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籠の鳥  作者: 立木 明
3/8

中編2

 ビアンカと仲が微妙なものになり、なにも進展がないまま使者がしてしまったのじゃ。

 兄上よりも上に見えたのじゃ。そうじゃな、エッジと同じ歳に見えたのじゃ。しかし、使者としては歳が若すぎたように思えた。

 壮年の歳の者が使者で来るのが普通じゃ。しかし、今回来たのは二十代前半の妙に綺麗な顔の男じゃった。

 人畜無害そうな人懐っこい使者なのじゃ。なんというか、あのモフモフに似ておるのじゃ。

 む、これは警戒せねばならぬと意気込んでおったが、肩透かしをくらってしもうた。使者は挨拶をすると、あとは何気ない世間話で終わったのじゃ。

 あのモフモフの悲劇は起こらなんだ!安心したのじゃ。

 バジリタ国から使者が来ての晩餐会が終わり、やっと肩の力が抜けたわらわは、バルコニーへとやってきた。

 ここは会食の場からあまり離れておらぬゆえ、息抜きには最適じゃ。もちろんエリスとビアンカの二人も一緒じゃ。

 ただビアンカとはあまり話しておらぬ。まだわらわの中では、わだかまりがあるのじゃ。


「姫様、どうなさいました?」

「なんでもないのじゃ」


 ちらりとビアンカを窺うが、彼女は普段通りで、わらわばかりがザワザワしておるような気がする。

 それがなんか悔しいのじゃ。

 晩餐会のために着飾っておるゆえ、動きずらいのじゃ。白いシフォンの生地にが風で靡く。胸元からすっと伸びたドレープが、わらわのお気に入りなのじゃ。

 髪も特別に編み込み結わえ、小さな花の髪飾りをつけた姿は、なかなかよいと思うぞ。

 父様ちちさまには母様ははさまに年々似てきたと言われたのじゃ!母様は娘のわらわから見てもビジョゆえ、嬉しいのじゃ!


 もうすぐ夏も終わるのじゃの。秋にはわらわはもうこの国にはおらなんだ。

 月明りを頼りに外を見れば、民が生きる街が広がっておる。この民たちのためにも、わらわは行かねば。

 意気込みもあらたに、街を見下ろしておると、すっと隣が動く気配がした。

 侍女二人は後ろに控えておるはずぞ、と振り向けば、なんとそこにはニコニコとした使者が。

 茶色い髪に琥珀の瞳。体格は文官なので細身じゃが、弱弱しい感じは受けなんだ。バジリタの文官は体を鍛えておるのかの。


「サラエラ様、お隣に失礼します」

「ぬっ、使者殿か。なんじゃ、何か不備があったかえ?」

「いいえ、皆さん良くしてくれてますよ。ただ、晩餐の席ではサラエラ様とお話ができませんでしたので、こうして二人で話をしようと来ました」


 そう言って使者はにこやかにほほ笑む。なんとも癒しだの。モフモフでも、あのモフモフとは大違いじゃ。

 バジリタで国の色としておる藍の服が、月明りで淡く色づく。藍色じゃが、青味がかり使者に似合っておるの。


「二人でかえ?なんじゃ、わらわで良ければ、どうぞ」


 椅子に座るよう促し、相手が座ったことを確認しわらわも座る。

 優秀な侍女である二人はそれぞれ分担で、お茶の用意を始めておるのを目の端で確認した。今回はエリスが傍に控えるようじゃの。

 夜風に庭園の花の香りがする。それに負けぬが、決してジャマもせぬ紅茶の香りが運ばれ、わらわ達の前に置かれる。

 ビアンカの茶は美味しいゆえ、使者もきっと気に入るじゃろう。

 白磁のカップを取り香りを楽しむ。使者もにこやかに「いただきます」というと、口にした。


「これは美味しいですね。仄かに花の香りがします」

「それはよかったのじゃ。これは我が国が広めようとしておる花茶ゆえ、使者殿の口に合うのか少々不安じゃった」

「これは花でできてるんですか?それはすごい。私はあまり嗜好品を口にしませんが、その私でも飲めるのです。絶対に広まることでしょう」

「うむ。そう言ってもらえると嬉しいのじゃ。今は試行錯誤しておるが、市場に出回るようになればそうあってほしいのう。

そうじゃ!これの葉を持って帰ってれば手土産の一つにもなろう。それに話のタネにもなるのじゃ」


 そうじゃ。そうすればよい!そうわらわが言うと、使者は目を瞬かせ、苦笑いをしたかと思えば「参った」と呟いた。

 なにが参ったのかの。首を傾げれば、使者は手にしていたカップを皿に戻し真っ直ぐにわらわを見やる。

 月明りでもはっきりと分かる琥珀の瞳が金色に輝き、笑みの形をとる。

 なんじゃ?


