第7話:空中庭園の甘い罠
断崖の追走劇を振り切り、万能魔導装甲車『デリシャス・ワゴナー号』が辿り着いたのは、空を覆う雲のさらに上だった。
視界いっぱいに広がるのは、白銀の雲海に浮かぶ島々――古代遺産、空中庭園都市『アエロ・パレス』。
「……信じられません。空の上に、こんなにお花がいっぱい……! ここなら、いつどこで殺されても、そのままふわふわと天国に行けそうです!」
窓から身を乗り出すエルナの瞳には、七色に輝く花々と、クリスタルでできた塔が映り込んでいる。その言葉の端々に混じる、逃亡生活で染み付いたのであろう不用心な死生観に、カイはわずかに眉をひそめた。
「……死ぬ前提で話すな、聖女様。ここは古代の浮遊石を核にした中立都市だ。少なくとも、俺が護衛している間は天国行きは予定にない」
「そうよ。あたしにとっては、この浮力装置の構造の方が、花よりよっぽど綺麗に見えるわ。死ぬとか言ってる暇があったら、このエンジンの音を聴きなさいよ」
ピノが機械屋らしい感想で毒づく一方で、リゼは車内で必死に「淑女」の所作をシミュレートしていた。
「ご主人様。美食の聖地『アエロ・パレス』。……今日のリゼは『エレガント・リゼ』として、羽毛が舞い降りるような所作で随伴いたしますわ。見ていてくださいませ、この極上のカーテシーを……」
リゼが膝を折った瞬間、ミシリ、と車体の床板が悲鳴を上げた。
「……リゼ。お前、重力を『優雅さ』で相殺できてないぞ。エレガントを自称するなら、まずは床を抜かないことから始めろ」
「……。……ええい、この車の床の強度が、私の淑女回路の予測を下回っていただけでございます! 決して、私が不器用なわけでは――あ」
言い訳をしながらリゼが慌てて一歩踏み出した瞬間、バキィッ! とさらに景気の良い破壊音が響いた。
彼女の華奢な踵が床板を深く貫通し、そこから蜘蛛の巣状の亀裂が運転席の足元まで一気に広がっていく。
「ちょっとぉ! あたしのワゴナー号をこれ以上破壊しないでよ! あんた、今すぐそこから動かないで!」
「も, 申し訳ありませんピノ様! ですが、私の足が……足が床から抜けませんわ……! 誰か、潤滑油を……!」
その頃、庭園の中枢にそびえる黄金の私邸。
街を支配するオズワルド卿は、脂ぎった手で金の装飾品を撫で回しながら、巨大な魔導モニターを眺めていた。
彼の周囲には、街の各所に配された『魔導芳香感知器』からの情報がリアルタイムで集約されている。
「ほう……。この清冽にして、しかし脳を焼くような芳醇なスパイスの香りはなんだ? この地に入った瞬間に検知されるとは、余程の逸材に違いない」
「あの娘を連れてこい。私のコレクションに加え、この庭園をさらに『美しく』飾り立てる材料にするのだ。……ああ、金と女と庭園。これこそが私の人生のすべてだ」
一方、浮遊港の入国管理局。
カイは魔導タブレットを手に、複雑な通行許可証の発行手続きに追われていた。
「……滞在期間は三日、魔導燃料の補給申請と、ワゴナー号の重量過多による超過料金の支払いか。ピノ、予備の魔石はどこだ?」
「ちょっと待って、今荷下ろしのリスト作ってるから! リゼ、あんたも床から足が抜けたら手伝ってよ!」
「努力しております! ですが、この床板が私の脚部装甲に恋着しているようで……!」
カイたちが書類と格闘し、リゼが物理的に身動きが取れなくなっていた、ほんの数分の空白。
管理局の外で珍しい「空中綿菓子」を眺めていたエルナの背後に、オズワルドの部下が音もなく近づいた。
