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藍川姫奈の死に戻り(前編) 

◇一周目


私は稲葉光(いなばひかる)が好きだった。


子供の頃からずっと。ず~っと。


転んだ私を抱き起してくれた時も、泣いている私の頭を優しく撫でてくれた時も、いつだって格好良くて、優しくて、頼りがいがあった。


━━━そんな光がモテないはずがなかった。


高校に入ると、彼の人柄はさらに知られるようになった。


教室の隅でも、校庭でも、廊下でも……


自然と女子たちが彼の周囲に集まるようになり、綺麗な女の子に微笑みかけられているのを見るたびに、胸の奥で黒い何かが疼いた。


━━━幼馴染は負けヒロイン


どこかで聞いたその言葉が、呪いのように頭から離れなくなった。


だから、私はがむしゃらに頑張った。


一緒にいて、励まして、ときには誘惑して……


積み重ねた絆を信じて━━━私たちは、ついに結ばれた。


「━━━やっと、ここまでこれたね」


結婚式当日。


純白のウェディングドレスに身を包んだ私。光は白いタキシードを纏い、眩しいほどに立っていた。


礼拝堂の高い天井には大きなシャンデリアが輝き、ステンドグラスから射す七色の光が大理石の床を彩っていた。


神父の祈りの言葉は意味こそ分からなかったが、その低く重い響きが荘厳な雰囲気を作り出していた。


参列席には親族や友人、恩師や同級生まで。


堂内には、誰もが笑顔で私たちを見守っていた。


━━━世界中が、私と光を祝福しているようだった。


「まさか、幼馴染から結婚までするとは思わなかったな」


光が少し照れたように笑う。


「そうだね。光にとって、私がいつまでも幼馴染だったから……本当に大変だったんだよ?私はずっと好きだって伝えてきたのに……」


「ごめんって。俺にはどうしても妹にしか見えなくてな」


「酷ーい!」


笑い合いながらも、胸の奥に満ちる幸福は本物だった。


「━━━愛してる」


光の瞳が真っ直ぐに私を射抜く。そっとベールが上げられ、世界に鐘の音が鳴り響く。


「私もだよ……」


唇が触れ合った瞬間、全身が歓喜で満たされた。


まるで、この人生は今日という日のためにあったのだと告げられているかのように。


白い鳩が一斉に羽ばたき、拍手が堂内を包み込み、鳴り響く鐘の音は、祝福そのものだった。


「……姫奈」


「ん~なぁに?」


光の手を取って、二人でヴァージンロードを戻ろうとしたその時━━━








死んでくれ(・・・・・)