「これが計算ではないというのは、すごいですね。警戒していた私がバカに思えます」

「なんじゃ?なにか可笑しなことを言ってしまったかえ?」

「いいえ、なんでもありません。サラエラ様はすごいお人だと、実感しただけですよ。

それより、その申し出ありがたく頂戴いたします。王への手土産に致しましょう」


 む、なにやらイイ笑顔でウヤムヤにされたのじゃ。

 納得がいかぬわらわに、使者は有無を言わせぬ気配を纏い、再び茶に視線を落とすと、ふぅと深く息を吐き出した。

 なんとも哀愁は漂うの。これはエマが兄様あにさまに無茶を言われ、困った時の反応と似ておるの。


「使者殿はお疲れのようじゃの」

「ああ、申し訳ありません。ただ、この茶は王子殿下の口に合うかと思いまして……。せっかくの品、ぜひとも殿下にも口にしてほしいものですから」


 お茶の話だったというのに、自国の王子を憂いておる。こやつ、もしやかなりの苦労性かや?

 そうは見えぬが、裏ではそうとう苦労しておるのかも。

 使者に抜擢されたくらいじゃ、有能であることは確かじゃろう。しかし若いゆえ、やっかみもあるのかもしれぬの。

 なんというか、労ってやりべきかや? それとも、そっとしてあげた方が良いのか。

 しかし、この者を困らす王子とは気になるの。


「使者殿、わらわはバジリタ国の王子のことをあまり知らぬ。使者殿から見て、王子とはどのような方なのじゃ?」

「先ほどから気になっておりましたが、どうぞアレンとお呼びください。使者では他人行儀すぎますので」

「む? 使者殿は使者としてやってきたゆえ、かの国に行っても会わなくはないか?」

「いいえ。私は王子殿下付の者ですので、サラエラ様が嫁いだおりには、顔を合わせる機会も多いでしょう。それにほら、私も王女殿下であるあなた様をサラエラ様と、名前で呼んでおりますよ」

「うーむ、そうじゃな。ではアレン、王子の話じゃが」

「はい」


 にこやかに笑い頷くアレンに「あれ?」首を傾げる。なんというか、上手く誘導されたような。うーむ、気のせいかもしれぬの。

 

「アレンから見て、王子とはどのような人なのじゃ?」

「どのようなと言われても……正直にいって『掴みどころのない人』です。

やることなすこと、普通の王族とは違います。それで迷惑を被ることも多いですが、憎めない方ですね」

「やることなすこと違うのかえ?……それは」

「人のこととは思えませんね、サラエラさま」

「ぷっ」


 言葉に詰まっておると、ぼそりとエリスが言いおった。しかもアレンが反応し、噴き出す始末。

 幸い茶を口に含んでおらず、飛ぶことはなかったが、かなり失礼ぞ。思わず睨むと、アレンは「すみません」と慌てて謝る。遅いのじゃ!

 ついでエリスを見やれば、しれっとした顔で立っておる。


「サラエラ様も、王子殿下のように『掴みどころ』がないのですか?」

「ええ、それはもう!お付の私たちはいつもヒヤヒヤしております」

「それは、お互い苦労しますねェ」

「まったくです」

「待て!!なぜバジリタの王子の話なのに、わらわの話になるのじゃ。王子の話じゃ!話を元に戻すのじゃ!」


 エリスとアレンが意気投合しておるが、今は王子の話じゃ!わらわで盛り上がるでない!

 口を尖らせ抗議すると二人は顔を見合わせ、苦笑いを交わしおる。初対面のはずが、まるで知り合いのようじゃ。

 むー、わらわの話は今でなくともよいであろう!


