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レストランの帰りに、エドは一緒に食事をした女性を馬車に乗せて彼女の住む屋敷に送った。家の前に馬車が停まると、女性はエドの手から彼からの贈り物である花束を受け取って微笑んだ。その手つきと笑顔を、ぼんやりとエドは見つめていた。エドに見つめられていることに気がついたその女性は小さく微笑むと隣に座る彼の手を両手で包んだ。そして、甘えたような瞳で彼の瞳を見つめる。エドも、彼女を瞳に映す。エドは彼女の、妖艶な美しさを気に入っていた。彼女の性格はよく知らない。知る気もない。たった今、満たされない心を埋めてくれればそれで構わないのだから。


「(…それはたぶん、この人も同じ。お互いがお互いを、一時の寂しさを忘れるためにただ消費し合っているだけ。そこに深い意味も理由もなくて良い)」


エドは、いつも思っていることを心のなかで考えたとき、ふと、先日のヒロの顔がなぜか浮かんだ。


ーー運命の人だと思いました。この人みたいな人は、後にも先にも現れないって。すとーんって、恋に落ちたんです。まるで魔法みたいに。


そう言ったヒロのことを思い出したとき、エドは急に不愉快な気持ちになった。


「(何が魔法だ…馬鹿馬鹿しい)」


自分より年上のくせに、どこか幼稚な彼女にエドは腹が立った。この世界に魔法なんかない。運命の人なんかいない。恋に落ちたまま、3年前に失恋したのにまだ落下した穴から這い上がろうという努力を怠る彼女が世迷い言を言っているだけ。

考え込むエドの顔を、彼女が不思議そうに覗き込む。エドは笑顔を見せて、彼女の肩を抱いてそのまま口付けた。彼女はエドの首に両腕を絡み付ける。


「(…羨ましい、…わけじゃない)」


エドは邪念を振り払うように、彼女のことを抱きしめた。









ヒロは、ハンナや他の使用人と一緒に洗濯物を干していた。家の主は2人しかいないけれど、使用人の数が多いため、毎日の洗濯物は膨大な量になる。それらを全て洗って干すことはかなりの重労働になる。特にすることもないヒロは、いつの日からか手伝いを申し出るようになった。


「(世間一般の夫人なら、社交の場で夫の隣りに立って他の貴族とコミュニケーションをとったり、様々なな人たちとのつながりをつくる手伝いをしたり、色々仕事があるものだけど、私は完全にそういった仕事から除外されている)」


ヒロはハンナと桶に入れた洗濯物を運びながらそんな事を考える。家と家同士を繋げるというだけの役目しか求められていないのだから、自分はこれでいいのだとは思うけれど、日がな一日社会と断絶して本を読んで花を育てて、といったことしかしていない、というのがなんとなく居心地が悪かった。ヒロは、そんな不安を誤魔化すように小さなものでもいいから自分の役割を見つけて、働いて、そして心をまた落ち着かせる。夫に全く愛されない自分がこの家にいても良い理由を、なんとか探す日々である。


「(結婚さえすれば立ち止まれると思ったけど、そんな日々に慣れてきたら今度はこんな心配事があるなんて…)」


真っ青に広がる青空を見あげながら、ヒロは洗いたてのシーツを干していく。せっけんのいい匂いがする、濡れた冷たいシーツをヒロは両手で持って広げる。もうすぐ冬が来るため、濡れた洗濯物を持つ手がかじかむほど冷たい。風が吹けば小さな悲鳴が出るほどだ。けれど、冬の凛とした空気はヒロは好きだった。胸いっぱいに空気を吸い込んで、ヒロは深呼吸をする。


「(…そういえばエドを、日曜日の今朝帰宅したのを見てからずっと顔を見ないな…)」


ヒロはふとそんなことを思う。休みの日、彼は出かけたり家にいたり自由に過ごしている。家にいるときは、家にいるはずなのに1日で1回も姿を見かけないことが多い。ヒロは、まさか、と心のなかでつぶやく。