「……え?」


耳に落ちた言葉と同時に、腹に焼け付くような激痛。


視線を落とすと、真っ白なドレスが瞬く間に紅に染まっていく。


心臓を正確に貫いたナイフから、血がどくどくと溢れ出していた。


遠ざかる視界の中で見えたのは、血に塗れたタキシードの男。


口元に血をつけた光が、静かに笑っていた。


力を失い、レッドカーペットの上に落ちる。頭が硬い床に弾んだ感触と同時に、スマホのシャッター音が響いた。


振り返れば、参列者たちは誰一人として悲鳴をあげない。


拍手は鳴り止まず、笑顔でスマホをこちらに向けていた。


沈む。


沈んでいく……


深紅のレッドカーペットの上、血まみれの身体が、まるでその深紅の布に呑み込まれるように沈んでいく。


━━━


━━



◇二周目


「はっ!」


喉を焼くような声とともに、私は跳ね起きた。


視界に飛び込んできたのは、見慣れた天井。


心臓は耳の奥で爆発するように鳴り、全身の肌は冷や汗で濡れていた。


枕元ではスマホのアラームが甲高く鳴り響いている。


……心臓が、動いている。


「はぁ……はぁ……嫌な、悪夢だったなぁ……」


かすれ声で呟きながら、私は震える手でパジャマのボタンを外した。


下着姿のまま、お腹にそっと手を当てる。


そこには何もない。傷一つない。


けれど、あの感触━━━胸を貫かれる熱さと、血が全身を濡らす冷たさが皮膚の奥に残っている気がして、ぞわりと背筋が震えた。


「……何だったんだろう、あれ」


鏡に映った自分は、どこか幼さを残す女子高背。


高校二年生。光と付き合う前の私。


体つきはまだ未成熟で、大人になってからよりもむしろ全身から体力が満ち溢れている。


昨日までの「花嫁姿の私」とは、まるで別人のようだった。


「ま、いいか!」


強がるように声を上げ、制服に袖を通す。


ワイシャツのボタンを一つずつ留め、スカートのジッパーを上げると、いつもの日常に戻れる気がした。


胸のざわめきを振り払うように、私は部屋を飛び出した。






「ごめんな?」


━━━結婚式の日に再び殺された


◇三周目


「可笑しい……可笑しいよ……ッ!」


また、同じ朝。


アラームのけたたましい音が耳をつんざき、心臓が飛び出しそうに脈打っていてる。


ベッドから飛び起きた私は、自分のお腹に手を当てた。


━━━やっぱり、傷はない。


けれど、刺された感触は幻肢痛のように残っていた。


灼けるような熱さ、血が溢れ出す生々しい感触。思い出しただけで呼吸が荒くなる。


「夢……だよ、ね?夢だって……絶対に……」


その答え合わせのために、私は学校で光に声をかけた。


「ねぇ、光……ちょっといいかな?」


「━━━どうかしたか?」


光がこちらに視線を向ける。その瞳を見た瞬間、背筋が凍った。


結婚式の日、ナイフを突き立ててきたあの瞳と━━━同じに見えたから。


けれど、私は震えを押し隠して無理に笑う。


悪夢だと、妄想だと信じたかった。


「━━━っていう、夢を見たんだ~」


「━━━」


「私さ、光に二回も殺されちゃったんだよ!酷くな~い?」


「はは、すっげぇ、悪夢だな」


冗談だと思って笑い飛ばしているように感じた。


「はぁ……ごめんね。こんなつまらない話を聞かせちゃって」


「俺と姫奈の仲だろ。それより━━━」


「ん、なぁに?」


光はふっと声を落とし、手をひらひらさせて「こっちに耳を貸せ」と促してきた。私は頬が熱くなるのを感じながら、無防備にその仕草に従ってしまった。





「何で、記憶があんだよ」





耳元に落ちた低い声。


瞬間、稲妻が脳を直撃したかのように前身が震え、視界が激しく歪む。机も教室も光の顔も幾重にも重なり合い、崩れ落ちていった。


気付けば、私は床に叩きつけられていた。


「え……」


かろうじて意識はある。


けれど、脳の命令が身体に届かない。


指先は痙攣し、四肢は痺れて動かない。必死に腕を伸ばそうとした、その瞬間━━━


「逃がさねぇよ」


ぐしゃり。


金づちのような鈍器が右手を粉砕した。


