笑けて喋れんニャ
「『グローリー・ロール』は仲間を集めて魔王を倒すゲームニャ。
まずはイシス兄弟を仲間にせんと、冒険の第一歩が始まらんニャ!」
夕暮れが石畳を薄紫に染め、家々に明かりが灯りはじめるジマハの街にて、
ニーナと賢治は尻尾とフードを翻し、冒険者酒場『我が家のごとく亭』へと駆け行く。酒場の扉を押し開けると、ビールと汗と煙草の煙が混ざった濃密な空気。ゲームとは違う「匂い」の体験に2人はウッ!となり、目を合わせ苦笑い。
2人はコソコソと忍び入り、中央の柱の陰に身を潜める。ニーナが賢治の肩をツンツンして、視線で一つのテーブルを示した。そこには青髪碧眼のアンニュイ美少年、イノシン・オ・イシスがいた。彼は木製の長テーブルに腰かけ、退屈そうな眼差しでホールを眺めている。
イノシンの青い髪は蝋燭の灯に揺らめき、碧眼は深海の宝石のように輝く。紺の刺繍のケープを羽織り、まるで絵画から抜け出したような美少年だ。イノシンは賢治と同い年。賢治が「アンニュイの失敗例」なら、イノシンは「成功例」と言える完璧な美少年だ。
「イノシンを仲間にできたら勝ちも同然ニャ!」ニーナの尻尾がピンと立つ。
イノシンはバフスキルが豊富で、死を回避しつつ戦略の幅を広げる有能キャラ。賢治のお気に入りなのも納得だ。イシス兄弟の兄グアニルも仲間にできれば「もはや優勝ニャ!」とニーナは目を輝かせヒゲ上げ上げだ。
賢治はニーナを不安げに見つめる。ニーナが気づいて両手を肩まで上げ「さあ、行くニャ!」と賢治を誘う。賢治はニーナの腰を掴み屈んで後ろに隠れる。まるで小っちゃいケンタウルスのよう。2人はそのままトコトコとイノシンのテーブルに近づいて行く。
さあ、ニーナが声をかける! ……はずなのに、ニーナはイノシンをガン見して満面の笑顔でフリーズ。賢治が「早よ声かけな」と囁くがニーナ無理のよう。賢治は小っちゃいケンタウルス引っ張って、トコトコと元の場所へ戻る。
困惑する賢治に、ニーナが両頬を押さえながら囁く。
「リアルなイノシンに会えて嬉しゅうて、笑けて喋れんニャ」
そこに不穏な影が忍び寄る。
「おいらぁ、大どろぼうのぉ、ギドクぅ~!」
デカいおじさんがドーンと現れ、賢治は硬直する。
ニーナは耳をイカにして口を尖らせ「ギドクにゃ!」と睨む。
ギドクは浅黒い肌にタトゥーと傷跡、鷲鼻とギラつく目、ニヤけ笑いを浮かべ、ひょろ長い体に土俗模様のポンチョを羽織る。仲間のアイテムを盗み親密度を下げるデバフキャラ。製作者の遊び心だが、育て方次第で化ける救済ルートもあるにはある。
「フナォぅ~あっち行けナぅ!」ニーナが尻尾ブラシでやんのかステップ。
「おいらぁの力を貸してやろうかぁ?」おじさんが子供に詰め寄る。
「……はい」賢治がビビって返事をする。
チャリラリーン♪ 仲間契約成立の音が響き、ギドクは立ち去る。
「にゃぜ?」ニーナが困惑MAXで賢治を下から覗き込む。
「……おっかなくて」賢治が蒼い顔でボソッと呟く。
混雑も落ち着き少し静かになった酒場にて、ニーナと賢治はイノシンから少し離れたテーブルに陣取る。賢治はイノシンをチラ見しつつ、キョロキョロと周りを窺う。隣でニーナが不満げに、ジョッキでヤギミルクをグビグビ。
「ギドクにゃんか……」ニーナが口を拭いながらぼやく。
「『どろぼう』がひらがなで面白いしか、良いとこにゃい!」
賢治がフゥ〜と息を吐き、決意した面持ちで呟く「……僕が声をかけるよ」
ニーナの耳がピクッと賢治に向く。
「いよいよなれば、とっておきがあるから」
「とっておき……て、どんにゃん?」
