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籠の鳥  作者: 立木 明
1/8

前編

 自分の背よりも高い城壁を見あげ、深々とわらわはため息をだす。

 城と街を隔ている城壁を越えれば自由なのだ。と自分自身を奮い立たせた。

 まさかこの歳で求婚されるとは思わなかったのじゃ。

 わらわはまだ12。15から20が結婚適齢期な我が国では早い。婚約をすっとばして求婚――つまり結婚など常識外れもよいところ。

 しかも相手は隣国の王の甥。つまり他国に行くことになる。

 なぜ甥なのかなど、どうでもよい。怒り心頭のわらわは聞いておらなんだ。

 

 南に位置する隣国バジリタ国は緑豊かで、人も穏やかな気性ばかりだと、お付の侍女たちは言うが、それはわらわが行くのを嫌がらぬようにするため。

 耳障りのよいことばかりを並び立て、刷り込みにも近い情報をわらわに与えるためじゃ。

 筋を通し婚約関係から始めるのならば、わらわも駄々などこねぬ。

 しかし、相手は婚約など手間だと婚姻関係を要求してきたと聞く。年端もゆかぬわらわの意志はどうでもよいのか、と問いたくなる言い分じゃ。

 わらわとて一国の王女。国のため、民のため他国に嫁ぐ覚悟は幼いころからできておる。

 しかしまるで物のように扱われるのは、わらわの……王女たるわらわの矜持が許さぬ。

 それにじゃ。わらわは生まれてこの方城から出たことがない。15の歳に王立ヴァルリア学園に入学するとき初めて城から出られる。

 学園に通うのは貴族の義務で、王族の義務ではないが、特別なにも理由がないのであれば入学しているからじゃ。

 兄、アスレンも15の歳に学園に入学したし、父もまた王子時代に学園の門をくぐっておる。母は他国の者ゆえ、学園の出身者ではない。

 聞くところによれば、二十年前になにやら学園で事件が起こり、それが原因で遥か南方の国から嫁いで来たのだという。

 母が国に嫁いてきたことにより、事件を起こしたとある貴族の令嬢が母と入れ替わるかのようにその国に行ったのだと漠然とした説明をされたのじゃ。

 ちなみに、その話には続きがあり、後半は両親のノロケと言われる話だったと記述しておくのじゃ。ところでノロケとはなんぞ?

 兄様あにさまは、聞き流してよしと言っておったのじゃ。父様ちちさま母様ははさまが大好きで、母様も父様が大好きなのだから夫婦円満で良いことなのだそうじゃ。

 うむ。兄様の説明は分かりやすくてよいのじゃ。

 父様がヒトメボレという病にかかり、母様も同じ病にかかられ、それが今なお続いておるのだそうじゃ。

 病と言っても危険なものではないというから、フシギなものじゃ。世の中フシギなことばかりじゃな。


 さて、物思いにふけるのはここまでとしておくのじゃ。追手が来ては、わらわの計画がなくなってしまうからのう。


 他国に嫁に行くことが決定した今、仕方がないことだと諦めるしかあるまい。

 しかし、嫁ぐ前に民たちの暮らしを、この目でしかと見ておかねばらなぬ。自国のこと、民のことを知らぬなど我が王家の恥なのじゃ。

 なにも知らぬまま嫁いでしまっては、周りが敵ばかりの国でバカにされてしまうしのう。しかし、本心は一時でもよいから『自由』が欲しかった、と言ってしまっていいのかもしれぬ。

 王女として生れ落ち、なに不自由なく過ごしているのは幸福なのだろう。

 しかしそれは、自由があるとは言えぬ幸福。なにをするも人の目を気にし、まわりの評価を気にする生活。

 侍女がわらわの身の回りを整え、近衛騎士が警護する息苦しい幸福が今の生活。

 そしてそれは、嫁ぐ国でも同じであろうことが容易に想像できることなのじゃ。

 鳥かごので飼われておる鳥は、籠が代わるだけで他は何も変わらぬ。生まれ死ぬまで籠の鳥でいるのならば、一時でも大空へ飛び立ちたいと思うのはおかしいことではないのじゃ。

 

「鳥とてユメは見てもよいものであろう」


 振り返り後ろでとびえたつ白亜の城にポツリと呟き、この日のために密かに調達したフードを目深にかぶり直す。

 入手するのにほんに苦労したのじゃ。

 わらわが持っておるのは張り子たちが丹精込めて作った豪華なものゆえ、質素なものなどない。侍女に頼んでも欲しがる理由を聞きたがるじゃろうし、わらわ自身で入手することなどできるはずもない。

 仕方なしに、歳が近く体格も似ておる侍女の私物を拝借してきたのじゃ。あやつはそそっかしくて、よくドジをするので少しの間なくなっておっても気づくまい。

 もちろん、このお忍びがすめば元の場所に戻しておくのじゃ。

 

 わらわは深く呼吸をすると、城壁にびっしりと覆われた植物を退け、わずかに空いた壁の隙間から自由の第一歩をふみだす。

 ふふふ。いつどこにどんな者がおるのか分からぬというのに、こんな重要なことを立ち話でするからなのじゃ。あの騎士には感謝しなけれなばな。

 この穴もすぐに塞ぐことになっておるそうじゃから、ほんによいタイミングじゃったぞ!

