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本日は、アディントン侯爵の50歳の誕生日ということで、アディントン侯爵の屋敷でパーティーが開かれた。
上流貴族たちが集まっており、会場では優雅な時が流れていた。
ヒロはエドと一緒に挨拶に回った。リサも、まだ体調は本調子ではないであろうけれど、ダグや子供たちと笑顔で挨拶に回っていた。
ビル伯爵夫妻も訪れており、2人で挨拶に向かうと夫妻は微笑ましい笑顔で迎えてくれた。ヒロが夫人に色々話していることをしらないエドは、夫妻のその笑顔がよくわかっていないようで、ヒロはそれに小さく吹き出した。
エドとヒロは2人でヒロの両親に挨拶に向かった。両親と一緒にいたランドルフは、挨拶もそこそこに輪から離れていってしまった。ヒロはどうしたらいいかわからなかったけれど、両親は、気にしないでいいのよ、とヒロの背中を撫でた。
「それにランドルフ、最近気になる人ができたみたいなのよ」
「え?」
母が笑顔で視線を動かした。ヒロがその視線を追うと、ランドルフに近づいて笑顔で話しかけるマーガレットがいた。ヒロは目を丸くして、それから目を細めた。
「毎週日曜日、図書館で会ってるみたい」
「そうなんですね…!」
「あなたは気にしないで、自分のことを考えていたらいいのよ」
母はそうヒロに微笑む。ヒロはそんな母に微笑み返した。
両親と会話したあと、アディントン侯爵と夫人と目が合った。ヒロが笑顔で頭を下げるけれど、隣にいるエドは表情を硬くしていた。普段と違うエドに、ヒロは首を傾げた。アディントン侯爵は2人の元へくると、よく来てくれた、といつもの調子で言った。
「パーティーの後、家族で食事会をする」
アディントン侯爵の言葉に、知ってます、とエドは返す。夫人は笑顔で、久し振りに家族で食事ができるわね、とうれしそうに話す。
エドは彼らに軽く会釈をすると、行こうヒロ、とヒロの腕を引いて歩き出してしまった。ヒロは、エドに引っ張られて歩きながら、あの、と話し掛けた。
「何かありましたか?」
「…」
ヒロの質問に、エドは黙り込むと、父と考えの相違があって、と返した。ヒロはそんなエドに目を丸くする。
「(…ずっと、アディントン侯爵の言いなりだったのに)」
「ごめんなさい、こんなことに巻き込んでしまって」
「ああいえ、大丈夫です。…どうしても譲れないことだったんですよね?」
ヒロが尋ねると、エドはヒロの目を見た。そして、はい、と頷いた。
「俺にとって、絶対に譲れないことです」
エドの言葉に、ヒロは目を丸くする。出会ってからずっと、自分の意志をあの父親に食いつぶされてきた人がそう言ったことが、ヒロはなんだか嬉しかった。ヒロは微笑んで、そうですか、と返した。
「それは良かったです、とっても」
ヒロが笑顔を見せると、エドと少しずつほほ笑んだ。
「あら、ランドルフお兄様」
笑顔のアリスがランドルフに話し掛けた。ランドルフはアリスに気がつくと、ああ久し振り、とほほ笑んだ。アリスは、ええ本当に、と頬に手を当てた。
「ヒロがエドのところへお嫁に行く前は、よくスミス家で集まらせていただきましたから、ランドルフお兄様ともよく顔を合わせられたのですけれどね」
そう微笑むアリスに、ランドルフは少し地雷を踏まれる。ランドルフは目線をそらすと、軽く咳払いをした。
「…アリスも、年齢的にそろそろ結婚する頃合いじゃないのか?相手ならいくらでもいるだろ」
「まあ、年齢的に、とはどういう意味でしょうか?」
「世間一般では、20を超える前にみんな結婚するんだから、という意味だ」
「そんな、男が勝手に作った物差しで測られても困ってしまいます」
ふふ、と微笑むアリスに、ランドルフは怪訝な顔をする。異変に気がついたウィルが、アリスの隣にやってくると、まあまあ、と宥めた。
「ここで、この国の女性の権利に関する討論はしなくていいから。ここは討論会場じゃなくて、アディントン侯爵のお誕生日パーティーだから」
「ふふ、それもそうですわね」
アリスはにこりと微笑む。そんなアリスに、ようやく、俺はまずいことをいったと気がつくランドルフ。
アリスは、ランドルフの方を見てにこりとほほ笑んだ。
