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エドに言われた通り、ヒロは夕方頃に義姉であるリサのいる、オーサー邸に向かった。育てた花を花束にして、それを手土産にと抱えて、ヒロは馬車に乗っていた。
屋敷の中に入ると、メイドにリビングに通された。そこには、メイドたちと遊ぶ2人の子どもと、そのそばにあるソファーに青い顔をして横たわるリサがいた。
「だ、大丈夫ですか…?」
ヒロは挨拶よりも先に慌ててリサのそばに向かい、ソファーに横たわるリサのそばにしゃがみこんだ。リサは、いらっしゃい…と力なくヒロに返した。
「こんな恰好でごめんなさいね…」
「とんでもないです。ベッドで寝ていなくて大丈夫ですか?」
「今日はまだ少し気分がいいから、リンとダンの顔が見たくて…」
そう青い顔で力なく返すリサに、これで本当に気分がいいと言えるのだろうかと不安になる。姪と甥である、リンとダンは、ちらちらとヒロの方を見ている。ヒロは2人に微笑み、こんにちは、と挨拶をした。2人は顔を見合わせた後、こんにちは、と挨拶を返した。2人とも、リサによく似た整った顔立ちをしていた。綺麗な銀髪と、見た目の雰囲気から、どことなくエドにも似ているようにも感じた。
リサは、はあ、とため息をついたあと、ゆっくりヒロを見た。
「つわりがしんどくてね…。リンとダンのときよりはマシだけれど…」
「えっ?そ、そうだったんですか、おめでとうございます」
「あら、エドから聞いてない?」
リサに聞かれて、ヒロは口を噤む。最近ずっとまともに話せる状況になかったので、エドも説明を省いたのだろうとヒロは察して気まずくなる。リサは特に気にせずに、まだエドは来ていないのよ、と話を変えた。
「そろそろ終わるだろうけど…」
「そうですか…。あっ、これ、私が育てたお花です。よろしければ飾ってください」
「あら、うれしい、ありがとう…」
リサは口元を緩めると、ヒロが見せた花をのぞき込んだ。すると、突然、うっ!と声をもらすと口元に手を当てた。ヒロは目を丸くして、お義姉様?と彼女の背中を擦った。
「…ごめんなさい、普段はお花もその匂いも大好きなんだけど…今は……」
さらに顔色を悪くしたリサに、慌ててメイドが近寄る。ヒロは、さっと花束を彼女から隠して、彼女の背中をさすった。
「奥様、寝室へ向かいましょうか」
「ええ…」
リサはよろよろと立ち上がる。ヒロはそれを支える。
「ごめんなさい、ヒロ…」
「いえ、このままお支えします」
ヒロはそう言うと、メイドと2人でリサを支えて、彼女の寝室まで向かった。
リサをゆっくりベッドの上に寝かせて、メイドは2人の面倒を見るために部屋から出ていった。ヒロは、リサの方を心配そうに見た。
「お体を大事になさってくださいね」
「ありがとう。…せっかくヒロに久しぶりに会えたのに、こんな格好で申し訳ないわ」
「そんなこと…」
「エドとは仲良くしているの?」
リサに尋ねられて、ヒロは一瞬答えに迷ったあと、はい、と答えた。そんなヒロをリサは見上げて、そうよねえ、と小さく微笑んだ。
「あんな奴、付き合っていられないわよね、わかるわ」
リサは、小さく笑いながら返す。ヒロは、え、と声をもらす。リサは、ヒロの目を見た。エドと同じ綺麗な銀髪をもつ、凛とした美しい彼女と目が合って、ヒロは少しどきりとする。
「意地っ張りで見栄っ張りでおこちゃまで。…でもそれは、虚勢を張っているのよ。自分に自信のないことの裏返し。…昔はもっと素直だったんだけどね。あんな奴、弟としても付き合いきれないって思うのに、旦那だなんて、ねえ」
リサは、はあ、とため息をつく。ヒロはそんな彼女を見て、ヒロは小さく微笑む。
「そんなことありませんよ、…優しい方です、とっても」
ヒロの答えに、リサは少し目を丸くしたあと、優しく目を細めた。