 薄暗い洞窟のような隙間を潜りぬけ、日が差し込む「外界」が眼下に広がった。

 わらわにとっては初めての城の外じゃ。城壁を囲むように木が植えられておるが、これは敵兵の進行を妨げるものではなく、外観を整える意味があるそうじゃ。

 歴史を教えてくれるマレナルおじじがそう言っておった。我が城は森の中にそびえ立つように造られておる。

 緑が豊かゆえ、ご先祖はそれを生かした国造りをしたらしいのじゃ。詳しい説明はこの際省くのじゃ。

 今はお忍びが先ゆえにな。

 




 城と街を隔てる小さな森を抜け、主要通りなのだろう大きな道を歩く。

 本で見た店というものが軒を連ね、いままで見たことのない人の波がわらわに押し寄せてくるのじゃ!

 老いも若きも、女も男も様々じゃ。道を行く者たちに大きな声でなにやら呼びかけておる者もおれば、キレイな装飾品や服を着た者、両親のように寄り添って歩いておる男女、わらわとそう違わぬ歳の者が横を走り去って行く。

 初めてなのじゃ、こんなに様々な者たちを見るのは。時折城で開く夜会とは全く違う、人が生きておる匂いがするのじゃ。

 夜会で会う貴族の者たちはみな笑っておるが、ここの者たちのようになんのウラもない顔ではないのじゃ。

 匂いも香水をふりかけ、身だしなみをするのが貴族の常識じゃ。時には悪臭とも思える強烈なご婦人もおるが、ここではそんなものなぞない。

 吹き抜ける風から漂うのは、どこかからの食事の香りや物の持つ自然の香りばかりじゃ。

 心地よい香りに目を閉じ、耳だけで自由を噛みしめる。ガヤガヤとした音は城では聞いたことがない。

 会話らしき声や、笑う声。通りを行き交う足音、なにやら急ぎの用事があるのか走る音も、なにもかも耳に入ってくる音に心臓がドキドキするのじゃ!

 胸に手を当てれば早い鼓動が伝わり、ぎゅっと手に力を入れる。これが我が王家が庇護しておる民たちなのじゃな。

 なんと力強く、楽しく暮らしておることか。聞こえ漏れてくる会話でも、生き生きとしてこちらまで元気になれるのじゃ。

耳を澄まし感激しておると、ドンと後ろから強く押された。強い衝撃にわらわは前に倒れそうになってしまう。が、フンと踏ん張ってみせたぞ!

 教養の一環でダンスを嗜んでおるので、バランス感覚と足の強さには自信があるのじゃ。

 なんじゃ、人が感激しておるときにと振り返れば、毛むくじゃらがわらわの足元におった。

 これは知っておるぞ!イヌというものじゃな!しかし、本の中ではちんまりと座っておったが、これはちんまりなぞという大きさではないの。

 わらわより少し小さく、モコモコを付け足した感じじゃ。しかしコヤツの目はどこぞ?

 モコモコが全体を覆っておって分からぬ。むむむ、と顔を近づけ目を探そうと唸る。

 

「わおん!」

「ふぎゃん!」


 なんと!この無礼者!コヤツ、舌でわらわの顔を舐めおった!

 ザラザラしておるし、生臭いし、気持ちわるいのじゃ!


「は、なにをする!わらわは食べ物ではないぞ!」

「くぅ?わふ……」

「ふにゃ!?じゃから、わらわは食べられぬと言っておる!ええい、離れぬか!」


 く、なんじゃ、この大きなモコモコは!

 わらわに伸しかかり、ザラザラした舌でわらわの顔を何度も舐めてきおる。

 ま、負けてたまるかなのじゃ!腕に力をこめ精一杯に、モコモコを離す。モコモコは見た目通り柔らかく、温かいが重い。

 しかし、わらわはガンバッタのじゃ!モコモコを退け、近くにあった何かの布を引っ張りすっぽりとモコモコを覆ってやったのじゃ!

 

 わらわの勝利じゃ!


 腰に手を当て胸を張る。モコモコは布を外そうとして動き回った結果、さらに巻き付けておる。

 ふ、ふ、ふ。これでわらわを食おうとするまい。


「ちょいと、お嬢ちゃん!ウチの商品で何してんだい!」

「なんじゃ、モコモコとの戦いに勝って気分が良いというのに」


 モコモコの次はなんぞ。と声をしたほうを見れば、随分と体格の良い女がおった。

 乳母のメアリも大きいが、この者はそれ以上のようじゃ。これは大木と張り合えるかもしれぬの。庭園にある巨木と同じぞ。


「なんじゃ、じゃないよ!どうしてくれるんだい!それはウチの主力商品だってぇのに、いぬっころ避けに使ってぇ!

流行のガラで品薄だったものがやっと入荷して、それが最後の一品ひとしなだったんだよ!

ああ、もう売り物になりゃしない!」

「……それはすまないことをした。しかし、わらわがあのモコモコに食われるのを阻止するため、仕方がなかったのじゃ。許してくれぬか?」

「犬に食われるぅ?あんた可笑しなこというねぇ。

変な言葉も使うし、いいとこのお嬢ちゃんだろうが、売りもんをダメにされたこっちの身にもなってもらいたいね」


 なんじゃ、こちらが謝っておると言うに。

 巨木の女はどうやら布をとった店の者らしいが、わらわが謝っておるというのに許さぬというのか。

 納得がいかぬと口をへの字に曲げると、巨木女も目を吊り上げ踏ん反り会えるように腰に手を当て見下ろしてくる。

 なんじゃ、なぜこの者はわらわを睨むのじゃ。両親も兄様も乳母や、侍女たちもわらわが素直に謝れば許してくれたというのに。

 きちんと謝ったというのに、これ以上何をすればよいというのじゃ。


「謝ることは悪いことじゃないさ。けどね、こちらも商売で飯を食ってんだよ。

その商売の品をダメにされたら、売り上げにも関わる。飯を食うのに困っちまうのさ」

「そ、そうなの……か。わらわがダメにしたことで、お主が食べられなくなるのは困るの。ほんにすまなんだ。

のう、お主。わらわはどうしたらよいのだ?」


 謝るしか知らぬわらわには、どうすることもできぬ。

 民の暮らしを見るために抜け出して来たというのに、わらわがその民を害したなど許しあがたいのじゃ。

 けれど、どうすればよいのか分からず、そろりとフードから巨木を見上げるしかできぬ。

 巨木の女は目を瞬かせ、腰に当てていた手を額に押し付けておった。


「世間知らずなお嬢ちゃんだとは思ってたが、弁償のこともしらないのかい?

