まで三日かかるそうじゃ。
それからは離縁などの理由がない限り、おそらく気軽に会うこともできないのじゃろう。
上段にある玉座に向かい頭を下げる。娘と言えど、正式にここにおることで礼儀を通さなくてはならぬ。
「いよいよか。サラ、顔をあげなさい」
「はい」
腰を落としずっと下げていた頭を上げる。目に入ったのは目じりにしわがより、幾分か歳を重ねた父様と母様。
今は王として王妃としてわらわの目の前におる。父様は薄茶色の髪に薄青い瞳で、柔らかいが少しだけ寂しそうに笑みをこぼしておる。
母様は青味かかった銀髪に薄紫色の瞳で、こちらは優しげに微笑んでおった。
「突然のことで慌ただしく準備をしてきたが、不備などはないと報告を貰っている。よき旅になるだろう。
……お前はまだ12だというのに、国の話に巻き込んですまないな」
「ええ、父様。わらわはこの国の姫。いつかは国のため、民のために嫁ぐのだと思っておったゆえ心配は無用なのじゃ」
「しかし、年端もゆかぬ娘をこの歳で手放さなければならぬとは……」
「それもまた、運命と申すものなのじゃろう。
リバはほんにサラを可愛がっておるゆえ寂しいのじゃろうが、娘の旅立ちくらいはそう辛気臭い顔しては祝いにならぬぞえ」
仕方ない人だと言わんばかりに笑う母様に、父様はガックリと肩を落としてしまったのじゃ。
いつも思うが、父様は母様に弱いのう。勝ったところなど見たことがないのじゃ。
幼き頃からそのような関係を見ておったが故、わらわは母様を尊敬しておる。
その影響で、言葉遣いも母様と同じになってしもうたくらいじゃ。
母様は他国から嫁いできたゆえ、同じく他国へと嫁ぐわらわに陰ながら色々とアドバイスをくれたのじゃ。
いまの会話や態度では分からぬが、決して喜んで手放すわけではないのだと行動で示してくれた。それにどれだけ元気づけられたことか。
目指すは両親のように、政略でも心を通わす夫婦になることなのじゃ。
「母様の言う通りなのじゃ。父様、母様、わらわは二人の間に生まれ育って、これほど幸福なことはないと心から思っておるのじゃ。
だから、どうか最後は笑って見送ってください、なのじゃ。わらわも笑って幸せになるために行くのじゃからの」
「ということじゃ、ギーリバ。お主は王らしく頷きや。
めそめそするのは奥に行った後でのう。愛しき娘は去ってゆくが、わらわはずっと傍におるゆえにな」
本当に幸せになるかの保障などどこにもない。それでも二人を安心させるためにも、己を励ますためにもそう言った。
謁見は和やかに、かつ母様主導で進み何事もなく終わったのじゃ。
兄様はわらわの護衛につくと言い張り、国境前まで共に行くことになっておるゆえここにはおらぬ。
しかし、居たら居たで遠い目をしつつ「この万年新婚が」とゆっておっただろうの。
隣国へ行くには途中、川や小高いが山がある。その恵みでこの国は潤っておるが、他国に行き来するにはちと手間がかかるのじゃ。
ゆえに華美に装飾されておるが、長旅にも耐えうる造りの馬車が用意された。
護衛も揃いこれからわらわはこの国を去る。これが最後と、城を仰ぎ見た。
白い城壁に蔓が這い、長い年月を感じさせる。生まれてからずっと見続けた城に、感慨深いものがこみ上げぐっと口に力を入れた。
「サラ。大丈夫かい?」
「……うむ」
護衛役を買って出た兄上が気づかわしげに問う。それに頷き返し周囲を見渡した。
エリスが馬車の近くにおる。視線を滑らせれば、その隣にビアンカも控えておった。
今日はずっと無言で世話をしてくれておる。これで最後なのに仲直りすらできぬのは、悲しいのじゃ。
こじれた原因がわらわの我がままゆえに、さらに悲しいのじゃ。
