その名も『猫意棒』ニャ!
『ウチらはレベルが上がったので、ジマハの街から上位のクエンガの街へ拠点を引越しするのニャ』
薄暗い早朝のジマハの街は、霧が糸のように漂い石畳の道を湿らせている。クエンガへの街道に通じる石造りの門にニーナたちが集まる。空はまだ紫がかった灰色で、夜番と交代する門番が欠伸しながら現れる。遠く聞こえる鳥のさえずりが朝を報せる。
ニーナが、しかめっ面で睨む視線の先に、ジマハに置いて行くつもりだったギドクが何故かいる。「さあぁ、行こうぜぇ!」
盗み癖の曲者、ギドク。賢治を脅して仲間に加わったこの男が、飄々と待ち合わせに居る。賢治がコソッとニーナに囁く。
「ニーナ、頼むよ……僕、あの人おっかなくて」
朝霧が漂う街道を、ニーナたちはクエンガへ向かう。ギドク対策のために、
賢治、グアニル、イノシンから少し離れてニーナとギドクが行く。
「ニャロメ!ギドク!早よ来いニャ!」ニーナが叫ぶ。ギドクは、道端の草をポケットに突っ込んで、フヒヒと笑ってる。「こんなとこにぃ、忘れ草ぁ」
ニーナはギドクを解雇したいが、低レベルではデメリットしかない。
「コイツは、いつか辺鄙な街に置いてくるニャ!」
陽も高くなり随分歩いた道行の途上、街道を外れた草原に、ひっそり佇む石柱に囲まれた『付与の泉』にニーナたちは到着する。
「さて、始めますか」賢治が荷物を下ろし、ニコニコで準備を始める。
この泉は、武器をポチャンと浸せば、運次第でステータスに+3付与。
でも下振れたら−3で弱体化する付与ガチャ泉である。
賢治は作業ゲーと同じくらい武器厳選が大好物。引きこもりの不安を忘れさせてくれる、自分ルールの単純作業は、賢治に至福の時間をもたらすのだ。
「イノシン君は、敏捷+3狙いで」賢治が泉の縁に屈み込み、ノリノリで言う。
イノシンが興味深げに、ロッドを泉にポチャリと沈め、引き上げる。
ピチャーン♪『体力−1』
「まだ、敏捷+3を狙う時間はあるよ。どんどん浸そ!」
グアニルが耽美な長躯で草原に寝転び、指でヒゲをピンと弾き「賢治は随分と頼もしくなった」と側に座ったニーナに漏らす。
ニーナは、樽の中に引き篭もろうとしていた賢治を思い出して、「転生して良かったニャ」などと、目を細め思う。
ニーナは、離れて火を起こすギドクに気づき、監視せニャと億劫そうに見に行く。ギドクは手際良く焚き火に鍋をかけ、怪しげな袋から取り出した野菜や塩漬け肉を放り込む。漂う美味そうな香りにニーナがゴクリと唾を飲む。
「おいらぁ、大どろぼうぅ、ギドクゥ♪」ギドクが歌いながら、グツグツ煮立つ鍋のチャウダーをかき混ぜる。ニーナが涎を垂らしつつ見ている。
ニーナは「コイツ、こんなスキル持ってたかニャ?」と思う。
「おいらぁ、料理はじじいにぃ、仕込まれたぁ、フヒヒ」
ご機嫌なギドクが言う。ニーナが涎を拭いつつ呟く。
「ジュルリ、じじいって誰ニャ?」
「一緒にぃ、食べるかぁ?フヒヒ」ギドクが言う。
「まず、お前が食べてみせニャ!」ニーナは毒を疑っている。
モチャモチャとギドクが食べるのを見てから、ニーナも勢いよくモチャチャと食べる。「美味いニャ!ギドクのくせに料理上手ニャ!」
武器の付与が終わったイノシンが、横に座ってニーナをジッと見ている。
「イノシンも食べニャ、モチャモチャ」ニーナが言う。
「ギドクの料理は……ゴクリ」イノシン、潔癖ゆえの葛藤。
ニーナが、器に鍋からよそってイノシンに差し出す。
「ほらっ!毒は入ってなさそニャ」イノシンが、たまらずガツガツと食べる。
ニーナは「潔癖のイノシンでも、この味には敵わんのニャ」とギドクの料理に感心した。
ニーナとギドクとイノシンは、焚き火の側で寝っ転がり、膨れた腹をさすりながら幸福の極みだ。グルル音を鳴らしつつ、ニーナがギドクに言う。
「ギドク!今晩のゴハン、みんなの分も作りニャ!お前は生きてるだけでマイナスにゃんだから、少しでも良い事して、せめてプラマイ0にしニャ!」
イノシンは頷きながら寝かけている。ギドクはイビキをかいて寝ている。
ニーナは「まったく、食べてスグに寝るにゃんて、ダメな奴らニャ」……と思いながら、自分もまた寝てしまった。
ニャフフと眠るニーナの夢に、フワフワ毛並みの猫神が現れる。