売りもんをダメにしたときは、弁償で買いとるもんさ。お嬢ちゃん、お金どれくらいもってんだい?」

「おかね……。お金というのは、こう……丸くて固いものかえ?」

「ちょいとお待ち。もしかしてお金も知らないのかい!?いったいどんな躾をされてんだい!

いいかい、どんな時でもお金を使うもんさ。服も靴も、装飾品に化粧品、髪を整えるのだってそうだね。

食べるものも飲むものだって買う時必要になるし、住むところもお金を払って住んでんだよ」

「……」


 本を読んでおるから『おかね』というものは知っておったが、何をするのにもそれが必要だとは知らなんだ。

 わらわは生まれてからずっと、欲しいと思ったものは何でも手に入れてきた。

 一言発するだけで手に入るのが、当たり前じゃと思っておった。

 それなのに、ここに住まう者たちは違うようじゃ。わらわの「当たり前」が「当たり前ではない」のだというのじゃ。

 あまりのことに言葉が出ず、わらわは茫然としておるしかなかった。


「こまったねぇ。お金がないんじゃ、どうすることもできないわ。

ああ、そうだ!お嬢ちゃんお家はどこだい。お家の人に事情を説明して、払ってもらうからさ」

「そ、それは困るのじゃ!!」

「困るって…、もしかしてお貴族さんかい?」

「うう……そ、そうじゃ。貴族なのじゃ!家の者に内緒で出てきたので、知られては困るのじゃ!」


 うそもほうべん、とはこういう時に使うものでよいのかの。しかし、ここで住まいが知れるのは困るのじゃ。

 まだ少ししか街を見ておらなんだ。まだまだ見たいところがあるのじゃ。

 それにわらわは王女ぞ。正体がばれては騒ぎどころの話ではなくなる。

 苦し紛れの嘘を信じたのか、巨木の女は深く息を吐き出し項垂れてしもうた。そのせいか巨体が一回り小さく見える。

 

「お貴族様に弁償の話を持ってっても、門前払いが関の山さね……。

ああ、もう。今月の稼ぎの一部が消えるなんて、娘に誕生日のプレゼント買えるかねぇ……」

「……ほんにすまなんだ。そ、そうじゃ!これとそこの布交換でどうじゃ!

これはわらわの物ゆえ、どう扱おうがわらわの自由なのじゃ!そうすれば、お主の娘にプレゼントとやらをやれるであろう!?」


 なにやら深刻な顔をしておる女に、わらわの心がひどく痛む。

 娘になにか贈ろうとして、頑張っておったのにわらわがそれを無駄にしてしまったのじゃものな。

 慌てて懐からブローチを取り出し女の手にのせる。銀細工で小鳥が作られておる愛らしいものじゃ。

 その小鳥の口ばしには花が1輪啄まれておる。わらわのお気に入りの品じゃが、お金がなく弁償とやらが出来ぬわらわには、これが精一杯なのじゃ。

 渡したブローチに女の目が大きく開いたのが分かった。しかも固まっておる。

 どうしたのじゃろうと、女に聞こうとした時、目の端に件の布があるのが目に入った。

 後ろにあるはずがナゼじゃ、と振り向けばモコモコが半分以上見えておった。


「にゃ……っ」


 モコモコの悪夢再び、なのじゃ!

 ここはおさらばした方がよさそうなのじゃ!お金はなくとも代わりの物を差し出したのじゃから、もう大丈夫じゃろう。

 

「それはそなたの物じゃ!好きにせい!ではな!」

「あ、ちょいとお待ち!これじゃ高くつくよ!!」


 巨木の女の叫ぶ声を背に、精一杯走る。モコモコがわらわに襲い掛かる前に、あやつめの視界から消えねばならぬのじゃ!

 許せ、巨木女!

 とにかくモコモコに見つからぬうちにと、適当に道を進む。わ、わらわは決して非力などではないぞ!

 ただ走ることは「はしたない」ゆえ、日ごろ走ることなどせぬのじゃ!