「そういえば、バジリタ国の王子殿下と言えば、剣の腕がたつとか言われておりますね」

「ええ、腕前は王宮の騎士に負けませんね。他にも乗馬も得意ですし、なぜか変装しては各地にお忍びをしています。

その都度捕まえるのが大変で、少しは私たちの苦労を知ってほしいものです」

 

 ビアンカも話に加わり、話題を王子に戻す。しかし、聞けば聞くほど、他人の話に聞こえぬ。

 頬を引きつらせ聞いておれば、ビアンカが「姫様と似た者通しですか」と呆れ口調で言った。


「ぷっ、し、失礼……っ。サラエラ様も剣やお忍びをするのですか?」

「わらわは一度しかしておらぬっ。その王子とは違うのじゃ!!」

「サラエラさま、それは肯定しているようなものですよ」


 またしてもエリスのいらぬ言葉が入り、今度はアレンのツボにハマってしまった。口を押え笑いをかみ殺しておるが、体が震えまるわかりじゃ。

 これでわらわは反論すれば、また失態をするかもしれぬ。ぐっとこらえ、ぬるめの茶を一気に飲み干した。


「し、失礼しました。……けれども、話を聞くとうちの殿下と気が合いそうで。

歳は離れていますが、よき夫婦になれそうで安心しました」


 どこが安心する要素になるのじゃ!?

 ぎょっとしておるわらわに、アレンは「感性が似ておられます」といった。そのまま茶を悠然と口にしておる。

 なぜバジリタが使者にしたのか何となくわかったのじゃ。この者は話を引っ掻き回すくせに、本題は外さぬのじゃ。

 この場に来たのは、おそらくわらわの本質を探るため。そして、自国の王子を売り込むためなのじゃ。もしなにか問題があれば、すぐさま国へ連絡でもするのじゃろう。


「夫婦なぞ、共におれば良くも悪くもなるものではないかえ?

本の知識と、わずかに漏れ聞く王宮の者たちの話のみじゃが、わらわはそう思うぞ」

「はい、私もそう思います。サラエラさまは12におなりでしたね。なんとも不思議な人で、本当に殿下と気が合いそうです」


 まだ言うか。新たに注がれた紅茶をで怒りを鎮め、「ん?」とひっかかった言葉を引っ張りだす。


「そうじゃ、歳が離れておるといっていたの。王子はいくつなのじゃ?」

「あれ?ご存知かと思いましたが」


 知らぬのはまずかったかの。動揺しビアンカに視線で助けを求めるも、首を振るばかりで何もしてはくれぬ。

 仕方なくエリスに助けを求めれば、「サラエラさま、脱走事件の前にお話しました」と返ってきたのじゃ。


「え、脱走?」

「気にしてはならぬ。むー、恥を忍び聞きたいのじゃ」

「えーと……御年22になりました。サラエラ様とは10歳離れています」


 10離れておったのか。む、しかし愛に歳は関係ないと本に書いてあったのじゃ。互いに歩み寄れば解決するとあったのじゃ。

 でも何となく想像してみる。22ということは兄様と4つ違いの王子と、隣に立つわらわ。で、出来ぬのじゃ。

 絵姿でもあれば変わるのにの。ん?絵姿?

 そういえば絵姿はもらっておらなんだ。容姿も知らぬ。


「のう、アレン。絵姿でもあれば色々と話すことが増えそうなのじゃが、なにゆえないのじゃ?」

「え……」

「ん?どうしたのじゃ?」


 ぴきん、と固まり身じろぎひとつせぬアレンの顔を、首を傾げ覗き込む。

 目が泳ぎ、挙動不審になっておるのじゃ。

 

「え、絵姿は殿下本人が嫌っておりますので、宮殿にある家族の肖像しかありません。すみません」

「絵姿を嫌がるとは……。それではどのような人物か分からぬではないか。

では、髪の色は?目の色は?体格や顔立ちも詳しく話すのじゃ!」


 こちらは絵姿を送り容姿が知れておるというのに、不公平ではないか!

 頬を膨らませアレンに問えば、しどろもどろながらも答えてくれたのじゃ。

 顔立ちは整っており、体格は細身じゃが普通よりは多少大きめ。しかし、髪の色と目の色は教えてくれなんだ。なぜじゃ!?


