第十九章:ナナ先生、村で暮らす
「これは井戸の汲み方。バケツは急に落とすと水が濁るから、ゆっくり、こう──」
「そ、そんなに丁寧に!? でも確かに、水がきれい……!」
ナナが村に来て三日。
王都から来た“教師”という肩書きを脱ぎ捨て、彼女はまず“暮らし”を学び始めていた。
慣れない土の匂いに戸惑い、薪の束に足を取られながらも、ナナは一つひとつ、素直に、必死に向き合っていた。
「これは……かまど炊き!? 見たことはあっても、やったことは──」
「まずは火の神さまに挨拶してからな」
そう言って笑うのは、トヨばあちゃん。
火を育て、灰を捨て、炊きあがったご飯の甘さに、ナナは目を潤ませた。
「……わたし、王都で“教えること”はずっと学んできたけど、“生きること”は知らなかったのかもしれません」
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学舎でも、ナナの姿勢は子どもたちに受け入れられていた。
「ナナ先生、一緒に土器作る?」
「私も作っていいの? やった、じゃあこの前の形を真似して──」
教える立場でありながら、一緒に泥まみれになって笑う“先生”。
それが子どもたちにとっては、ごく自然で嬉しい存在だった。
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ある日の放課後。
ロクは焚き火を囲んでナナに問うた。
「正直、王都に帰りたくなった?」
ナナは少し黙って、空を見た。
「最初はね、“視察”のつもりだったんです。でも……今はもう、帰る理由が見つからないんです」
風が揺らす髪の下で、彼女の瞳はしっかりと村の未来を見ていた。
「ここには、“学びの原点”がある。生活と、知識が、切り離されていない。……それって、すごく豊かで、幸せなこと」
ロクは静かに頷いた。
「それを“教える”ってことに、名前をつけられるなら……」
ナナは笑った。
「うん。“暮らしの教室”ですかね」
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その日、ナナは自分のノートにこう書きつけた。
「学び」は教室だけじゃない。
鍬を握る手の中に、火を起こす指先に、食卓の笑い声に、全部ある。
わたしは、ここで“先生”を始めよう。
夜の空に、炭の煙が細く伸びていく。
そしてその下で、小さな革命がまた一つ、静かに芽吹いていた。