 じゃから、モコモコから離れようともがいて、走りだしたのに早々に狭っこい道に入ったのは致し方のないことなのじゃ。

 淑女たるものいついかなる時も、お淑やかに!なのじゃからの。

 人が多い道を走るなどという衆目を集める行為は、淑女の心得に反するから仕方ないのじゃ。そう、仕方ないのじゃ。

 薄暗い小道に身を滑らせ、息苦しい胸をなだめるが中々落ち着かぬ。

 しかもじゃ、何やら頭がクラクラしておるのぉ。むむ、これはどこかに座らねばならぬか。

 ふらふらと周囲を見回し、座れそうな場所を探すが……怖いのじゃ。

 先ほどまで煩いほど騒がしかったというのに、この道は薄暗くどこか不穏な空気が漂っておる気がするのじゃ。

 そろっと窺えば、目つきの怪しげな男がおった。それも複数じゃ。

 いくら城から出たことがないといっても、この場がまずいことは承知しておる。

 致し方ないが、大通りに戻りモコモコと遭遇せぬよう頑張るしかあるまい。

 数回、深く息を吸い込み吐き出す。よし、足はふらふらするし、息もあまり整っておらぬが歩けそうじゃ。

 来た道はあちらじゃな。男たちの様子を窺いつつ、くるりと周り歩き出す。

 走りだしてあやつらに気づかれては危ないのじゃ。兄様が「男はみなオオカミという生き物なんだ。絶対について行かないように!」と言っておったしの。


「――だそうだ。この国にも入り込んでるかもな」

「ああ、それで最近巡回が多いのか。三日前、北界隈の花街に監査がはいったってよ」

「迷惑なことだよな。北には高級娼館ばかりで奴らは入るスキすらねぇってのに」 

「まったくだ。こちとらこれで飯食ってんだってぇのに役人にはいられちゃ客も寄り付きやしねぇ」

「しっかし、バジリタ国は何もしてないわけではないだろう?」

「さぁな。例の盗賊団……『暁烏あけがらす』っつたか?やつら相当派手にやってるらしいし、討伐隊くらいはつくってるんじゃねぇか」

「だといいが、早く捕まってくれねぇと、商売あがったりだ」


 ゆっくりと男たちに気取られぬよう歩き出した耳に、物騒な言葉が入ってきたのじゃ。

 振り向く勇気はなく、はしたないが耳だけをそばだて盗み聞きしたがよう分らぬ。

 盗賊団とやらは盗み人じゃろう。しかし、ハナマチやらショウカンとやらはなにぞ?

 わらわが嫁ぐ国であるバジリタ国の話らしいのは理解できたが、他のことはさっぱりなのだ。これはマレナルおじじに聞いた方が……いや、兄様に聞いたほうがよさそうじゃの。

 マレナルおじじに聞こうものなら、この言葉をいつ知ったのか問い詰めてくるに違いない。そうそう、乳母やもじゃの。その点、兄様は深く追及はしてこぬしな。

 男たちから随分離れたゆえ、もう会話も聞こえぬが、これからバジリタ国に嫁ぐ身ゆえ、些細なことでも知っていたほうがよい気がするのじゃ。

 そうと決まれば、民たちの生活を見ることに加え、バジリタ国のこと、盗賊団のことをそれとなく探ってみるかの。





「く……っ、これほど歩くことになるとは。敗北じゃ、わらわの負けじゃ。王都は広いのじゃ……」


 あれから様々のところを見て歩いた。バジリタ国のことはそれとなく聞こえてきたが、盗賊団の話は聞かなんだ。

 盗賊団の話はあそこの男たちが知っておるだけのようじゃし。そもそも、その盗賊団とやらは本当に存在しておるのかの。

 疲れたのじゃ。座りたいのじゃ。ぬぬ、目の前によい小道があるのじゃ!

 見つけた小奇麗な小さい小道を抜けると、小さな庭のようなところに出たのじゃ。

 王宮の庭園のように綺麗に整えられておるわけではないというのに、見ていてほっとする庭じゃの。

 わらわの知る庭園は豪華に見えるよう庭師たちが整えておるが、ここは自然に――あるがままに植えられておるようじゃ。

 ほんに心地よい空気じゃ。鳥の囀りも耳によいの。それに大通りには人が溢れかえっておったのに、ここには人一人おらぬ。

 人が精一杯生きておる姿を見るのは楽しいしためになったのじゃ。しかし、あの騒々しさはわらわには向かぬの。

 楽しい気持ちになるのに、疲れてくるのじゃ。

 ちょうどよい場所に小さな椅子が一つだけぽつりとあったので、少々行儀は悪いがハンカチーフをひき座ることにした。

 うーむ、足がガクガクするのじゃ。それに喉も乾いておるが、わらわはお金を持っておらなんだ。

 ここではお金ですべてが回っておると聞いたばかり。飲みたくとも買えぬのでは、どうしようもない。

 はぁ……。脱出計画しか立てておらなんだ、わらわの無知のせいじゃな。お金の存在は知っておったのに、それの使い方を知らなかったのじゃ。それして、それを稼ぐために、民たちが日々頑張って働いておることも。

 なにも知らなかったのじゃ。

 けれども、外に出て収穫はあった。民たちの暮らしぶり、お金の重要性、人の噂、城にいては知らぬことばかりじゃった。

 この国の民はわらわの誇りじゃ。バジリタ国に行っても胸を張れるのじゃ!わらわの国は家族も民も最高なのじゃ!と。


「そこのお前!退けぇ!!」

「え……?」


 ぼーっと呆けておった所に響く声。刹那、近くの木が大きな音を立て、何かが勢いよく落下したのじゃ。


「あっぶねぇ……。危うく嬢ちゃんにあたるところだったぜ」

「……く」

「く?」

「くせ……」

「クセェ?うおい!?俺ってそんなに臭うのか!?……くっそ、やっぱ水浴びくらいはしておきゃよかったかもしれねぇ」


 青みがかった銀髪と、薄い青色の瞳のわらわと比べ、目に飛び込んできたのは黒い髪に赤い目。

 随分とくたびれたマントに、同様の簡素な服。体躯は兄様よりも少し大きいくらいじゃな。でも護衛騎士のようにゴツゴツしてはおらぬ。

 れっきとした男が空から降ってきたことに、目を丸くすることしかできぬ。

 それども、わらわの目を惹きつけたのは、そんなことではない。

 凛々しく綺麗な顔立ちゆえに、左の目じりにある傷が良く目立つ。それに目が離せず、けれど不審人物の突然の登場にわらわの思考回路は、停止寸前。


「曲者じゃ!!」

「うおーい!?誰がクセモノだよ!!いや、それよりも、大声出すな!見つかるだろう」

「わらわにとっては、空から降ってくる時点で曲者なのじゃ!

