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10/15

デート

「あいつ怖すぎるだろ……」


「ごめんね?まさか、あそこであっくんに会うとは思わなくて……」


昼に授業が終わった俺たちは、人目を避けるように学校から離れた喫茶店に足を運んでいた。木造りの壁と天井、磨かれた床からはほのかに木の香りが漂い、店内は落ち着いた空気に包まれている。


テーブルの上には二つのアイスコーヒー。グラスの中で氷が弾けるように割れる。


静かな店内だからこそ、その音がやけに鋭く耳に刺さり、俺の鼓動をいやでも意識させる。


稲葉光の目は間違いなく俺を“実験動物”として見ていた。


冷たく、観察するだけの目。そこに人への情なんて一切なかった。


「一瞬、俺を殺そうとしてたのは」


問いかける俺の声は、自分でも驚くほど震えていた。


「……うん。本気だった」


姫奈は曖昧な言葉で逃げることなく、はっきりと断言した。その目はどこか哀しげで、けれど真実を隠す気はなかった。


「殺さなかった理由は変だけど“変化”だと思う……」


「変化?」


「うん。言ったでしょ。アレは、何かを探してるって……そのためにループを繰り返してる」


そう言って、姫奈はグラスを持ち上げた。ストローを吸う音が小さく響き、透明な氷が再びカランと揺れる。


「……あっくんが、あの場に現れた。それが今までなかった変化だったんだ。だから確認しようとした……」


「怖すぎるだろ……」


「分かってくれたようで、何よりだよ……」


小さな苦笑とともに返す姫奈の声は、どこか張り詰めていた。


だが、彼女の言葉の中でひとつ引っかかった。


「でもさ、逆に言えば、稲葉が求める物が見つかれば、このループが終わるんじゃ……」


当然の疑問をぶつけた。


金色の前髪がさらりと揺れ、唇がきゅっと結ばれる。


「そんなの……何回も探ったよ……」


俯いたまま、絞り出すように続ける。


「欲しいものはない?好きなことは?結婚したら、行きたいところとかある?何か食べたいものは?


……匂わせて、何回も聞いてきたけどさ、アレの本当に欲しいモノはなんにもわかんないんだ……」


その声には悔しさと疲れが滲んでいた。


「ごめん……無駄な質問だったな」


謝る俺に、姫奈は小さく首を振った。


「いや、当然の疑問だと思うよ。だから気にしないで」


俺は背もたれに体を預け、両腕を組んで天井を仰ぐ。そこではシーリングファンが規則正しく回り続けている。


けれど俺の胸の内は、あの冷たい視線を思い出すたびに乱れ、回転する羽根よりも速くざわめいていた。


「ま、そんな暗い話は一旦おいといてさ!」


唐突に姫奈が手をぱんっと打った。


「ん?」


「デートだよ、デート!もっと恋人らしいことをしようよ!」


わざとらしい調子なのに、その笑みの奥には確かな楽しさが滲んでいた。さっきまで稲葉の話で沈みかけていた空気を、一瞬で塗り替えてしまうあたり、本当に切り替えが早い。


ここで「稲葉にバレたら不味くないか」とか野暮なことを口にするのは無粋だろう。姫奈は稲葉の行動を分かった上で、なお俺とこうして一緒にいる。つまり、大丈夫だと踏んでいるからだ。


「……まぁ、夏休みまでは付き合うって言ったからな……」


「やったぁ!あっくん大好き!」


「……静かにして」


「お、照れてるねぇ」


案の定、姫奈はわざと声を張り上げる。彼女の声量はもともと大きいから、周囲にまで丸聞こえで、俺は耳まで熱くなる。


「とりあえずさ、服が欲しいんだよね~。ついでに感想も欲しいな」


「それくらいなら」


ラノベでよくある展開だ。ヒロインが試着を繰り返し、主人公が内心ドキドキしながら感想を言わされる。


そんな王道展開。


ただ、相手が姫奈だという時点で、平穏に終わるわけがない。


俺の趣味嗜好なんて、とっくに見透かされている。どうせ何を着ても姫奈に見惚れてしまい、それをからかわれるだけ。俺にできるのは、羞恥を堪えて弄られるのを受け入れることくらいだ。


……楽な役回りだろう? 