「なぜ髪も目も教えてくれなんだ!?隠す必要はないはずじゃろう!?」

「本当はそうしたい所なんですけど、少々込み入った事情がありまして。

ほら、各地をお忍びで出かけていますから、危険な事にも首を突っ込んでしまうもので。詳しいことは公表していないのですよ」

「そ、それで国民が納得するのかえ!?」

「ん~、何と言いますが、それで納得してしまう国民性なんですよ。うちの国は」


 あり得ぬのじゃ!大らかというより、大雑把。人懐っこいと聞いておったが、それも怪しいのじゃ。むしろ無関心に聞こえるのじゃ。

 結局は性格と体格が知れただけ。収穫もなにもありはせん。

 がっかりしたわらわに、風が不意に吹き付けてきた。空を見れば月が大きく傾きいておる。意外と長く話しておったようじゃの。

 アレンも気が付いたのか、「こんな時間になってましたか……」と頭を下げた。


「殿下のことは詳しく話せませんでしたが、サラエラ様と気が合うと断言できます。何も心配はいりませんよ」


 そう言って席を立つと、わらわの隣に立ち跪く。騎士の礼儀のように胸元に手を当て、ゆっくりとお辞儀をした。何とも様になるが、こやつ文官のはずでは。

 茶色の髪が柔らかく揺れ、その下にある顔は窺い知れぬ。けれども、先ほどまであった人好きのする雰囲気は消え、真摯なものに変わったことが肌で感じられた。


「それでは、遅くまで申し訳ありませんでした。お先に失礼します」

「う、うむ……。ビアンカ、アレンに付き添いを。アレン、楽しかったのじゃ。

 また時間があれば話したいのじゃ」

「はい、是非とも。では良い夢を、サラエラ様」

「アレンも良い夢を」


 金に輝く瞳が細められ、柔らかな笑みを向けられる。兄様がわらわを見る時とい同じ目じゃ。

 親愛を浮かべたアレンを不思議に思いつつ、立ち上がり出ていく姿を見つめ続けた。








 アレンとの思わぬ茶会を終え、早々に自室に帰ってきたのじゃ。

 しかし気が高ぶっておるのか、なかなか寝つけぬ。エリスとビアンカは隣の部屋におるゆえ、今は自室に一人。何をしても、怒られぬのじゃ。

 月明りに誘われ、何とはなしにバルコニーに続く戸を開け放つ。夜風が気持ち良いのじゃ。

 ゆったりとした寝間着の裾を少しだけたくし上げ、素足のまま外へ出る。行儀悪いが、誰も咎めないからいいのじゃ。

 髪も纏めず、すき流したまま。宝飾品も身に着けづ、ありのままの姿を見るのは月のみ。

 雲が少々多いようじゃな。明日の天気はどうなるであろう。もし天気がよければ、アレンに庭園を案内しよう。国内におる期間は4日しかないしの。

 そんなことを思い見上げ続ける。手を伸ばせば届く、掴めそうな気がするのに、全く掴めぬ。

 誰にも等しく、誰にも触れさせぬ月。高潔なその存在を感じるように、顔を上げたまま瞼を下ろした。

 視界がない分、風の音、木の音、虫の音、見張りの兵士の音。様々な音色がするのじゃ。

 それをさらに聞きたくて、一歩また一歩と足を進める。身を包む風が心地よく、このまま攫われてしまいたい気になるのじゃ。不思議じゃ。


「お前!何してるんだ!!死ぬ気か!?」

「にゃ……っ」


 いきなり怒鳴られ、後ろから抱きすくめられる。背にあたる温もりに体が硬直するのが分かったのじゃ。

 体が固まり身じろぎひとつ出来ぬ。王宮に侵入者が忍び込んだと、周りに知らせねばならぬのに。あまりの出来事に声も出ぬ。