「エドが好きなのね」
「えっ」
リサに尋ねられて、ヒロは硬直する。どんどん赤くなる顔を感じながら、自分は何でこんなことを言ってしまったんだと後悔した。自分はこんなことを言える立場ではないのに、と思うと、どんどん目線が下がった。リサはそんなヒロを見て、やだ照れてるの?と笑った。
「あなたって可愛いのね」
リサにそう微笑まれて、ヒロは慌てて、そんなことありません、と否定した。自分に可愛げなんてないことを、自分が一番良くわかっていたからだ。リサは、そう?と微笑んだ。
「よく言われるでしょう?」
「い、言われません…。お義姉様はよく言われるでしょうけれど…。可愛いとか、綺麗とか…」
「そうね、私なんてもう耳にタコができるくらい言われてきたわよ」
リサはそう笑いながら返す。ヒロは、体調が悪くてもこんなに美しくあれる彼女の横顔を見ながら、それはそうだろう、と納得しかなかった。リサは、でもね、と続けた。
「私がもっともっと年をとって、シワシワのヨボヨボになっても、可愛いねって、綺麗だねって、そう言ってくれるのはこの人だけって、思ったの。旦那のことだけどね」
リサは優しい声でそう言った。
「ダグと結婚が決まったときは、えー、こんな人?って、正直嫌だったけど、お父様の決めたことに逆らえるわけがないし渋々結婚したの。それが今やこんなふうに思うなんて笑っちゃうわよね」
リサは懐かしそうにそう言うと、小さく吹き出した。ヒロは、彼女の横顔を呆然と見つめる。リサはヒロの方を見ると、ダグには内緒よ、調子に乗るから、と付け足した。ヒロは、そんなリサに、ゆっくりと微笑んで、はい、と頷いた。
すると、扉がノックされた。メイドが入って来て、エド様がいらっしゃいました、と言った。リサは、あらそう、と返した。
「私、もう少しここで横にならせてもらうわ。どうぞ、ヒロはリビングに戻って。しばらくしたらまたそっちに戻るから」
「は、はい」
ヒロは、リビングに戻ってエドと顔を合わせたくない気持ちを抱きつつ、リサの部屋をあとにした。
リビングに向かうと、ソファーに座ったエドが、双子の間に座って本を読んでいた。リビングの花瓶に、ヒロが持ってきた花がいつの間にか飾られていた。
エドが本を読んでいる途中でリンが、おじちゃま、とエドの腕を容赦なく叩いた。
「あんまりにもぼうよみすぎるわ。やりなおして」
「うるさいな。下手だって知ってるなら俺に読ませなければいいだろ」
「だめだよ、リン。かげきかんしょうがしゅみのくせに、えんぎができなさすぎる、なんていったら」
「見るのが好きなのと演じるのが得意なのは比例しなくて構わないだろ。というか、リンはそんなこと言ってない」
エドが苦々しそうにダンに返す。リンが、いまいおうとおもってたわ、とエドにいうと、エドは言葉をつまらせた。
ヒロがぽかんとしながらそのやりとりを見ていたら、彼女の足元になにか柔らかいものが触れた。なにかと思って視線を下げると、ヒロの足に体を擦り寄せる猫の姿があった。
「…ねこ?」
「あっ、ミイ」
ダンがソファーから降りてヒロのそばに来てしゃがんだ。そして、ヒロに体を擦り寄せて喉を鳴らすミイを見た。ミイはダンに気がつくと、ダンの腕の中に飛び込み、ダンの頬に顔を擦り寄せた。ヒロもしゃがみこんで、ダンと猫を順番に見た。
「…とっても人懐っこい猫なのね」
「うん。ミイっていうの。おばちゃまもこっちにきたら」
ダンは立ち上がるとヒロを手招きした。ヒロは、はい、と言うと立ち上がった。すると、ソファーに座るエドと目が合った。お互い少しの間見つめ合うと、気まずそうに視線をそらした。ソファーに座ったダンが、おばちゃまもどうぞ、と自分の隣を軽くたたいた。ヒロは、は、はい、と言うと、ダンの隣に座った。ミイはダンの隣に座るエドの膝の上に乗った。
