第10話:海中追走劇とずぶ濡れの閣下
ワゴナー号が深海流・旨味凝縮オムライスの匂いで満たされ、ようやく人心地ついた頃。ルルイ・ドームの魔導障壁が放つ蒼い光が、窓の外にうっすらと見えてきた。
「ようやく着くわね。……って、ちょっと待って。探信儀にまた異常な反応よ! このパターン、見覚えがあるわ」
ピノが叫ぶと同時に、通信機が強制的にジャックされ、耳を突き刺すような絶叫が車内に響き渡った。
『カーーーイー!! 待ちなさいと言っているでしょ! 逃げるなら海でも地獄でも、婚姻届を持って追いかけるのが妻の勤めよ!!』
「……またお前か、ヴァネッサ。論理的に考えて、帝国海軍の管轄外のはずだが」
モニターに映し出されたのは、至る所からスチームと海水が噴き出している旧式の実験用潜水艦『ロゼ・スカーレット号』。その司令席で、ヴァネッサは美貌を台無しにする必死の形相で叫んでいた。
『うるさいわね! 正式な軍艦はハンスが「予算が足りません」とか「横領で訴えられます」とかうるさいから、倉庫に眠ってた実験機を勝手に持ち出してきたのよ!』
『閣下! 左舷三番ハッチから浸水しています! 叩いても直りません! もう辞めたい、本当に辞めたいです……!』
背景でハンス副官が工具を手に泣きながら配管を塞いでいる。そんな中、ヴァネッサはカイを見失うまいと、潜水艦の最大出力サーチライトを点灯させた。
「ちょっと、カイ。あの方、本当にアカデミーを次席で卒業したの? 闇が支配する深海で高出力のサーチライトをぶっ放すなんて、魔獣に『食べに来てください』って招待状を送ってるようなもんじゃない!」
ピノが呆れ果てた声を出すのと同時だった。光を察知した巨大な影が、深淵から音もなく浮上してきた。
「……論理的な思考回路よりも、俺を見つけたいという本能が優先された結果だろうな。……来るぞ、深海の支配者、魔導クラーケンだ」
「はわわ、今度はタコさんです! 足がいっぱいです! 天国行きのお船が故障して、タコさんの餌になっちゃいます! うひゃう!」
エルナが再びパニックを起こし、今度は気絶する暇もなくピノの操縦席に突っ込んだ。
「……ちょっとエルナ、よく見なさい。あれはタコじゃなくてイカよ! 足が十本あるでしょ!」
「はわわ、イ、イカさんなんですか!? どっちでも怖いです、うひゃう!」
「ピノ、今は分類学の話をしている場合じゃないだろ。……リゼ、クラーケンの触手を切り落としなさい! 光に引き寄せられてるあっちのバカ艦にイカが行かないようにするわよ!」
「承知いたしました! ……エルナ様、タコかイカかで騒ぐならせめて私の代わりにこの車のバッテリーになってくださいませ!」
「む、無理ですぅ。私はリゼ姉さまとは違って、普通の生身の人間なんですよぉぉぉおお」
リゼはワゴナー号の隠し腕を同期させ、水の抵抗を切り裂く超高速の剣劇でクラーケンの触手を次々と切断していく。しかし、光を放ち続けるヴァネッサの潜水艦は、クラーケンにとって格好の標的だった。
『ああっ! クラーケンの足が、私のロゼ号に! カイ、助けて! 婚姻届が濡れちゃうわ!!』
「……リゼ、救助だ。あの女をここで見捨てると、あとで幽霊になってまで追いかってくるリスクがある」
「……。ゴミ収集(救助)を開始しますわ。不本意ですが、ご主人様の平穏のためです」
クラーケンの巨大な触手に巻き付かれ、今にも圧壊しそうだった実験艦。リゼがマニピュレーターから放った『水中重力斬』が触手を一刀両断し、ヴァネッサとハンスは間一髪で「脱出カプセル」をワゴナー号のドッキングポートへ突き刺した。
ガコン、という衝撃と共に、ずぶ濡れのヴァネッサと、魂が抜けたようなハンスがワゴナー号の車内へ転がり込んできた。
「ハァ……ハァ……! やっぱり、ピンチを助けてくれるなんて……私たち、もう結ばれるしかない運命なのね、カイ!」
濡れたシャツが肌に張り付き、その超絶美人が色香を放っているはずなのだが、手にあるのは水浸しでボロボロの婚姻届である。
「――そこまでですわ、赤いゴミ(自称・婚約者)」
リゼが更衣室の前に仁王立ちになり、ヴァネッサの進路を遮った。
「ここはご主人様の神聖な居住区域です。ずぶ濡れの不審者は、そこの物置でハンス様と一緒に脱水機にかけられてくださいませ」
「なよその言い方! 私はこれでも帝国騎士団長なのよ! カイ、見てなさい、今すぐ着替えて最高にセクシーな姿で――」
「俺は操縦席から一歩も動かないと神に誓った。……ピノ、あとは任せた」
「あんた、神様なんて信じてないでしょ! それと、あたしを防波堤にするんじゃないわよ!!」
車内が女の戦いで荒れる中、カイは静かに(現実逃避気味に)キッチンへ向かった。
先ほどの戦闘でリゼが切り落とし、回収したクラーケンの希少な「魔導墨」と、船内の備蓄食材をまな板に乗せる。
「お待たせ。……漆黒のシーフード・オムライスだ」
テーブルに並んだのは、墨で真っ黒に染まったライスを、ふんわりとした卵で包んだ異様な一皿。
「な、なによこれ……真っ黒じゃない。毒? 毒を入れて私を無理やり眠らせて、あんなことやこんなことを……キャッ!」
「……。ヴァネッサ閣下、妄想を垂れ流す前に一口食べてください。死ぬほど美味いですから」
ハンスが虚無の目でスプーンを運ぶ。一口食べた瞬間、彼の目に生気が戻った。見た目の黒さからは想像もつかない、濃厚な海のコクと墨の甘みが口の中で爆発する。
「……おいひいです! 真っ黒なのに、心の中が真っ白になるくらい美味しい……!」
エルナも天然な笑顔で頬張る. ヴァネッサも悔しそうに一口食べ、その絶品ぶりに悶絶した。
「……くっ、美味しいじゃない……! でも、私の愛の方がもっと濃厚なんだから!」
「……。ピノ、おかわりは?」
「……食べるわよ。ったく、ずぶ濡れの団長が更衣室でリゼと取っ組み合いしてる横でオムライスなんて、どんな状況よ、これ」
ワゴナー号は、更衣室からの喧嘩の声とオムライスの香りを乗せて、ついに海底都市ルルイ・ドームのゲートへと辿り着いた。
(第11話へ続く)
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