「お嬢さん、この先に、この世で一番甘くて、食べると天国に行ける果実の森があるのですが……行ってみませんか?」
「えっ! 天国の果実!? 行きます! ぜひ行きます! 案内してください!」
エルナは、振り返ることも、カイに声をかけることもなく、満面の笑みでほいほいと用意された高級馬車に乗り込んでしまった。
数分後。
「――よし、手続き完了だ。おいエルナ、出発するぞ……。エルナ?」
カイが顔を上げたとき、そこには風に舞う花びらと、遠ざかる馬車の轍が残っているだけだった。
「……ご主人様。……あの聖女様、警戒心という概念が初期インストールされていないようですわ。……廃棄処分(拉致)されるのが、あまりにも一瞬すぎます」
「拉致じゃないわよ、あれ自爆よ! あたしたちの聖女様、チョロすぎでしょ!」
ピノのツッコミが、美しくも俗物的な空中庭園に空しく響いた。
「エルナがさらわれた……。……チッ、まずは敵の目的を絞り込むべきでもあるが、今は一刻を争うな。とにかくエルナを探すぞ!」
カイが険しい表情で周辺の魔力痕跡を追おうとしたその時、ピノが鼻を鳴らしてタブレット端末を叩いた。
「分析なんて後回しでいいわよ! こうなることは予想してたわ。……ふふん、見てなさい。あのドジっ子がいつか『ほいほい』ついて行っちゃうと思って、事前に彼女の髪飾りに超小型の発信機を仕込んでおいたのよね!」
「さすがはピノ様、メカニックとしての『危機管理能力』と『性格の悪さ』だけは認めざるを得ませんわ!」
「性格悪いって言ったのは聞き捨てならないけど、居場所は判明したわよ。北にある、あの一際成金趣味なデカい屋敷よ!」
ピノの完璧な(?)備えにより、救出ターゲットは即座に特定された。
「……リゼ、救出に向かうぞ。貴族の屋敷へ潜入だ。ピノ、例の『戦闘用ドレス』の準備を」
「承知いたしました。……エレガントに、かつ暴力的に聖女様を奪還いたしますわ!」
一方、オズワルド卿の屋敷。
豪華絢爛を絵に描いたような広間では、晩餐会が開かれていた。
そこには、帝国代表として招かれていたヴァネッサの姿もあった。
「……はぁ。なんで私が、あんな脂ぎった豚に挨拶しなきゃいけないのよ。ハンス、これ終わったらあいつの屋敷ごと斬っていい?」
「閣下、我慢してください。中立都市との外交ルートを維持するのも騎士団長の務めです。……どうか、その婚姻届を隠してください、不審者だと思われます」
ハンスが胃を押さえながら宥めていると、突如、広間の大窓が凄まじい音を立てて粉砕された。
フリルだらけの重装ドレスに身を包んだリゼが、カイを抱きかかえて乱入したのだ。
「――カーーイー!! やっぱり! ドレス姿の私を奪いに来てくれたのね!? ああ、オズワルドに挨拶しておいて良かったわ、こんな最高のご褒美があるなんて! 今すぐ式を挙げましょう!!」
ヴァネッサが絶叫しながら椅子を蹴って立ち上がる。
「ヴァネッサ、お前もいたのか。……リゼ、重力制御装置を叩け! ついでに、この屋敷の『データバンク』もだ。オズワルドの成金趣味の裏に、不穏な数値を感じる」
「了解です、ご主人様! ……エレガントな暴力、お見舞いしますわ!」
「ちょっと、そこの不器用メイド! カイの指示に勝手に応えないで! カイの隣は私なんだから!」
ヴァネッサは「カイにいいところを見せる」という名目で、オズワルドのガードマンたちを次々と剛剣でなぎ倒し始めた。
もはや晩餐会は、恋する団長と嫉妬するメイドによる地獄の演舞場と化していた。
オズワルド卿は、自慢の空中庭園が壊されていくことに激昂した。
