苦い思い出1
とは言え、兄貴の似てない「ねね」ちゃんぬいぐるみのことばかり気にしてられない。
俺はアルバイトと勉強に忙しい医大生なのだ。
テキトーにやっているとは言え、独り暮らしだから家の事も自分がやるしかない。
独り暮らしを始めた頃は、お母様が色々世話をしてくれたが…次第にお母様は来なくなってしまった。
お母様曰く、『お兄ちゃんのお世話が忙しい』だと。昔からそう言われると、俺は引っ込まざるを得なくなる…でなきゃ、兄貴とお母様大優先のオヤジが不機嫌になるからだ。
兄貴はいざ知らず、オヤジの機嫌を損ねるのはマジで洒落にならん。
学費や、家賃等を支払ってくれる…大スポンサー様だからだ。
昔から家族絡みの事は俺が『空気』を読んで、我慢…いや控えめな態度を取ってきた。そこに不満が全くない、とは言わないが…いざ、独り暮らしをスタートさせ、家族の干渉がほぼ皆無となると…快適天国である事に気づいた。
俺が「独り暮らし」だと知ると、寄ってくる「同性のダチ」も数人できた。
コイツらは、週に3〜4回の頻度で俺の家でメシを食って雑魚寝している。
もちろんコイツらは、俺が「なな」ちゃんの激烈ファンである事も知っていて、偶に「ななちゃん」グッズの差し入れをくれる。
何の気兼ね無く、ダチとメシを食い、推しを堪能する…独り暮らしをして俺が知った楽しみだ…それ以前の「ぼっち」の俺からは今の生活は想像できなかっただろう。
そんな日々を堪能する日々は…まるで「見晴らしの良い原っぱに真っ直ぐ伸びる一本道」の様にずっと続いているかの様に思っていた。
見えない地平線の向こう側に続く道の先も…今足を踏み締めている道と同じだと…微塵の疑いも無く思っていた。
思い返せば、「変化」は少しずつ近づいていたのだ。
「なあ、二郎…ソーイチってヤツ、知っている?お前と同じ小学校だって言ってんだけど。」
ダチの一男が尋ねて来た。
ソーイチ?
なんか、聞き覚えあるな。
俺は自分の記憶をひっくり返して思い出そうと試みる。
ぼっちだった俺に…同級生の友達はいなかった。
だから当然、友達でではない。
そこまで思い出した時、ふと「ソーイチ」の顔を唐突に思い出した。
校庭の隅で、ソーイチが自分の友達とニヤニヤ笑って、こちらを見ている顔を。
それと同時にその時の苦い記憶が蘇る。
****
「二郎くんはカッコいいから、一美ちゃん、絶対にうんって言ってくれるよ!
きっかけは…お母様だった。
お母様が、兄貴に付き添い登校をする様になってから事だ。
独りで登校する様になってから毎日、同じ同級生の女子達と顔を合わせる様になった。
ソイツらがある日、登校時に話しかけて来たのだ。
「最近、ひとりだね?…何で?」
ニコニコしながら…いや、ニヤニヤしながら話しかけてきた。
尋ねられたから、俺も普通に返す。
「兄貴の登校に…お母様付き合うようになったから。」
答えた途端、一緒にいた女子達の群れから「笑い」が漏れた。
「そう。じゃあね…バイバイ。」
質問して来た女子は必死で笑いを堪えてると言った様子で…俺から離れ、女子の群れに戻る。
そして、グループ内でヒソヒソと何かを話し始めた。
その途端…再度「弾ける様な笑い」がグループ内に発生した。
すごく嫌な気持ちになった。
けど、何が嫌なのか…上手く分からなかった。
俺は足早に、校門へ向かった。
『お母様!お母様だって!』
『マザコン、マジキモ!』
『男子の癖に…ひとりで来れないんだ!兄弟揃って!』
俺は足早に女子のグループから離れている。
何に、ヒソヒソ声で話す女子の会話が耳に飛び込んで来るのだ。
堪らずに…俺は走って校門をダッシュでくぐり抜けた。
その日は学校でどう過ごしたかは覚えていない。
俺は帰ってからお母様と兄貴に…登校時の出来事を話したのだ。
兄貴はその出来事を聞き終わってから、ずっと俯いたままテーブルを見つめている。
お母様はギュッと両手を握りしめていた。
お母様はずっとマスクを付けている為、口元は見えないが、マスクしてない顔のパーツ…つまりは目や眉…を見ていると明らかに怒っていた。
その内、お母様はギュッと両手を握りしめたまま、俯いてしまった。
俺は俯き続けるお母様と兄貴の間に挟まれ、どうすればいいか分からなくなった時だ。
お母様が顔をパッと上げて言い放った。
「二郎くん、好きな子いたよね…一美ちゃんだっけ?…まだ、好き?」
「…う、うん…」
当時の俺は…お母様が唐突にそんな質問をして来た意図が分からず、戸惑いながら肯定した。
「二郎くん、一美ちゃんに告白しなさい。一美ちゃんって勉強も出来て、運動神経もいい優等生だって言ってたよね?彼女になってもらいなさいよ!」
「…それは…え、でも、何で?」
「特別な存在になれば、きっ守って貰えるわ!パパにとってママがそうだもん!」
それを聞いた瞬間、兄貴がパッと顔を輝かせてお母様を見上げた。
「すごい!お母様!」
兄貴の頭をお母様が愛おしそうに撫でた。
それからお母様は俺に向かって言い放ったのだ。
『二郎くんはカッコいいから、一美ちゃん、絶対にうんって言ってくれるよ!』
不思議なモノだ。
そう言われると、絶対にそうなる未来しか横たわってない様に思えるのだ。