「じゃ、行こっか!」


元気よく立ち上がる姫奈に引きずられるように、俺も腰を上げる。


だが、このときの俺はまだ知らなかった。


服を買う━━━夏休み用のカジュアルな服とか、早めに秋物を揃えるとか、そういうものを想像するだろう?


普通はさ。



「さぁ、あっくん。どっちが私に似合うと思う?」


「━━━」


場所は水着屋だった。


壁際のマネキンはアロハシャツに派手なビキニ、店内の棚には色とりどりの水着が並び、内装は海辺を意識したのか一面が青。天井から吊るされたライトが反射して、眩しいくらいに明るい。


その光の中で、姫奈はさらに眩しい笑顔を浮かべていた。金色の髪がライトを受けて、ゆらゆらと波みたいに揺れる。


両手にあるのは、紐と貝殻……


店もネタで置いたであろうエロ水着。


ただでさえ場違いな場所で落ち着かないのに、姫奈がそんなものを掲げてきたせいで、居心地の悪さはさらに倍増する。


「……俺は、服って聞いたんだけど?」


「これも服の一部だよ。限りなく用途が少ないだけでね」


「屁理屈を言うなって」


反射的に、俺は姫奈の頭に軽くチョップを落とした。


「ふぎゅ」


「あ、ごめん」


姫奈が可愛く呻くと、自分の行いを悔いた。


昨夜のことが頭をよぎった。身体を重ねてしまったことで、彼女に触れることに妙な気安さを覚えてしまったのかもしれない。


「ふふふ……」


すると姫奈は、叩かれた場所を撫でながら、むしろ嬉しそうに目を細めた。


「私ってさ、行動力の鬼でしょ?」


「まぁ……」


昨夜、文字通り身をもって思い知らされた。


「楽しくなると、つい周りが見えなくなるんだよね~」


「……良いことだと思うぞ。何かに夢中になれるのは羨ましい」


「それ、未来でも言ってたよ」


姫奈はくすりと笑った。


「私の鉄砲みたいに突っ走る性格をあっくんは止めてくれるの。で、その後にちゃんと褒めてくれるんだぁ。そこに愛情を感じたね~」


未来の話。今の俺には知りようのない出来事。だけど、あまりに自然に口にされると、本当にそんな日があったかのように思えてしまう。


「……今の俺には、まだ(・・)愛情なんてないと思うけど」


「ふふふ、『まだ』、ねぇ」


姫奈は含みを持たせた笑みを浮かべ、わざとその言葉だけを繰り返した。


そのまま姫奈は水着を手に取り、試着室のカーテンをシャッと開けて中へ消えていった。


「ちょっと、待っててね~。すぐ着替えるから」


軽い調子でそう言い残すと、中から衣擦れの音がする。


布が肌を滑る気配、カーテン越しに映る細い影。


それだけで昨夜の姫奈の姿が嫌でも脳裏に浮かび、俺の心臓は落ち着きを失っていく。


一分も経たないうちに、カーテンが勢いよく開いた。


「どう、かな?」


「━━━」


そこに立っていたのは、白いフリルのビキニを身にまとった姫奈だった。普段の挑発的な笑みとは違い、頬にはうっすらと朱が差している。


大きな胸を両腕で隠すようにしているのに、かえってその形を際立たせ、細い腰から伸びる手足はすらりと長く見えた。


「ほら、感想言ってよ」


耳に届く声は、囁くように甘い。逃げ場をなくすために計算された響き。


「に、似合ってる……」


視線を逸らしながら答えたつもりなのに、不思議と姫奈に吸い寄せられる。


試着室の奥に置かれた鏡に、そんな自分の情けない様子が映り込み、思わず前髪をいじりそうになった。

惨めになる寸前で、俺は必死に手を止める。


弄られるのが分かっていても、ここで逃げたらもっと大声でからかわれる。そう直感して、俺は敢えて姫奈を正面から見つめた。


「……そう。良かった!」


姫奈はぱっと表情を明るくして、安心したように微笑む。その笑顔に胸を撃ち抜かれそうになった次の瞬間、彼女はカーテンをシャッと閉めて姿を隠した。


俺はようやく息をつく。昨日、混浴した仲だというのに、改めて見惚れてしまった自分が情けない。