ニーナの尻尾がピンと立つ。賢治と一緒に『グローリー・ロール』を何周も見てきたニーナだがクラフトソードの裏技すら知らなかった。蝋燭に照らされ揺れる賢治の目の光を見て、期待でヒゲ上げ上げのニーナであった。
「あ、ぃ、席、いいですか……?」
賢治が消え入りそうな声で、イノシンに話しかける。顔はなぜかニーナの方を向いたまま。賢治は[イノシンの声]を聞くだけで心臓がバクバクで、ニーナの明るい瞳を頼りに、やっと言葉を絞り出したのだ。
イノシンが目で軽く頷く。賢治が言葉を絞り出す。
「紅茶、飲みます……?」 頷くイノシン。賢治が熱々の紅茶を持ってくる。
顔はずっとニーナに向けたまま、手だけイノシンに「どぞ……」と差し出す。
「にゃんでコッチ見るニャ! イノシン見ろニャ!」ニーナ、心の叫び。
「声が、市ノ井ぴぃ……」賢治がニーナに囁く。
「にゃ!? いちピーはイノシンの声優ニャ!」閃めくニーナ。
賢治は生粋のいちリスト(声優・市ノ井ぴぃのファンネーム)
ニーナは賢治と一緒に「いちピーのピーすふるナイト」を聞いたり、賢治のオタク早口の講釈を聞いてきた。
「イノシン役は、いちピーがオモロ可愛い声でブレイクする前に演じたアンニュイ美少年役! この演技の幅の広さときたら!あっ!ピーナイの時間だ、スピーカーにするね!」と猫に熱弁する中2を思い出すニーナ。
賢治がイノシンに話しかけたのは、いちリストの矜持ゆえ。
ニーナは「にゃんだにゃんだ! 頑張りニャ!」と心でエールを送りつつ、賢治の背中をさすさすしながら笑顔で交渉を見守る。
トゥンク♪親密度アップのサウンドエフェクト。
イノシンの後ろに小さなハートが浮かぶ。「ニャ! 親密度が上がったニャ!」
キャラの親密度を規定値まで上げ、仲間成立の確率を100%に近づける。
「おいらぁ、大どろぼうのぉ、ギドクぅ~!」
凶状持ちのおじさんが、良い雰囲気をぶち壊しに現れる。
ブーーーー♪親密度ダウンのSE。周りのモブまで親密度ダウン。
イノシンの後ろに割れたハートが浮かぶ。
「ギドク! むこう行けニャ!」
ニーナが猫パンチでペチペチと、ギドクをテーブルから遠ざける。
登場するだけで親密度を下げるデバフ野郎ニャ! ニーナは思う。
「攻略が落ち着いたら、ギドクは辺鄙な村に捨ててくニャ! カワイイ猫でさえ捨てられるのニャ、ギドクが捨てられんわけなかろニャ!」
ニーナはギドクを路地裏へと引っ立て、賢治の入ってた樽へ押し込め蓋をする。「デバフも、たいがいにしろニャ!」
戻って来たニーナは、その光景を見てギョッとする。
賢治が両手を重ねた上に、熱々の紅茶たっぷりのティーカップが置かれてる。
「何しとんニャ!? 熱っちゅ! 熱っちゅ!」ニーナが慌ててカップを降ろす。
賢治は手の甲を赤くしながら薄っすら笑う。
「いちピーに、頼まれて……」
イノシンはアンニュイな目元にいたずらな笑みを浮かべ、囁く。
「こぼすまいと、必死だった」
トゥンク、トゥンク、トゥンク♪親密度アップのSEが連続で鳴り響く。
イノシンの後ろにハートがバンバン上がる。
「イノシン、Sにゃん?」ニーナはゲームと違うS設定に解釈違いで戸惑う。
イノシンの親密度が上がり、ニーナと賢治がホッと一息ついたその時。
「いやはや、楽しげではあるね」
低く耽美な声が空気を震わせ、ニーナの耳がピクンと動いた。
流麗な長身を薔薇の意匠が刻まれた優美な鎧で包み、羽飾りのついたつば広帽子からこぼれる金髪が光を織る、美丈夫グアニル・オ・イシス。しなやかな革のロングブーツが軽やかな足取りを支え、琥珀色の瞳は優しさを湛えながらも揺るぎない強さを秘めている。
グアニルは二又のヒゲを華麗に指先で弾き、微笑とともに艶やかな魅力を振りまいた。薔薇の花びらが舞うように耽美な気配がその場を満たす。