「年を取るほどに容姿が衰える、だから早く嫁にもらってもらえ、なんて、この国ではよく女性に言いますけれど、私はそうは思いませんわ。だって私は、今が一番綺麗だって自分のことを思っておりますから。もちろん、綺麗の基準は自分の心にあります。他人にとやかく言われる部分ではありません。結婚だって、年齢だけで対象に入れない男性などこちらから願い下げです」
アリスはそうにこにこと返すと、ウィルは、額に手を当てた。ウィルは、気まずそうにランドルフを見ると、ランドルフは目を丸くしたあと、なるほど、と納得したように頷いた。
「…すまなかった、一般常識だからと、俺は考えもせず反射的に、正解のようにアリスに考えを押しつけていた。謝る」
ランドルフは素直にそう言うと頭を下げた。そんなランドルフを、驚いたようにウィルは見つめる。アリスは、いえ、と微笑む。
「…ところであちらに、群がる男たちに困り果てる女性がいますから、助けに行って差し上げたらどうですか?」
アリスの視線の先をランドルフがたどると、そこには男たち数名に執拗に話しかけられるマーガレットがいた。ランドルフは、先ほどマーガレットに話しかけられたけれど、早々に話を切って、マーガレットを置いてきてしまったのだ。
ランドルフは、マーガレットの姿を見て目を伏せる。
「…あいつは、俺のことはやめたほうがいいんだ」
「まあ、なぜですか?」
アリスは首を傾げる。ランドルフは、一息をつく。
「…俺は、まだヒロを引きずってる。…こんなの、マーガレットに無礼だ」
ランドルフはそう言うと、マーガレットに背中を向けて歩き出した。アリスはその背中に、あら、と口を開く。
「そうやって、好きだというマーガレットを遠ざける方がよっぽど無礼ですわ」
「…」
「それに、毎週図書館でお会いになっているんでしょう?それなのにそんなことを言うなんて矛盾してますわ」
「そ、それは…」
「助けに行って差し上げてください。マーガレットはそれを望んでいます。もうずっと、ずっと前から」
アリスは微笑む。ランドルフは少し固まった後、アリスの隣を通り過ぎて、マーガレットの元へ向かった。そんなランドルフの背中を見て、アリスは頬に手を当てる。ウィルは、すすすとアリスの隣にきた。
「うまくいきそう?」
「どうでしょう?」
「俺たち兄妹って、友だちの恋愛を応援をせずにはいられない性格なのかな?」
「野次馬なだけですわ」
「…そんな下世話な言い方しなくても」
ウィルがため息をつくと、アリスは目を細めてほほ笑んだ。
豪華なパーティーが終わった後、エドとヒロ、それにリサとダグとリンとダンは、アディントン侯爵の屋敷の食堂に集まった。そこで、家族そろっての夕食会が始まった。アディントン侯爵の家族が集まるのは、エドとヒロの結婚式以来たった。
家族との会話は、エドは普段より淡々としていたものの、空気を乱すような事はしなかった。リサもダグも会話を賑やかで柔らかい空気にしたし、食事会は和やかに進んでいった。
料理はほとんど終わって、最後にデザートの時間となった。その時、アディントン侯爵がリサの方を見た。
「この秋に生まれると言ったな」
リサはそう言われて、はい、と頷いた。そして、大きくなってきたお腹をさすった。アディントン侯爵は、そんなリサに目を細めた。
「次も男がいいな」
アディントン侯爵の言葉に、リサは固まる。そんなリサには気づかずに、アディントン侯爵は絶対に男がいい、と言う。
「跡取り候補の男は複数必要だ。オーサー家のために必ずそうしなさい」
アディントン侯爵は、そう当然のようにリサに言う。リサは、なんとか場の空気を悪くしないように笑顔を保つが、唇は震えている。ダグが慌てて、あはは、そううまくいくかどうか…、と誤魔化すように笑う。
ヒロは、そんなやりとりを黙って聞きながら、いや、あなたのところはそもそも子ども2人しかいないのでは…、と決して言えないツッコミを心の中で繰り出した。
アディントン侯爵は、そうだから困るんだ、と腕を組んだ。
「俺の時も、最初生まれたのがリサだったから、どうしたものかと思った。こいつが女腹の嫁だったらどうしようかとな。まあ、なんとかエドが生まれたからよかったものの、肝を冷やした」
はあ、とため息をつくアディントン侯爵に、隣に座る夫人は笑顔を浮かべる。しかし、よく見ると唇が震えているのにヒロは気がつく。彼女がどれだけ抑圧されてきたか、ヒロには想像もできない。ヒロは、リサや夫人の気持ちを考えると、どうにも胸が痛くなった。