「あっくん、白が好きだもんね!」


「声がデカいんだって!?」


カーテンの向こうで着替えながら、姫奈がわざと響く声で爆弾を投下する。案の定、周囲にいた店員たちの視線が一斉に俺へと集まり、微笑ましげに目を細めてきた。


……マジで、居心地が悪い。



「さて、次行こっか!」


満足げな笑顔で店を出てきた姫奈に対し、俺はもうゴリゴリにHPを削られていた。正直、今すぐ帰りたい気分だ。


とりあえず、姫奈が抱えていた紙袋を自然に受け取る。


「それじゃあ、次は……って、どしたん?」


振り返ると、姫奈はぽかんと口を開けて固まっていた。


「お……おぉ……」


「?」


何かに感動しているらしいがなんだかよく分からない。


「さりげなく、彼女の荷物を持つ……!」


「いや、彼女じゃないけど……」


「それを自然に、さも当たり前のようにやっちゃうイケメンムーブ!かっくぅいい!」


姫奈が俺の腕を取って甘えてきた。


「離れろって!」


「い~や~だ~!惚れ直しちゃったんだもん!」


大通りのど真ん中。


ただでさえ目立つ姫奈が俺に甘えてくるもんだから、通りすがりの視線が一斉に集まる。


注目の的になった俺は、ただ深いため息を吐くしかなかった。


「……で、次はどこに行くんだ?」


「ん~そうだなぁ」


姫奈は唇に指先を当て、少し考えるそぶりを見せる。


「大人になったらできないことをやりたいんだよね~」


「学生時代にしかできない思い出作りってことか?」


「そうそう!そういうの!」


俺も一応考えてみる。


……勉強? 


つまらなすぎるし、そもそも姫奈は学年二位。俺が教えを乞う構図はそれっぽいが、俺自身やる気ゼロ。


……部活?


お互い入ってないから論外。


……バイト?


俺は生活費と学費のために働いているが、実のところ金には不自由していない。記憶喪失のせいでよく分からないが、銀行口座に大金が振り込まれているからだ。


そういえば明日のバイトは休むって店長に言っておかないと。


「あ、そうだ!」


姫奈が思いついたようにぱっと顔を上げる。


「じゃあさ。こういうのはどう?」



姫奈に連れてこられたのは河川敷だった。


昨日、姫奈に追いかけられて必死に走り抜けた高架橋がすぐ近くに見える。


今日はその下を静かに風が抜け、土手には夕暮れを待つ空気が漂っていた。


俺たちは草の匂いが混じる土手に腰を下ろし、赤みを帯び始めた空を並んで見上げる。


「高校生の二人が買い食いして、土手で肩を寄せ合って愛を語り合うの。どう?エモくない?」


「まぁ、確かに」


姫奈のやりたいことは手に取るように分かった。愛を語り合うかどうかはさておき、そういう雰囲気を楽しみたいのだろう。


「あ……」


姫奈が手にしていたアイスの棒を抜き取る。


だがそこから出てきたのは、もはやアイスの成れの果て。


ドロリとした液体が、重力に従うようにぽたりと草むらに落ち、青々とした草を無惨に濡らしていく。


「アイス……」


姫奈が絶望したように呟き、しおれていく草をじっと見下ろした。足元に残っているのは、もう冷たささえ失った小さな水の染みだけで、アイスの形はどこにもなかった。


あまりに分かりやすい落胆ぶりに━━━


「ぷ……」


「あ!笑ったなぁ!」


「笑ってない……って。ぷふ」


堪えようとすればするほど、笑いが込み上げてきて、肩が震えた。


「だったら、こっち見ろよぉ!」


姫奈が悔しそうに俺の背中をポカポカと叩いてくる。俺は抵抗もせず、素直にされるがままになるしかなかった。


「だって、この季節にこの距離を歩いて、アイスが溶けないわけないだろ?」


コンビニからここまで歩いてくる間に、すでに結果は決まっていた。言ってしまえば当たり前のこと。けれど、だからこそ姫奈の落ち込みっぷりが妙に可笑しく、俺はまた笑いを堪える羽目になる。


