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「━━━また、私が殺されるようになって……それで、絶望してたときに、あっくんと屋上で再会したの」


藍川は言い終えると、力が抜けたように視線を落とした。表情は笑っているのに、その蒼い瞳には憂鬱な影が差していた。


時計は六時を回っている。けれど窓の外では、夕陽がまだ名残惜しそうに空を染め上げ、橙の光が最後の花火のように雲を照らしていた。


見事なまでに色とりどりの料理が並んでいる。昨晩ギリギリで買った豚肉と、冷蔵庫に残っていた野菜の寄せ集め。なのに藍川の手にかかれば、立派な晩餐へと変わっていた。


なぜこんな展開になったのかといえば、俺がカップラーメンで済まそうとしたのを藍川に見つかり、冷蔵庫を強制捜査されてしまったからだ。


「もう!すぐサボる!」とぷんすか怒られ、その勢いのまま料理を振る舞われた。


気付けばこうして二人で夕飯を食べる流れになっていた。


「まさか……同じ高校だったとは思いもしなかったけどね……」


「流石に気付けよとは思うけどな」


俺が呆れると、藍川はむっとして机をバンッと叩いた。コップの水面が揺れる。


「仕方ないじゃん!大人になったあっくんって、売れない小説家かくたびれた中年か私を捨てた誰かのイケメンパパ、のどれかしかなかったんだよ!?雰囲気も、ぜ~んぜん違うし!」


「ほとんど悪口だぞ、それ!?」


「ふふ、本当のことだもん。高校生のあっくん、若すぎて新鮮。こんな時代もあったんだねぇ


━━━次のループでも、会えるといいなぁ」


藍川は笑っていた。けれど、その笑顔の奥に滲むのは諦め。


その言葉があまりにさらりと口からこぼれて、俺は思わず言葉を失った。


居心地の悪さに逃げるように、皿の卵焼きを口へ運ぶ。


ふわりと広がるのは、優しい甘さ。砂糖(・・)の甘みが舌に染みて、胸の奥を温める。


「どう、美味しい?」


「……美味い」


「そう!良かったぁ!」


藍川が太陽のように笑う。その一瞬だけは、翳りも絶望も感じられなかった。


「料理が上手になったのは、あっくんのおかげなんだよ」


「俺?全然、料理なんてできないけど」


台所の惨状を思い返せば分かるはずだ。砂糖と塩を間違えるような凡ミスはしないが、俺のレパートリーなんてたかが知れている。大抵はコンビニや割引シールの惣菜、あとはバイト先の賄いだ。


「そっちじゃなくて。あっくんにはたくさん試食してもらってたんだ」


「あ、そっちか」


それなら納得。


「でもね……君はとても意地悪なんだよ?」


「え?俺、何かしたん?」


両手で頬杖をつき、少しふくれっ面になった。


「美味しい、としか言わないんだよ!」


机をバンと叩く。


「私が欲しいのは、塩が効きすぎてるとか、もう少し火を通した方がいいとか、そういう具体的な意見なの!それなのに、『美味しい』としか言わないから何の参考にもならない、の!」