アディントン侯爵は、そうだ、と今度はエドとヒロの方を見た。
「お前たちはまだなのか?見たところ仲が良さそうだし、そろそろだろう?」
アディントン侯爵の土足で入ってくるようなもの言いに、ヒロは固まる。アディントン侯爵はヒロだけを見ると、どんどん話を続けた。
「当然、男がいるぞ。2、3人は必ずだ。もちろん産むだけではだめだ。きちんとこの家にふさわしい優秀な子どもに育てなさい。エドくらいのができたらそれで及第点だ。励みなさい、ヒロ、この家の嫁なのだから。当然のことだ」
「見た目も、エドによく似た男の子だとハンサムでいいわよね」
夫人が笑顔で2人にそう話す。アディントン侯爵は、見た目もそうだが、それより中身だ中身、と夫人に話す。夫人は、そうですけれど…、と微笑む。
すると、デザートが配られた。夫人は、自分の前に来たケーキの皿を見て、まあおいしそう、と笑った。そして、エドの方を見た。
「あなたの好きなケーキじゃない。よかったわね」
「…ごめんなさい、母さん。実は、随分前から甘いものは食べられないんです」
エドはそう返した。夫人はエドの言葉に目を丸くする。ヒロは、隣に座るエドを見た。エドはまっすぐに自分の両親を見つめていた。
「甘い物を喜ぶ息子を見て嬉しそうにする母さんを見ていたら、言えませんでした。ずっと黙っていてごめんなさい」
「そ、そうなの、そうよね、大人になったんだものね、そうよね」
夫人は少し困惑しながらも、しかし笑顔で返した。エドは、アディントン侯爵の方を見た。
「それに俺は、あなたが望む優秀な息子なんかじゃありません。あなたの息子は、本当は大したことのない普通の人間です。あなたの知らないところで、人一倍時間を使って、それでようやくあなたの望むラインに立っていただけです」
エドの言葉に、この場にいた全員がエドの方を驚いた目で見た。アディントン侯爵は、言葉を失っていた。エドは、アディントン侯爵を見据えたまま話を続ける。
「なんでもかんでも、あなたの思い通りになんか行きません。俺たちに、あなたの考えを押し付けないでください。俺は、子どもはいてもいなくてもいい。もし生まれてきてくれるのなら、男でも女でも、どんな子どもでも愛します。俺はヒロと、楽しくても辛くても、一緒に生きていけるのならそれでいいんです。がっかりしたのなら謝ります。でも俺は、あなたを満足させるために虚勢を張るのはやめたんです。これからは、ヒロを幸せにするために一生懸命生きたい。等身大で格好悪くても、泥臭くても、それが俺だから」
エドはそうアディントン侯爵に告げた。アディントン侯爵は次第に顔を赤くして、握りしめた拳を震わせると、勢いよくテーブルを叩いて、そしてこの場から去っていってしまった。夫人は動揺して、周りを見渡して、どうしたらいいかわからないような顔をしたあと、おずおずとアディントン侯爵を追いかけた。
両親の姿が見えなくなったあと、エドは、はあ、とため息をついて背もたれにもたれかかった。そんなエドの側にリサがきて、エドの背中をたたいた。
「あなた、言えるんじゃない!」
感心したようにリサがまたエドの背中を叩く。エドは痛そうに顔をしかめたあと、それはどうも、と言った。ダグが笑顔でエドに近づく。
「あのこえーお義父さんによく言えたな!すげーじゃん!」
ダグが笑顔でエドの肩を抱いた。暑苦しいですよ、とエドがダグの手を払う。すると、リンとダンがエドのそばに来た。
「…リン、いつもおじいちゃまとおばあちゃまに、たくさんいわれてきたから…だから、すっきりしちゃった。ありがとおじちゃま」
リンは、椅子に座るエドに抱き着いた。エドはそんなリンに優しく目を細めると、自分のお腹に顔を埋めるリンの頭をぽんと撫でた。
「でもおじちゃま、おじいちゃまをあんなにおこらせちゃってだいじょうぶなの?」
ダンの疑問に、エドは、う、と声をもらす。リサとダグも、気まずそうに固まる。
ヒロは、はっとすると、エドの方を見た。
「花屋さん開店の準備、しておきます!」
ヒロは目を輝かせる。リサが、花屋?と首を傾げる。
エドはそんなヒロの目を見たあと、ゆっくり目を細めて、はい、と頷く。ヒロはそんなエドを見て笑みを深める。
リサは、話がよく見えずに首を傾げるけれど、微笑み合う2人を見て、つられるように口元を緩めた。




