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日曜日の朝、ヒロは相変わらず美味しい朝食に舌鼓をうっていた。

朝食を終えたら中庭の花の世話をして、他の使用人たちと洗濯物を干したら、ヒロは読書をしようと自室の本棚を眺めた。どれも一度は読んだことがあるものだと思ったとき、前にハンナからこの屋敷の2階に書庫があることを聞いたのを思い出して、ヒロは書庫へ向かった。書庫は冷えるため、あの変な色のストールも忘れずに肩にかけた。

初めて入る書庫は、かなり広かった。本棚がたくさんたち並び、本がところ狭しと並んでいる。テーブルと椅子も設置されている。ヒロは興味のある本を手に取ると、そのまま本棚と本棚の間に座り込んで本を読み始めた。

しばらく熱中していたが、気がついたらヒロは寝ていた。目を覚ました時に慌てて本を汚していないかの確認をしたあと、ヒロは、立ち上がった。変な体勢で寝たからか、体が少し痛かった。

立ち上がった時にふと、この部屋に来たときは綺麗にしまわれていた椅子がテーブルから離れていることに気がついたヒロは、もう一度そこをよく見た。すると、テーブルに書類やペンが並んでいた。さらによく見ると、床に書類を被って倒れているエドがいた。


「えっ!」


さすがに驚いて、ヒロはエドのそばに向かった。まさか死んでいるのだろうか、と背中に汗をかきながら彼の様子を見ると、深い寝息が聞こえた。どうやら、ここで仕事をしながら寝てしまったようであった。


「(ああ驚いた…)」


寝ているだけなら放っておくか、とも考えたが、さすがにこんな状況で置いていくのは酷かとヒロは思い直す。

とりあえずヒロは、冷えるといけないと思い、自分のストールをエドにかけた。そして、起こさないように静かに、散らかった書類を片付けて、椅子をテーブルにしまった。それからまたエドを見た。彼はうつ伏せの姿勢ですやすやと眠っているようだった。

ヒロは、熟睡するエドの顔をじっと見つめる。相変わらず綺麗な彼の顔は、寝ているときはこれまで見てきた雰囲気とは違った。気安く話し掛けるなとか、プライベートは干渉するなとか偉そうにいいながらも自分から話しかけて恋人を作れとか言ったり、花が好きなヒロに向かって花のどこがいいんだとか喧嘩を売るようなことを言う生意気なエドが、無防備に眠る今は幼い子どものように見えた。


「(いっつも年下とは思えないような振る舞いだし、女性関係は派手だけど、仕事はこうやって真面目にやっているんだな…)」


ヒロは、ここへ嫁いできて初めて純粋にエドのことを尊敬した。あの鼻につく態度の裏では、こんな努力があったのかとヒロは気がつく。


「(…対して私は、動き出す努力をやめてしまった)」


ヒロは、心のなかでぽつりとつぶやく。

小さい子どものような顔をして眠るエドの額を、気がついたらヒロは撫でていた。


「(…この人はすごいな。きっといろんな物を抱えているんだ…)」


ヒロは、静かな書庫の中でエドの頭を撫でながらぼんやりとそんな事を考えた。





ふと、エドは目を覚ました。ゆっくりまばたきをしながら、ああまたここの床で寝てしまったと、エドは心のなかで呟く。休日に持ち帰った仕事を処理するためにここに籠もることがよくあるのだが、椅子に座って作業をしている途中、時折気を失ってそのまま床に倒れ込んで寝ている時があるのだ。


「(本格的に冬になったら風邪をひくから気をつけないと…)」


エドがまだ寝ぼけながら寝返りをうって天井を見上げたとき、エドの眠気が一瞬で飛んだ。なぜならば、見上げたその先に、寝ているヒロの顔があったからである。

エドは一瞬混乱したあと、体を硬直させたまま、なにがどうなっているのかと考えた。どうやら、足を伸ばしたヒロの太ももを枕にして自分は寝ていたらしい。自分の上半身には見覚えのない変な色のストールが置いてあり、おそらくヒロの私物だろうとエドは推測する。