「いや、それは……」


「はい、それ!」


「は?」


ビシっと俺を指さす。それが証拠だとでも言うように。


「あっくんはね、気を遣ったり、隠し事をしてる時に前髪を弄るの!」


図星を突かれて、思わず固まる俺。藍川は、すぐにふっと笑みを緩めて姿勢を戻した。


「まぁ……そうやって、気を遣ってくれるのはあっくんの美徳というか大好きなところだけどさぁ。だからこそ本音もちょっとくらい欲しかったんだよねぇ」


そう言って、ぱくぱくと楽しそうにご飯を頬張る藍川。


未来の俺が何度も犠牲になってきた結果、今の俺がこうして彼女の手料理を食べられているのかもしれない。


ほんの少しだけ複雑な気持ちになりながらも、俺は箸を置いた。


「━━━俺は、藍川の言うことを信じるよ」


「え?」


「俺のことを、俺以上に知ってる藍川のことは……もう信じるしかない……」


「~~~ッ!ありがとう!」


身を乗り出してきた藍川が、キス顔で机を乗り越えようとする。「こら!」と慌ててその額をガシッと押さえ、強引に座らせた。


「はぁはぁ……藍川の言うことはひとまず信じる。だけど、俺にどうして欲しいんだ?」


「え?」


「先に言っておくけど、俺にはループを止める方法なんて、一つも思い浮かばない」


「━━━」


藍川の笑顔がわずかに揺らぐ。


俺自身、言いながら無力さに胸が痛くなった。


藍川が死ぬことだけがきっかけなら、匿えばいいかもしれない。


だが、現実問題として藍川の死以外でもループは起きている。


大人になるまで生きた未来でさえ、容赦なく巻き戻された。


しかも戻る時の年齢は一定ではなく、三十代のときもあれば、二十代で途切れることもある。


法則性は皆無。


もし稲葉光が本当に神のように時間を操っているなら……俺には抗う術なんてない。


「……うん、大丈夫だよ。そこまでは、あっくんには、頼れないって分かってるから……」


藍川は視線を落とし、小さく肩を震わせた。頼りたくても頼れない。その諦めの色が、胸に痛かった。


「……ごめん」


思わず謝罪が口をついた。


「謝らないで。こうして君と一緒にいて、話せてるだけで、もう十分救われてるんだから」


藍川が弱々しく微笑んだ。


「……ただ、一つだけお願いがあるの」


藍川は箸を綺麗に揃えて茶碗の上に並べる。そして、両手を合わせて、静かに「ご馳走様」と言う。その仕草の後、ほんの少し寂しげに微笑んだ。


「夏休みまで、毎日、私と一緒に過ごしてほしいんだ」


「え?」


「私、ね。高校生のあっくんとの思い出が欲しいんだ……学生時代に一緒に過ごせるなんて、絶対にないと思ってたから。今だけでいいから、その夢を見させて欲しいんだ」


不安げに瞳を揺らしながらも、期待を隠しきれない声音だった。


「まぁ……その程度なら」


「ありがとう……」


藍川が向日葵のように笑った。その笑顔は太陽みたいに眩しいのに、奥底にはほんのりと翳りが差していた。


俺はその表情を見た時、胸の中の何かが強く軋んだ。


「なぁ……」


「ん?なぁに?」


「藍川を信じると決めた俺の言葉に嘘はない。ただ、さっきも言ったけど、俺にはループを止める手段が、何一つ思いつかない」


「……うん」


藍川の長い睫毛が揺れ、視線がわずかに伏せられて、俺は胸が詰まった。


希望を与えることはできない。事実は事実だ。


「……ただ、俺の目の前で、藍川は死なせない……」


「え?」


「ループのトリガーが何なのか分からなくても、()の俺は藍川を絶対に殺させはしない。それだけは約束する……」


「……ッ」


その瞬間、藍川の蒼い瞳が大きく揺れた。


俺は今、藍川に怒りを覚えている。


玄関でも見た、自分を不幸だと思っている人間だ。


藍川の境遇は確かに不幸だ。何度も何度も殺され、積み重ねてきた未来をなかったことにされている。


俺よりも、ずっと、圧倒的に不幸だ。


だけど、そんな藍川を自分よりも不幸な存在だと認めることが、どうしても許せなかった。


だから、俺は決めた。


同情でも憐れみでもない。


俺のプライドのために、藍川を助ける。


ループの有無に関わらず、目の前の藍川だけは殺させない。


それが、今、こうして藍川と向き合っている俺の存在理由なんだと思う。


「あ……」


呆けたように俺を見つめる藍川の顔を前に、胸の奥に再び熱が込み上げる。その熱は、さっき口走ったセリフの記憶を呼び覚まし、顔から耳まで一気に染め上げた。


「ごめん!すっげぇ、恥ずかしいこと、言った気がする……」


俺は藍川の方を直視できなくなった。赤くなった頬を隠すように顔を逸らし、思わず前髪を弄った。


一瞬の沈黙を藍川が破った。


「こっち、向いて……」


「え?」


すると、すぐ目の前に藍川の綺麗な顔があった。蒼い瞳が俺を真っ直ぐに捉える。吸い込まれるような錯覚に心臓が跳ねる。


さらりと流れる金色の髪が頬を撫で、甘い香りが鼻をくすぐった。


次の瞬間、唇に柔らかい感触が触れた。


「ん!?」


「……あ……む、う」