骨が砕け、肉が潰れる鈍い音が耳を満たした。


効果不幸か痛みはもうどこか遠いものだと思えた。


ぐしゃぐしゃに壊れた腕でさえ、他人のもののように感じられた。



……眠い。


……眠い。


頭の奥から何かがどくどくと漏れ出す感覚。視界が黒く縁取られていく。


すると、アレ(・・)が私の身体を無理やり、仰向けにひっくり返した。


教室の中央、血溜まりに晒された私を、クラスメイトたちが呆然と見下ろしていた。


誰も叫ばない。誰も止めない。


ただ、口を閉ざし、虚ろな瞳で眺めているだけ。


そして、私の真上。


血で赤く染まった金づちを掌で弾きながら、無機質な瞳をしたアレが立っていた。


「殺す時に、こいつで頭を叩かないといけねぇのか……じゃなきゃ、記憶が残っちまうんだな」


その声には、喜びも怒りもなかった。


ただ、事実を確認するためだけの、冷酷な実験者の声。


「いい勉強になったよ、姫奈……」


「あ、ひか……る……」


必死に名を叫ぼうとする。


けれど、アレは口角をゆっくりと歪めながら告げた。


「ごめんな。二度と、記憶が継承されないように……しっかり頭を潰してやるから」


崩れた脳の奥で、恐怖が音を立てて膨れ上がる。


もう声も出せない。逃げられない。


そして、私の視界いっぱいに金づちが振り下ろされた。


世界が砕ける。


次に、鼻が。


頬骨が、砕け、頭蓋が何度もひしゃげていく。


ぐしゃり、ぐしゃり……ぐしゃり


脳が何度も叩き潰される音だけが、耳の奥にこびりついた。



◇N周目




私は、何度も何度も、高校二年生の夏をやり直した。


━━━談笑している時。


━━━映画館の暗闇で隣に座っている時。


━━━映画館の暗闇で隣に座っている時。


━━━甘い言葉を囁き合っている時。


━━━互いの体温を重ねている最中でさえ。


そのどの瞬間でも、結末は同じだった。


アレは執拗に私の頭を狙ってくる。ナイフでも、鈍器でも、時には素手ですら。


けれど、私は死ぬたびに記憶を抱えたまま時間を巻き戻し、再び高校二年生の夏に戻ってくる。


そして、この世界は私が死ぬことでループしていることを知った。


だが、それを知ったところで何の意味もなかった。


記憶を持ち越して未来を変えようとすればするほど、アレは私を痛めつける手段を工夫し、残酷さを増していった。


どうすれば、記憶を完全に潰させるかを試すかのように。


ただ殺されるだけなら、痛みもやがて遠のく。


それはもう、何も、怖くもなかった……


「ねぇ、光!一緒に帰ろう」


すると、アレは振り向いた。


「ああ、ごめん。今日は用事がある(・・・・・・・・)


「あ、そうなんだ……」


私は肩を落とし、しょんぼりした……フリをする。


周回を重ねるにつれて、アレの本性は露わになっていった。


最初から、私への好意などなかった。


必要だったのは“藍川姫奈”そのもの。


何を求めているのかはついぞ掴めなかった。


だけど、己の目的を遂げるために、ただ利用する材料として、私が必要なのは明白だった。


そしてアレは、変わりゆく自分に対して、私がどんな反応を返すかを観察していた。


数え切れない死を重ねて、アレは私に対する興味を失った。


まるで、長く弄んだ玩具を投げ捨てるように。



「━━━そこで……どしたの~?」


洗濯機の回転音が、低く部屋の奥で唸っている。俺と藍川の服は、走り回ったせいで汗に濡れていた。「ついでだから」と、自分の分と一緒に洗った。洗ってしまったのだ……


藍川が口を開きかけ、ふとこちらを不思議そうにこちらを覗き込んでいた。


「いや……」


藍川が少しずつ少しずつ近寄ってきたせいで、家主なのに、俺は端へ追い詰められ、気づけば体と体が触れ合うほどの距離になっていた。


俺は藍川に自分の体操服を貸していた。白いシャツにブルマではなく短パン姿。


風呂上がりの藍川の首にはタオルがかけてあり、いつものツーサイドアップをほどいた金髪が背中に流れていた。濡れた髪は光を吸い込んで艶やかに揺れ、首筋から胸元へと落ちていく水滴が、シャツの布地にじわりと吸い込まれていく。