ニーナは満面の笑顔でグアニルを見上げてフリーズ。ゲームで見たグアニルと比べて耽美が過ぎるニャと、だが、そこが良いニャとニーナは思う。
賢治がスクリと立ち上がり、呟く「とっておき……やるよ!」
「にゃんですと!?」心で叫ぶニーナ。賢治クンは本気ニャ、ウチの知らない裏技でスパッとイシス兄弟を仲間にする気ニャ!もうウチどうにゃるん!……と満面の笑顔でフリーズしたまま、眼球だけ動かし賢治を見る。
賢治は背筋を伸ばし、ゲーム知識で強者感を演出しようと意気込む。
「僕は全てを知る者だ。そこに飾られた壺を壊してみな? ルマモの指輪(防御+2)が出る。どうだい仲間にならないか?」と心の中で台詞を準備する
アニメや漫画で履修した強者感が、中2が仕出かしがちな、後で思い出し布団の上でのたうち回るヤツだと、賢治はまだ知らないのだ。
グアニルは焦点の合わない目でこちらを見つめて、ブツブツ言っている目の前の少年が心配になってきた。「少年、どうした?」
賢治は、グアニルの耽美に圧倒されて頭が真っ白になり、崩れ落ちるようにグアニルの足元に跪き、手と頭を床に擦り付け声を裏返して叫ぶ。
「仲間になって下さいー!」
「ただの土下座だったニャ……」ニーナは、どうにゃることもなく。
イノシンが土下座する賢治の後頭部にティーカップを置く。
「えっ?ちょっ!」賢治が焦る。手の甲とは勝手が違う後頭部、焦りは震えを加速して、置かれたティーカップを転げ落とす。「熱っつ!熱!熱っつ!」
もんどり打つ賢治。だがティーカップは空。
「空でぇ〜す」イノシンがホクホクの極みで賢治に告げる。
トゥンク、トゥンク、トゥンク、トゥンクーー♪
鳴り響くSE。際限なしに飛び出すハート。
何故かグアニルも親密度アップしてる。
グアニルが賢治の前に屈み言う。
「イノシンをこんなにホクホクにするとは、さては君、イイ人だな?」
指でヒゲをピンと弾いてグアニルが告げる。
「我ら兄弟、君と共に行こう。」
チャリラリーン♪タンタンタターン♪
酒場に鳴り響く仲間成立のサウンドエフェクト。
呆然の賢治とニーナを置いて、イシス兄弟は耽美とアンニュイを振り撒き立ち去る、その際、グアニルが振り返り声を張る。
「我らが必要ならば、いつでも呼んでくれ!」
「賢治クン!GGニャ!」ニーナが座り込んで呆ける賢治をナイスで労う。
「いちピーが、あんな悪戯っ子だったとは……」
もはや、イノシンは、いちピーに。ニーナは上々の成果に満足気だ。
「声豚の面目躍如ニャ!」
イシス兄弟との仲間契約に成功し、ニーナと賢治は意気揚々と酒場を後にした。翌朝、冒険の準備のため武器屋へと向かう。
ジマハは冒険者が拠点とする街なだけあり、小さいながらも武器屋の品揃えは豊富でニーナは目移りした。あいにく資金はニーナのチュートリアル修了報酬の分しかなく、手頃な『凶悪な棍棒』をやっと買えるぐらいだった。ニーナは口惜しげに『鋼の大斧』を見る。
「お金できたら、カッコイイ『鋼の大斧』を買うニャ」
賢治は店の奥に置かれた『般若の肩当て』と『桜の鎧』に目を奪われる。ゲームではレイドボスのレアドロップ装備だ。
「モブの装備じゃない、僕ら以外に転生者がいるのかな?」
ニーナと賢治は武器屋を出て、イシス兄弟との待ち合わせ場所へと急ぐ。
転生してから初の冒険、『ダンジョン・ナービギ』に挑戦するのだ。
「お金できたら『鋼の大斧』を買うニャ!」ニーナが宣言する。
「稼がないとね!」賢治が嬉しそうに言う。
望みの仲間を作れたニーナと賢治。まだまだ前途は多難であるが、
どんな困難も2人は楽しく乗り越えていく覚悟はあるのだ。
猫と飼い主クンの冒険は、街を飛び出しダンジョンへ続く。