不審人物に出会でおうたら、警戒するよう兄様が言っておったのじゃ!特に男は要注意なのじゃ!

言っておくが飴を出しても、その手にはのらぬからの!」

「飴って…そりゃいい兄さんだな……。ったく、少しは黙ってくれないか。追手に見つかったら、俺の命はねぇんだから」


 睨み付けるよう男を見ると、奴は頬を引きつらせ頭を乱暴に掻いておる。

 あの掻き方ではそのうちハゲそうじゃの。大臣どものようにてっぺんハゲになってしまったら、残念な男前になりそうじゃ。


「む、曲者、またの名を不審者その1よ。お主、追われておるのか?」

「クセモノからランクが下がった気がするな……。というか、不審者その1は名前じゃねぇよ。

そもそもその2、その3があるのか?お前、面白いヤツだな」

「わらわは面白くないわ!お主ほんに無礼者じゃの!って、話を反らすでない!追われているとはどういうことじゃ」

「反らした覚えはないんだが。うん、まぁ……嬢ちゃんには難しいことだし、その辺は聞かなかったことにしてくれないか」


 むう、難しいとはなんじゃ!わらわだとて、この国の王女ぞ。

国政の勉強はしておる。それに比べたら、これの「難しい」など難しいのうちに入らなんだ。

 そう言いたいが、今はお忍中の身。わらわの身分が知れてはならぬ。どうしたらこの者が話すかの。

 やはりここは警備兵でも呼ぶ方がよいのか。しかし、事情がありそうな様子じゃし。


「……」

「……」


 無言のにらみ合いが続く。

 わらわと不審者その1との身長差は、大人と子供ほど。立っておるのにわらわの背は、男の胸ほどもない。言って腰あたりじゃ。

 自然と見上げる形となるが、首が痛くてどうにもならぬ。これが兄様なら、しゃがみ込み視線を合わせてくれるというのに。

 まったく、自分よりも歳が下の女相手に大人気ないの。

 ここはわらわが折れてやるべきか。しかし、この者の目は無機質でそんな気にならなんだ。

 言葉や表情は軽快で、気安さすら感じるというのに、赤い目だけは感情を感じることができぬ。

 時折、父様や兄様が何かを観察し、探るときにする目じゃ。この者はわらわに警戒しておるのかの。警戒するほどの事情を抱えておるということか。

 くたびれた服装じゃが、所作はどことなく貴族的で整っておるし、顔立ちも整っておるのにワザと荒々しくしておるようじゃ。目元のキズは装っておるものではない、ホンモノのようじゃな。

 ふと男の左耳についておる耳飾りが目に入った。日で鈍く光るそれは鳥の羽根の形をしておる。それが風に揺れ、キラキラと輝いておるのじゃ。

 そしてその羽根の耳飾りは、わらわが小耳にはさんだ「盗賊団、暁烏」の証と同じ。

 つまりこの男は、盗賊団の一員で、どういうわけか、所属しておる盗賊団に追われておるということ。そして、どういう考えがあってなのかわらわには理解できぬが、逃げた先がこの庭じゃったということか。

 しかし、木の上に逃げたというのに、結局は落下しておるし……バカかの。こやつ。

 このバカは可哀想じゃが、このことを父様たちに報告するべきじゃな。例の盗賊団がすでに入り込んで、うろちょろしておるなど、国家の威信に関わるゆえ。

 うーむ、その際言い訳はどうするかの。


「むぅ、にらみ合いは疲れるのじゃ。そこの不審1、もう訳は聞かなんだ。

にらみ合いは不毛ぞ、わらわは座るゆえ、不審1も座りゃ。言えぬ訳があるのなら、無理に聞き出すことはせぬのが淑女の心遣い。

この情け、いつかわらわに返すのじゃぞ?不審1」

「……そりゃ、どうも」


 納得いかぬのか、微妙に目を細め「短縮はわかるが、1はやっぱりいらなくないか」などと呟きおる。

 ここで警備兵を呼ぶことなど容易いことぞ。だというのに、こやつめ恩を感じなんだ!むむ、少しは感謝せい!


「いだっ」

「ふん」

「この」

「ふぎゃっ」


 奴の足を蹴り鼻で嗤う。すると奴はお返しとばかりに、わらわの頭を乱暴に撫でてくる。

 意外に大きな手がグリグリとしてくるのは、撫でるというより頭を掴み回しておると同じじゃ。あまりの力強さにクラクラするのじゃ。


「不審1!妙齢の婦女子の扱い方を知らんのか!わらわの自慢の髪がぐしゃぐしゃになったではないか!

やっと自分で纏めることができたと言うのに、なんてことをしてくれるのじゃ」

「その言葉、そっくりそのままお前に返すぞ。普通は初めて会った人間に、蹴りなぞいれんわ」

「それはお主の態度が悪かったからじゃ!