「おのれ……! 私の美しきコレクションを! 古代兵器・重力加圧器、起動! 不法侵入者どもを紙クズにしてくれる!」
屋敷全体の重力が数万倍に跳ね上がる。
リゼのドレスがミシミシと軋み、エルナも「あうぅ、体が沈んじゃいます~」と涙目になる。
「……リゼ、慌てるな. ……重力のベクトルを逆算しろ。ピノ、ワゴナー号の噴射口をこっちに向けろ!」
カイの指示が飛ぶ。
さらにカイは、潜入中にリゼの指先からハッキングさせていたオズワルドの端末データを全開放した。
「――オズワルド卿。お前の庭園が見栄の象徴なら、その『裏帳簿』は絶望の象徴だな。周辺都市からの食糧密輸、および魔導エネルギーの横領……。すべてアエロ・パレスの全モニターに転送したぞ」
「なっ……!? 馬鹿な、私の完璧な隠蔽が……!」
「計算に『俺』が入っていなかったのが、お前の最大の敗因だ。リゼ、トドメだ!」
「承知いたしました! 『聖メイドの, 重力無視・全域クリーンアップ』!!」
リゼが重力を利用して加速し、オズワルドの古代兵器を粉砕。
同時に街中のスクリーンにはオズワルドの悪事が映し出され、市民たちの怒号が屋敷にまで響いてきた。
夜。空中庭園の端で、ヴァネッサも交えての夕食が始まった。
「……カイ。悪事に暴くあんた、本当に最高にカッコ良かったわ……。もう、今すぐ私の胃袋ごと掴んで……あーんして!」
「閣下、さっさと撤退しますよ! 公務は終わりました!」
ハンスに引きずられていくヴァネッサを見送り、カイは深い溜息とともに、目の前の惨状に視線を向けた。
戦闘で至る所が裂け、もはや「エレガント」の破片も残っていないボロボロのドレス姿のリゼ。
そして、救出された自覚もなく、成金貴族の屋敷で貰った豪華な髪飾りを後生大事に握りしめている、不用心の極致たるエルナ。
「……。……二人とも。その格好、似合ってるぞ」
カイが網膜の『論理眼』で二人の「マヌケな数値」を測定しながらそう告げると、
「「…………っ!!」」
カイの皮肉たっぷりな褒め言葉を真正面から受け止めた二人は、一瞬で顔を赤く染めた。
「カイ、あんたねぇ。……それ、100パーセント皮肉でしょ。こんなボロボロのメイドと、ほいほい騙される聖女にふさわしい格好だって言われてんのよ」
ピノの容赦ない突っ込みが飛ぶが、リゼの脳内では『似合ってる』という単語のみが無限ループを開始していた。
リゼの頬がオーバーヒート。電磁ノイズが周囲の照明をショートさせ、空中庭園は一瞬にして暗闇に包まれた。
「……あう。……真っ暗です。……ご主人様の言葉の破壊力が、私の防壁を貫通いたしました……」
「あんたたちねぇ……。……まあ、いいわ。最高のデザートがあるし」
ピノが差し出したのは、略奪……もとい、オズワルドの倉庫から回収した最高級の「雲イチゴ」だった。
「お待たせ. ……空中庭園風・甘酸っぱいオムライスだ」
雲イチゴの果汁をソースに隠し味として入れた、フルーティーな一皿。
卵の甘みとイチゴの酸味が絶妙に調和し、旅の疲れを優しく溶かしていく。
「……おいひいです. ……お口の中が、夢の世界です……」
エルナの天然な笑顔。リゼは暗闇で真っ赤な顔のまま、夢中でスプーンを動かした。
空中庭園に流れる甘い香りと、壊れた照明の代わりに輝く満天の星空.
一行の旅は、いよいよ中立地帯の境界――決戦の地へと向かっていく。
(第8話へ続く)
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