リンは、エドとヒロを交互に見た。そして、ねえおじちゃま、と言った。エドは、あ、ああ…、と少し動揺が抜けないまま返事をした。
「おじちゃまは、おばちゃまのどこがすきでけっこんしたの?」
リンの質問に、ヒロとエドは固まる。ヒロは、動揺から視線が泳ぐ。エドは少しだけ固まった後、軽く咳払いをした。
「俺たちは政略結婚だったから、最初は特にどうとも思わなかったな」
エドの回答に、ヒロは、真面目に答えている…、と心のなかで呟いた。
「でもだんだん、ヒロが笑っているところが可愛いと思うようになって」
ヒロは、エドの言葉に心臓が跳ねて体が震えそうになる。
「(…そ、そんなこと思ってたんだ…)」
「…ヒロと一緒にいるにつれて、俺はこのままでいいんだって、そう思えるようになった。俺はそのままの自分が嫌いで、格好つけだったけど、そんなことしなくていいんだって、ヒロが気づかせてくれた。ヒロのことを好きになって、俺は自分のことも好きになれた」
ヒロはじっと、エドの話すことに耳を傾けていた。握りしめた手の中には汗をかいていて、背中にも嫌な汗が伝う。何を言われるのか、どんな否定をされるのか、恐ろしくて逃げ出したかったけれど、エドの優しい声と言葉に、少しずつ嫌な予感から引き起こされる緊張が解けていくのをヒロは感じた。ヒロは恐る恐る、エドの方を見た。一瞬、確認するのをやめてしまおうかと思ったけれど、しかし、なんとか視線を上げた。そこには、優しい顔で、質問をしたリンに話しかけているエドがいた。
エドの話を聞き終わったリンは、ええ?と首を傾げた。
「ながすぎてよくわからないわ。もっとたんてきにはなして」
「ヒロの全部が好きだ。これでいいか」
エドがそうきっぱりいい切るのを聞いて、とうとうヒロは、恥ずかしさで顔を俯けてしまった。リンが、ふうん、と言うと、今度はヒロの方を見た。
「それじゃあ、おばちゃまはおじちゃまのどこがすきでけっこんしたの?」
「えっ?」
ヒロは体をまた緊張させて、声が裏返ってしまった。エドがヒロの方を見ているのに気がつくと、顔が赤くなっているのを見られたことに耐えきれず、ヒロは視線をすすすと下げた。
どう返していいのかわからずに硬直していると、ヒロの隣に座るダンが、だめだよリン、と言った。
「おとなはすきじゃなくてもけっこんしなくちゃいけないときがあるんだから、それいじょうきいたらだめだよ。おじちゃまがかわいそう」
ダンにそうたしなめられると、リンは、はあい、と不満そうに返した。エドは顔を引き攣らせながら、君はなんでいつも俺を傷つけるのがそんなに得意なんだ、と返した。
すると、ミイがエドの膝の上から飛び降りると走り出してしまった。それを、双子が一斉に追いかけてしまった。ソファーの上に、ヒロとエドがぽつんと取り残されてしまった。
子ども1人分あいた距離でお互い隣同士に座りながら、2人とも少しの間黙っていた。するとエドが、あの、とヒロの方に体を向けた。ヒロはびくりとしながらも、なんとかエドの顔を見た。真剣な顔をしたエドが、背筋を伸ばしてヒロの方を見ていた。
「ごめんなさい」
エドはそう言うとヒロに頭を下げた。ヒロは、えっ、と声をもらす。
「(…なに、何のごめんなさい?浮気してごめんなさい?やっぱり夫婦関係は解消してくださいのごめんなさい?)」
「あなたに嫌な思いをさせて、不安にさせて、本当にごめんなさい。…あの日、俺はカフェでパメラと別れたんですが、その後の帰り道で馬車にトラブルがあってとても帰れる状況になくて、近辺で宿を取って1泊したんです。手の傷は、…カフェで話している時に、パメラからつけられたんです。俺に恨みがあったようで、爪で傷をつけられました。その時に、あなたに危害を加えることを仄めかされたので、数日間あなたに過剰なほど護衛がついていました。護衛については不必要に不安を煽るといけないので、詳しく説明できていませんでした。パメラが隣国へ嫁いでいったので、護衛は外しました。…きちんと説明できなくて、本当にごめんなさい。」