その光景に、自然と視線が引き寄せられる。


普段、自分が着ている体操服を、藍川のような美少女が身に付けている。それだけで背徳感を覚えた。


まるで、見てはいけないものを見ているような気分になり、慌てて顔を逸らした。


「……ッ」


そんな俺を見て、藍川はにやりと口角を上げた。


指先で俺の頬を突きながら、からかうように囁く。


「て・れ・や・さ・ん」


「家、追い出すぞ……」


「きゃ~怖~い!あっくんに襲われる~」


わざとらしく身をすくめる声色に、額に青筋が浮く。さっきまで玄関先で泣きじゃくっていた女が、ここまで調子に乗るとは。


「はぁ……まぁ、いいや。それより、俺はどこで出てくるんだよ」


俺は話を促した。未来の話を(一応)信じると決めたからこそ、気になるのは俺と藍川の関係だ。


今のところ、藍川と稲葉が付き合い、嫌なのに襲われながらループしている。


その事実しか知らない。


「もう遅くなるから早く……ってどうしたん?」


藍川が呆けた顔をして、次の瞬間、ふくれっ面になった。


「いつもなら、襲ってくるのに、どうして!?」


「知らんが!?」


意味不明なことを言い出す藍川に、思わず語気を荒げる。


「我慢なんてしないで、ほらほら」


藍川はシャツの裾をつまみ、ためらいもなく上げた。


その下には━━━何もない。


藍川の服はすべて洗濯機の中だ。


━━━ノーブラ。


「隠せって!」


俺は即座に顔を背けた。紳士として当然の行動だ。だが、藍川は意に介さず、その豊かな胸をぐいっと俺の腕へ押し当ててきた。


柔らかさと熱が布越しに伝わり、心臓が跳ね上がった。


冷静を装っても、耳まで熱くなるのを隠せなかった。


「ん~、可笑しいなぁ……」


「可笑しいのは、藍川の頭だ!」


「あ、そうか!あっくんまだ、高校生だもんね」


「ねぇねぇ、人の話を聞いて!?」


「童貞?」


言葉が喉で詰まる。


俺はラノベの主人公ではない。経験があるかどうかなんて正直、どうでもいい。世間がどうとか外聞がどうとかそんなのはどうでもいい。


「ど、ど童貞ちゃうわ!?」


……なんだろうね。


これは性なのかな。


藍川はくすくす笑いながら、ぺろりと唇を舐めた。


赤みを帯びた唇がわずかに濡れ、妙に艶めかしく光る。


「……後でご馳走になろうかな……(ボソッ」


最後の方は小声でよく聞き取れなかったが、背筋を氷の指でなぞられたような悪寒が走り、俺は思わず、その言葉を無視した。


「お、俺たちはどうやって、出会うんだ?」


空気を変えるように強引に話題を戻すと、藍川の表情も変わった。


「ああ、そうだったね……」


さっきまで追い詰める肉食獣のように牙を覗かせていた藍川が、今は真剣に眉を寄せていた。


「私は自分が死ぬことで、ループを繰り返してると思ったんだ。だから……アレが私に飽きて、興味を失ってくれるのは、むしろ救いだと思ったんだよ」


言葉を吐き出すたび、藍川の瞳の奥が暗く沈んでいく。


「だって、そうでしょ?この得体の知れないループだって、アレの目的が達成されたら終わるんじゃないかって、そう思ってたから」


そこで藍川は小さく息を呑み、震える声で告げた。


「それでね━━━殺されなくなったの(・・・・・・・・・)()


一瞬、言葉の意味を理解できなかった。


普通なら喜ぶべきことだ。殺されなくなるなんて、どれほど救われることか。


けれど藍川の顔に浮かんだのは、安堵ではなかった。


影を宿した瞳、わずかに震える唇。


まるで終わりのない囚人そのものだった。


「……でもね」


藍川はポツリと呟いた。


「ループは続いてるんだ……」


部屋に洗濯機の回転音だけが響く。


さっきまでの軽口やからかいは跡形もなく消え、ただ重苦しい沈黙だけが残る。


藍川の言葉の重さに、喉に熱が籠り、呼吸が浅くなる。


殺されなくなったこと━━━それが、どうしてこんなにも憂いを帯びる理由になるのだろうか。

『重要なお願い』

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