熱が流れ込む。舌が触れあい、絡み、ねっとりとした感触が口内を蹂躙する。藍川は俺を逃がさぬように押さえつけて、強引に口内を侵してくる。


「ん……」


「む……あ、う、む」


唾液が混ざり合い、俺の口の中が藍川で満たされる。


呼吸を奪われ、抵抗する余裕もなく、ただ茫然と終わりを待つしかなかった。


藍川の心臓の鼓動が、胸越しに伝わってくる。


やがて、俺の呼吸が限界に近付いたところで、藍川がようやく唇を離した。


「ん……はぁ……」


細い息を漏らしながらも、その表情は陶酔と安堵の入り混じったものだった。藍川の唇は艶やかに光り、蒼い瞳には独占欲の色が混じっていた。


「……ごちそうさま♡」


囁く声には熱が滲み、甘さと独占欲が同居してた。


俺たちの唇の間には、煌く細く透明な液の橋が細く伸び、ゆっくりと切れた。


俺はその光景を見た瞬間、頬が一気に火照り、全身に血が上った。慌てて座ったまま後ろへ後退した。


「な、何を!?」


「何って……キスだけど」


「そんな簡単に言うなって!?どう考えてもヤバいやつだろ!?」


必死の抗議をよそに、藍川は蒼い瞳を細め、蠱惑的に微笑んだ。


「その反応……本当に初めてみたいで安心したよ~」


「ッ」


猫のように、藍川が四つ足で床を這いながら近付いてくる。腰を突き出すたびにお尻の曲線が強調され、体操服の襟元からはノーブラの谷間が覗く。汗が一筋、その柔らかな曲線をなぞって服の中に消えていった。


「エッチ……」


「ッ、ごめん!」


後ずさりしながら必死に逃げるが、背後は寝室のドア。本棚の本がドサリと落ちて、頭にゴツンと直撃した。


「さっきの言葉、本当に嬉しかったよ……」


藍川は膝立ちになり、俺の目の前で胸を揺らす。その笑顔は獲物を前にした小悪魔━━━悪魔そのものだった。


そして、視界が暗転した。


「むぐ!?」


顔に押し当てられる、柔らかく温かな感触。両頬を包み込むように圧迫する弾力。


━━━谷間に挟まれたことに気付くのに少しだけ時間がかかった。


しかもこれはナマだ。


俺は、藍川の胸に挟まれるだけではなく、藍川の服の中、つまり、俺の体操服の中に包まれているということだ。


「うんうん!こうすると、いっぱいあっくんを感じられるね~!」


声は嬉しそうで、息は甘く耳にかかる。


逃げようにも、藍川に抑え込まれ、身動きが取れない。


「だってあっくんは、未来でもシャイだからね。本当は触りたいくせに素直になれないからこうやって捕まえてあげるの」


「むぐぅ……!」


俺は逃れようとするが、体操服に頭が引っかかって、藍川の餅のように柔らかい胸を揉み解してしまう。


「あん、もう~エッチだなぁ」


藍川が楽しそうにより胸を寄せる。


「体操服って伸びるから、ぎゅっとするのに丁度いいねぇ」


知るか!


叫びたかったが、口を塞がれて何も言えない。


拘束はさらに強まり、頬に押し付けられる柔らかさと甘い熱に思考がかき乱される。



「藍……川」


「それ……なんか他人行儀で嫌だなぁ……」


拘束がわずかに緩む。


「姫奈って呼んで。そしたら解放してあげる」


女子を下の名前で呼ぶなんてしたことがない。俺が躊躇していると、藍川は悪戯っぽく笑った。


「あ~あ、呼んでくれないなら、もっとギュッとしちゃおうかなぁ」


「~~ッ!姫奈!呼んだから拘束をぶっ!?」


「うんうん!ありがとねぇ!」


約束など無視して、藍川はさらに力を込めてきた。


藍川は嘘つきだ。けれど、その笑顔は心底嬉しそうで、俺の心臓が跳ね上がる。


━━━あ、ヤバイ……息が……


「あ、このままじゃあっくんが、死んじゃうね!」


そして、藍川が拘束を解いた。藍川の肌から離れると、冷たいエアコンの風が火照った頬を撫でた。俺はそのまま仰向けに倒れ込んだ。


「うお!?」


丁度後ろに寝室のドアがあり、位置が悪かったのか、そのまま後ろに倒れ込んでしまった。


「いっ……てぇ……」


頭をぶつけて呻く俺に、藍川は悪戯を成功させた子供のような笑顔を見せた。


「な~んだ。あっくんも準備ができてたんだね~」


「え?」


「んしょ」


体操服を下からたくし上げるように脱ぎ始めた。その仕草はまるでグラビアアイドルのようで、隠れていた大きな胸が揺れた。


そして、俺の腰に跨り、目を細めて告げた。


「んしょ……」


「あ、あの藍川「姫奈」……姫奈さん」


藍川が俺の言葉を遮った。圧力に屈して俺は姫奈としっかり呼んだ。


「このループでは、別の女に奪われないように……私が、先に貰っちゃうんだから」


「え、と」


「天井のシミでも数えてて」


「だから……ッ!」


「それじゃあ、気持よくなろうね♡」


俺は藍川に初めてを奪われた。


いや、このループでは藍川も初めてだったみたいだけど……


とにかく、俺の初体験は嵐のように凄まじく、そして甘かった。


……とだけ、ここに記しておく。

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