「(…俺が倒れているのを、この人が見つけて、それで…)」


そこまで考えたとき、ヒロが、ん…と言いながらゆっくり瞳を開けるのが見えた。慌てたエドは、どうしたらいいか思い浮かばず、そのまま狸寝入りすることにした。


「…あれ、起きてたような気がしたけど…」


ヒロはあくびをしながらエドがまた寝ているのを確認すると、また優しくエドの額を撫でた。エドは自分がこの人に撫でられていることに非常に驚くが、なんとか反応せずに寝たふりを続けた。


「…あなたのお陰で、お花を植えたり、本を読んだりお菓子を作ったり、毎日楽しく生活してます」

「(…なんだそれ)」

「本当にいつも、お疲れ様です」


ヒロの優しい手と言葉に、エドはなぜか心が震える。

いつも、完璧な自分を他人に見せてきた。泥臭い努力は見せずに、作り上げたハリボテの自分を見せつけて、すごいと、優秀だと、さすがだと褒めそやされて安心していた。

エドは、他人に優秀だと思われ続けるための泥臭い部分をヒロに見透かされた気がして、慌てて起き上がった。ヒロは、突然起き上がったエドに、わっ、と声を漏らす。


「(なんだ、起きてたんだ…)お、おはようございます…」


ヒロは、エドにそう挨拶をしたとき、彼の顔色が悪いことに気がつく。


「…俺は疲れてなんかない」

「(えっ、倒れてたじゃん…)そ、そうなんですか?すごいパワフルですね。普通の人ならそんなに頑張ったら倒れますよ(いや、倒れてたかこの人)」

「俺を、そこらの普通の人間と一緒にするな」


ヒロの方を見て怒るエドに、この人は何を怒っているのだろうかとヒロはわからなくなる。


「あの、なんで怒っているんですか?」

「怒ってなんか、」

「すごいことじゃないですか。こんなに努力できるなんて。誇るべきことだと思います」

「何も誇れない。本当に優秀な奴らはしなくてもいい努力を、俺はしないとそいつらと同等になれない。そんなの情けなくて、」


そこまで言いかけて、エドははっとして言葉を止めた。固まるヒロを見て、エドはそれ以上何も言わずにさっと立ち上がると、テーブルの上の書類をつかんで書庫から飛び出してしまった。


「…あのストール、持っていかれちゃった」


ヒロは、エドが去っていった後をぼんやり眺めながら、なんだかんだ気に入っていたのに、とつぶやいた。








翌日の朝、ヒロはいつものように中庭で花の世話をしていた。すると、後からやってきたハンナが、あら、とヒロの姿を見て首をかしげた。


「いつものあのストール、お忘れでしたか?」

「ああ…なくしちゃったんです。実家から他に持ってきていなくて…」

「まあ、とりあえず奥様に着ていただける代わりのものがないか探してきます」

「大丈夫です。見つかるまで気長に待ちます」


そう微笑むヒロを、ハンナは心配そうに見つめる。ヒロはまた体を花壇に向き直した。


「(…あの人、返してくれるかな。私からストールを返してとは言いにくいし…)」


ヒロは、うーん、と少し悩みながら花壇の花を見つめた。相変わらず花はきれいで、そう思うと悩みを一瞬忘れてヒロは笑顔になれる。


「(…花はいいな。人間とちがって、みんな綺麗だから)」


ヒロは、これまでに何度も、マーガレットやアリスといるときに、容姿を褒められる2人の隣で自分だけ何も言われずに透明になっていく辛さを思い出す。

とあるパーティーにて、3人で談笑したあと、それぞれが別れて会場を回ることにしたとき、1人でいたヒロを若い男性2人が呼び止めた。ヒロが振り向くと、2人はバツの悪そうな顔をしながらお互い顔を見合わせた。2人はヒロに愛想笑いを浮かべながら当たり障りのない話を手短にしたあと去っていった。2人はヒロと離れたあと、2人のうちの1人が、あっちじゃないよ、と言った。するともう1人が、さっき3人でいたから間違えた、と笑っていた。2人はマーガレットを見つけるとすぐにそちらへ向かい、先ほどのヒロに向けた顔とは打って変わって楽しそうに会話を始めた。


