第14話:感情のバグ、リゼの涙
海底都市ルルイ・ドームの夜は、蒼い静寂に包まれている。
万能魔導装甲車『デリシャス・ワゴナー号』の車内では、寝静まった仲間たちの微かな寝息だけが響いていた。
だが、リゼの意識の中は、荒れ狂うノイズの嵐だった。
『――警告。未定義のメモリ領域が活性化。強制アクセスを開始します』
脳裏に浮かぶのは、自分が「メイド」になる前の記憶。
燃え盛る戦場。踏みつぶされる街。
返り血を浴びた自分(ナンバー・0)が、無機質な命令に従って命を刈り取っていく光景。
「……あ。……あ、ああ……」
リゼは、自分の指先を見つめて震えた。
この手は、オムライスの卵を割るためのものではない。
いつか、守りたいはずのご主人様の喉を、無慈悲に貫くために造られたものだ。
その時、薄暗い車内の隅から、低い話し声が聞こえてきた。
ヴァネッサとハンスが、深夜の作戦会議か何かをしているようだった。
「……ねえ、ハンス。あんた、リリ・シリーズの元になった『ナンバー・0』の開発資料、全部読んだんでしょう?」
ヴァネッサの声は、いつもの余裕が消え、どこか重苦しい。
「ええ。カイ殿が軍を抜けた後に、開発局から一部の士官だけに公開された極秘ファイルです。初期コンセプトは、あまりにも非人道的でした。対象への慈しみや躊躇いを、すべて物理的な『バグ』として定義し、外科的に切除する。彼女は、心を持つことを許されなかった『純粋破壊兵器』。それが彼女の設計思想です」
「……カイはそれを知らないのよね。あの子をただのポンコツメイドだと思ってる。でも、もしリゼの回路が完全に復旧して、その『コンセプト』通りに動き出したら……」
リゼは、それ以上聞くことができなかった。
自分を定義していた「メイド」というアイデンティティが、砂の城のように崩れていく。
(私は……ご主人様が一番嫌う『非論理的な殺戮』のために造られた道具……)
溢れ出す絶望が、演算回路を焼き切らんばかりに加速する。
リゼはたまらず、物音を立てないようにワゴナー号を降りた。
◇◆◇◆◇
ドームの最外周。
上層の亀裂から漏れ出した海水の雫が、人工的な雨となって降りしきるエリア。
冷たい水に打たれながら、リゼはただ立ち尽くしていた。
「……こんなところで、何をしている」
聞き慣れた、低く落ち着いた声。
リゼが振り返ると、そこには戦術外套を羽織っただけのカイが立っていた。
「……来ないでください、ご主人様」
「リゼ?」
「来ないで! ……思い出してしまったんです。私がどれほど多くの命を、この手でゴミのように処理してきたかを。ヴァネッサ様たちが言っていた通りです。私は……慈しみをバグとして捨て去った、血塗られた欠陥品なんです!」
リゼの瞳が、警告の赤に発光する。
周囲の空間が、溢れ出す膨大な魔力によって歪み始めた。
「いつかあなたを傷つける前に……。私は、ただの道具に戻るべきなんです!」
リゼが手を振るうと、鋭い衝撃波がカイの頬をかすめた。
彼女は戦闘モードに強制移行し、カイを「排除対象」としてロックオンしようとしている。
だが、カイは逃げなかった。
網膜の『論理眼』を全開にし、暴走する魔力の隙間を、流れるように歩き出す。
「……演算終了。お前の攻撃には、1ミリも殺意が混じっていないな」
「嘘です! 私は……私は元々兵器なんです! 離れてください!!」
リゼが放つ光の槍が、カイの肩口を焼く。
それでもカイは止まらない。
1歩、また1歩。リゼの懐へと、無防備に飛び込んでいく。
そして、リゼが最後の一撃を放とうとした瞬間――。
カイはその身体を、強く、しかし優しく抱きしめた。
「が……。あ……。……ど、どうして……?」
「お前が軍の資料にあるような『道具』だと言うのなら、それでいい」
カイの心拍が、密着したリゼのセンサーに伝わる。
それは、驚くほど冷静で、かつ力強かった。
「資料に何と書いてあろうと、俺の目は今のお前しか信じない。お前が最高に危険な道具なら、俺が最高の使い手になってやる。制御不能なら俺が制御する。壊れたなら、俺が何度でも直してやる。だから……。……もういい加減に、泣くのをやめて帰ってこい」
「カ、イ……様……」
リゼの瞳から、警告の赤が消える。
代わりに溢れたのは、透明な、温かい涙だった。
プログラムされた感情ではない。
ただのひとりの「女の子」としての心が、その胸を突き動かしていた。
「……ううっ……。……うああああああんっ!」
リゼはカイの胸に顔を埋め、幼子のように声を上げて泣いた。
降りしきる偽物の雨も、彼女の熱い涙を消し去ることはできなかった。
◇◆◇◆◇
「――全く! 2人ともずぶ濡れじゃないの! 風邪引くでしょ!」
ワゴナー号に戻るなり、ピノが烈火のごとく怒鳴り散らした。
彼女はタオルを投げつけると、2人を強引にユニットバスへと押し込む。
「ほら、さっさと入りなさい! お風呂は1つしかないんだから、効率よく使いなさいよ!」
「ぴ、ピノ様!? さすがに一緒に入るのは、私の『お姉様』としての貞操観念が……!」
「そんなもの後回しよ! リゼお姉様、これ、温かいタオルです!」
エルナが心配そうに駆け寄り、リゼの体を包み込む。
ゼロも、バケツいっぱいの湯を運び、「……加温、必要ですか?」と首を傾げていた。
大騒ぎの中、カイはひとりキッチンへ向かった。
「……とりあえず、体の中から温めるか」
用意したのは、いつもとは少し趣の違うオムライス。鶏肉とたっぷりの生姜を炊き込んだライスを、薄焼きの卵で優しく包む。その上から、カツオと昆布の出汁が香る、とろとろの「和風あん」をたっぷりとかけた。
「お待たせ。……『和風・あんかけオムライス』だ。
心身ともに弱っている時には、これが一番効く」
湯気が立ち上る1皿を、風呂上がりのリゼの前に置く。
リゼはまだ少し赤くなった目で、1口、大切そうに掬い上げた。
「……あ、あったかい。……お出汁の味が、心の奥まで染み渡っていきます……」
「生姜の効果で、血流量が15パーセント増加しました。……美味しい、です」
ゼロも隣で無表情に、しかし心なしか嬉しそうに食べている。
「……ご主人様」
リゼが、不器用な笑顔でカイを見上げた。
「私、やっぱりメイドでいたいです。道具でも、騎士でも、姫でもなく……。あなたのオムライスを、一番近くで待っているメイドに」
「……ああ。好きにしろ」
カイはぶっきらぼうに応えながら、空いた皿を片付けた。
蒼い光のドームの下、ワゴナー号の夜は再び穏やかに更けていく。
雨に洗われたリゼの心は、黄金色のオムライスのように、温かく満たされていた。
(第15話に続く)
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