 ただ抱きすくめられ、何をされるのかと心臓がうるさい。後ろにいるのは誰ぞ?怖いのじゃ。

 カタカタと震えだした体に、巻き付いた腕が力を入れた。恐らくわらわよりも大きい侵入者なのじゃろう。体がすっぽりと覆われてしまったのじゃ。


「大丈夫だ。大きく息を吸って、吐いて。体の力を抜け」

「な、なにを…っ」

「いいから」


 顔が近くまで来ておるのか、耳元で囁かれる。

 どこかで聞いたような声に促され、震えながら深呼吸を繰り返す。二、三回繰り返すと、強張った体も動き始めた。

 動くようになった体で恐る恐る振り向く。夜に紛れるくらい黒い髪、その髪から覗く小さな傷。視線が合った目は血のように赤い瞳。

 記憶にある色彩と寸分違わない、整った顔立ち。ただ一つ記憶と違うのは、あの盗賊の印がないことだけ。

 ここにいるはずのない人物の登場に、声が出ずパクパクと口を動かすだけじゃ。なぜここにおる。なにゆえ、わらわを抱きすくめておるのじゃ!?


「久しぶりだな。お転婆嬢ちゃん」


 ニッと口の端を上げ、侵入者であるその男はそうのたまった。


「え、エッジ!?」

「しっ、声大きい」


 耳元で囁かれ、ゾクリと体が震えたのが分かったのじゃ。先ほどまで感じていた恐怖の震えではないが、これはいったいなんぞ。

 そればかりか、密着した背中が妙に熱いのじゃ。夏の夜ばかりではないような気がするのじゃ。


「な、なにゆえここにおるっ。いや、それよりわらわが何者か分かっておるのか?」

「ああ、承知してるさ。お前はサラ。

そして本当の名はサラエラ。サラエラ・ルエリエ。この国の王女様だ」

「わ、わかっておってこの暴挙かえ!?」

「だから静かにしろって。……知ったのはついさっきだ。ちょっと用事でここに来たら、お前が落ちそうになってるのを見つけたんだ。

あのままじゃ飛び降りそうで危なかったからな、とっさに抱きかかえちまった」


 本当は顔を見るだけで、帰るつもりだったと言われても、返す言葉がでぬ。

 考えることは色々あるのじゃ。用事とはどのようなものか。もしや生き残った盗賊の内通者がこの城にいるのか。そもそもここは三階で、どうやって登ってきたのか。

 考えだしたらキリがない。

 ただ一つ分かったのは、エッジに会えて嬉しいと思っておるわらわの心じゃ。

 少しでも気に留めてくれたことが嬉しいと、心の中のもう一人が喜んでおる。

 ただの通りすがりではないと思ってくれたことが、こんなに嬉しいとは思わなんだ。

 意識などしておらぬのに、顔が熱くなる。それに比例し、心臓が早くなってく。


 触れられておる所すべてが熱い。


 大きいと思っておったが、それは背丈だけのようじゃ。抱きすくめられそれが細身であることが知れた。

 けれども弱い感じではない。細身じゃが筋肉が程よくついておるのが分かるのじゃ。そう思うと守られておるような気分になるの。

 ドキドキする心臓が気づかれぬか心配じゃ。


「と、飛び降りるなどせぬ。ただ外が気持ちよくて、自然の音が心地よかったからもっと聞きたくなっただけじゃ」

はたから見れば、投身自殺そのものだったんだぞ。もう少し危機感を持ってくれ」

「なんぞ。不審1のエッジに言われたくないのじゃ!

王宮に忍びこむなぞ、死罪ぞ。そちらこそ危機感を持つことじゃ!」


 わらわは何もしておらぬのに、諌められ少しむっする。お返しにエッジの痛いところを突くが、なぜが苦笑されるだけで終わってしまったのじゃ。

 な、なぜ笑われなければならぬのじゃ!