「あっくんの意地悪!……はぁ、無駄にしちゃったなぁ……」


姫奈はむすっとした顔のまま、体育座りになって夕空を仰いだ。頬がほんのり赤いのは怒りのせいか、夕焼けのせいか分からない。


「ごめんって。それなら……ほら、肉まん。半分やるから」


俺は袋から熱々の肉まんを割り、姫奈に差し出した。


「……あっくんね。夏に熱いものを食べたがるとか、冬に冷たいものを食べたがるとか、普通は駄目なんだからね?……あむ、美味しい」


「美味しいのかよ……」


文句を言いながら、頬をふくらませて肉まんを頬張る。その姿に思わず笑みが零れそうになる。


「ふ、ぐ……ごちそうさま……んむ!?」


「どうした!?」


「詰ま……った……」


苦しそうに喉を押さえる姫奈。俺は慌てて鞄を漁り、水筒を取り出して差し出した。


「ほら、飲め!」


「ん、あむ……」


ごくごくと水を流し込む音。肩を上下させながら、姫奈は右手で親指を立ててきた。とりあえず一安心だ。


「ん、ごく……」


「━━━」


冷静に考えたら、さっきまで俺が口を付けていた水筒だ。そのことを意識した瞬間、顔の火照りが広がって来た。


「あ、む……ごくん。あ~~生き返ったぁ!」


姫奈は袖で口元を乱暴に拭うと、安堵の息をついて胸を撫で下ろす。


自然な仕草で水筒を俺に返してきたが、中身はすっかり空っぽだった。俺も肉まんで喉が渇いていたのに、潤す手段はもうない。


「わぁ……綺麗だねぇ」


「これは壮大だな……」


ふと視線を上げると、空は茜色に染まり、河川敷一面が光に包まれていた。


昨日は必死に姫奈から逃げて走っていたせいで気づかなかったが、地平線へ沈んでいく夕陽はまるで終わりを告げる鐘のように荘厳だった。


「昇っては沈んでは、沈んでは昇って……太陽ってそんなことを何度も何度も繰り返して、飽きないのかな……」


「太陽の気持ちになったことはないから分からないな……」


「私だったら、寝坊とかしちゃいそうだけどね。『あ、ごめん!一時間寝てたわ!』とか言ってね」


「地球人からしたら、とんでもないことだけどな……」


いや、むしろ太陽系全部が大迷惑を被るだろう。そんなツッコミを飲み込みながら、俺は姫奈の横顔を見る。


「私は、もう嫌だな……前に進みたいよ」


「━━━」


ぽつりと零した言葉に、俺は何も返せなかった。けれど━━━


「……愛を語り合うんだろ?」


「え?」


姫奈がきょとんと目を丸くした。


「ただ、俺は姫奈のことを何も知らない。だから、語れる愛も想いも何もない。まずは姫奈のことを教えてほしい……」


言いながら、自分でも顔が熱くなる。けれど、嘘偽りのない気持ちだった。姫奈はしばらく呆けたように見つめてきて、それから柔らかな笑みを浮かべる。


「うん、いいよ……」


そう言って、そっと俺の肩に頭を預けてきた。


それから日が暮れるまで、姫奈は自分の過去を楽しそうに語った。


俺はただ相槌を打ちながら聞いていただけだが、次々と変わる表情を見ているだけで胸がいっぱいになる。


嬉しそうに笑ったり、照れたり、少しだけ切なげになったり……そのどれもが鮮やかに焼きついていく。


━━━確かに、この先俺は姫奈に惚れてしまうのかもしれない。


そう思ってしまったことを、胸の奥にそっと隠した。

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