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第五章:パンと、はじまりの香り

「おい、この白い粉……どうするんだ?」


それは、村の倉庫の隅に眠っていた小麦粉だった。

何年も前に商人から譲り受けたものらしいが、使い方がわからず、ただ埃をかぶっていたという。


「これで、“パン”を作ろうと思うんです」


「ぱん……?」


案の定、村人たちは首をかしげる。そりゃそうだ。

この世界では、パンどころか“こねる”という調理技法自体が一般的ではない。


だが俺には自信があった。

なにせ前世では、キャンプ飯を極めたサバイバル趣味人だったのだ。


**


「まずは、この粉を水でこねます。力を入れすぎず、でもしっかり混ぜて……はい、やってみて」


「ぬるぬるしてて、変な感じじゃのう……」


「気持ちいい~!」


「ちょっと、投げるなって!」


大騒ぎの中、子どもたちと一緒にこねた生地は、やがてなめらかな手触りになっていく。


「次は……これ!」


俺は包みから、前日にこっそり仕込んでおいた“天然酵母”を取り出した。

砕いた果実に水と粉を混ぜて放置しておいたものだ。ほんのり甘酸っぱい匂いと、小さな泡。


「な、なんだそれ!? 泡が……生きてる!?」


「正解。これがパンを膨らませる“酵母”ってやつです。微生物の力で、生地がふわふわになるんです」


ミーナが目を丸くして、生地に混ぜ込まれていく酵母を見つめる。


「目には見えんのに、ちゃんと働いとるんじゃな……まるで、魔法みたいじゃ」


「うん。でもこれは、魔法じゃない。“暮らしの知恵”です」


**


生地を丸めて、かまどの横に置いておく。

温かな薪の余熱で、酵母がゆっくり働き始める。


待つことしばし――


「……ふくらんでる!」


「ふわふわじゃ! なんじゃこりゃ!」


歓声があがる。

生地は見事に膨らみ、手のひらサイズのパンらしい形になっていた。


「じゃあ、いよいよ焼きましょうか」


石で組んだ簡易オーブンに、生地を並べる。

香ばしい香りが立ちのぼり、村の空気が、いつもと違う“幸せな匂い”に包まれていく。


「なんか……このにおい、すごく懐かしい気がする」


「うちの赤ん坊が、匂いで泣きやんだぞ」


「火って、暖かいだけじゃないんだなあ……」


**


焼きあがったパンを、みんなでちぎって食べた。

外はパリッと、中はもっちり。素朴で、優しい味。


「……おいしい……」


ぽつりと、誰かがつぶやいた。

その声を合図に、村人たちは一斉に笑い出す。


「これ、祭りの料理にできるかもな」


「保存も効きそうじゃ。旅にも持ってけそう」


「わし、明日から麦をもっと作る!」


食べ物ひとつで、こんなにも人の目が変わる。

希望って、案外、腹の底から湧いてくるものなのかもしれない。


**


夜になって、ミーナがそっと俺に話しかけてきた。


「パンって……命を育てる食べ物なんじゃな」


「うん。酵母も、火も、水も……全部が“生きてる”」


俺の言葉に、ミーナはふわりと笑った。


「この村、あんたのおかげで、生まれ変わっとるよ」


空を見上げると、星がいつもより大きく見えた。

村のかまどからは、まだほのかにパンの香りが漂っていた。


**


次は何をしようか。

バター? チーズ? 燻製?


“暮らし”という冒険は、まだ始まったばかりだ。


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