プロローグ 最悪の始まり
天色の衣から美しい紅の衣へと着替えた空を禍々しい炎が撫でる。
美しかった竹林も、下級貴族にしては大きな邸も、家人たちが精魂込めて手入れしていた庭園も荒れ狂う業火に蹂躙されていく。邸の主一家と彼らに仕えていた彼らの悲鳴はもう無い。ただ何かが爆ぜる音と、炭と化し崩れて行く音しかない。
何もかもが灰になって行くのを二つの影が静かに見つめていた。
一人は見上げても目線が合わせられない大男。鎧の如き筋肉と無造作に伸びた黒鋼の逆立つ髪と精悍な顔立ちは鬼神のそれ。
そしてもう一人はその逞しい腕の中にいた。
青空を切り取ったような汗衫姿の、まだ幼女と言って良い少女。全身を大男に委ね、冷たく凍りついた瞳は燃えゆく邸に注がれていた。
「素戔嗚」
少女はたった一つだけ残された大男に言う。
あの炎の中には少女の大切な人たちの亡骸も居た。
病弱だったが心は強かった母、厳しくも不器用な愛情を注いでくれた父。そんな父を師と当主と慕う従兄弟や叔父たち。気さくな家人たち。その中には綺麗だったからと蒲公英をくれた牛飼いの男の子もいた。少女にとって数少ない同年代の友達だった。今度、近所の子とやる度胸試しに自分も参加させる約束を交わしたのは昨日の事だったのに。
それがたった一刻にも満たない中で奪われた。勇敢に立ち向かった男衆も、非力な女衆や年老いた者たちも無残に殺された。背後から切られた者、無抵抗にも関わらず嬲り殺された者――少女の世界を構成する大切な一欠けらはすべて無残に砕け散った。
「決めたわ――ううん、決めた。ぼくは今日のこと、わすれない」
温かい温もりは奪われた。その代りに得た冷たい温もりに縋って誓う。
姫様と呼ばれていた少女はもう居ない。
全部全部全部全部――何もかも消えた。魂までも焦がす憎悪と瞋恚に塗り替えられ、生まれ変わった少女は、
――ぼくは陰陽師になる。
復讐する為に――少女は今までの自分を捨てた。