美しい2人が悪いわけでは決してない。かといって、美しくない自分が悪いだなんて思いたくない。年齢とともに育まれた劣等感に、ヒロは苛まれ続けてきた。それを救ってくれたのがジムだった。こんな自分でも選んでもらえるのだと、こんな自分でもよかったのだと、そう思えたのだ。

ヒロは、風に揺れる花を見つめる。ジムも花が好きだった。2人でずっと、花を見つめながら他愛のない話を繰り返した。その瞬間がとてつもなく幸せだった。もう記憶の中で繰り返すしかなくなったその思い出を、ヒロは瞳を閉じて脳裏に浮かべる。いつか少しずつ、時間とともにジムとの思い出も忘れていってしまうのだろうか。そう思うとヒロは恐怖で、ならば尚更自分だけは止まっていたいと願ってしまう。








城の事務室にて、寝不足でぼやけた頭のエドは自分の鞄の中を整理していた。そのとき、鞄の中のヒロのストールにエドは気がつく。エドは、苦々しい顔をしながらそれを取り出した。


「(…家に置いておけずに持ってきてしまった…)」


昨日、ヒロから逃げ去って自室に戻った時に、彼女のストールまで持ってきてしまったことにエドは気がついた。あんな別れ方をしたからというのもあるが、普段から彼女とろくにコミュニケーションをとっていないため、エドは彼女に返す方法がわからず、家に置きっぱなしにもできず、つい職場まで持ってきてしまったのだ。


「(…にしても、なんだこの色は…)」

「なにそれ。今の彼女、趣味悪いんだね」


隣の席のウィルがエドの方を見てそう言った。エドはウィルに何も言わずにストールを鞄にしまった。するとウィルはそんなエドを見て小さく笑った。


「ごめんって。彼女のこと悪く言われたのがそんなに気に障った?」

「そんなんじゃない。…それより、何か勘違いしていないか?俺には恋人なんか久しくいないぞ」

「え?前に噂になったあのご令嬢は?その前に言われてた人は?」

「会って食事をしただけだよ」

「キスしてたって噂は?」

「そうなることもあるだろ」


エドは素っ気なく返す。ウィルは、さいてー、とエドに言ったあと、そういえば、と続けた。


「ビル伯爵の60歳の誕生日パーティーは参加するの?」

「ああ、今週だったな。行くよ」

「なんだ、来るんだ。君がくると俺が霞むんだよね」


ウィルの言葉に、なんだそれ、とエドは呆れる。ウィルは、だってさ、と続ける。


「君がいないときは俺も見た目を騒がれるけど、君がいるとほとんど何も言われなくなる」

「何を…。君の顔は十分整ってるじゃないか」

「うわ、上から目線」


冗談めかすウィルに、エドは無性に腹が立った。自分が欲しくてたまらない頭の良さを彼は持っているくせに、なぜ他にも欲しがるのか、しかも、見た目なんかの何がうらやましいんだと、そうエドは思った。


「そもそも、そんなに頭が良くて優秀で、家柄も良いくせになにを贅沢なこと言ってるんだ。これ以上何が欲しいんだよ。自分が充分だと客観視せずに欲しがり続けたら身を滅ぼすぞ」


呆れた声で言うエドをウィルはしばらく黙って見つめたたあと、エドの目の下にクマを指さした。


「そっくりそのまま、君に返すけど」

「はあ?」


エドは、よくわからないままウィルの方を怪訝そうに見る。ウィルは、さあ仕事仕事、と言いながら机と向き合った。

そんなウィルを不思議そうに見ながら、エドは鞄から書類を取り出した。エドは書類を見ながら、鞄に入ったヒロのストールのことが度々気になってしまった。


「(…どうやって彼女に返せば。…昨日のことをまず謝ればいいのか?……いやいや、なんで俺が謝らなければならないんだ)」


エドは書類を持つ手に力がこもり、慌てて力を抜いた。ふうと息をついてから、エドは腕を組んだ。


「(…そもそも、なんであの人にあんな話をしてしまったんだ)」


エドはそんなことをぽつりと考える。弱みなんか人に絶対に見せたくないのに。あの人が自分にとってどうでもいい存在だから?エドは考えても分からず、これ以上やめようと思い、また仕事に向き直った。

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