「昨夜の、武器を授ける件の詳細を告げにきたぞ」
猫神が意気揚々とニーナに語りかけてくる。
「ニャニャ!待ってたにゃ!」ワクワクのニーナ。
「ワシはお主に『猫意棒』(にゃいぼう)を授ける。お主の猫魂にピッタリじゃ」猫神が棒の先に猫の手がついた『猫意棒』を掲げる。
「そ…そ…そんにゃん、ウチに、めっちゃ似合うニャ!!」
ニーナが、尻尾ピンピン、ヒゲ上げ上げで叫ぶ。
「目覚めたら『凶悪な棍棒』を泉に浸せ。さすれば『猫意棒』となる」
「ガッテンにゃ!」ガッツポーズのニーナ。
猫神は少し声を潜め囁く「ただ、誰にも話すなよ。ワシがお主に力を貸すのは、神々の掟じゃタブー気味じゃ。バレたら『猫意棒』は没収されるぞ」……と老猫が、ドジっ子っぽく肩をすくめる。
「ニーナ起きて。武器の付与するよ」賢治が寝ているニーナを揺する。
ニーナは飛び起きて『凶悪な棍棒』を探す。何故かギドクが持っている。
ニーナはギドクから引ったくり、ギドクはわぁ!と驚く。
「何が、わぁ!ニャ。油断も隙もにゃい!」
ニーナはタタっと泉に駆け寄り『凶悪な棍棒』を浸す。チャプチャプ何度も浸す。だが『猫意棒』には変化せず。ピチャーン♪『幸運+3』
「ニーナ、もういいよ。狙い通り出たよ」賢治がニーナを止める。
にゃんで?とニーナは辺りを見回し、ギョっとする。グアニルの背中に『猫意棒』が担がれているのだ。
「俺のロングソードが、泉でこんな猫の手の棒に変わったんだが……まあ、数値も悪くないし、使いやすそうだ」
ニーナは愕然とする。「猫神様のアホゥ!ココでドジっ子属性発揮すニャ!」
『付与の泉』出立の折りに一騒ぎ起きる。
ギドクが昼寝中のイノシンからロッドを盗んだようで、気づいた賢治がニーナと一緒に、ギドクの荷を調べ取り戻した。しかし、イノシンは、
「そんなロッドは知らない」と受け取らない。ニーナが言う、
「イノシン、ギドクが触ったから、拒否しとるニャ?」
イノシンは、まるで言われて気づいたように「いらない!知らない!」と
ロッドの受け取りを拒み出す。賢治が抗菌ウェットティッシュでロッドを三度拭きし「クエンガで新品買えばいいよ」と宥める。イノシンは渋々ロッドを受け取る。賢治は「潔癖だもんね、いち……イノシン君」と微笑みながら、なにやら満足気だった。
陽が落ち、夜も更けて、ニーナたちは冒険者用の安全な野営地にたどり着く。松の木と風化した石碑に囲まれた開けた場所で、二つの焚き火がパチパチと燃え上がり、冷えた体を暖めて癒してくれる。
片方の焚き火でギドクが鍋をかき混ぜる。スープカレーのクミンやターメリック、ローストしたハーブの濃厚な誘うような香りが野営地に漂よう。
「ギドクさん!これ、めっちゃ美味しいよ!」
隣の焚き火から賢治が、満面の笑みでギドクに告げる。
「やるじゃないか、どろぼう」グアニルは耽美に微笑し、賞賛する。
イノシンはロッドの一件で、最初は食べなかったが、美味しそうな香りに屈し、結局ガツガツと食べてしまった。
食事も終わりニーナと賢治が水場の小川で、イノシンのロッドで明かりを灯して食器を洗う。賢治がニコニコでニーナに言う。
「付与は狙い通りできた。上のレベルでの戦闘に備えないとね」
ニーナは「賢治クンは数値しか見てないニャ……」とガックリ。
ニーナはずっと『猫意棒』の事を思案していた。夢のお告げを話せば『猫意棒』は神々に没収されてしまう。
焚き火の音がパチパチと穏やかな時間を醸す。
寝床の上に座るニーナは「フゥ~」と溜息をつきつつ、隣の焚き火のグアニルの『猫意棒』を見つめる。同じ焚き火を囲むギドクが、誰とはなく呟く。
「ニーナのほうがぁ、アレぇ、似合うぅ。フヒヒ」
ニーナが、今1番欲しい言葉を、まさかギドクから聞くとは……と驚く。
心なしか焚き火に照らされたギドクのテラテラの油顔が、男前に見えてくる。
ニーナは「ギドクが男前に見えるなんて末期だニャ」と苦笑しつつ、フーッと息を吐き、尻尾をピンと立てる。「まあいいニャ!武器なんていくらでもあるし、猫神様がまた夢で『猫意棒act.2』とかくれるニャ!賢治クンも調子イイし、ギドクも料理で役立ちそうだし、良い流れ来てるしニャ。もうウチは武器に拘るのはやめるニャ!」……と気を取り直し、穏やかな気持ちで寝た。