信じられないと言われたらそれまでですが…、とエドは視線を落とす。ヒロは、そんなエドのことを見つめた。
落ち着いて、エドの声を聞いてみた。顔を見てみた。震え上がるほど不安で、恐ろしかったけれど、それでもヒロは、聞きたいと、見てみたいと、そう思ったのだ。
実行してみれば、ただただ優しいエドの姿が見えて、ヒロは、自分がこれまでどれだけ愚かで独りよがりなことをしていたのかということに気がつく。
「(…私はずっと、これまでずっと、全ての人に対して、こんなふうに接していたのかな。傷つきたくないことを言い訳に、傷ついてきたことを隠れ蓑に、ただただ逃げて、1人で思い込んで、そして自分で自分を傷つけてきた。相手の顔すら見ないで。私の方に歩み寄ろうとしてくれる人ですら跳ね除けて)」
ヒロはまっすぐにエドの瞳を見る。エドは、ヒロの返事を待っていた。ヒロは少し息を吐いたあと、ゆっくり口を開く。
「…私の方こそ、ごめんなさい。私のほうがごめんなさい」
ヒロの言葉に、エドは、え、と声をもらす。ヒロは目を伏せた。
「私はあなたの話を聞こうとしなかった。…心変わりをしたのだと、そうあなたから言われると、そう思い込んでいたから。自分の中でこうだと決めつけて、勝手に思い込んで、1人で恐れていた。1人で考え込んで、もやもやいらいらしていました。これまででは信じられないくらい気持ちが沈みました。あなたの心が私から離れたんだと思ったから」
「ヒロ、」
「でも、こんなふうに考えても、私はやっぱり、ジムのことが忘れられないんです。そんな自分が嫌になって、実家に帰ってしまいました」
ジム、という単語にエドはわかりやすく表情を硬くした。しかしすぐ、目線を下げるヒロを心配そうに見つめた。エドが何か言いかけた時、元気で能天気な、ただいま〜という声がリビングに響いた。この家の主であるダグが、笑顔で帰ってきた。
「おうエド!それにヒロ!来てくれてありがとうな」
ダグは2人に近づくと、気さくにそう話しかけた。エドが、え、ええ…、と曖昧に返すと、ダグはエドとヒロを順番に見た。そして、嬉しそうに口角を上げた。
「なんだあ?夫婦喧嘩か?」
エドが、う、と言葉を詰まらせる。すると、さらに嬉しそうにダグが口角を上げる。
「なんだよ、エド、お前もまだまだだな!」
「…ちょっと黙っててくれないかな」
「いやー、イケメンが痛い目にあってるのは気持ちがいいな!ほらほら、そんな辛気臭い顔してないで、2人ともこっちおいでって、ケーキあるからさ!」
ダグは、テーブルに使用人たちによって並べられていくケーキを指さして笑う。ダグはヒロを見ると、なあヒロ!と呼びかけた。
「ヒロはケーキ好き?」
「え?ええ、はい、あの、…はい」
「よし!たくさん食べてってよ、来てくれたお礼だから!ここのは本当においしいよ〜お土産もたくさんあるから」
ダグは、そういえば、とまた嬉しそうにエドの方を見た。
「エドは甘い物食べられないんだったな。いや〜こんな美味いものを食べられないなんて、可哀想になあ!」
「…お気遣いどうも」
エドが顔を引き攣らせていると、どこから嗅ぎつけたのか、猫を追いかけていた双子がばたばたとやってきて、ケーキを見てはしゃいだ。そして、我先にとテーブルについた。ダグはそんな双子を見て微笑むと、ほら、ヒロもおいで!と呼んだ。ヒロはそんな彼らに小さく笑みをこぼして、はい、と言って立ち上がった。そんなヒロを見て、エドも立ち上がった。
結局、リサは最後まで体調不良で顔を出せず、ダグとダンとリンに挨拶をして、ヒロとエドは馬車に乗って自宅への道を走った。辺りはすっかり暗くなっていた。