「(まさか女を連れ込んでいるのでは…)」


ヒロは、そんなことを冗談めいた様子で考えた後、いやいやそもそも今日が女と遊んで朝帰りしたその日だ、と自分で自分に突っ込む。しかし、彼なら連続で違う女性と、ということはありえなくもないのが恐ろしい。

ヒロは、そんな自分にはたいして関係のないことを考えるのは辞めて、洗濯物を干すことに専念した。









今日エドは、父と一緒に領内の商工組合の会議に参加した。会議が終わると、商工組合の会長がアディントン侯爵とエドの下へ来た。今日の会議についての話をしている途中、話しながら疑問に思ったことがあったのか、会長が質問をした。それに対してすぐにエドが答える。すると、その説明に納得した会長が、さすがですね、とエドを感心した顔で見た。


「さすがアディントン侯爵家のご子息は、出来が違いますね。うちのドラ息子とは大違いだ」


息子を褒められたアディントン侯爵は、しかしいえいえ、と謙遜をする。


「できて当然です。今息子が答えられなかったら失望していたところです」

「いやいや、お厳しい。しかし本当に優秀な方ですね」


会長に褒められたエドは、笑顔で軽くお辞儀をするだけである。それからまたしばらく仕事の話が続いた。





商工組合との会議が終わると、そのままエドはアディントン侯爵とともに城へ向かった。会議に入る父と別れて、エドは事務室に入ると自分の仕事を始めた。済まさなくてはいけない仕事が山程あり、それを必ず完璧にこなさなくてはいけない。


「(…俺は優秀じゃなくてはいけない。普通の人間と同じだと思われたら駄目なんだ)」


休み明けまでに作らなくてはならない書類を必死にまとめていると、あとから来たウィルが、エドの書類をのぞきこんだ。


「あ、ここ間違ってる」


さらりと読んだだけのウィルが書類の一箇所を指さす。エドは、そんなわけ…と言いながら言われたとこをもう一度見る。しばらく考えたあと、自分の間違いに気がついたエドは、ウィルの方を見上げた。


「…礼を言う」

「いいえー」


ウィルは自分の席に座ると、マイペースに仕事を始めた。エドは、そんなウィルをちらりと見る。


「(俺はウィルには勝てない。本物の優秀な人間には、どうしたって…)」


ウィルは、学生時代から天才だった。いつでものらりくらりと過ごして、学年で1位の成績を取ってしまっていた。

それに比べて、エドは常に努力をして、やっとの思いで1位を取り続けた。テストが近くなれば、椅子に座ったまま気絶をしたこともあるし、寝ないように真冬の夜中に桶に冷水を張って足をつけながら勉強をしたこともある。毎日誰よりも遅くまで図書館で勉強した。父が思い描く合格ラインの息子であるために、血反吐を吐くような努力をした。

こんなに努力をしても、父の当然こうあるべきというボーダー上にしか自分は立てない。ウィルならばしなくてもいい努力を山のように積み上げなくては、自分はそこへ向かえない。それでもエドは、自分は優秀でなくてはいけないから、足を止められない。普通の人間であってはいけないからである。

こんなに努力をしても一切父親に褒められることがない自分に、エドは時々無性に不安になる。自分はこんなに不出来で、空っぽで、価値はあるのだろうかと。そんな時に彼は、誰かに愛してほしいと思う。一瞬でいい、情けない自分を知られるのは死んでも嫌だから、上辺しかわからないままのほんの一瞬だけ、自分のことを愛してほしい。自分は誰かに愛されるに足る人間なのだと確認したくてたまらなくなる。

けれど、中身のない自分には生まれ持った容姿しかない。だから、この容姿を愛してくれる人に、容姿の良さだけで愛してもらえる短い間だけ、エドはすがるしかなかった。

エドは、ウィルに指摘された部分の修正にまた頭を悩ませ始めた。


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