わらわが騒げば警備兵なぞすぐに来るというのに、その心遣いが分からなんだか。それでは女が近づいては来ぬぞ」


 せっかく顔立ちは良いというのに、性格が残念な美形じゃ。

 歳は兄様くらいか、それより少し上に見えるが、これでは嫁を見つけてもすぐに別れそうじゃ。うむ?そもそも盗賊と婚姻関係を結ぶ豪傑な女がおるかの。


「ガキがませたこと言ってるな」

「ガキ?ませ……?それはどういう意味じゃ?なんぞ、バカにされたように聞こえたぞ」

「おいおい、マジで知らないのかよ。変な言葉使うし、嬢ちゃん、もしかしてかなり上位の貴族だろう?」

「う……」


 ここでも巨木女と同じことを言われるとは。しかし、これは危ない展開なのじゃ。

 貴族の令嬢はその身分ゆえ、攫われることもあるという。およそはお金目当てだそうじゃが、中には貴族に憎しみを募らせておるものが、手籠めにすることもあるそうじゃ。

 ゆえに、外出する際は護衛を連れ歩くという。乳母やいわく手籠めとは、女の敵なのだそうじゃ。詳しくは教えてくれなんだ。

 巨木女の時は我が民であったことや同性だったゆえ、事なきを得たようじゃが、この者は異性であり盗賊。わらわが貴族だと言えば、どうなることか。

 言葉に詰まらせておると、不審1は何か考える素振りをみせ、わらわと視線があうよう腰を落とす。

 そのまま落ちておったフードを乱暴にかぶせた。な、なんじゃ!?


「まったく。言葉に詰まらせるようじゃ、お忍びには向かないぞ

ここは嘘でも言っておかないと、ヤバイ目にあうからな。俺がいい人で良かったな、嬢ちゃん」

「う、うむ?ありがとうなのじゃ。しかし、お主がいい人ならばその出で立ちは、ないのではないかえ。どう見ても怪しさしか出ておらぬ」

「少し素直になったかと思えば、また悪態つきやがって。いいか、俺がわるーいヤツだった場合、嬢ちゃんは今頃おかしな所に連れ込まれてんだぞ。

性格は生意気だが、見た目は極上だからな。子供好きな変態でなくとも、男ならだれでも欲しがるもんだ」

「お主もかえ?」

「あー……。俺は全体的にもう少し育ったくらいの方が好みだな、うん」


 不審1の言葉にビクリと体を震わせたわらわを見て、不審1は深々と息を吐き出し一人頷いておる。しかもわらわの顔ではなく、少し下を見ての頷きじゃ。

 下に何かあるのかの。奴の視線の先を追い、わらわも下を見るが何も見当たらぬ。しいて言えばわらわの服くらいじゃ。

 何に頷いておるのかの。


「育つとはなんぞ?背ならば、まだまだこれからぞ。わらわは成長期なのじゃ」

「そう言えば、嬢ちゃんはいくつなんだ?お忍びってことは、それくらいはできる歳だろうし……んー、小さいし9か10くらいか?」

「なんと、失礼なのじゃ!わらわは12じゃ。一応嫁ぎ先もとうに決まっておる、立派な淑女ぞ!

そこまで下に見られるのは、許せんのじゃ!」

「は!?12!?嘘だろう!どう見ても10より下だろうが!」

「ほんにお主は無礼者なのじゃ!母様が小柄ゆえ、わらわも小柄なのじゃ!

もう少したったら、母様のようにビジョになるのじゃ!」


 好き放題いいおって!見ておれ、あと4、5年すれば立派な王女になっておるのじゃ!

 その時のこやつの顔を想像すると、楽しみなのじゃ!うむ、その時まで大事ないよう父様に行っておこう。その後で処罰されるのじゃ!不審1よ。


「12……。俺の国じゃ社交界出てる歳じゃねぇか。アレらとコレが同じ歳?世界は広いな」

「なに現実逃避しておるのじゃ。よいか、わらわは幼い子供ではないのじゃ。それを理解せい」


 びしっと不審1に向かって指さしし、決めて見せる。不審1は呆れを含んだ半笑いで、わらわの決め台詞を受け流しておる。悔しいのじゃ!!


「はいはい、わかりましたよお嬢様。

で、お嬢様は嫁ぎ先が決まってるのに、どうしてお忍びで、しかもこんな街外れの公園にいるんでございますか」

「……その言い方気に食わぬのじゃ」

「せっかく人が丁寧に聞いてやってんのに、生意気な嬢ちゃんだな。

ったく、王都とはいえ、ここは街外れの公園だぞ。なんでこんな所にいるんだ?」

「そ、それは……。気分だったのじゃ!決して外が見てみたかった訳ではないのじゃ!」

「本当にウソが苦手なヤツだな。理由言ってることに気づいているのか?」

「う、ウソではないのじゃ。ただ本当に気分で外に出たのじゃ。

そういうお主こそ、なぜ木の上なぞにおったのじゃ。危うく、わらわが下敷きになるところじゃったのだぞ」

「俺も木に登っていたい気分だったんだよ。やっと一息つけると思ったら、鳥が突っ込んできやがって。

そのせいで落下なんて、危ない目にあったし……。本当に今日はついてない日だよ」

「鳥?お主、鳥に追突されたのかえ?」

「寸でのところで避けたさ。なんだあの狂気じみた速度は……」

「その鳥はどこに突っ込んでいったのじゃ?」

「ああ、あそこに……まだいる。あれだ。どっから来たのか、あれがきたんだよ」


 不審1が指さす方を見上げれば、丁度わらわの頭上に生い茂る木。その葉の合間に、灰色の毛が見えたのじゃ。

 しかし葉がジャマでどんな鳥かわからぬ。ぬぐぐ、枝を掴む鋭い爪付近が、何やら光ったぞ。

 