お互い向かい合いながら、何を話したらいいのかわからないもどかしい沈黙が続いていた時、窓から時計台が見えた。よく見ると、なにやら工事をしているようだった。
「…工事中?」
ヒロがつぶやくと、エドがヒロの視線の先を見て、ああ、修理を始めたみたいです、と返した。ヒロは、修理…、と呟いた。エドはそんなヒロを見て、少し見ていきますか、と提案した。ヒロは少し黙ったあと、はい、と頷いた。
時計台の前に、ヒロとエドはやってきた。時計の部分に修理をするための骨組みが設置されている。さすがにこの時間では作業はされていなかった。
ヒロは、大きな時計台を見上げた。止まっていた時計台も、修理が終われば動き出すだろう。
「(…散々周りに迷惑をかけ続けてきた。いい加減に、私も動き出さないと)」
ヒロはそんな事を考えて、不安に襲われる。春の夜風に髪を揺らされながら、ヒロは目を伏せる。
「…ジムのことは、…忘れようと思います」
ヒロの言葉に、隣にいたエドは、えっ、と声をもらした。
「そんな急に、ですか?」
「…もう3年以上経ちます。私もいい加減、前を向かないと。いい大人が、恥ずかしいことをしていました。周りに迷惑をかけて、…いったい私は何をしていたんでしょう」
ヒロはそう、自嘲的に苦笑いをした。そんなヒロの横顔を見つめていたエドが、少し黙ったあと、そんなことしなくてもいいと思います、と時計台を見上げて言った。ヒロは、エドの横顔を見た。夜の薄暗い中、ただ星明かりに照らされるだけの彼が、ヒロにはとても眩しく見えた。
「無理に動き出す必要は、ないと思うんです。…いやそれは、忘れてもらったほうが俺は良いですけど。でも、無理をしたら、そうしたらきっと、いつか壊れてしまう」
エドの言葉に、ヒロは口をつぐむ。エドはヒロの方を見て、視線を合わせると優しく微笑んだ。
「あなたは、俺のことが好きですか?」
エドの質問に、ヒロは息を呑む。ジムを忘れられない自分にそんな権利なんて、という常套句が出そうになったけれど、しかしヒロは、驚くほど素直に、はい、と答えた。
「私は、あなたのことが好きです」
ヒロの返事に、エドは目を丸くした。そして、少しずつ頬を染めながら目を伏せたあと、ゆっくり視線を上げてヒロと目を合わせると、優しく目を細めた。
「今の俺には、それで充分です。あなたが動き出せないのなら、一緒に立ち止まりたい。もし動き出すときは、一緒に歩きだしたい。何も焦ることはない。今は2人で立ち止まりましょう」
静かな春の夜の中、エドの声が響く。ヒロは隣にいるエドを見上げる。
「ジムのことが忘れられなくても、ですか?」
「はい。男に二言はありません」
「ジムのことが好きでも、ですか?」
「うっ…はい、そうです、それでも良いんです」
エドは、少し強がりのような素振りは見せたけれど、しかし、すっきりとした顔でヒロの目を見た。ヒロはそんなエドをみて、また、かつてのジムの言葉がよみがえる。ヒロを好きになる人なんて、他にいない。そんな言葉に何度も何度もたくさんのことを諦めてきた。その言葉によって、たくさん心を閉ざしてきた。信じ切っていたその言葉を、ヒロは今、もう忘れてしまいたいと、そう願った。
「…あなたは、私のことが好きですか」
ヒロは恐る恐るそう尋ねた。エドはそんなヒロの方を見て少し驚いたような顔をしたあと、はい、と優しい目で言った。
「俺はあなたのことが好きです」
その言葉を信じたいと、ヒロは渇望した。
ヒロは、少しずつ瞳に涙がにじむのを感じて、それを引っ込めたくて時計台を見上げた。すると、そんなヒロの手を、エドが優しく握った。ヒロはエドの方を見た。エドはヒロの瞳を見ると小さく微笑んで、そして時計台を見上げた。直ったら、また一緒に見に来ましょう、とエドがヒロに言うので、ヒロは涙で声が揺れないように必死になりながら、はい、と返した。




