第八章:湯気と、心をほどく時間
「風呂じゃと……? あの“湯に浸かる”という贅沢か?」
長老が目を丸くして俺に問いただしてきた。
「贅沢、じゃないですよ。身体を清潔に保ち、筋肉の疲れを癒やし、心もほどける……“生きる力”そのものです」
「ほう……それほどまでに?」
俺はうなずいた。
「試してみませんか? 簡単な五右衛門風呂なら、材料は村にあるもので作れます」
村の古井戸を浄化してから、水の使用量は増えた。ならば、次は「使う」だけでなく「癒す」水の使い方を伝えようと思ったのだ。
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まずは材料集め。
錆びた鉄釜が納屋の奥から見つかった。底は少し抜けていたが、土を盛って補強すれば使えそうだ。
薪は、今まで教えてきた「正しい薪割り」の成果で山ほどある。
風呂小屋も、村人たちが即席で竹と板を組み上げ、あっという間に建ててしまった。
「こりゃあ、“村の革命”じゃな」
「うむ、次はなんじゃ。“空を飛ぶ技”でも教えてくれるんか?」
笑い声が上がる中、トモとミーナが興味津々でのぞき込む。
「ねえ、ほんとにお湯になるん?」
「焚き火で沸かすの、時間かかるんじゃない?」
「ちゃんとした焚き方をすれば、1時間で入れるよ。湯加減を見るには、ひじを入れるのがコツ」
「へえええ……!」
子どもたちは、どこか祭りの準備のような高揚感に包まれていた。
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そして夕暮れ。
木立に囲まれた小屋のなか、ふわりと湯気が立ちのぼった。
「……あったけぇ……」
第一号で風呂に浸かったのは、長年腰痛に悩んでいた木こりのハチじいだった。
「これ……これじゃ! わしの腰が、ゆるむぅ……!」
その声に、他の村人たちもぞくぞくと小屋の外で順番待ちを始める。
「まるで、湯治場じゃな!」
「からだが軽くなった気がするわ!」
「なんか、嫌なことも流れていくような……」
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ミーナも、そっと風呂の縁に座った。
「こんなに……気持ちいいもんなんじゃな、湯って」
湯けむり越しに見る彼女の表情は、いつもより穏やかだった。
「うちの父ちゃんもな、村を出る前に言っとった。“湯に浸かるのは、心が人間に戻る時間だ”って」
「……いい言葉だね」
「うん。そんときはよう分からんかったけど、今は少しだけ、分かる気がする」
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湯からあがった子どもたちは、肌をほんのり赤らめながら、薪の残り火で焼いた芋を食べていた。
「ぽかぽかの上に、ほくほくって、最高すぎる!」
「また入りたい! 明日も!」
俺は小さくうなずいた。
「明日から、“毎週土曜は村の風呂の日”にしよう。体と心のための、特別な時間だ」
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風呂は、ただの清潔習慣じゃない。
湯気に包まれながら、人と人の距離が近づいていく。
老いも若きも、身分も立場もなく、湯の中では“ただのひとり”になる。
この村が、もっと生きやすくなるための、きっと大切な一歩だ。
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その晩。星空の下、ミーナがぽつりとつぶやいた。
「なんだか、うち……もう一回、生まれ直した気分やわ」
風呂に浸かって、心もほどけて、
暮らしの中に“自分を取り戻す”時間が生まれる。
それが、村を変えていく原動力になるのだと――この夜、俺は確信した。