「のう不審1。その鳥とはどのような姿じゃった?足あたりに光るものでも、ついておったかえ?」

「ん?そう言えば、足に輪っかがついていたな。種類は猛禽類じゃないか?大きかったしな」

「みゅ……っ」


 猛禽類で足に輪っかを嵌めておる鳥。なんとも見知っておる鳥と、同じ特徴じゃ。

 恐る恐る角度を変え、葉の合間を覗き込むと、鋭い目と視線が合ってしまった。


「ア、アオじゃ……。アオがここにおるのじゃ……」

「アオ?アオってあの鳥の名前か?……あれ、嬢ちゃんの鳥だったのか。あの口ばしは凶器だったんだよな……」

「アオは兄様の鳥なのじゃ……。アオがここにおるということは、迎えがくるのじゃ……」


 一時の自由と分かっておったのに、迎えが来てしまうと寂しいのじゃ。――さびしい、のじゃ。

 きゅっと唇を引き締め、アオから不審1へ視線を戻す。赤い瞳と目があい、わらわの心臓が一瞬大きくなったのじゃ。

 むー……なんじゃこれは。きゅーっと胸が締め付けるぞ。

 

「お忍びも終わりだな」

「なのじゃ……。自由とは儚きものじゃの」

「その歳で自由を語るなんて、早すぎだろう……。まだまだこれからだろうが」


 互いに視線が絡み合い、赤い瞳が温度をもつ。

 あの何かを観察する無機質だった瞳が、なんとも温かな瞳になったのものじゃ。家族がわらわを見る時と同じ温度の瞳じゃ。なにかを慈しむ光。

 出会ってあまり時間が経っておらぬというのに、この者の警戒心がなくなったことの証なのじゃ。

 それが嬉しく、わらわも自然と微笑んでしまった。

 不意に不審1の目が見開き、ぽふんとフードの上から頭を押さえられてしもうた。


「な、なんじゃ突然!」

「お前、もしかして無自覚か?……いや、聞かなくてもそうだよな。ヤバイな、子供は守備範囲じゃ……」

「何を言っておる!この手を退けるのじゃ!」

「退けたら俺の醜態をさらす羽目になるから、ダメだ。ダメ、ゼッタイ」

「意味が分からぬのじゃ!」

 

 急にどうしたというのか、不審1の手が頭を強く押さえて動かなんだ。しかし、わらわも負けてはおらぬ。

 ぐっと頭に力を入れ、フードの端を持ち上げる。合間に見えた不審1の飄飄状に、先ほどまでとは比べられぬくらい鼓動がなった。

 とっさにフードを目深く被ると、視界をその赤い瞳から遮った。なんじゃ。なぜ顔が熱くなるのじゃ!?

 不審1の瞳が、両親が互いに見つめ合った時のように光っておったのだ。身内を慈しむような光があったはずじゃのに、この光は何ぞ!?

 不審1は苦笑したのか、笑った空気が伝わる。しかし、わらわは抗議することも出来ず、そのまま固まってしまった。

 先ほどまで互いに悪態をつき、気兼ねなく話せたというのに、迎えが来ると知るや先ほどまでの態度をとれなんだ。

 心臓がうるさいのじゃ。頬が火照るのが分かるのじゃ。そして別れが辛いのじゃ。偶然出会っただけの他人じゃというのに。

 この者ともっと話していたい。ここにずっとおりたい。離れたくなどない。

 自分でも分からぬ感情に加え、自由がなくなる寂しさ以外の別な寂しさが押し寄せきツキンと胸が痛んだ。この痛みもまた、不可解な代物じゃ。

 フードに遮られ僅かしか見えぬ視界に、耳飾りの鳥が入り込む。盗賊である証のそれ。暁烏を象徴する耳飾り。

 