「王女様が一介の盗賊を心配するとは」

「お主は木から落ちるくらいの間抜けさんじゃ、心配にもなろう。それに盗賊でも顔見知りが捕まってしまうのは悲しいのじゃ」

「……まだ引きずるのかよ、そのネタ」

「当然じゃ。あの出会いは、わらわにとって忘れられぬ」


 後にも先にも、上から降ってくる人間と遭遇するのはあれっきりじゃろう。

 なにも知らぬ普通の少女として話したのも、あれが最後じゃ。

 エッジに正体が知れてしまったし、一カ月後にはバジリタにおるゆえに。


「へぇ、それじゃこの再会も忘れられないと思うがな」

「……っ」


 またじゃ。エッジの声で体が震える。体に力が入らなくなるのじゃ。

 日の元で話しておった時には気にならなかったが、夜ではエッジの声は妙に艶やかに聞こえるのじゃ。

 わらわの体と耳は、いったいどうしたというのか。この者と出会ってから、自分のことなのに自分が分からぬ。

 それを知りたいと思うと同時に、なにも知らぬ方がいいのではないかと思う。

 知ってしまえば、もう後戻りできぬ。そんな予感がするのじゃ。


「そんな顔をしてると、連れ去りたくなるだろうが」

「よい……」

「ん?」

「よいのじゃ……っ。わらわを連れ去ってくれて良いのじゃ……っ!

この鳥かごを壊して…外で自由に――」


 とっさに出た言葉に、自分自身で驚く。エッジも同じく驚いておるのが、近くにあるためによく見て取れた。

 エッジの目が大きく見開き、赤い瞳がさらに際立つ。

 彼の赤い瞳が揺れ動き、やがて瞼に隠れてしまった。片口でさらりと黒髪が揺れる。

 目をきつく閉じ、わらわの肩に顔を押し付けてくる。息苦しいのはきっと、彼の腕に力が入っておるからじゃ。

 もしや、エッジを困らせてしまったのかも知れぬ。

 一瞬でも姫という立場を忘れ、過ちを口走ってしまったゆえ、呆れてしまったからバツで締め付けてくるのかも。

 呆れて、もう会いたくないと言われてしまったらと想像すると、胸がじくじく痛むのじゃ。


「い、今のは忘れてくれぬか?少し……月に当てられてしまったのじゃ。月には人を惑わす力があるからの」


 慌てて言い訳をするも、エッジは無言のまま。彼が何も言ってくれぬのは、やはり呆れてものも言えない状態ゆえなのかもしれぬ。

 しかし、腕の力は強くなったのじゃ。おかげで息をするのも辛いのじゃ。

 頭がふらふらするし、視界が段々暗くなってきたの。


「エッジ、わらわが悪かったのじゃ。もう何も言わぬ、この力を緩めてくれぬか……」

「ああ、すまない。……大丈夫か?」

「なんとか……みゅ!?」


 必死の抗議にやっと力が緩められ、息苦しさから解放される。

 よかったと安堵したのもつかの間、目の前に綺麗な顔がおった。どちらかが少しでも動けば触れてしまいそうな距離に、再び体が固まってしまった。

 

「そんなに緊張するな。何もしないからな?」

「こ、この距離でそのセリフはどうかと思うのじゃ」

「ん?お子様サラには少し刺激が強いか?」

「お子様というでない!わ、わらわはもう子供ではないぞ……っ」

「はいはい。そういうセリフを言うくらいなら、本気で大人扱いしてもいいんだよな?」

「そ、それは…」


 オトナ扱いとは一体どういう扱いなのじゃ。分からぬが、あまり良い感じには聞こえぬ。

 言いよどみ、及び腰になったわらわを見て、エッジは不敵に微笑んでおる。いたずらをして成功させた子供のようじゃ。

 

「今連れ出すことはできないが、次に会った時、必ずこの鳥かごから出してやる。

だから、それまで大人しくしておけよ。お転婆嬢ちゃん」

「わかった、のじゃ。必ず……必ずじゃぞ」

「ガキに興味がなかった俺が約束するんだ。必ず壊して、迎えに来てやる。その時は覚悟しろよ」


 額に柔らかな感触と温もりが落ちる。それを受け止め、満たされた心地にうっとりと微笑んだ。





 翌日。あれが夢ではなかったのではないかと思い、そっと額を撫でる。

 まだあの感触が残っておるようで、顔が熱くなったのを自覚し、気恥ずかしくなったのじゃ。

 それを見たビアンカに本気で心配され、エリスには「恋した乙女みたいな顔になってます」と揶揄されてしもうた。

 


 しかし、これが『恋』ならば、『恋』など知らねば良かったのじゃ。

 知らねば、こんなに苦しくて切なくなることもなかったのに。




 庭園を案内しておる最中にアレンの爽やかな微笑みを見て、心苦しくなることなどなかったのに。

 この者が慕う王子との婚礼を控えておるくせに、盗賊と約束をすることなどしなかったのに――。



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