薄闇に包まれた野営地の朝、遠くで小鳥の囀り声が柔らかく響く。焚き火の
残り香と朝露に濡れた草の匂いが漂う中、ニーナはギドクに起こされる。
「何ニャ?まだ寝とけにゃ」
ニーナは、寝ぼけ眼で『猫意棒』をこっちに差し出すギドクを見る。
「お、おまっ、グアニルに返せニャ、ダメにゃ!」
ニーナは、振り絞るような声でギドクに言う。諦めたとはいえ目の前に『猫意棒』を差し出されると、どうにもこうにも魅力的なのだ。
お構いなしに、ギドクはグイグイと差し出してくる。
「ちょ、ちょっと借りるだけ、ニャ?」
ギドクがフヒヒと頷き、ニーナの背を押す。
空が白み始める早朝の野営地で、ニーナが『猫意棒』を振り回し、縦横無尽に飛び跳ねる。
「のびニャ!」と命じると、『猫意棒』がニューンと伸び、
「縮みニャ!」でシューンと戻る。
「ニャハハ、この子、たまんにゃいニャ!猫神様、最高ニャ!」
ニーナの目はキラキラ輝き、ヒゲ上げ上げだ。
ニーナが、こちらを見るグアニル、イノシン、賢治に気づく。
「やばいニャ……」ニーナは、そそくさと3人に駆け寄り言う。
「ちょ、ちょっと借りてたニャ」
「猫の賢者ニーナ。凄い武器だな」グアニルが言う。
「そんな武器、見たことないよ」賢治が言う。
イノシンは、ぼんやり歯を磨いている。
ニーナはギドクを連れて、少し離れる。
「ギドク、お前、何かしたニャ?」ニーナがギドクに詰め寄る。
「おいらのぉ、ゴハンを食べた奴はぁ、おいらの目当てのアイテムを忘れるぅ、フヒヒ」ギドクは可笑しそうに、タネを明かす。
勘の良いニーナが、ギドクを問い詰める。
「お前が集めてた、あの草だニャ?」
「フヒヒ、忘れ草だぁ。おいらとニーナにはぁ、効かないけどなぁ」
ニーナは、ハッとする。「猫神様の加護で、ウチは毒無効だったニャ」
「ニーナがいたらぁ、おいらどろぼうぅ、できねぇ。フヒヒ」
焚き火の始末や荷物をまとめて、出発の準備をしていると、グアニルがロングソードが無くなったと皆に告げる。
「『付与の泉』まではあったんだが、そこから思い出せなくてな……」
「売却できる場所に寄ってないのに、ギドクさんの荷物にも無かったということは、本当に消えたんだ……バグかな?」賢治が言う。
「クエンガまでは『凶悪な棍棒』を使えニャ」ニーナが言う。
「そうしよう。耽美の薔薇は武器を選ばず、だ」
グアニルが指でヒゲをピン!と弾き言う。実際、半裸で十二分に戦えている耽美の薔薇に装備は意味をなさない。
賢治が『猫意棒』を手に取って、まじまじと見つつ言う。
「こんな武器は見た事ないよ。起きたらコレが手にあったなんて、転生はゲームとは違う、謎が謎を呼ぶ世界だね!」賢治はご機嫌で『ニーナの猫意棒』を受け入れた。「チョロい前向き賢治クン、大好きニャ!」などと、目キラキラで思うニーナである。
野営地を出発となるが、ギドクがいないことに賢治が気づく。
「ニーナ、ギドクさんは?」ニーナが応える。「ウンコにゃ」
ギドクの盗み癖も、なんやかや受け入れて仲間扱いしている、賢治やイシス兄弟。ニーナは、そのうち焚き火も一つになって、冒険も一緒に行くようになれば良いにゃあと、解雇を推してた自分を棚上げにして思うのだ。
「後からウチが連れて行くから、先に行っててニャ」
そこそこ待ったので、ニーナが賢治に提案する。
「魔王四天王、ヴァクティのイベントがあるから、一緒に動こう」
賢治の言葉に、ニーナの目が光る。「にゃにゃ!そうだニャ!」
ジマハからクエンガへの移動中に、四天王の白虎のヴァクティが新人冒険者を少し脅かして去る『魔王軍の影』イベントが、ゲームではあったのだ。
ニーナたちを空より見下ろす影二つ……
爬虫類の羽を生やす、手の平サイズの女の邪鬼ナウカが言う。
「ヴァクティ様!今、アイツらあなたの事、話してましたね!」
白虎の毛皮を纏う、獣人の少年ヴァクティが言う。
「アイツら……何故、俺があらわれる事を知ってた?」
「奴ら、逸脱者だよ」ヴァクティの肩に乗り、ナウカが耳元で囁く。
「な、なんだってー!?」揺れるヴァクティの肩で踏ん張るナウカ。
それぞれ勝手しながらも、居心地良い群れを作る、不思議な仲間たち。
その裏で、魔王四天王ヴァクティと邪鬼ナウカが暗躍する。
猫と飼い主の冒険は、オーク大発生へと続く。