そうじゃ、こやつは盗賊。悪者ぞ。なにをしておるのじゃ、わらわは。


 すっと体から熱さが引くのが分かった。先ほどまでの鼓動もう止み、代わりにチクチクと棘が刺さったかのように小刻みに痛むのを自覚する。

 この感情が何か分からぬ。溢れだす思いと比例するかのように、目が潤むのも分からぬ。

 兄様や両親に聞けばわかるのかの……。


「おっと、あの鳥が動いたな。迎えが近くまで来たようだぞ。……お前と話すのもここまでだ。

俺の方もそろそろ追いついていそうだしな」

「……」

「おいおい、そんなしみったれたように肩を落とすなよ。お前は笑っていたほうがかわいいぞ」


 頭から温もりが消え、おどける声が頭上から響く。

 頭を上げれば、優しい微笑みがわらわに向けられておった。赤い目が細められ、黒髪が風に攫われる。 

 盗賊の証も風に揺られておる。それを無性に毟りたくなった。むしり取り、遠くに投げ飛ばすのじゃ。

 そして迎えに来た者に、この者に世話になったと言えば、ずっとわらわの傍でいてくれる。また互いに悪態をつきながら、何気ない話で笑い過ごせる。

 なんと甘い空想じゃ。

 しかし、空想のようなことをすれば、わらわは盗賊のために国を裏切った王女。そしてそれの秘密を抱えたまま嫁ぐ、愚かな女。

 愚か選択肢を選ぶほど、わらわは落ちぶれておらぬ。

 きゅっと眉に力を入れ、目からあふれ出る水を出ぬように踏ん張る。そして、不審1がかわいいという微笑みを形つくった。

 笑えておるかの……。


「のう、不審1。そなたの名はなんというのじゃ。最後に教えるのじゃ。でなければ、不審1のままぞ」

「それは勘弁!名前か……。みんなからはエッジって呼ばれている。嬢ちゃんの名は?」

「エッジか。わらわはサラ……サラじゃ」

「サラ、か。互いに偽名ってのも、俺たちには似合いかもな」

「そうじゃな、似合いじゃ」


 不審1――エッジが笑いながら言う。わらわもそれを肯定する。

 互いに偽名なのは、互いの立場ゆえのこと。ゆえに偽名を呼び合い笑いあう。

 名前が偽りでも、今この瞬間はわらわたちにとっての真実まことなのじゃ。


「エッジはこの後どうするのじゃ?」

「あー、どうすっかな……。とりあえず、伝手でも使ってみるか」

「ツテとはなんぞ?」

「ああ、そうか。それも知らないんだよな。……簡単に言えば知り合いや、その知り合いの知り合いに頼るってことだ」

「うむ。お主のような者にも、親切な者がおるのじゃな」

「減らず口はこれか!そういうお前は、家族に叱られるんだな。

いい所のお嬢が、護衛もなしにウロウロしてたんだ。相当こっぴどく叱られるぞ」

「にゃにおするのら!」


 少々からかっただけではないか。なのに、わらわの口を引っ張るなど、イジワルなのじゃ。

 誰にもされたことなかったのじゃぞ!わらわの可憐な唇が腫れたら、どうしてくれるのじゃ!


「ぷっ、お前といると飽きないな」

「噴き出すでないわ!ヒリヒリするのじゃ。わらわの顔、どうなっておるかの」

「大丈夫だ。カワイイ、カワイイ」

「褒めてるように聞こえぬのじゃ。ぬ?アオじゃ!」


 顔を持ち上げた状態ゆえ、当然空が見える。透き通るような空を背景に、黒と赤の色彩のエッジ。

 その空とエッジの間にアオが悠然と飛行しておるのが見えるのじゃ。迎えはすぐそこまで来ておるのじゃろう。

 アオは猛禽類の一種で鷹なのじゃそうだ。わらわはそのアオが、空を飛行する姿が優美で好きなのじゃ。


「迎えが来たのなら、ここまでだな」


 わらわの頬をつねっておった手が髪に伸び、さらりと自慢の銀髪を攫う。

 わらわも背の伸びをし、やっと届いた耳飾りを攫ってやった。髪ではないのは、単純に届かなかったからじゃ。

 

「――エラさまぁ!!」

「この声はエマじゃの。なんぞ、あの者が来たということは、ほんに兄様が来たと……」


 驚くわらわの耳に、兄様の護衛騎士であるエマージュ・ラザンドの叫びが入ってくる。

それはもう、必死さが声だけで分かるくらいじゃ。


「おう……っ、お嬢様ぁ、そこの怪しげなヤツから離れてください!お兄様が暴走なさいます!!」


 な、涙声じゃ。しかし、王女と言いそうになったのを堪えたのは、さすがじゃ。近衛騎士の中で優秀というのは真実じゃな。


「なんか、叫び声が悲壮なヤツが走ってくるんだが……」

「ん、迎えじゃ。どうやら兄様が何かを言ったらしいの。エマは兄様の付き人?じゃからの」

「付き人で疑問形にする意味がわからないが……、あの鬼気迫った感じは命の危険を感じるな」

「どうやらまた兄様が暴走しそうになっただけじゃ。わらわが絡むと不思議と暴君になるのじゃ」

「……お前の兄って何者……」


 何者もこの国の王子ぞ。王ではなく、補佐に回る官吏になりたかったと未だに言っておるが、れっきとした跡継ぎなのじゃ。

 少々残念さが漂うが、兄様が王になればこの国はさらに栄えるはずじゃ。それくらいスゴイのじゃ。


「エッジよ、エマが来ると、逃げられなくなるがよいのかえ?」

「あ、そうだ!呆気にとられてる場合じゃねぇ!!――じゃあな、サラ」

「うむ。もう木から落ちるでないぞ」

「あれは鳥の……」



「お嬢様!!暴君が、暴君がそこまで来てらっしゃいますぅ~!!」



 エッジの言葉を遮り、エマの叫びがこだまするのじゃ。

 悲壮感が半端ないのじゃ。いったいどのような命をされたのか気になるの。

 わらわたちは顔を見合わせ、噴きだすと互いに手にしていた髪と耳飾りを離した。

 エッジはそのまま、木々に溶け込むように消えてしもうた。





 あの後、迎えに来たエッジを慰め、同じく迎えに来た兄様を宥め、わらわは城に連れ戻されたのじゃ。

 どうやら、数日前からわらわの様子がおかしいことに気づいた兄様が、アオを監視においていたらしい。

 アオは賢いからの。きちんと命令を遂行し、抜け出したわらわを見守っいたそうじゃ。

 そして、僅かな時間で兄様のところに戻り、ここを教えたというのがわらわを探し当てられた理由じゃった。

 それにしても、兄様には困ったものじゃ。エッジのことについて、しつこかったのじゃ。

 とりあえず、エッジのことは伏せつつ、盗賊団の話を兄様と両親に伝えはしたのじゃ。 盗賊団のことは、3人とも知っておったがの。

 もちろん報告の前に、3人からキツイ叱りを受けたのじゃ。

 

 わらわは部屋から一歩も出られないように、軟禁状態にされてしもうた。

 バジリタ国に嫁ぐまで、このままになりそうじゃ。自業自得じゃが、民の暮らしをしれたのじゃ。後悔はせぬ。


「エッジはいまはどこにおるかの……」


 三階にある自室の窓から城下街を見下ろし、エッジの耳飾りに触れた右手を伸ばす。

 空は透き通っておるのに、わらわの心は透き通っておらなんだ。

 空を掴むように手を動かし、そっと胸に寄せ抱きしめた。


 この感情がどういうものなのか、それを知るのはもう少し後のことになる。





「久しぶりだな。お転婆嬢ちゃん」


 そう言って笑ったエッジに再会するまで。

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