わらわが他国に行くことが、どうにもならなかったように、ビアンカもどうにもならぬことがったのだと今なら冷静な判断ができるのに。
「サラ。仲直りする気になったのかい?」
「……うむ。ビアンカ」
「はい、なんでしょうか姫様」
「……お主に会えてよかったのじゃ。できればずっと共にいることができればよかったのにのう。
この縁談がわらわの意志でどうにもならなかったように、ビアンカにもどうにもならぬ事情があったのじゃろう。
我がままで、お主を困らせてすまなんだ」
「姫様……」
そっととった彼女の手を強く握る。わらわと違う仕事をしておる手じゃ。
あの日、この手がわらわを繋いでくれた。我がままを許される立場でも、許されぬことがあると教えてくれた手。
実の姉のような存在で、いつも傍にいてくれた大事な人。
真っ直ぐに見れば青い瞳と視線が合った。あの日の目がそこにあったのじゃ。
「幼き日にお主に会ったこと。それがわらわにとっての僥倖。……お主をずっと姉のように思っておった」
「……私も、サラエラさまと出会いは運命でした。どうかバジリタ国でも息災で。
――――姉として、心より祈っております」
握り返された手に笑みが浮かぶ。互いにそうは思っておっても、言葉にはしてこなかったからじゃのう。
わらわは嬉しくて微笑むと、ビアンカも微笑み返してくれた。これでもう心残りはないのじゃ。
彼女の手を離し兄様の手を借り馬車に乗り込む。エリスも乗り込み戸が閉められると、作っておった笑みが崩れそうになり慌てて取り繕った。
「サラエラさま、和解できてよかったですね」
「そう、じゃな……」
エリスを見れば安堵ともいえる言葉を言われた。よっぽど心配させたのじゃな。
それに頷き返し、動き出した馬車から風景を眺めると、お忍びで通った大通りに出たのじゃ。
皆が祝福し歓声に包まれておるのが、何とも不思議な気分になったのじゃ。わらわは顔も声も知られておらなんだ。
ただ王女が一人いると知らされておるだけ。それなのに、これほど祝福されるとは。
「……父様の治世はほんに良いのじゃのう。これだけの民に祝福されておるのじゃからのう」
王家が民を蔑ろにしていない証拠じゃ。
歓喜と歓声、熱気。そのすべてが祝福からなるものなのだと肌で感じるのじゃ。
「国王様ならびに王族の方々が、下々の者たちを大切にしてくださっているからですよ。
王太子様は地方に巡察しておりますし、王妃様は慈善事業に力をいれてくださっています。
サラエラさまだって、使用人たちにお優しいじゃないですか。
それに必要のなくなった小物や、趣味で作った刺繍など寄付してくれています。人気なんだそうですよ、サラエラさまの刺繍小物」
「そうなのかえ?わらわの腕など、母様に負けるゆえようわからぬ」
今目深く被っておるベールも母様が作ったものじゃ。綺麗な花の刺繍で、気に入っておる。
基本移動中は白い衣装ならなんでもよいのじゃが、今は花嫁出立の行事じゃからの、多少の見栄えは必要と簡易の花嫁衣裳でおるのじゃ。
母様が手掛けたベールに、王家お抱えのお針子たちが丹精込めて縫い上げたドレス。今のわらわの体格では、まったく栄えぬのがなんぞ悲しいのう。
いや、しかしあと数年すればわらわも母様のような妖艶美女になるのじゃ。……おそらくな。
街を抜け大道りを走る馬車の窓から、なんとなしに外を眺める。
家や人の姿はなくただ平坦な道が続いているだけじゃ。今は良いがこれから山や川を越えると思うと気が重くなるのじゃ。
話に聞く限り、腰やお尻が痛くなるそうじゃからのう。多めにクッションを敷き詰めておるが、さてどうなるか。